「――よう、お1人で余裕の受験か?」
そんな声が掛けられたのは単独行動を開始してから5分ほどが経った頃。荒廃地を抜けて工業地帯へ歩いている途中のことだった。
お世辞にも友好的ではなさそうな声と同時に、寸分の狂いもなくターゲットに向かって投げられたボールが地面に落ちる。
自分の周りにだけ重力負荷をかけておいて正解だった。まあ、これくらいの策がなければそもそも単独で動き回るなんて愚策は取らないが。
「それとも、クラスメートに追い出されでもしたか?」
その声と同時に姿を現したのは3人程度のチームだ。ついでに言うと大人である。現役の学生ではなく、社会人枠での参加者だった。脱サラヒーローというやつか。成功すれば誰もが羨むサクセスストーリーだな。感動で涙が出そうだ。
3人それぞれ1球ずつ無作為に投げてきたことを考えると、同じ職場のチームというよりはそれぞれがこちらを狙いに来た烏合の衆と考えるのが妥当。
いずれにせよ、個性の精度はそこそこ。ただ、わざわざ奇襲の選択肢を消したということは余程自分の個性に自信があるか、もしくは余程の馬鹿か。どっちだろうか。
「なあ、神野の悪魔さんよォ」
どうやら後者らしい。
はあ、とため息をつく。説明会会場から向けられていた異様な敵意の主が、まさかこんなにも容易く釣れるとは思わなかった。というか、この言動も試験判定に影響するとは考えられないのか?脱サラ組にしてはあまりにもお粗末では?
「太陽の落とし子、少女A。指折り数えてもそれなりに名前はありますけど……そちらは初耳ですねェ。名付け親は貴方ですか?でしたら、そのセンスには脱帽です。大層な名前をつけて頂き、誠にありがとうございます、先輩方」
慇懃な態度といかにもな営業スマイルで言ってやれば、あからさまに殺気が漏れた。
少し煽っただけでこれとは。絶対仕事出来ないタイプだろ。断言できる。
最も、投げかけられた言葉と視線がロクなものじゃないのでもう今更かもしれないが。
「それで?アポなしで何の御用でしょう?やることがないなら、さっさとお帰りになったらどうです?経理部に交通費の無駄だと叩かれないといいですねえ?」
元々ヒーローを目指すくらいの正義感に溢れた人間だ。さっきの言い方から、神野の情報と己の正義感だけでここまで来たんだろう。ヒーローという立場でその視野の狭さと想像力の欠如はかなり問題があるのでは?いや、ヒーロー以前に人として問題がありすぎる。
いずれにせよ、ヒーローとしてはあまり世には出したくないタイプだ。
「うるっせぇんだよ!てめえらが敵なんかに捕まんなきゃ、オールマイトはまだヒーローだったんだ……!お前らのせいで、俺の夢が、潰れたんだ!責任とれよ!」
「夢……もしかしてオールマイトと一緒にヒーロー活動するとか、彼のサイドキックになりたいとか、そんな感じですか?他人を人生の目標に据えるのはあまり感心しないですけど」
憧れは悪いことではない。憧れが目的になってしまっていて、その先が見えないことが問題なのだ。
誰と働くかも大事だが、自分が何をしたいかが一番重要だと言っても過言ではない。そうでなければその目標が成就された後、仕事へのモチベーションが下がってしまう。もちろんそうでない人間もいるが、彼らは自分でモチベーションを維持出来るタイプではなさそうだ。
なによりオールマイトへの妄信が過ぎる。ヒーローはヒーローである以前に人間だ。死ぬこともあればヒーローを辞めることだってある。それともヒーローは死なず、永遠に存在するとでも思っているんだろうか。だとしたらますます質が悪い。
「それなのに、なんでお前らは笑ってんだ?ヒーローを目指してんだ?俺から夢を、奪ったのに、なんで笑ってやがる……!」
「私達も被害者だが?それに、君の夢であるオールマイトを引退させたのは敵だ。……勘違いしないでいただきたい」
盲信者はこれだから嫌だ。
他人を受け入れる幅と器が小さくて、自分と合わない意見や価値観に攻撃的になる。世はジェンダーレス、レイシズムとお別れした価値観の多様性を認める時代だぞ?いつの時代も大勢から外れる人間はいるが、変な本の流行といい、原点回帰でも流行ってるんだろうか。
ここに来れるほどの優秀な人材だというのに、どうしてそういう人間ってどこか人間性が欠落してるんだろうな……。
「お前らがいなけりゃ!!オールマイトはまだヒーローだったんだ!だからお前らの夢も潰してやる!お前らのヒーローになるっていう夢をな!」
「被害者は下を見て不幸にまみれて生きろと?呆れた……ヒーロー云々の前にいち人間としてのモラルに欠ける。自己啓発本でも紹介しようか?セミナーは……君みたいな直情タイプとは相性が悪い。変な価値観を植え付けられそうだから、おすすめはしないね」
「ぬかせ!」
その言葉と共に3人が飛びかかってくる。正面突破に呆れながら個性を発動させれば、3人の体が地面に縫い付けられた。
「っ、なん、これ……!うごけ……!?個性は分解じゃねえのかよ……!!あの野郎、ガセじゃねえか……っ!」
「さて、」
カツ、とブーツの底がアスファルトを打った。ギロ、と視線が刺すように飛んでくるのを無視してボールにポインターに当てる。ポーン、と立て続けに間抜けな音がした。
「……正直さあ、神野についてあんまり言ってほしくないんだ。私はまだしも、もう1人はああ見えて繊細なとこあったりすんだよね、意外と」
