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米花町には公文書偽造案件が多過ぎて許し難いんだがSPなので何も見てないことにしようと思う


「井上、お前随分と死にそうな顔だな。よし、ここは俺に任せて喫茶店にでも行って休憩してから帰れ。うん、それがいいそれがいい。あ、これ班長命令な」

普段から私をこき使う班長からは到底考えられないような言葉がでた。
これはなんの前触れだろうか。そう思ってしまうほど、今日の任務は過酷を極めた。はっきり認めよう。今すぐ突っ伏したいほど疲れている。もう何時間だ。私は何時間ぶっ続けで働いているんだ。

「何が目的ですか」
「相変わらずかわいくねー後輩だな。………うちの嫁にはこの間の飲み会のことは黙っておいてくれ」

やっぱりか。そんなことだろうと思った。
瑶子さんの許可なく参加したんだろう。瑶子さん、班長の酒癖の悪さはよく知っているからな。

「構いませんけど…どうせすぐばれるじゃないですか」
「そこをなんとか!」
「わかりました。私は言いませんよ」

瑶子さんのネットワークをなめすぎである。明日にはもう瑶子さんの耳に入ってるはずだ。そう思ったが、それは伏せておいた。ベロベロに酔った筋肉ダルマをタクシーに押し込むのは困難を極めた。それだけは言っておく。

せっかくの上司からの厚意を無駄にするわけにもいかないので、優秀な部下である私はきちんとお言葉に甘えることにした。飲み会のこと、私は言いませんよ、私はね。





とは言ったものの。
行きつけの喫茶店があるわけでもない私にとって、この状況は野に放たれた家犬が世界の広さに戸惑うのと同意義である。
駅前の喫茶店は混んでいるし、万が一誰かに見つかろうものなら職務怠慢を疑われかねない。

監察官にばれても面倒なので、静かで人のあまりいない喫茶店に行かなければならない。しかしサラリーマンひしめくこの近辺に、そんな都合のいい場所はなかなか見当たらず、貴重な休憩時間がもはや喫茶店探しで潰れそうである。

そう思っていると、視界を喫茶という文字がかすめた。ガラス越しに見える店内には客もまばらで、深く腰掛けられるソファーもある。もうなんでもいい。ここだ。ここにしよう。
からん、と上品なベルが鳴った。ああ、やっと束の間の疲れを取れる思って入ると、店員が声を掛けて来た。

「い、らっしゃいませ!お一人ですか?」
「はい」
「お好きなお席へどうぞ!」

案内された席に着いて、ふう、と息を吐いた。思わず顔を覆う。どうあがいても逃げれない現実に腹を括って、いつものスイッチを入れた。キィン、という耳鳴りのあと、鮮明であやふやな世界に覆われる。

店内にいる人間と、その人間の様々な情報が一気に脳内に流れ込んだ。店内には3人。おや、この人はと思ってしばらく耳を澄ます。息遣い、所作、癖。色々ものが聞こえてきて、情報を処理していく。

「――…さま、お客様、大丈夫ですか?ご注文はお決まりですか?」

はっ、と気づくとすぐ近くに店員がいた。目を瞑っていたせいで具合が悪く見えたらしい。大丈夫です、というと心配そうな表情は消えてあんまり無茶しないでくださいね、と笑った。おいどの口が言う。

「あー、アメリカンで。ミルク多め、砂糖は2本つけて貰えますか?」
「かしこまりました!お待ち下さい!」

この店員大層顔がいいのでそういった仕草も似合うのである。嫌味か、と言いたくなるが事実だからしょうがない。そして、なんとなく事情は察しているが、敢えて問おう。


降谷、あんたこんなとこでなにやってんの。


そう言いたいのを視線に乗せるが、降谷に黙殺された。
いらっしゃいませの声が少々上ずったことはさておき、その後もいち店員としての立場を貫く様子から、降谷の知り合いとして接しない方がいいんだろう。

置いていった水を飲むと爽やかな香りがした。うんレモン水とは気が利く。添えられたペーパーに良く見る字で文字が書いて無ければ満点だった。しかも水に触れるとぐずぐずになる虚弱な特殊水性ペンを使っている。
呼んだら消せってか。くそう準備が良すぎて嫌になる、と内心で文句を言いながら少しだけ水をこぼした振りをした。完了。

