残業中の謎の一体感には要注意

「助けなきゃならねえと思った奴を助けらんなくて、憧れた人間を終わらせちまって……俺に、何が足りなかった。俺がしたことは、……間違ってたっつーのかよ……」

ぽつりぽつりと爆豪の口から漏れてくる言葉は、普段の爆豪からは信じられないほどに覇気がなかった。その言葉一つひとつが、見たこともないほどに悲痛な色をしている。
ヤオモモが紅茶を淹れる音、砂藤お手製のお菓子に燥ぐ声。
普段の賑やかなキッチンに溢れている、どんな声と音とも違う。何もかも打ちのめされてしまったような、そんな、悲痛な音だった。

爆豪の口から零れるその言葉を聞いて。すぐ近くにあるその表情を見て。――頭を、強く殴られたかのような衝撃に襲われた。

目眩がしているような気さえする。視界が揺れて、どんなに力を込めても、足に力が入らない気がした。まるで自分への拒否反応が、自分の体を自分じゃないものにしているような。思考が覚束なくて、ふわふわして、いっそのこと酩酊していると、そう言えればよかった。
けれど、目の前の爆豪の表情を見て、浮ついた感覚は引き戻された。そうして、眼前に突き付けられた。目を逸らすな。顔を背けるな。

これは。――これは、私が最も避けたかった、避けなければならなかった、現実そのものだ。

その事実を理解した瞬間、胃の奥に締め付けられるような痛みが走った。
視界に広がる、色を失った表情。何か言葉を掛けてやりたいのに、肝心の言葉が出てこない。違う。言葉なんか出せなかった。
何を言っても言い訳になる気しかしなくて、自分の逃げになる気がして、上手く言えない。意思表示は得意だったはずなのに、言葉を奪われてしまったかのように不自由を強いられていた。

「……、っ、」

何も言えない。だって、紛れもない事実だからだ。
神野から逃げる最中、私は確かに、助けてくれようとする爆豪の手を振り払った。

けれど、あの行動を私自身は後悔していない。あの時に戻らなければ、私にとって最悪の事態になっていたことは明らかだった。あの子はきっと両親の元へ帰ることはなかったし、もしかしたら脳無に改造されていた可能性もある。

だから、私は戻った。最善でなくとも、最悪を避けられるように。自分のわがままで、一存で、私は助けに戻った。あの子をどうしても、私は助けたかったから。けれど、現実は何も上手くいかなかった。
瓦礫の中で、1本ずつ離れていく指先。肌に残った温もりが夜風に拐われて消えていく感触は未だに忘れない。忘れられるわけがない。
あの時強烈に感じた怒りも。無力感も。後悔も。全てが鮮明に思い出せる。

けれど、その感情に支配されていたのは私だけだと思っていた。
実際には私と同じような思いを、爆豪も抱えていた。私があの子に抱いた怒りを、喪失を、後悔を。爆豪も同じように、私に対して抱えていた。そんなことは想像もしていなかった。

あの場で逃げるということは思っても、隣にいる私を助けたいだなんて。そんな思いを抱えているとは、まったく、思わなかった。
自分も同じ境遇にいるのに、自分だって恐ろしいと思っているはずなのに。自分が助かるよりも隣にいる人間を助けたいなんて、どうしてそう思えるだろうか。

――違う、こんなのただの言い訳だ。気付けなかった。違う。気付こうとしなかった。

あの場に戻ったのは自分の責任だと思っていた。責任は私だけに課せられたもので、無茶をした結果が全部自分に返ってきてるだけだ、自業自得の結果だと、そう考えていた。
その結果がこれだ。
自分のことしか考えず、一緒にいたはずの爆豪を軽んじた。それが、どれだけ爆豪の心を踏みにじる行為か理解していなかった。
想像力の欠如。自分だけの問題だという自惚れ。問題の過小評価。私の傲りが、他人の心配りを蔑ろにした結果が、この事態を招いた。

