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米花町は事件が多過ぎて入院する確率が高いけどお見舞いとかあんた私のこと嫌いじゃなかったの?

「井上!」
「っ、行って下さい!」

選挙中で警備が手薄になったところに、いかにもな裏社会の人間がやって来るなんて本当についていない。
というかまた米花町。いつからこの町はこんな物騒な土地になってしまったんだろうか。

そう思いながら突き出される刃物を何とか避ける。交番の警官のように防刃ベストを身に着けていないSPにとっては、かすり傷すら致命傷になりかねない。さっさと機動隊の応援を寄越せと無線を飛ばしたのに一向に応援が来る気配はなかった。

与党幹事長の米花町での選挙応援中。
国会解散となった影響で急に始まった選挙期間は、SPにとっても予想外となった。完全にスケジュール外の突然のことで、ここ1週間の警備計画が完全に白紙に戻された。
長野に遊説に行くというから向こうの警備部と連携まで取っていたのに、全部白紙にされた。最悪。向こうの刑事部にまで融通を依頼していたのに。私の残業を返して欲しい。

選挙中、国会の重鎮は同時多発的に忙しくなるせいで、必然的に護衛するSPも忙しくなる。文字通り朝から晩までずっと演説、会食、面会。息をつく暇もなく次から次へと場所を動き回る。

ついでに言うと私たちSPもまともに休憩が取れない。目の前で国産A5ランクの黒毛和牛がすき焼きにされていく匂いを嗅ぎながら、ただ腹を空かせて誰も近づかない貸し切りの店の廊下に立っているのだ。腹も減るし、罪はないが食べ物の恨みは募る。

それでも、SPの仕事とはそういう仕事だ。
『何もなく護衛対象は無事だった』が当然の結果であり、最低限の仕事である。感情のはけ口にされようと、酔っぱらった議員にセクハラされようと。対象に何かあってはならない。その命を賭けても。

だから、たとえアタリ屋のように車の前に飛び出して来た男に銃を向けられようと、SPは護衛対象に『無事ではなかった』という結果を残せないのだ。

人数が割かれて警備が手薄になりがちな夜。料亭から自宅に帰る最中の路地で、急に車の前に男が飛び出した。
死んだのではないか、と運転手が慌てて運転席のドアを開けたのを狙って、ご丁寧にサイレンサー付きの銃を片手に殺意マシマシの手練れが乗り込んできた。
ここは日本だぞ、と叫びたいのを堪えてなんとか応戦して対象と護衛に当たるSP1人を現場から離したまでは良かったが、それ以降は膠着していた。

こっちもそれなりに鍛えているが、アメリカなどと違って被疑者死亡がNGである日本警察はどうしても不利になる。このレベルの手練れ相手では無力化はほぼ不可能だ。
残された道は、対象が安全なところへ逃げ切るまで時間稼ぎをするしかないわけだが、何故か男には対象を追う気配が見られなかった。

こうなるともう手の打ちようがない。完全に想定外だ。
この男は何のために戦っているのか。それだけでも教えて貰いたいんだけど、そうもいかなさそうだと警棒を構える。復讐か、それとも全く別の思惑か。

「……私怨にしては動きが良いな……誰からの依頼だ」
「……」

目の前にいる全身黒い服を纏った男は何も答えなかった。
どこにでもいる黒ずくめのスーツの男だ。帽子をかぶっているせいで顔は見えない。

いつもの感覚で少しだけ記憶を深く探ると、ズキ、と頭の奥が痛くなった。警視庁の犯罪者データベースを思い出す。
指名手配犯、ヤクザ、極右極左団体のブラックリスト、国際指名手配犯。どれだけ遡っても合致する男はいない。完全に裏の人間の可能性が高い。
捕まえて背後を洗うか、このまま防衛して対象の安全確保に全振りするか。応援が来ないなら確保して背後を洗いたい、が。出来るのだろうか。

そう考えている一瞬の隙を突かれて、気付いたときには足から聞きたくない音が聞こえた。

「―――っ、ぃ、ぎィ、っ!」

足、を、折られた。しかも、太ももまで刺された。最悪。熱い、痛い、だめだ、思考が途切れる。

痛みで息が上がるのが分かる。はっ、はっ、と途切れ途切れになる呼吸を無理矢理深くすると、この間経費申請して作り直して貰ったスーツのズボンが自分の血で濡れていくのが分かった。ああ、もう、おろしたてのスーツなのに。SPのスーツは特注だから費用もバカにならないんだけど。

いや、そんなこと考えてる場合じゃない。足が折れてまともに立てない。おまけに追撃とばかりに頭を拳銃の底で殴られた。せっかく飛び道具を吹っ飛ばしたのにまだ持ってるとか、ここは法治国家なんだけど。そんなにホイホイ持ってこられたら困るってば。

