悠々自適な長女


暑い夏の日のクーラーは最高だ、とイルトは思う。先ほど開けたアイスは既に空になっていて、それだけが少しだけ残念。

涼しい風が頬を撫でて、外界とは比べ物にならない天国。
点けているテレビからは絶え間なくお昼のワイドショーが流れ、観葉植物の葉がクーラーの風を受けて揺れている。なんてことはない、ごくごく普通の昼下がりだ。

イルトはそんな天国にいるが、ひとつだけがイルトを邪魔するものがあった。お気に入りの歌手が歌うメロディー。今巷で流行している歌手の新曲である。
それがラジオから流れてくるのならテンションのひとつでもあがるが、今回ばかりはこの状況が嬉しくない。

電話である。しかも結構しつこい感じの。

どうしたものか、と考えて、イルトは気だるそうにケータイを見た。やっぱり。めんどくさ、どうしよっかな、と再度考えて画面を見る。
着信は血を分けた半身からのものだった。

なるほど、しかし面倒くさい。どうせお小言だろうという予想はすぐにつく。しかし、出ない方がよっぽど面倒だということも、イルトはよく知っている。そこまで考えて、イルトは漸く電話に出た。

「もしもーし」
『何回電話したと思ってるの?』
「さあ?3回くらい?」
『惜しいね、54回ぐらいだよ』
「…そんなに怒らないでくれ、わが弟よ」

どうやら電話の向こうの双子の弟は結構お怒りのようだ。というか、54回も電話して出なかったら諦めるでしょうに。それが普通だけど。生憎なことに、わが家は普通ではない。

「で?要件は?」
『いつ帰ってくるの?』
「父さんが土下座して私に謝ってくるまで」

そう言い放つと弟は、はあ、とため息をついた。珍しいこともあるものだ。弟がこんな下らない事で連絡を寄越すなど。

『いい加減許してあげたら?』
「イヤ」
『オレも寂しいんだけど、姉さんいなくて』
「後ろにいる父さんに言わされてるんでしょ?聞こえてるから」
『…』

耳に自信はあるから間違いないだろう。なにより弟が黙った事が証拠だ。
相変わらず詰めが甘い。

「まあ、父さんに伝えといてよ。私は青春を謳歌したいのでまだまだ帰りませんって。仕事はいつも通りメールで送ってくれればやるから。じゃ」
『待てイルト!父さんが悪かっ』
「じゃーねー、イルミ!あとのフォローはヨロシク!」

そのままブチ、と通話を切り電源を落とす。これで私の安寧は保たれるというわけだ。
双子の弟、イルミの機嫌はまあ、後でどうにかするとして。

喧嘩の絶えない父と父を擁護する母に嫌気がさして家を飛び出たのは、もうかれこれ2年ぐらい前だ。しかしイルトにはまだまだ帰るつもりはない。
何しろやりたいことは本当に沢山あるのだから。

憧れの制服、死体の出てこない会話、毒の入っていない美味しい料理。

もういいや、と飽きてあの灰色の日々に戻れることなど、イルトには考えられなかった。そんなことが考える暇がないほど、世界は彩りに満ちている。

とりあえず、今は明日の登校日までに溜まりにたまった夏休みの宿題を片付けなければ。壁に掛かったセーラー服を眺めてうーん、と猫よろしく伸びてみる。

「さって、やるかぁー」

呟いて、イルトは漸く立ち上がった。




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