全部、人手不足のせい

「仕事が忙しくて寝れない……!人手が足りてない……!眠たい!」
「ウッ!」
「ど、どうした苗字!?」
「い、いや……ちょっと昔の傷が……!」

疲れを一切隠さない試験官の言葉を聞いて、一瞬で前世の記憶が急に蘇った。

コスチュームに着替えて集められた試験会場。概要を説明しに出てきた公安委員会の冒頭の自己紹介。
その疲労度と終わりの見えない仕事量に覚えがありすぎて思わずうめき声を上げた。どうしよう、予想外のところでダメージを食らっている。今、すごく胃の奥が痛い。

わかる……なんだかんだ人手不足というありふれた理由が一番厄介なんだ……!
職場環境は突き詰めると人間関係トラブルと人手不足の解消で大分改善されるが、どちらも人事が介入しないと解決されないだけに質が悪い……!そのせいで一体何人の同期が転職したことか……っ!

ち、違う、今は会社員じゃない……うっかりトラウマで思考が飛んだ……。いや、私の過去はどうでもいい……思い出したくない。

それにしても好きな睡眠の種類を言い始めている感じ、相当キているのではないかと思う。
可哀想に。公安にも社畜戦士はいるんだな……。いや、むしろ公安だからか。正直同情を禁じえない。思わず生暖かい目で見てしまっている自信はあった。

終の住み処はそこだけじゃないぞ、転職は怖くないから安心しろ、心が壊れる前に逃げろマジで……。体は資本だぞ、壊すまで働くなよ……!ときには会社を見限ってもいいんだぞ……!

前世で得た教訓を投げてやっているとヤオモモが訝しげにこちらを覗き込んだ。

「名前さん?どうされたんですの?さっきから何か呟いてらっしゃるようですが……」
「すいません何でもないです」

あ、あぶない……!心の声が漏れていたらしい。耳郎だったら聞かれていたかもしれないが、真面目なヤオモモは試験官の話をちゃんと聞いてくれていたらしい。ヤオモモでよかった。

――なんて、のんきに構えてられたのは試験官の言葉を聞くまでだった。

「よって試されるはスピード!条件達成者先着100名を通過とします」
「は」

はああああああ!?!?!?!?

100!?聞き間違いか!?今100人って言った!?嘘でしょ!?
えっマジで100!?合格率6%台!?50%が例年の平均合格率だったのに!?
まてまてまて!ヒーロー強くしたいっていうならなんでここをカットした!?今免許取得してる奴らのレベル上げが先だろうが!!制度に問題がありすぎる!改革の根本的な是正を問いたい!!

新卒採用に対しての急な締め付けはいつか人材不足の悪循環を生むぞ!!オールマイトがいなくなって間違いなく犯罪率が上昇するのに対応する人員を削るのか!?馬鹿なの!?10年後の未来ではさらに眠れなくなってるぞ!?いいのかそれで!?

よしんばそれで良かったとしてもなんでよりによって今回から……!行政にしては対応が早すぎるだろうが!いつもの予算が、とか上席の決裁がとかいう旧態組織運営らしい悠然とした対応はどうした!ゆっくりやってくれていいんだけど!?

「100人……!」
「マジかよ……!なんで急に……!」
「無理だろコレ!なんでだよ!?」

上鳴と峰田が隣で大きな声を上げた。2人と同様に思わず叫びたくなるのを堪える。急に会場の雰囲気が変わったのが肌で分かった。

くそ……!確かに、社会情勢を考えればやむを得ないが何もこんな早く対応しなくても……!こうも予想が悪い方に当たると思わなかった。そのせいで私の引退後の安泰な生活のために最低限必要な仮免取得にリスクが生じただろうが……!

結果としては試験に合格するという目標は変わらない。が、掛ける労働と時間的コストは低い方がいいに決まっているし、本当に万が一、試験内容との相性が悪かった場合は不合格になる可能性だってある。
いくら個性の練度を上げようと、チーム戦で足手まといと組まされれば途端に合格率は下がる。

あまりにも最悪すぎるシナリオ。個人評価前提のチーム戦ならまだしも、チーム戦ありきの評価が一番避けたい内容だ。考えても見ろ、チーム全員爆豪みたいなスタンドプレーヤーだったらもう詰む。1次通過すら危うい。
頼む……!どうかトチ狂った案じゃありませんように……!

「で、その条件というのがコレです」

そういって試験官が出したのはボールと上鳴の使うポインターのようなものだった。
要するにドッヂボール大会みたいなものだ。3回当たったら負け。2人に留めを刺せなくても負け。予備はなし。球数にキツい制限があるところがネックだが、基本的には勝ち抜きバトル。要するに、個人戦だ。

よし…………よしよしよし!!
いいぞ、個人戦でこの条件ならよほどのことがない限り落ちることはない……!

