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「聞かせて貰おう。報告書の件。夏油傑に休学だと?貴様、何を考えておる」

会議室のような空間に鋭く乾いた声が落ちた。
気分は経営陣に呼び出された中間管理職、と言いたいが、そこまでの気負いもなければ緊張感もない。そもそもこの老害相手に畏怖どころか、今回の顛末に対しての申し訳なさや居心地の悪さなど芽生えるはずがなかった。

躍起になる上層部だけがピリついていた。
議題は既に書面で提出したというのに、あえてこの場で問いただそうとする性根の悪さにほとほと嫌気がさす。ハラスメントまがいの命令にため息をつきながら話せば、空気がざわついた。

「どうもこうも……精神的に追い詰められていた夏油傑に対し、これ以上の任務遂行は不可能だと判断したまでです。医師の診断書はご覧になりませんでしたか?」

そう言えばばさり、と床に叩きつけられる書類の束。私が書いた報告書と夏油の診断書、それと労働環境と人権云々についての現状と是正すべき課題をとりまとめた提案書だ。

まあ、ハナからそうですね、と問題を認識して貰えるとは思っていなかったが、それにしても予想通りである。燃やされなかっただけマシかもしれないが。
その報告書を一瞥するに留めてにっこり笑ってやる。めちゃくちゃ上辺だけの営業スマイルではあるが、なにをかを感じ取ったのか空気が警戒の色を増した。有耶無耶にされる前にこちらの主張だけはさせてもらおう。

「今の彼に必要なのは休養です。呪術師としての存在意義を彼自身が見つめる期間とも言えます。現実と理想のすり合わせですよ。一般家庭出自の呪術師ならまず通る道です」

今度は沈黙が降りる。反論はなかった。上層部にはこれまで沢山貸しを作って来たのだ。これくらいは許されるはずである。
そうでなければ私の時間外労働も実力に見合わない任務の割り振りも、なんでか知らないが政治的な意味合いを含んだ海外任務もやって来た意味がない!全部こういう時のための交渉カードである!
本来なら退職時に使おうと思っていたが、夏油の件が起きてしまった以上カードを出し惜しみする理由はなかった。

「これだけ凄惨な現場に立ち会えば、精神的な負荷が掛かるのは必至。ましてやこういったことに耐性が低い一般家庭出身者なら当然のこと。術師の家系出身者でも起こりうる可能性はあります」

可能性がある、とオブラートに包みはしたが実際、これまでも多くあっただろう。ただ上層部が目を瞑っていただけで。過失を労働環境ではなく個人の力量に押し付けていた結果、人材を潰していることに気付いていない。典型的ブラック企業体制である。滅びてくれ。

「加えて高校生という未成熟な精神。多感な思春期に受けたショックが、その後の人格形成に大きく関わることをご存じないとは言わせませんよ。仮にも学校教育の上層部である以上、生徒の精神衛生を守る義務があります」

ざわ、と会議室の空気が揺れた。
なにをたわけたことを、気合いが足りんのだ。それくらいで音をあげるなど。儂の若い頃は云云かんぬん。
そんな声がどこからか聞こえて来てぶちん、と脳内で血管が切れる音がした。口元が引きつってしょうがない。

もーーーー我慢ならん。前時代的な労働基準に憑りつかれた上層。パワハラテンプレートの乱用。労働生産性の誤認。
最悪だ。今すぐ労基に駆け込みたい。全部明るみに出して粉々にしてやりたい。

「夏油傑は呪霊操術の使い手。条件次第では特級呪霊も従えると聞く」
「ええ。まったく優秀な後輩ですよ」
「ならば、早々に手を打つべきではないのか?」
「手を打つ……失礼ですが、どういった意味合いでしょう?」

言わんとしていることはあえて聞かなくてもわかるが、牽制も兼ねての質問だ。正直、この場当たり的な対応にほとほとあきれ返る他なかった。

なにか問題が起きれば死刑、死刑、死刑。問題への改善や根本的な対処ではなく、原因そのものの排除とは一般企業では到底考えられない対応だ。ミスをした社員を即クビにするなどありえん。悪く言えば見せしめである。
そうした企業が得てして優秀な人材までもを手放すのは目に見えている。残っている社員のパフォーマンスに与えるマイナスの影響も計り知れない。