はあ、と米神をぐりぐりと押す。頭痛は消えない。折角の休憩時間が急に戦場にいるような緊張感に包まれた。ミスった。最低な休憩時間である。
そう思っていると、不意に小さな気配がこちらに移動してきた。さらに面倒な予感である。私をスルーしてトイレにでも行ってくれ。

「ねえねえ!お姉さん!」

大当たりである。

「……どうしたの、少年」
「あのね!体調悪そうだから大丈夫かなーって!ねえ大丈夫?どこか痛いの?」

そういうんじゃないんだ、ただ疲れているだけで。だから君みたいな噂の少年と話をするのは今は喜ばしくないんだけど分かってくれるかな、少年。
そう思いながらも適当に相槌を打って、さっさと席に戻ってくれとやんわり促してみる。所詮は小学生だ。どうにかなるだろう。

「ええー!!やーだーあ!ボクお姉さんとおしゃべりしたいー!」

ならなかった。
ひどい有様である。もう私にこの少年をやんわりと席に返すための頭脳戦を繰り広げられる余裕はない。
第3者の介入を期待しても降谷は知らん顔である。私は知っている。アメリカンといったのに、一番手間と時間の掛かる方法でコーヒーを煎れていることを。くそ、縁切るぞお前。面倒ごと押し付けてきやがって。

「そう…いいよ、そこまで言うなら」
「えっ…う、うん…あの、お姉さん何してる人なの?」
「なんだろうね…社会と自分のために戦っているよ…」

急に引いた私に驚いたのか、びっくりしたような顔をしたが、私のコメントを聞くと急に哀れみの目を向けてきた。抉り方がえげつない。そう思っていると探った気配の中で一番やばそうなやつがやってきた。全く望んでいない真打登場である。

「こら、コナン君。あまり迷惑を掛けてはいけませんよ」
「ごめんなさぁい!お姉さんが心配なんだもん!」
「はじめまして、沖矢昴といいます」
「ご丁寧にどうも」

さっと出された右手を握る。ごつごつとした男の手である。はあ、と生返事を出したが、その手を握って思わず固まった。こいつ、絶対に堅気の人間じゃない。そもそも足音を絶ってこっちに来る時点で嫌な予感はしていたが、お引き取り下さい。

「おや、お名前は教えて頂けないんですか」
「以前にストーカー被害に遭いましてね。それ以来初対面の方には名乗らないことにしているんです」
「そうですか…ではなんとお呼びすれば?」
「なんでも構いませんよ、工藤でも服部でも白馬でも」

警察の中をちょろちょろする高校生共の名前を挙げると急にびくりと肩を震わせた少年。親戚でもいたのだろうか。まあ、苗字の選出に偏りがあるのは許してほしい。

「そうですか…では、降谷さんとお呼びしても?」
「構いませんよ、降谷です。それで、なにかご用でしょうか?」
「いえ、彼が随分熱心に貴女に興味を持っているようですので、ご迷惑をお掛けしてないかと思いまして」

そう言ってチラ、と少年を見た一癖も二癖もありそうな男に思わず胡乱な視線を向ける。今しがたあなたが乱入してきたことで大変迷惑になりました。そう言いたいのを堪えて思わず生返事を返す。公務中に一般人に喧嘩を売るわけにもいかない。

「あまりお客様に絡まないでください、お二人とも」

ようやくコーヒーを持ってきた降谷がにっこりと笑った。なんだその営業スマイル…。お前大体いつも瞳孔開いてるタイプのゴリラだっただろうが。なに好青年の皮を被ってるんだ。ぞわ、と背筋に寒いものが走ったが…まあ、大方予想はついた。把握。

「ラテのお代わりを頂けますか、安室さん」
「ボクもコーヒー…」
「僕の目が黒いうちは君にコーヒーは出さないよ」

そんな会話をしながらなぜか私の向かいの席に座った2人。呼んでないです、お帰り下さい。そんな私の思いも空しく、彼らは随分と根掘り葉掘り聞いてきた。ついでき些細な会話の糸口を探しすぎである。無駄に緊張感の漂う喫茶店24時になってしまった。あまりにもイライラしてしまったせいか、反撃しようと変なことを考えてしまったのがすべての失敗だった。