そう思いながらも意識が朦朧とし始めた。大きな血管でも傷つけたんだろうか。ぼやけてくる視界の中で、真っ黒い男がこちらに向けて何を突きつけてくるのが分かる。

ああ、死ぬのか。
そんな覚悟をしたとき、男の手から金属音が響いた。追撃するように、チュイン、とアスファルトに何かが当たる音がした。破裂音と男のうめき声、遠ざかる足音。

いま、の、銃声……?仲間割れ……?けど、周りに人の気配はないのに……まさか、狙撃?
そんなわけ、法治国家だぞ。こんな遮蔽物の多い場所で、高度な狙撃なんて。漫画みたいな裏社会の組織じゃあるまいし。

朧気とする感覚の奥からファンファン、という聞き慣れたサイレンの音がしてくる。その音が止まるよりも先に、私の意識は落ちて行った。

――結局。
右足骨折。10針縫う大怪我。3週間の入院とリハビリと引き換えに対象の安全は確保された。
警察病院で手当を受けた後、仕事禁止宣告をされた私は大部屋の病室に入って大人しく療養することになった。

特に友達が多いわけでもないし、世話を焼いてきそうな2人は今や行方知れず。来そうな松田と伊達は刑事部だ。忙しくて見舞いなんか誰も来ないだろう。非番の呼び出しにも応じなくていい。仕事から離れて静かに過ごせる。
そう思っていたのに。

「えっ!?あれ、怪我でもしたの!?」
「ん、お〜!久しぶり、元気してた?その後彼とはどうよ?」
「バッチリ!ありがと〜!」
「気にしなさんなって!」
「うん!萩原くん!」
「…………」

なんで。

「やっほ、なまえちゃん、お見舞いに来たぜ」
「……どうも」

よりによってこの男が、いの一番に来るんだろうか。
そう思った私は悪くない。





警察学校時代の同期に、萩原という男がいた。
女が放っておかない顔立ちと柔らかい物腰だが、その一方で教官からも呆れられるほどのトラブルメーカー。そして幼馴染の降谷と諸伏がいつもつるんでいた仲間だった。

昔からあの2人は何故か私に過剰に構う。子供じゃないんだけど、と言っても本人たちはどこ吹く風で私を構い倒してくるのだから私にはもう何も出来ない。
同じ時期、同じ教場に降谷、諸伏がいれば、2人が私に構う光景を見られるのは時間の問題だった。結局芋づる式に私とあの2人の知り合いとは互いを知る関係になったし、それなりの交友関係も築いた。

ただ、その萩原と私は破滅的に仲が悪かったのである。

配属後もしばらくはずっと仲が悪かったはず。それこそ10億円爆弾事件の時だって距離が縮むようなこともなかったのに。
頭でも打ったのか、松田によほど絞られたのか。
とにかく、ある日を境に萩原は距離を詰めてきた。

だけど、こんな個人的に見舞いに来るほどまでに近付いた記憶はないんだけど。

大きすぎず小さすぎず、丁度いいサイズの花束を渡されてそのまま抱える。どうせ誰もここに来ることもないと思っていたから最低限の生活必需品しか用意もしていない。どうしたものか、と花束を見ていたら声を掛けられた。

「えーと、さ。入院、どれくらいになりそう?」
「3週間」
「そっか、結構長いんだね……」
「まあ、足折れてるし……即現場復帰ってわけにもいかないし」
「あっ、じゃあさ、退院のとき不便だし迎えに来るよ、俺これでも運転には自信あるし……!」
「警校時代に色々聞いた。それに退院するときは治ってるから大丈夫」

3週間で怪我の状況がどうなってるかは知らないけど。流石にまともに歩けない人間を病院から叩き出してあの職場に戻したりはしない。はず。そう思いたい。いくら公僕とはいえそこら辺は許されると思いたいんだが。というかそうじゃなかったら恨むぞ、班長。

「そう……」と明らかにしぼんだ萩原に首を傾げる。本当になんなんだ。機動隊外されて捜査2課に移ったことが原因なのか。そんなにヤバいんだろうか。

「……捜2、結構しんどいの?」
「あ、ああ、うん。わりと、案件に終わりが見えなくて死んでるけど」
「そう。こっちも終わりがないから似たようなもん」
「……」
「……」

沈黙が降りた。
萩原の登場で少し浮き足だっていた女子の大部屋病室は今や異様な静寂に包まれている。嵐の前の静けさみたいになってしまったのはどうしてだろうか。それに、警校時代は女子にちやほやされても飄々としていたのに、今は誰の目から見ても挙動不審だ。刑事らしくない動揺っぷり。刑事務まっているんだろうか、この男。
さっきから疑問しか上がってこないんだけど、この男の相棒は何をしているんだ。ちゃんと手綱を握ってほしい。

しかも中途半端に視線を合わすと、いつも向こうが視線を逸らすからどうしていいかわからないんだけど、本当にどう対応したらいいの。
こんなに居心地悪くなるなら来なきゃいいのに、何しに来たんだろう。疑問しかない。さては見舞う気ないんじゃない?