つまりは唾棄すべき愚行である。ましてや一般家庭の出自であるにも関わらず、特級に達し得た夏油だぞ。
そこら辺の相伝術式を持っている人間ですら得られなかった力量を持つというのに、そうやすやすと手離せる訳がないだろう。
私が夏油に言った、都合の良い、は全てここに起因する。夏油傑は、ある意味で五条悟よりも天に選ばれた人間なのだ。

「お言葉ですが、夏油傑は特級術師です。日本に数えるほどしかいない階級に収まり、術師として抜きん出た才覚と力を持っている。そんな特級術師たる優秀な人材をみすみす逃がすと?ずいぶんと余力ある運営ですねえ」
「そもそも特級呪霊自体存在が稀!今後、そうやすやすと出てくるとも思えん。五条ひとりで充分だろう」

なにもわかってねえなこのジジイ。これだから現場を知らない人間は。偉そうに言うなら現場に出てから言え。
大した呪力も術式もなく肩書きだけでのし上がっただけのことはある。流石にそれは言えないので用意していた理論で詰めていくとしよう。

「ストレスの多い社会。急速な価値観の変化。潮流変化の激しい現代において呪霊の生まれる速度も、そのレベルも、今までと同じだとお考えですか?それに対抗する戦力も既存と変わらぬと?」

ぐ、と言葉に詰まる気配がした。ド正論だ。ここまでの話の流れで上層部が勝てる要素は何一つない。

「特級は階級こそつけども1級よりも上位呪霊を示す、事実上の青天井。呪術界としてもあらゆる有事に備えて戦力を確保しておくに越したことはありません」

話のスポットが夏油に深く当てられそうなので、ようやくこの話が出来る。夏油自身の力も強大であるが、夏油の価値は別のところにあるのだ。そしてその価値は本人の知らないところで大きく膨らんでいる。
悪いね、と内心で夏油に謝る。使えるものは最大限使うに限る!

「それに――、万が一の際。五条悟を止められるのは彼しかおりませんが」

それでもよろしいのですか。

言外にそう含ませて言えば水を打ったかのように囁きが止まる。張り詰めた空気に重さが増したのを肌で感じた。殺気ほどではないが、それでも向けられる視線は鋭い。

呪術界最悪のシナリオは五条悟の呪詛師堕ちだ。無下限と六眼を持つ五条に敵う人間などこの世にいない。同じ特級術師でもおそらく実力的には雲泥の差がある。ただの術師なら。

でも、五条悟は人間だ。術師である前に、仲間を大事にし、親友と呼ぶ男を信頼する、どこにでもいる人間だ。

理不尽に腹を立てることもある。玉ねぎを切って泣くことも、映画を見て笑うことも、海ではしゃぐことも、友達とケンカすることも。充分にある、いち高校生に過ぎない。

一方で、五条悟はゆるぎなく呪術師だ。呪術師として生まれるべく生まれた人間。五条の中に、呪術師以外の道はない。最強を背負う五条は、もう自分の責任も影響力の大きさも理解している。だから、余程のことがない限り五条は呪術師でいるだろう。ただ、これは希望的観測に過ぎない。

夏油傑は、そんな五条悟の一番深い懐に入った人間だ。

それ故に、億が一五条悟が呪詛師になった場合。止められるとすれば夏油しかいない。精神的にも、実力的にも、五条と肩を並べられるのは彼しかいないのだ。そして、夏油がこちら側にいれば五条悟は呪詛師になる可能性はさらに低くなる。

リスクマネジメントの基本は相互相殺だ。
制御しきれない力はいつか牙を剥く。そうなったときに対抗できるのは同じ力を持つものだけだ。そして、今のところ、それは夏油にしか出来ない。私にも止められないだろうし、おそらく硝子や夜蛾先生も無理だ。
夏油を離してはならない。夏油の価値を過小評価してはならない。


夏油傑は、五条悟の指針であり、唯一にしての最後の楔になりえる存在なのだから。


痛いほどの沈黙が流れる。五条悟の呪詛師転身を想像しているんだろう。どうあがいても自分達が、日本が滅ぶ未来しか見えない。淘汰されるのはこちらだ。そう諦めるほかない、絶対的な強者。それが五条悟という存在だ。
ましてや呪術界における最強と名高い男である。おそらく闇討ちも不意打ちも効かない。絶望的だろうそうだろう。