無自覚に爆豪の心を踏みにじったのは。私だ。

あの時の私にとっては、最善の判断のつもりだった。でも、その判断が爆豪を傷つけた。私の、独りよがりの判断がたった16歳の子供に責任を、後悔を背負わせてしまった。

「――……、忘れろ」

何も返せない私に痺れを切らした爆豪が言葉少なく、その言葉を口にした。視線を逸らせないまま、それまで間近にあった熱が離れていく気配がして考えばかりが先走っていく。思わず息を呑みそうになって失敗した空気が、喉の奥に詰まった。

愕然とした。そう言わせてしまったことも、それが出来ると思われていることにも。

大人になってから心にも思っていない謝罪をすることなんていくらでもあった。そうしなければ襲い掛かる理不尽で、心が擦り減ってしまうと分かったからだ。そうやって失敗しながらも、うまく社会を乗り切る方法を身に付けてきた。大人になるということは、何かを諦めることなのだと、私は自分の身をもって知ってきた。

その経験の通りに割り切って、関係ないから気にするな、と心にもないことを言うのは今までの私なら出来た。そうすることに、抵抗はなかった。
けれど、目の前にいる爆豪が声もなく出している自責や後悔を、そのままにして明日を過ごすことは、少なくとも、今の私には出来なかった。
私はあの場にいた人間として、1人の大人として、この現実から逃げるべきじゃない。なにより、打ちのめされてしまった友人を捨て置けるほど、非情ではいたくなかった。

でも、じゃあ何を言えばいい。
何を言えば、爆豪の心を救うことが出来る。謝罪では爆豪に責任を押し付けてしまうことになる。でも、否定では爆豪の心は救えない。
私はカウンセラーでも、専門家でもない。求める言葉を的確に返せるほど器用でもない。でもだったら、どんな言葉を掛けてやれば。

離れていく熱に焦りながら、頭の中を何かを求めて探し回る。答えのない問いだ。正解なんてあるはずがない。――そう思っていた。けれど。

『お前のおかげだ、苗字』
『いままで、たくさん助けてくれて』
『そういうときはさ、』

私には、打ちのめされてしまった時に、どうしていいかわからなくなってしまった時に。支えになってくれた言葉が、救ってくれた言葉がある。

そして、今の爆豪にそれを伝えられるのはーー私しかいない。

離れていく熱を強引に留めた。振り向いた爆豪の表情は歪んでいたけれど、全部無視して手を伸ばした。てのひらが後頭部の、思いの外柔らかい髪に触れた。そのまま触れた熱を引き寄せる。
ゆっくり、でも有無を言わせない強さでいつも皺の寄っている眉間を自分の肩に押し付けた。普段なら私の力ではびくともしないだろう爆豪の体は、意外なことに簡単に傾いてそこに収まった。

「てっ、」
「――世間が、爆豪自身が、間違いだったって言っても、……わたしは、たしかに、君に、助けてもらったよ」

咎めるように身動いだ爆豪を無視して言葉を続ける。
無意識だった。衝動だった。なんでそうしたのかはわからない。

けれど、そうしないといけないような気がした。言葉だけでは足りないと思った。私の持っている全てで、私の心そのままを伝えなくては。そうしなければ、爆豪の心を折ってしまう。

伝えたい。間違いなんかじゃなかったことを。
救いたい。今度は、私が。


「爆豪、助けてくれて、ありがとう」


――君が救ってくれたいのちは、間違いなく、いま、ここで、生きてるんだよ。

爆豪の選択が間違ってなかったと言えるのは、爆豪に救われた私だけだ。だから、私は私の持っているすべてで、爆豪に伝えなければならない。
爆豪の行動の末に救われた命がある。生きていける未来がある。君の勇気と願いで、明日を迎えられる人間がここにいる。たとえ失ったものが多くとも、救えたものがなくなるわけじゃない。