「……来てくれたのは…………驚いたけど、帰ったら?忙しいんでしょ」

来てくれて嬉しい、と言おうと思ったけど別に特に嬉しくもないからいいか、とそのまま伝える。先輩でも上司でもないから気を遣う必要もないし、それに私と萩原の関係性なら尚更だし。
なにより、忙しい中を無理矢理抜け出して来たのは見て取れた。

「隈できてるし、ここに来る暇あったら仮眠でも取った方がいいんじゃないの?」
「あー……まあ、そうなんだけど……。でも、なまえちゃん怪我したって聞いたらいても立ってもいれなくて……だから、やっぱ来てよかったよ」

安心した、とほっと表情を綻ばせた萩原にどんな言葉を掛けていいか分からなくなる。
なんで私が無事だと萩原が安心するんだろうか。あの2人や松田、伊達ならまだしも。
萩原にとって私は気に障るだけの存在だった認識だったと思うのに。この男、記憶喪失になったとかじゃないよね。その方が納得いくんだけど。

「あの、さ……なまえちゃん、俺、ずっと言いたいことがあるんだ……その、ずっと言えてなかったけど」

いや。このしおらしさ。ありえるかもしれない。でも捜査2課って詐欺事件中心なのにそんなことあるんだろうか。
悪いが捜査2課への辞令が出た際は爆発物処理班より向いてると思ってしまったくらいだ。
それくらい口が上手い萩原が制圧組に回されるとか考えにくいんだけど……。それとも疲れておかしくなったのか。交通部にいる姉になにか言われたのか……。もうわからない。はっきり言って少し不気味だ。

「気を悪くしたら、って思ってなかなか言えなかったんだけど。でも、君のその怪我見たら、言わないとと思って」
「今更何言われたって気にしないけど」

元々の仲が破滅的だったから今更何を言われても驚くこともない。流石に怪我してダサいね、とか言われたらこっちも黙ってないが、そこまで最低な人間でもなかったはずだ。
いいから言いなよ、と続きを促せば萩原が意を決したような面持ちで私を見た。かつて警校で見せていたチャラチャラとした空気はどこにもなかった。

「あのさ、なまえちゃん、もし、俺が次の事件で、犯人検挙出来たら……俺と――」

萩原がそう言いかけた瞬間、シャッ!とカーテンレールが悲鳴を上げるような勢いでベッドを区切っていたカーテンが開かれた。

「オイ、なまえ、来てやったぞ!まぁた怪我したんだってな。お前、ちったぁ心配するこっちの身にもなれよ、って萩原?なんだよ、お前も来てたのかよーーいってえ!」
「松田ァ!こっちこい!」
「松田さん!」
「松田先輩!」
「はあ!?なんだよ、俺が何したってんだよ!!おい、ちょ、押すなっ……!」

同じ病室の女性警官が突然来訪した松田を病室から追い出していった。
萩原が最初、部屋に入った時に声を掛けたのは同期だったらしい。ふざけるな、と言わんばかりに思い切り松田の襟を掴んで出て行った。機動隊のノリだろうか怖いな、と思って茫然と見送ると隣から「陣平ちゃん……」という沈痛な声が聞こえた。

松田の登場によって意図せず2人きりになった病室には私と萩原の息だけが落ちる。さっきから1つだけ聞いておきたいことがあった。ちょうどいい。今のうちに聞いておこう。

「萩原のその心配って、私が女だから?」
「違う」

質問は即座に否定された。その勢いに多少驚きながら萩原の目を見る。さっきと同じ真剣な瞳が私を見ていた。

「そうじゃない。なまえちゃんが女の子だから心配してるんじゃない。俺の大切な人が怪我しやすい場所にいるから心配してる」
「……別に、怪我する可能性が高いのは刑事課もそうでしょ。捜1も機動隊も。米花は特に事件多いし」
「まあ、そりゃそうなんだけど……なまえちゃんは特別っつーか……」

急にまた歯切れが悪くなった萩原に、何言ってるんだこの男、と訝し気な視線を送ると視線が彷徨い始めた。さっきまでの真剣な目は消えていたが、警察官として働くなかで、萩原に何か心情の変化が起きたのはわかった。

爆発物処理班は文字通り、揺るぎない死と向き合う。他人の、そして自分の。失敗は自分の死、そして誰かの死につながる純粋な悪意と向き合わなければならない。
SPも同じだ。何かが起きた際に瞬時に自分の命を投げ出すSPには、それ以上に崇高な奉仕精神が求められる。