「現状、夏油傑がこちら側であることはメリットしかありません。手放すには惜しい。しかし、これ以上彼の精神を削れば、呪詛師に堕ちてもおかしくはありません。彼らの関係性を維持しつつ、まとめて呪術界へ縛り付けるのが最適解かと」

打ち出した提案にさざめくような声が部屋に満ちた。端々に聞こえる言葉からそれまでの空気が一変したのが分かった。
これぞまさしくプレゼンの醍醐味!営業はなにもメリットばかりを伝えるのがベストではない。相手の出方次第では話を受けないデメリットを強調すべきだが、こうも簡単に嵌るとは。
もういっそのこと愉快だ。今ならそこらへんの小石すらかなりの金額で売れる気すらしてくる。

「五条と仲が良いならば五条預りが妥当か」
「あの五条の坊には散々顔に泥を塗られておる。私は反対だ」
「水面下で結託したらどうする。考えるだけでもおぞましい」

ほらね、だから上手くやれと言ったのに。五条は自分に素直に生きすぎである。ただ、高校生ならそんなものだろう。呪術界の大人は打算と虚栄のステレオタイプを地で行く人間ばかりなので、五条のようなタイプとはとことん相性が悪い。
なんとなく収まったさざめきに、そろそろくるだろうかと予想を立てる。

「――名字」
「はい」
「万が一、夏油傑が呪詛師になった場合。お前は夏油を処理できるか?」

きた。

「勿論です。後輩の不始末は先達が拭うべきかと」

即答以外の選択肢はなかった。思い通りにのってきた枯れた声に内心で笑みを零す。緩みそうになる口元を抑え込む。こうも予想通りに行ってくれるとは思わなかったが。どの企業にもありがちな、そこまで言うならお前がやれ、である。
そして私が待っていたのはこの言葉だ。

「――いいだろう。名字、貴様に夏油傑を預ける。せいぜい飼い犬に手を噛まれんことだな」
「ご忠告痛み入ります」

完全勝利!今日は祝杯だ!!





「は〜〜〜肩凝った〜〜〜」
「えらい大立回りやったなあ、名前サン」

堅苦しい会議室を後にした廊下で声を掛けられて、思わず足を止めた。まためんどくさいのが出て来た。隠さずため息を零す。
学長のお守りとはいえ、なんでコイツを連れて来たのか。人選ミスでしかない。いや、こいつのことだ。どうせ無駄に家の名前を使って無理矢理ここまで着いてきたに決まっている。

「つくづく自分の領分を分かっとらん御方やなあ。嫁の貰い手探してあげよか?」
「ご健在のようでなにより、禪院の若手筆頭。禪院甚爾出奔後、ますますの活躍振り……関東まで聞こえて来ますよ」
「今すぐその口閉じ。お前が甚爾君を語んなや」

相変わらず伏黒甚爾に関しては沸点の低い男である。この妄信的までの崇拝はどこから出て来たんだか。
呆れると同時に慇懃に頭を下げてやった。クソだのドブだの聞こえたがこの口の悪さは禪院家では問題にならないんだろうか。いいとこの坊ちゃんでも五条とはまた違うタイプだな、と内心で苦虫を噛み潰す。はやく帰りたいんだが。

「これは失礼……。この度は東京くんだりまでどうもご足労おかけしました。浅草でも行かれてはどうです?花華堂のみたらし団子など美味しいものが多くございますよ。まあ、京都の方のお口に合えばいいのですが」

要するにさっさとおやつでも買って京都に帰れば、の意である。こいつに振る舞うブブ漬けなどないのでこの根っからミソジニストはさっさとお帰り願いたい。

「相変わらずクソ生意気さやな……」
「年上の人間に対して配慮が出来ない方に何を言われても?ああ失礼、家の格ではそちらの方が圧倒的に上でしたね……これはとんだ失礼をお取り潰しの失態ですねえ」

そう笑いながら言えば、禪院直哉もまけじとにたりと笑みを返してきた。相変わらず粘着性の高い笑みだと内心で引いた。

「いややわァ、名字家潰したら名前サン大喜びやないの。そないなことさせんわ」
「チッ!」
「あんた、ほんまそういうとこ素直やな……」


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