「……爆豪がいなかったら、私は多分また連合に連れ去られてた。そうなったら、殺されてたかもしれない。死ぬより酷い目にあってたかもしれない。でも、そうはならなかった」

私の感謝の意図が伝わったのかはわからなかった。けれど、その言葉を聞いた爆豪が息を呑む音が耳に届く。爆豪の体は時が止まったように動かないままだ。

「――きみが、爆豪が、助けてくれたからだよ。だから、私を、助けてくれてありがとう」

その言葉を最後に、沈黙がおちた。
爆豪からの返事はない。代わりに、Tシャツ越しに感じる筋肉質な体から少しずつ力が抜けていったのがわかった。
ぶっきらぼうで、不器用な爆豪の、言葉なき答えだった。

共有スペースにも、キッチンにも、私達以外の気配はない。冷房もいつの間にか止まって、静寂の中に呼吸と肌越しに伝わってくる心臓の音だけが静かな空間に落ちていく。
息を吸い込むと、夜に紛れて甘い匂いが鼻をくすぐった。
記憶のどこかにあった匂い。バスの中で微かに鼻に残ったのは、この匂いだった。あの時に感じた温もりも、この温かさと柔らかさだった。

ようやくわかった。分かりづらくもこの男が砕いてくれた心は、私が気付かなかっただけでそこかしこに散らばっていたのだ。
期末試験のときも、神野のときも、退学しようとする私を説得しにきたときも。この男は、ずっと私でさえ目を逸らしたかった『苗字名前』を見てくれていたのだ。爆豪はいつだって真摯に、むきだしの心で、私に対等であろうとしていた。

だったら、私は応えるべきだ。夏休み前のように狡く、逃げるのではなく。大人とか子供とか、そういう括りではなく。
1人の人間として、私も爆豪に向き合わなければならない。

「――んな、ことになってもかよ」
「それこそ結果論で、爆豪が感じる責任じゃないよ」

あの子が亡くなったのは私の責任でも、爆豪の責任でもない。悪いのはオールフォーワンで、敵連合だ。
けれど、私達の心はそう簡単に割り切れるほど単純に出来ていない。だから正しいと思った行動を信じていいのか迷うし、自分の力不足を嘆きも、後悔もする。でもそれでいい。私達は、そうして心にのこる感情の一つひとつを消化して、生きて、誰かを救うのだ。時に辛さや喜びを分け合いながら。昨日失った何かを、明日は取り零さないために。

「爆豪に助けてもらった分、ちゃんと、今度は、爆豪がピンチのときに返すよ。私が」

体温を、鼓動を分け合っているこの瞬間に名前はない。
ただの傷の舐め合いかもしれない。救えなかった後悔を互いに憐れんでいるだけかもしれない。それでもよかった。

ひとりで抱えきれないものなら、ふたりで抱えればいい。同じ目線なら、きっとそれが出来る。私は、そう教えてもらった。

「……、俺ァ、もうピンチになんかなんねーよ」
「うん」
「今回だけだ、」
「うん」
「調子にのんな、クソが」
「うん」
「……くそ、」

小さく萎んでいく声と相反して、いつの間にか背中に回された腕の力は強くなっていった。体温も、鼓動も、全部が重なって、ひとつになっていくような、そんな錯覚に陥りながらも訴えてくる肩の湿った感覚は無視した。微かに震える体を抱きしめる力を、同じように強くする。

肌が触れ合う場所から体温が、鼓動が溶けていく。互いのいのちが確かにここにあることを、口には出さずとも私達はそれぞれで感じていた。

大丈夫。わたしも、爆豪も、ちゃんと――生きている。

寮の中とはいえ空調が切られた夏の夜特有の、湿度の高い空気が肌に纏わりついていた。
不愉快なはずなのに、今この瞬間だけは、互いの腕の中に熱があることを私も爆豪も、心から安堵していた。


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