近しい仕事をする萩原も実際に数年前、自分が死にかけたこともあって、なにか心境の変化があったんだろう。そう思うことにした。
他人が何を考えているのかは考えても無駄だし、萩原の身に今までの人間関係を見直したくなるほどの何かがあったことにする。

「ほ、ほら!降谷ちゃんとか諸伏ちゃんとか!?仲良かったのに警察辞めちまっただろ!?」
「別に、あの2人がいないと警察できないなんて思ってない。それに」

またあの2人か。なんであの2人の知り合いはこぞってそういう意味で私を心配してくるんだろうか。別に降谷と諸伏が私の精神安定剤ってわけでもないし、ずっと一緒なんて子供みたいなことを思ってるわけじゃない。私だってちゃんと自分の意志でここまで来ている。だから。

「たとえあの2人がいなくなったとしても、私には、ここで、絶対にやらなきゃいけないことがある」

いつかは別れる。降谷とも。諸伏とも。
1人の人間が生きていくなら、そういうことだってある。降谷がいなくても、諸伏がいなくても、私はここで成すべきことがある。たとえ、それが。

「それって、」
「……約束しただけ。私が、大切な人と」

甦るのは遠い、子供の頃の記憶。拙い約束だったけど、私がどうしたいか、何をすべきか、何をしたいか。それが定まった瞬間だった。
この人のために生きたい。この人の思いに報いたい。この人のためなら、私は何になっても構わない。
自分の全てが決まったのは確かにあの時だった。

「――、かなわねえな」
「……?どういう、」

思考を遮るように萩原の声がした。喋りすぎた、と思っても遅い。本当はこんなこと喋るつもりじゃなかったのに。
目を細めて私を見る萩原の視線に居心地の悪さを感じていると、当人は何かに頷いていた。

「やっぱ、うん。なまえちゃん、次の事件で犯人検挙出来たら俺とご飯に行ってくれない?」
「は?奢らないけど?」
「ハハ、むしろこっちが奢るさ。いいんだ。俺が勝手に頑張るだけだから。でも、俺はもっと、なまえちゃんのこと知りたい。から、俺とサシでご飯行ってほしいんだけど」

真剣な目に戻った萩原に少しだけ呆れる。相変わらず鬼塚教官の評価の通りに女の尻追っかけまわしているなとか、これが捜査2課特殊詐欺対策課のエースの人心掌握術か、とか思いもしたけど。でも、あんなにもへらへらしていたこの男がそこまで真剣に、何かを成したいならというのなら。

「……今更私のこと知って何になるのか知らないけど……」

絆されている自覚はある。全くの赤の他人よりは知っているし、接点も無理矢理持っているような形だけど同期の中じゃ多い方だ。
でも、それだけだ。それ以上でも、それ以下でもない。ただの同期。ただの降谷と諸伏の仲間。ただの、入院を心配して見舞いにくる程度の――。

「それで、萩原が怪我せずに帰ってくるなら」

少しぐらいなら、帰って来る楔になってもいい。気まぐれに、そう思っただけだ。

爆弾の傍で呑気に煙草を吸っていた命知らず。あの事件で対爆スーツの未着用がバレて、上司の指導不足による訓戒と爆発物処理班から外されて捜査2課に回された油断しがちな男が、犯人の検挙と無傷を保証して帰って来るというなら安いものだ。

それに、なにより。松田、伊達と合わせてこの3人には生きててもらわないと困る。今は暗い世界に沈んでいる降谷と諸伏が帰って来た時に、明るい世界を取り戻せるように。1人で暗いところに取り残されないように。あの2人が仲間とまた笑えるためには、この3人には生きていてもらわないと困る。
明るい世界を見せられるのは、私では出来ないから。

いや、でも私はあの2人の心配なんかしてる場合じゃなくない?
殺しても死にそうにない2人の心配より自分の心配した方がいい気がする。だって米花町での護衛任務がある限り事件しか起きない。
襲撃の撃退、爆弾解体、カーチェイス。やることがハリウッド映画のFBIみたいになっている。そのうち弾除けになって班の全員が入れ代わりになりそう。不吉すぎて嫌だ。

そう思っていたら突然、萩原が思い切りベッドに倒れ込んだ。ぎょっとして思わずその肩を揺する。ぶつぶつ何かを言っているが内容が分からない。寝不足で幻覚でも見えたんだろうか。このままじゃ犯人検挙どころか心身喪失で職場が遠のくけど。

「反則だろ、そんなの……!」
「なに、ちょっと、具合悪いの?ナースコール押すけど?」
「いや、いやまって!違うから、なまえちゃん!」

結局この押し問答は松田が帰ってくるまで続いたのだった。





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