青色の標本


「うわ、わたあめみたい」

勉強や仕事を効率を上げたいあなたに。企業の戦略にまんまと乗って買わされたチョコは、私の想像よりもだいぶ柔らかくなっていた。

口の中で溶けていくカカオの風味を味わう。大それたことを言っているけど、カカオを食べたことなんてないから味なんて知らない。ガーナがやっぱり名産地なんだろうか。そんな脱落する思考回路の果てにこぼした言葉は、口に含んだチョコよりも大きな粒となって静かな部屋に転がっていった。

「ん?あー、ほんとだ。つーか、言うことに欠いてそれかよ〜」

集中してたとこ邪魔しちゃったかな。そう思ったけど、私の予想に反して菅原は夏のようなくらくらするような笑顔を浮かべた。
苗字お腹へってんの?と、言われて胸を撫で下ろす。良かった、邪魔じゃなかったみたいだ。邪魔って思われるよりは食いしん坊と思われた方が断然ましだった。

私の視線につられたように窓の外を見た菅原が、同じ感想を漏らしてそのまま机を離れる。こりゃ一雨くるかもな、そう言って眩しそうに目を細めた。私も同じように窓際に立って外を眺める。

真っ青なキャンバスに白い絵の具を広げていくように、白い幻影が立ち上っていた。
色を濃く、高さと勢いを増していく白い幻の元では、恐ろしい量の雨粒が突然得た生命を謳歌するように踊っているんだろう。外にいる人間を全て焼き尽くす勢いで、暑い光線が降り注いでいるこことは大違いだ。

まあ、それもこうして大学図書館のグループ学習室にいる私たちにとっては関係ない。別世界のような、暑さとも湿度とも離れた空間は、快適を詰め込んだ箱庭のようだった。

「菅原だって同じようなこと思ったでしょ」
「俺はもうちょっと崇高なこと思いました」
「嘘つき。ていうかその顔やめて、笑う」

きり、とキメ顔をした菅原にそう言う。本当は今のその表情も写真に収めたかったけど、流石にそれはできそうにない。漣のように引いて行ってしまったやる気を彼方に見つめながら、私と菅原はしばしのお喋りに興じた。

大学生活にもいよいよ終わりが見えてきた。学生生活の集大成ともいえる就職活動は、他の学生同様私にも暗い影を落としていた。

「そういや、苗字は教育実習どーすんの」
「んー……まだ決めてない」

正直なところ、教師になるかは決めかねていた。就職に有利になるかな、って思って進んだ教職課程だったけど、実際はそんなに甘くないのが現状で。そのしんどさからなんとなく取っていた友達は、気付けばサークルとバイトに明け暮れていた。

それでも私が教職課程に残ったのは、単純な理由だった。この菅原という人間に私が心を傾けていたからだった。
恋というものは厄介で、好きな人のためならどんな辛いことも乗り切れる原動力となってしまう。そしてそれは私にも当てはまる事実だった。

いつも同じテーブルで黙々と文献を読む菅原の存在をなんとなく知って、たまたま同じ資料を探して、互いを認知して。そうして私の心は雨粒が地面に落ちていくのと同じように菅原に落ちていった。ドラマよりも単純で、どうしようもないほどチープな始まりだ。

学部の違う私と菅原の共通点は、教職課程だけ。細い糸のような共通点を失うことを恐れて、私は大して興味もない教職課程に居座り続けた。友達がいなくても、菅原がいれば平気だった。

そんなことばかり考えていたからか、いつかやめようと思っていた教職課程は気付けはもう最終段階に来ている。今更に先延ばししてきた未来の選択を迫られていた。
本当はきちんと考えないといけないのに、いつだって全然別のことばかりが私の心の中に悠然と広がっていた。

もっと菅原と過ごしたい、もっと。もっと。できれば、2人で。
欲望だけが青い空を埋め尽くすようにどんどんと膨張して行って、吹き荒れる嵐のような感情をコントロールできなくなる。それがすこしだけ怖いのに、どうしてかその眩しいほどの白に目を細めて、ずっと眺めていたくなる。

分かっている。そろそろ消さないと。この立ち上るだけの菅原への想いを。

「教師になるの、なんか無理な気がしてる」
「そ?苗字なら大丈夫だと思うけどなー」
「そうかな、私は自信ないけど」
「だって、すげえ努力してんじゃん。何度も1人でロープレやってんの、俺知ってんべ」
「そんな、こと」

無いとは言えなかった。だって、努力していることは間違いないから。菅原に頑張ってるねと言われたくてレポートは頑張った。俺も苗字見習わないと、という一言が嬉しくてロープレは何度も納得が行くまで詰めた。

私は、菅原に支えられてここまで来た。それくらい私の心には菅原がいる。だから今更になって怖くなった。菅原がいなくなったら、私はどうなってしまうんだろうか。
私は菅原からも、将来からも、自分の気持ちからも逃げたかった。

「まあ、俺は苗字ならどこでもやっていけると思うけどさ。あ、でも」

菅原がなんでもないように言った。そろそろ雨が降るかも。そんな軽い口調だったのに、音にじんわりと含まれた湿度が、どことなく雲行きを怪しくさせた。

「できれば卒業まで教職の授業は取っててほしいかも」
「なんで?」
「苗字と話できなくなんの、寂しいだろー」

思わず菅原を見て、ひたり、と心臓に手を添えられたような気分になった。軽い口調とは裏腹に、じっと熱を孕んで私を見てくる菅原の視線が、私をそこに無理矢理つなぎとめるかのようだった。

静謐のひと間をさらうような南風が頬を撫ぜた。心を揺るがすような嵐の気配が、すぐそこまで迫っている。

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