齧れば瓦解


「熱い、暑い、ほんとあっつい、最悪」
「ねえ、そういうこと言われるとこっちまで暑くなるんだけど」

嫌そうに顔を歪めた倫太郎が氷を噛み砕いた。シャリ、という涼しげな音が五月雨のように絶え間ない蝉の合唱の隙間を縫って届いてくる。ああいいね、その音。聞いてるだけで涼しい。その音だけ欲しい。

そう言えば倫太郎はため息をついて呆れたように私をねめつける。だってしょうがないじゃん、と言えばだんまりを貫いたまま、長い指が冷蔵庫を指差した。

幼馴染という関係はときに厄介だとつくづく思う。表情の変化の乏しいこの男の言いたいことですら、ある程度分かってしまうのだから本当にどうしようもない。
今は「つべこべ言ってないでチューペットでも食べたら」という意味だ。そして「俺の分も取ってきて」という要望も含んでいる。嫌だ。知らないふりをしよう。

「もう一本取ってよ」

とうとう倫太郎が口にした。逃げられなくなった。

「お腹壊すよ」
「そんなわけないじゃん」

名前と違って鍛えてるし。そんな言外に滲ませた嫌味を受け取ってむ、と口をとがらせる。言わせておけば。ただでさえ蝉の合唱でイライラしているというのに。

けれども、実際に倫太郎が鍛えているのは誰もが知る事実だ。
兵庫に進学するんだよね、バレー強いとこ。そう言ったあの日からもう7年の月日が経っていた。倫太郎はプロのアスリートになっていた。

学生の頃から打ち込んだスポーツで生きていく。それは私には考えられないくらい奇跡的なことで夢のような話だ。でも世の中にはそれを実現できてしまう人がいる。倫太郎もそのうちの一人だ。でも、その裏にはたゆまぬ努力と研鑽があったことを私は知っている。

省エネの代表のようなテンションのくせに、昔からバレーにだけは一定の情熱があった。普通の人には分からないけど、幼馴染としてずっと見て来た私には分かる。オレンジのコートよく映える、黒く大きな背中は未だ私の記憶に鮮烈に居座り続けている。

「倫太郎、いつまでこっちにいんの」
「明日」

そうか、明日か。急だな。でもまあ、私も仕事だし。
この盆の時期が終われば、倫太郎はまた静岡に帰ってしまう。子供の頃みたいにまた毎日会えるわけじゃないと知っているのに、どこかでその事実に寂しさを抱いていた。
また明日。その言葉を言うには距離的には遠すぎて、私たちは多忙で、そして私は普通の大人だった。

外では制服を着ているあの頃と同じように蝉が鳴いている。溢れる音は変わらないのに、私たちはいつの間にか体も心も、別の生き物になっていた。まるで蝉のようだ。いや、今なお命を燃やしている蝉の方が余程まともかもしれない。
7年前のあの夏に生まれた蝉が姿を変えてなお、あの夏のように鳴いていると思うとなんだか不思議な気分だった。蝉にすら置いていかれてしまったような気さえしてくる。

そういえば、と倫太郎が唐突に私へと視線を向けた。これまで私に一瞥すらくれなかったというのに、どういう風の吹き回しだろうか。しかし、そのすっきりとした倫太郎の目元を見た途端、どこからともなくやってきた居心地の悪さが私の背中に隙間なく張り付いた。

幼馴染みというのは厄介だ。こうして、倫太郎が私をじっと見るときは決まってなにか、倫太郎の中での揺るがないこと伝えてくるのだと分かってしまう。だってあの時と同じだ。
稲荷崎に進学するとき、プロのバレーボウラーになるとき。倫太郎の人生が定まったとき。同じだった。

「名前さ、今の就職先って異動ないの」
「は?まあ、あるけど。名古屋と、岐阜と、あと静岡かな」

ふうん。倫太郎が相槌を打った。
さっきまでと変わらない、見慣れた表情なのにその思考が読めなくて心臓が変な音をたてた。何が言いたいんだろうか。早く言ってよ。何か言いたげだったじゃん。

けど、倫太郎相手に言葉を急かすのも自惚れているみたいで、少しばかりのプライドが次の言葉を促すのを押し留めた。表情から感情が読めないまま、倫太郎はチューペットを吸った。容器はもう空だ。

「いつ静岡くんの?」
「は?」
「俺さ、ずっと待ってんだけど。名前のこと」

分かるだろ、と言わんばかりに倫太郎の目が弓なりに歪んだ。

「俺、名前の久しぶりは聞き飽きたんだけど」

その後には、思考も言葉も続かなかった。ただ、熱と期待を孕んだ吐息が蝉の声にかき消されていった。


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