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『マルコ……オメェ、あいつをどう思う』
『アイツ、って名前かよい?どうもこうも、』
『……あれァ、野犬と同じだ。心休まる場所も、あったけえ飯も、家族のぬくもりも知らねェくせに、本当は欲しくて欲しくてしょうがねえのさ』

いつだったか。宴会だからと無理矢理甲板に連れて来られた名前とエースの姿を見ていた白ひげが、ぽつりと零した言葉がマルコの頭に過る。
海に沈んでいくような静かな声と共に吐き出されたその言葉を聞いて、思わず首を傾げた。白ひげ――オヤジの言う名前の印象は、それまで自分が持っていた男の印象とは正反対のものだったからだ。

野犬。襤褸布を纏い、不屈と怨嗟を織り交ぜ、常に飢えている生き物。
到底そんな存在には見えなかった。同じ『犬』だと言うなら、せめて狼の方だと直感的に思う。
美しい見た目とは裏腹に時に海賊よりも猛々しく、唯我独尊的な考えを持つところ。死ぬほど高いプライドと意外と口より先に手が出る喧嘩っぱやいところ。自分が魔法使いであることに高いプライドを持っているところ。
そういうところを見ると、より一層名前は一匹狼に似ていた。

その証拠に名前は大勢でいることを嫌う。自身をただの客だと言い、名前が許さない限り距離を縮めることはない。無理矢理連れ出される姿はたまに見れるが、その頻度もたいして多くはない。現に今、ひたすらビールを飲み続けている名前はエースやサッチに纏わりつかれていて、随分と機嫌が悪そうだった。
ほどほどにしてやれ、と思う一方であの中に入ってまで止めようとは思わなかった。はっきり言えば面倒くさいし、医者がそう深酒をするわけにもいかない。ほのかに赤い顔をしている名前を見て、エースとサッチが思い描くような泥酔状態になるにはまだまだ掛かりそうだと思った。

容姿、精神、力。
それら全部を見ても、地の底を這いずる生き物には到底似ても似つかない。

だが、オヤジはそうは思わないらしい。
銀髪碧眼に加えて見目もよく、その誇り高い精神を言葉の端々に垣間見ても、名前を野犬だと言う。
本人はそう言われていることなんか知らないだろうが、知ったら知ったで「一緒にするんじゃねえよ」と不満そうに漏らす姿が容易く想像できた。不敵な笑みも、美味そうにビールばかりを飲む姿も、エースに纏わりつかれて辟易としている姿も。野犬とは正反対だ。そう思った。





「なあ、おい、不死鳥さんよ。頼む、爪だけでもいいから」
「しつけぇな。名前の訳わかんねェ薬の材料にされんのはごめんだよい」

少なくとも、こうして調子よく話しかけてくる姿を見ている以上、いくらオヤジの言葉であっても同意することは難しかった。正直一匹狼も怪しい。

体の一部を薬の材料として分けてくれないか、と名前がとんでもない依頼をしてくるのは初めてではない。その度に断っているが、名前も大概諦めが悪かった。
チッ、と舌打ちを零す端正な顔は歪んでいたが、もともとダメ元だったらしい。あっさりと元の作業に戻って行った表情を見て、なんだかな、と拍子抜けした。

ひょんなことからモビーに食客として乗船した名前は自分を魔法使いだと言った。歳の頃はエースと同じか、それよりももっと若く見える。海の男、というよりもまだ子供の延長戦にような、大人と子供の狭間と言った方がしっくりくる気がした。

名前と名乗った魔法使いは俺らが想像する空想のそれとなんら変わらなかった。
箒で空を飛び、呪文を唱えて奇跡を起こし、大鍋をかき回す。流石に変な笑い声は響かせなかったが、それでもその魔法薬とやらに使われている材料はゲテモノと言わんばかりの物が多かった。
人魚の鱗はまだマシで、ふぐの目玉やらミノカサゴの棘の粉末やら、果ては聞いたことのない生き物まで。とにかく絶対に人体に影響があるだろ、と思うものが多かった。不死鳥の体の一部と言われた時には寒いものが走ったのはしょうがないだろう。

挙句、名前は異世界から来たと言った。実際に魔法を見なければ納得は出来なかったが、初見で仲間をウサギに変えられたところを見てしまえば何も言えなくなった。いつのまにか船の全員がそれを信じ、信じない者は文字通り力で分からせられた。