ポインターへの接触は重力操作で防御可能。1対1に持ち込めさえすれば重力操作で機動が削げる。動けなくなった的へボールを当てることなど、縁日の射的にも等しい容易さだ。

問題はスピードだが、私個人は体育祭、神野のせいで雄英生としての認知度が高い。個性の一部は把握されているが、その分こちらから的を探しにいく手間は省ける。フィールドが広い分、獲物と遭遇する頻度を心配していたがこれもクリアだ。

「……ふ、ふふふ……!」

はーっはっはっは!!これはイケる、イケるぞ!

悪いな同期諸君!1次試験の合格枠の1つは私が貰ったも同然!しかもこちらが個性を使いやすい工業地帯ゾーンまで用意されていると来ている。重力操作に加えて物質操作までやりやすいという文句なしの好条件!

合格枠の大幅減少には一瞬焦ったが、ここまでやりやすい条件にしてくれるとなると、もはや私の合格のために用意された課題な気がしなくもない!やりやすくて大いに結構。是非とも2次、いや、この先もずっとイージーモードで続けて欲しい。

確かに、雄英入学といい神野といい、ここまで私の人生は逆風につぐ逆風だった……。

だがしかし!今、ようやく!私にとって有利な条件で事が進んでいる!追い風も追い風だ!正直、公安が味方してくれるとしか思えない!
いやはや、公安もたまにはいい仕事をするじゃないか。お役所仕事だの今まで文句を言ったことを謝罪しよう。

「苗字さんが不適に笑い出したぞ……一体なんの笑みなんだろう……」
「緊張が振り切れたんちゃうかな……」
「苗字くんも緊張するんだな……」

緑谷とお茶子、飯田の仲良しトリオがなにか言っているが私には何も聞こえない。聞こえないことにする。

周囲の緊張感とは違うんだけどな、と零れそうになる笑みを無理矢理飲み込む。まあ、とはいえ油断は出来ない。今のところ課題は1対1に持ち込めるかどうかだ。やはり工業ゾーンが最適解かとモニターを見ていると周りの人間が少しずつ動いて行った。

1分ほどで試験が開始されるというなら、こちらものんびりしていられない。さっさと行くか、と足を進めようとすれば緑谷からクラスでまとまっておこうという案が出された。緑谷らしい安パイだな、と思っていると案の定、爆豪の怒声が聞こえてきた。

「フザけろ!遠足じゃねえんだよ!」
「バッカ!待て待て!」
「かっちゃん!?」
「俺も抜けさしてもらう。大所帯じゃ却って力が発揮できねえ」
「轟くん!?」

まあ、想定の範囲内だ。
バラバラと他校に紛れて数人が離脱していく。轟はまだしも、爆豪は仲良く皆でゴールしましょうっていうタイプじゃないし。
通常の勝ち筋はチーム戦。1人で戦うよりもチームで戦った方がメリットは大きい。が。

「悪いけど私も。重力操作はちょっと君たちにも影響出るから。じゃ」
「ちょ、苗字さんまで!?」
「うん、それじゃ2次で」

この開けた場所では私の得意とする1対1に持っていくのは至難の業だ。正直やりにくい。まあ、それ以外にも目的は別にあったりするが、わざわざ言う必要はないだろう。じゃあ、とそちらに足を向けると、不安そうに揺れる緑谷と瞳と視線が交わった。

ずいぶんと、まあ不安そうな顔をする。

ヒーローを目指すという狭き門を改めて実感しているのか。それとも先着100人というルール変更に戸惑っているのか。どちらかは分からないが

不安な条件は参加者全員同じだ。1500人から100人に絞られる合格者に焦っているのは何も私たちだけじゃない。
ただ緊張と不安はパフォーマンスを低下させる最大の要因でもある。その不安を払拭するために個性を扱う練習はしてきた筈だ。
職場体験で、林間合宿で、圧縮訓練で。実績は自信に繋がると私は知っている。だから。

「現場に勝るものないでしょ?どうしても無理なら、後ろに誰かいると思えば?」

ここが現場だと思えば。後ろに助けなきゃいけない誰かがいると思えば。
どんな逆境でも、君らは乗り越えようとするでしょ。いままでもずっとそうして来たんだから。

簡単なアドバイスだけ残して今度こそ、その場を後にしようと踏み出す。
青春しているところ悪いが合格の枠に限りがある以上、こっちも確実に枠を取りに行かねばならない。他人を心配している暇はないのだ。悪いが同期でも容赦なく蹴落とさせてもらうぞ!私の最低ノルマは合格!

「苗字さん!」
「ん?」
「気をつけて!」
「……はは、」

緑谷からの言葉と視線に思わず笑いが零れた。振り返らずにそのまま進む。

「相変わらずのお節介め……自分の合格の心配しろっての……!」


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