「それはそうと、沖矢さんは外国の生まれですか?」
「いえ…そういうわけでは…なぜですか?」
「随分と発音がはっきり別れていらっしゃる…日本人ではなかなか習得しにくい、RとLの使い分け…素晴らしいですね、本当に完璧です。降谷のRとラテのL…随分とお手本のようなクィーンズイングリッシュだったもので、海外にいらっしゃったことでもあるのかと、例えば、実はハーフで昔はイギリスに住んでいた、とか」

一口コーヒーを口に含む。ごく、と喉を鳴らしてコーヒーカップへ視線を落とす。私の視界から外れて油断したのか、ピリ、と少しだけ視線が鋭くなって、私の指先に集中する。気づいたか。

「そういうあなたも、随分と変わったお仕事をされているようですね」
「…と、いいますと」
「ああ、すいません。これでも無類のミステリー好きでして、暇つぶしに人間観察なんてしてみたりするんです」
「はあ、そうですか。変わった趣味ですね」
「結構当たると評判なんですが…それでも僕には降谷さんの職業が分からなくてですね」

ずいぶんとまだるっこしい理由付けだ。とどのつまりこの男が言いたいのは。

「――お仕事、はなにをされているんですか?手を拝見する限り少し特殊なものではないですか?」

そう言って目の前の胡散臭い糸目は私の手にちらりと視線を送った。
右手の第二関節にあるタコ。つまりは拳銃タコだ。なんだこいつ。普通の一般人が気付くようなことじゃないし、この様子なら私の手の肉刺の痕にも気付いてるはずだ。

「そうですね、……クライアントにもよりますが機械を弄ったりメンテナンスで不純物を取り除いたり…まあそんな仕事です。たいして面白くない仕事ですよ。……沖矢さんは社会人ですか?」
「いえ、しがない院生でして……、東都大学院の工学部所属です」

偏見かもしれないが、言わせてくれ。その顔で本当に院生だと?貫禄ありすぎだろう。32歳です、と言われた方がまだ納得できる。
色々突っ込みたいところは多いが、やっとボロを出してくれたので、有り難く噛みつかせて貰おう。これで引いてくれるといいんだけど、と口を開いた。

「それはそれは…さぞ優秀な学生さんなんですね?」
「いえ、大したものでは。ただ真面目なだけが取り柄ですよ」
「へぇ…それは素晴らしい。しかし、こんなところにいていいんですか?」
「こんなところとは?、――っ!」

しまった、と言うように大きく目が見開かれた。致命的なミスだ。なぜなら本来彼はここにいるべきではないのだから。真面目で工学部だと自負するのと、今この反応が大きな失態である。

「こんなところでしょう?今日は世界的権威の工学博士が東都大で行われる学会にて新論文を発表中のはずです。学部生や院生まで、総出でお出迎えの準備がされてますし…『真面目』な学生であれば世紀の発表はその目で見たいのでは?」

ぎり、と奥歯を噛みしめる音が聞こえる。完全にぐうの音も出ないようだ。眼球の動き、心拍数上昇による発汗、無意識に浅くなる呼吸。普通なら気付かない些細な変化も、今の私には筒抜けである。それが出たのもほんの一瞬だったが。

はっきり言おう。こいつは完全に黒だ。
足運び、洞察力、なにより動揺を一瞬で隠す対応力。訛りを誤魔化してなければ、イギリスかアメリカ、オーストラリアあたりの工作員が妥当だろう。不自然な動きをする顔の筋肉は、特殊メイクかマスクで隠しているようで、微妙なひきつりがある。

変装しないと出れない以上、戸籍を消しきれていないか追われているかどちらかだろう。いずれも闇が深い。降谷や諸伏の潜り方とは違うようだから、CIA,MI6ではないとは思う。が、これ以上は不用意に探りに行っても面倒なだけである。私は公安でもなんでもない。こういうのは降谷、お前の仕事なんだから。

私はこれ以上聞かないからそっちも追ってくれるな、という意味でネタばらしだ。

「それに、君は私と会ってるよ、一度ね。コナン君」
「え、うそ、そんな、わ、け……あ!?僕と一緒に閉じ込められたお姉さん!?」

ぎろり、とカウンターの方から一瞬だけ視線が向けられた。さっと消えたが、おい聞いてないぞ何のことだ、と言わんばかりの視線だった。
その視線を無視してしれっと少年、毛利探偵のところのコナンくんに視線を向ける。