ワノ国には妖術使いがいるとイゾウから聞いたが、それとはまた違うらしい。かく言う名前も、この世界に自分と同じ魔法族はいないだろうと言っていたのを聞いた。だから、少しだけ名前に同情した。
知り合いがいないだけでなく、自分と同じカテゴリに分類される人間がいない。海賊には海賊の世界がある。でも名前には名前の世界がない。常識も、話も通じない世界を相手にして名前は孤独を感じたりしないのだろうか。

「名前は寂しくねえのかよい?」

だから、そんなことをふと口にしてしまった。
海は孤独を強いてくる。それをマルコは知っていた。大海原にたった1人、どこまでも続く空と海は時に心を穏やかにしてくれるが、時に弱い心を容赦なく徹底的に打ちのめそうとしてくる。食べ物もない、水もない。自分がいかに小さくて取るに足らない存在かを骨の髄まで叩き込んでくる。
それでも、海には仲間がいた。海賊という、血縁以上の心の繋がりを持った仲間がいれば、心を折るようなことがあっても絶望に暮れずに済んだ。自分が1人じゃないと思えた。それは心の拠り所で、存在意義で、命と天秤にかけてもいいものだ。

けれど、仲間を持たない名前にはその寄る辺がない。寂しいという感情が正しいのか分からないが、不安にはならないのだろうか。自分を肯定してくれる存在が、居場所となれる存在が、家族のように受け入れてくれる存在がいなくても、平気なのだろうか。

「はァ?寂しい?誰が?」
「お前さんだよい。困ったとき頼る先もねェんだろ」
「ご心配なく。お金で買えるオトモダチがたくさんいる」

何かを納得したのか、それとも呆れたのか。ハッ、と嘲笑混じりにそう言った名前は分厚く、古そうな本に再び目を落とした。本に書かれている文字は俺たちが使っているものと同じだ。だが、本の中身を理解できるのは名前しかいない。名前の持つすべてが、名前に孤独を強いているような気がした。

「正直、寂しいっつー感情自体がよくわかんねえな。結局人間1人で生まれて1人で死ぬんだ。家族がいようが、いなかろうが関係ねえよ」

その言葉を聞いて、すとんと腹落ちした。
――なんとなく。エースが名前を気に掛ける理由が、この船に連れて来た理由が分かった気がした。

名前は孤独だった。きっと前の世界でも。自分とそれ以外に境界線を引いて、その先に絶対に人を立ち入らせなかったのだろう。自分以外の人間を信用できない。それは、どこにも居場所を作らないことと等しい。誰にも何も求めない。何も得ない。
だから、エースはきっと家族も、縁も、何もかも豪快に与えてくれるオヤジならこいつの中の何かを、どうにかしてくれんじゃないかと思って連れてきたんだろう。憶測の域を出ないが、当初船に馴染もうとしなかったエースには自身と名前を重ねているのかもしれない。

「ったく……しょうがねえな。爪くれぇは分けてやってもいいよい」
「ホントか!?」

その言葉に本に視線を落としていた名前が急に顔を上げて目を輝かせた。遠浅の海より深くて、沖よりも明るい碧が日の光に反射する。はじける笑顔はさっきの皮肉なそれと違って純真なものだった。年相応に見える表情に思わず面食らう。好奇心を全面に押し出す表情は海賊が宝を前にしたものと同じで、ふと口元が緩んだ。

「不死鳥の涙は協力な回復薬になるけど爪はどうなんだろうな……わかんねえけどなんかは起きるだろ。よし、不死鳥。まずは20枚くれ。剥がしていいか?」
「両手両足全部じゃねえか。人を拷問に掛けんじゃねえよい……」

冗談だって、と笑う名前の笑顔に曇りはない。その笑顔はエースのそれと似ているのに、どこかが決定的に違った。

知らなかった愛を受け入れた男。知らない愛を拒否し続ける男。

どちらが正解などないだろうが、名前がそれに気づくまでは付き合ってやってもいいかと思う。家族とは時にうざったくて、重くて、煩わしくて。
それでも唯一のものなのだから。

今日も船には家族の賑やかな声が響いている。



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