神野以降、爆豪はどこか様子がおかしかった。
不遜な態度はいつも通りだが、どうしてか時々瞳の奥が揺れているのがいつからか気になった。思い出すのは、あの敵連合のアジトで見せた不安と戸惑いに揺れる表情だった。いつもは真っ直ぐに、それでいてギラついている瞳とは違う。
最初の原因は私だと思った。胸糞の悪い過去を聞かされた爆豪が、何を思ったのかは分からない。てっきり「苗字名前」に対する嫌悪感や不満だと思っていたが、どうにも違うらしい。そうでなければ少なくともわざわざ家まで文句を言いに来ないし、寮に帰った私をあんなにスムーズに受け入れなかっただろう。
私には爆豪の感情がわからない。けど、その揺らぎが、言葉にならない苛立ちが、どうしてか彼の繊細さを感じさせた。おそらく、爆豪という人間は世間が思っているよりも、繊細な人間だ。
正直なところ、あれだけの事件だ。爆豪にトラウマを残していてもなんらおかしくはない。
眼の前でヒーローが倒されたうえに多くの人が亡くなったし、社会構造にも大きな変革をもたらした。加えて、負傷したヒーローの1人、ベストジーニストは爆豪の職場体験先のヒーローだ。爆豪の話を聞く限り、相当目を掛けてもらっている。必然的に接点も多かっただろう。
その知り合いが、自分を救いに来て、その結果ヒーロー生命を絶たれるなんて。
自分のせいだと自惚れるわけじゃないが、罪悪感は消えないはずだ。私でさえ大分キツい。ましてや、それが。
「知ってた?あの男、あれでも高校1年生なんだ。まだ、16歳の、子供なんだよ――わかるでしょ、大人ならさあ」
ポーン、と音が鳴る。適当にボールを当てていくにつれて泣きが入る。卑怯というなら3人がかりは卑怯じゃないのか。どういう理論だ。特大のブーメランだぞ。
爆豪はまだ子供だ。人生2周目の私とは大きく違う。同じ状況に置かれても、物事の受け取り方が違う。ヒーローとして敵を倒すだけが、ヒーローとしての生き方ではないと私は理解できる。
人の生き方は人それぞれ。その意味がわかるのはある程度社会に出てからだ。自分があくまで歯車のひとつでしかないと理解して、華々しい表舞台に立つ人間だけで世の中が回っているわけでないということが分かってから。
だけど、それを爆豪勝己という『子供』に今すぐそれを理解して責任を取れ、と求めるのはあまりに酷だ。
かつての私達が、そうだったように。爆豪だって、迷って当然で、悩んで当然だ。何もかもこれから成功と失敗を繰り返して学んでいく。自分の力不足を感じることも、責任を取ることの難しさも。全部、これからだ。
そもそも、己の力不足を嘆くことなんて、大人になってからでも多いのだ。この脱サラ3人組だってそれくらいはわかるだろう。
けれど、こいつらがやろうとしていることは、その経験を全て奪いかねない。大人でもしんどいと感じることを、たった16歳の子供に『お前のせいだ』と言って背負わせることに他ならない。
それは、果たして――大人のやることか?
「大人が子供の夢を奪ったらだめだって……サンタさんに教えられなかったんですかね?なら、教えてあげますよ」
3つ目のターゲットが光る。
「――子供は守るもんだ。ちゃんと、大人がね」
いま起きている事実を知ったら、爆豪は当然ながらキレるだろう。
爆豪がこういった配慮や裏で動くことを望んでいないのは深く考えずともわかる。
でも、爆豪に怒られても詰られても、私は1人の『大人』として彼を、彼らを無為の言葉たちから守りたいと思ったのだ。彼らが私に心を砕いてくれたように、私も彼らに何かを返してやりたい。そう思った。
もう私には他人として捨て置けるほど、彼らに無関心ではいられなくなってしまった。
この世界に覚醒してから、ずっと制限してきた境界線の内側。身内と呼ぶべきこの世界でのよすが。
それらを作ることを無意識に避けて来た。執着するものが多ければしんどくなるのは自分だと経験で知っていたから、どうしても欲しいものは片手に収まるくらいに絞った。
けれど、彼らはその線を乗り越えて、こっちのことなどお構いなしに居座っている。己に執着しろ、と言わんばかりに。
その想いに負けたのは私だ。だからここに戻ってきた。彼らが大事だと思ったから。もう、捨てられないと思ってしまった。
その一方で、大人になってしまった私は彼らと同じように、美しいままに物事を見れない。親切の裏を探してしまうし、本音と建前がわかってしまう。
爆豪と同じ視線に立つことが出来ないなら、せめて私なりのやり方で彼らへ返したい。
それが私にできる、唯一だ。
だから。彼に降りかかりそうな悪意は、先に私が振り払ってしまいたい。
まあ、ごちゃごちゃ考えてはいるが、要するに。雄英に戻してもらった借りを私が勝手に返しているだけだ。借りを作ったままにしておくのは私の性分に合わないし。それだけである。
あと個人的に子供を都合の良い存在として消費する『大人』が嫌いだ。汚い話は汚い大人同士で、子供を巻き込まずにやろうじゃないか。
つまり、そういうわけで。せっかくの露払いである。払われついでに私の踏み台にもなってもらおう。タダで働くつもりはないから安心してほしい。
「まあ、要するに。大人の風上にも置けない御グループにおかれましては誠に恐れ入りますが――、私のキャリアのためにもぜひとも踏み台になっていただきたく」
何卒よろしくお願い申し上げます。
幾度となく使った言葉と共に、6回目の音が辺りに響いた。