「あの後は大丈夫だったかな、ちゃんと寝れてる?」
「うん!おねーさんが助けてくれたからね!」
「そっか、下手なことに首を突っ込んでるんじゃないかと思ったけど」
「アハハ…」

誤魔化すように笑ったコナン君に釘をさすことも忘れない。庁内でも有名な少年だ。良いところに目が行く、というよりも好奇心旺盛で危なっかしくて見ていられないという悪い意味で。
そんなコナン君が沖矢さんとやらに説明をしていると、突然業務用のスマホが震えた。最悪である。聞かなかったことにしたい。しかし国民の税金でメシを食っている以上それは許されないので、電話に出る。

「ああ、失礼。――はい、井上です。……了解です、至急向かいます」
「お姉さん、事件?」
「そう。じゃあまたね」

話を聞けば案の定、任務の応援要請だった。普段なら文句のひとつやふたつ言おうものだが、今だけは感謝した。
そのまま会計へ進めば、既に降谷がレジに立ってレジに金額を打ち込んでいた。どこまでも仕事の早い奴である。嫌味か。

「お急ぎですね、別の機会にしましょうか」
「いえ、払います」
「――では、60円のお返しと、こちらレシートです」

にっこり、そう笑った降谷にぞわり、と寒気が駆け上がった。相変わらず顔が良い。しかし降谷の性格を知っている以上、これはただの営業スマイルではない。――めちゃくちゃ怒ってんじゃん。なんで?

諸伏、お前の相棒ちゃんと止めてよ、と念を飛ばしておく。なんでか知らないけど連勤の私に当たらないでくれ。仲良しなんだろ、その胡散臭い糸目と無鉄砲な少年と。後はよろしく、と店を出る。

「またのお越しをお待ちしてますね」

背後から聞こえてきた声は、降谷からの圧を感じさせるそれだった。
くそ、休みに来たはずなのに全然休めなかった、最悪だ。




さて、どう行くのが一番早いか。

そう思いながら店を出る。走った方が早いかとも思ったが、距離と現着までの時間を考えれば車一択だろう。通りでタクシーを捕まえて乗り込んで、行先を伝える。
乗り込んでしばらく、めちゃくちゃ強い力で降谷が押し付けてきたレシートを何気なく見て、思わず深いため息を溢した。

「はあ……なんだそりゃ」

レシートの裏に掛かれていたのは数字の羅列。およそ理解のできないそれだったが、この世でたった3人だけ理解できる人間がいる。私と、降谷と、諸伏。なんだってこんな古いものを持ち出したんだ、と頭を抱えたくなった。

かつて、まだ警察に所属するのがただの憧れだった頃。幼馴染だった私たちが作り出したオリジナルの暗号である。数字の羅列に当てはめる規則性はどの国の言語とも共通しない。完全に3人だけで考え出した架空の言語を元に作られているのだ。
一抹の懐かしさとは裏腹に厄介ごとの気配しかしない。見なかったことにしたい、と思いながら記憶を掘り起こして当てはめていく。脳内に浮かび上がった文字を認識して、いよいよ頭を抱えた。アイツ、完全に嫌がらせだ。

いまはあむろ。らいてんまつ。

絶対に行かない。
あんなに面倒くさそうな奴らが集まる喫茶店なんて絶対に行かない。死んでもごめんだ。そう心に誓って、そのレシートをくしゃくしゃに丸める。
本来なら燃やすべきだろうが、タクシーの中であることとこれからのことを考えれば悠長に火遊びをしている場合ではない。しょうがない、と丸めたレシートをそのまま口に入れて呑み込む。そこまでして気付いた。

なんで私がこんな公安染みたことを……。

はあ、とため息を溢して、ついでにスーツの裾に取り付けられたそれを音をたてないように剥がす。はたしてこれはどっちだろうか。
微かな電磁波を放つそれをシートの下に貼り付けて、交差点の信号待ちの最中にタクシーを降りた。会計の際は音が入らないようにしたし、これでしばらくは時間が稼げるだろう。尾行する不審な車は見当たらなかったので、大方発信機の機能も付いているか。なんにせよ正気ではない。

再度ロータリーでタクシーを拾って、今度こそ正しい行先を伝える。思わずシートに頭を預けた。なんて厄介な奴らとやりあってるんだろうか。いや、なんにしても私は2度とあそこにはいかない。絶対に。

そう固く誓って、私はまた憂鬱な気持ちになりながら現場に向かうのだった。




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