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おまけ

聞き慣れた乾いた音が響くのと黒い影が跳ぶのは、ほぼ同時だった。
その場の空気が戸惑いから恐怖に変わっていくのが手に取るようにわかった。零れそうになる音をどうにか喉の奥に押し留めて、ようやく足を引く。
過激発言を繰り返す政治家の演説。次の仕事で使う男がこの政治家に心酔していることを掴んで、その集会に参加する男を尾行していたときだった。

発砲音と同時に理解する。個人へのテロ行為だ。間違いなく。こちらの組織は関わっていないが、恨みを持つ反社会的勢力の犯行だろう。使用した武器が拳銃ということは、背後に大きな組織が付いているはずだ。

なんにせよ、事件が発生した以上警察が動く。バーボンとして単独で動いている今、警察のいる現場にいつまでも残るわけにはいかない。
そう思っているのに、僕の視線は要人の前に飛び出て今も地面に倒れているなまえの姿から離すことが出来なかった。

一瞬だった。突然なまえが、政治家と場所を入れ替わるように前に飛び出てて、そして破裂音と共になまえの体が反動で大きく仰け反った。見る人間が見れば撃たれた、と認識するには充分すぎる反応だった。

なまえが、撃たれた。

わかっている。なまえの仕事だ。要人の人間の盾になること。要人の安全を最優先させること。
そのためには、命すら投げ出すこと。
わかっていたはずなのに、いざ目の前にすると恐怖で足が竦んだ。命を対価にする献身と奉仕は美談だ。だけど、それは物語だったり、遠い国の誰かだったりするからだ。目の前で、自分が知っている人間なら話は全く変わってくる。しかも仲の良いという壁すら越えた幼馴染みのような、家族のような存在だ。

大切な存在だ。ヒロと並んで、僕が持っている数少ない宝物。そのなまえが、撃たれた。

大丈夫だ。SPなんだから、それくらいの対策はしているはずだ。でも、ありえないけれど、もしハギみたいに、油断していたら。ハギは助かった。けど、同じように助かる根拠なんてない。防弾チョッキは、着てるんだよな?

近くに寄って大丈夫か、と言いたいのに今の僕ではそれすら許されなくて、ただ逃げ惑う人混みの中で呆然となまえを見ていることしか出来ない。
ここから去るべきだと理性が叫んでいる。わかっている。でも、せめて、声だけでも。指先を動かすだけでも、なんでもいい。なまえが生きていると。


頼む、僕を安心させてくれ。


「井上!大丈夫か!?」
「……っ、だ、いじょうぶ、です!それより……っ!」
「対象は退避済みだ、俺たちも向かうぞ!」
「はい……っ!」

痛みに歪むなまえの声が聞こえてきた。ドッと体の力が抜けて、いつの間にか詰めていた息をほどいた。良かった、生きていた。大丈夫だ、俺は、降谷零はまだ何も失っていない。いつの間にか短くなっていた呼吸を落ち着ける。

なまえが生きているということが分かれば、もうここに用はない。早くこの場を去ろう、と視線を外そうとした瞬間、なまえと視線が絡んだ。
良かった、と笑みを溢しそうになったその瞬間、なまえの手が忙しなく動いて思わず再び足を止めた。

「……は?」

今のって。

「行くぞ井上!」
「はい!」

そのまま警護車両に乗り込んで走り去っていったなまえの姿はあっという間に見えなくなった。辺りにはまだ人が多くいる。事件が落ち着いたのを確認したのか、今度は機動隊が慌ただしく検問を設置し始めていた。
そそくさとその場を離れて、足早に建物の影に身を寄せる。暗記した電話番号にコールを掛けるとすぐに相手が出た。

「風見、僕だ」
『ふ、降谷さん……!?どうかされましたか!?』
「先ほどあった政治家の襲撃テロは過激派組織『赤い鉤爪』の犯行だ。今から言うナンバーのタクシーを対象に規制線を張れ」
『了解しましたが、どこでそんな情報を……!?』

風見の慌てたような声が聞こえる。そうだろうな、と自分の中の冷静な部分が部下の焦りに共感した。
僕だってこれがただの予感や憶測に過ぎない見立てだったらここまでの指示は出さない。だが。送ってきた人物と方法を考えれば充分信用に値する。

というか、あのハンドサインを持ち出してくるのは反則だろう……!

目が合った瞬間に送られたハンドサインは、僕とヒロとなまえで子供の頃に考えたものだ。もし声が出せない状態で相手にメッセージを送りたい時はどうするか、なんていう子供の頃の警察ごっこの中で作り出した。
それをなまえが覚えていたことも衝撃だったが、あの混乱した場でこのサインを使うほどに僕に伝えたかったメッセージ。それが事態の緊急性と重要性を証明している。

あかいかぎづめ
りーだー
くろ
たくしー
はいど
いちろくはちに
わんがん

送られてきたメッセージを紐解けばすぐに答えは見つかった。要人を庇う際にきっと犯人の顔を見たんだろう。
この襲撃犯がここ数年姿を見せなかった、指名手配中の反社会主義グループのリーダーとなれば、なまえが『公安警察の降谷零』にだけこのメッセージを送ってくるのも納得だ。

だけど、このタイミングであのサインを使われるとは思わなかったし、まさか覚えていてくれているとは。
そもそも、怪我をしているのに関わらずこの完璧な対応。満点だ。誉めたい。めちゃくちゃに誉めてやりたい。僕たちの幼馴染みがこんなにも優秀で困る。

「……確かな情報筋ということにしておいてくれ……!」
『は、はあ……?』

思わず顔を覆った。くそ、SPにしておくには勿体なさ過ぎる……!
でもなまえをこちら側に引き込むわけにはいかない……!くそ、俺が!仕事をすればいいんだろう!俺は部下と違って大事な女の子は褒めて甘やかしてやりたいんだ!
一刻も早く組織なんて滅ぼしてやる!






「悪いな、井上。余計な怪我をさせた」
「いえ、仕方ありません」

2人だけの車内にエンジンの音と咳が零れる。

「――大義のためですから」





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