長女の分岐点

イルトがあの任務を終えてから一月ほどが経った。世間は夏休みを終え、すっかりもとの多忙さを取り戻している。

「あー、就職か…」
「イルト就職先決まってるもんね。羨ましいわ」
「まー、もともとそういう約束だしね」

大学3年の秋を控えた今、イルトが就職活動をする気がないことは周知の事実だ。イルトは卒業と同時に故郷に戻り、家業を継ぐ宿命にあるというのが、友人たちの知るイルトの未来だった。

もちろん、イルトの言うことは嘘だ。いくらイルトが優秀でも、ゾルディックを継ぐのはおそらくキルアになる。家業を継ぐ代わりに大学に行かせてもらえる。そうやって自分は大学に来たと言えば、皆勝手に哀れに思ってくれたし、仕事で居ないときも面倒な理由を考えずに済んだ。

イルトは別に友人たちが嫌いなのではないし、どうでもいいと思っている訳でもない。
高校時代の友人たちとは今でも会うし、今の友人とも気の抜けない関係を持っている。

しかし、世間の闇は深い。
いつどんなところで彼らが標的にされてしまうかわからない。イルトはそれだけは避けたかった。イルトと親しくなることで彼らの命の危機は恐ろしいほど跳ね上がる。

世の中には知らなくていいこともある。殊更イルトのいる闇の世界は。だから、イルトは自分がゾルディックであることを告げてはいない。

友人たちはイルトの未来を案じて憤りを感じてくれる。そんな友人を見るたび、イルトはこうして生きてきて良かったと思う。あのままパドキアの山奥にいては得られないものを、イルトは得ることが出来た。

「そういえば、イルト知ってる?」
「ん?なに?」
「次の博物館でやるの、あの『ガザル帝国展』なんだって!」

意気揚々、目を爛々と輝かせた友人が鞄から取り出したチラシには、堂々とした筆遣いで博物館の次のイベントが記載されていた。

イルトの専攻は世界史だ。

友人たちの中には、度が過ぎるほどの世界史好きがいるが、目の前の彼女はその中でも突出した情熱の持ち主だった。そしてその友人の世界史好きに付き合うのも、イルトの役目だった。

「はいはい、お供させて貰いますね」

だから、この時もふたつ返事で了解したのだ。まさか、あのような事態になろうとは誰が予想しただろうか。




『ガザル帝国。
それは、中世紀に突如としてアイジエン大陸に現れた幻の帝国。当初少数の部族から成っていた彼らは、僅か数十年で、世界の3分の1を征服するまでに成長した。彼らの文化水準は極めて高く、この帝国によって世界中に伝えられたものは星の数ほどとと言われている。

しかし、帝国は突如として姿を消す。

帝王が突然倒れ、根のように世界中に広がった領土はそれぞれが強力な領主の元に独立し、やがて帝国は滅びた。

依然としてこの帝国には多くの謎が残されている。何故数十年という短期間に成長できたのか、文明水準の高度さ、遺跡の少なさ、滅亡の理由。それは全て謎で構成されている。
この博物展では、数少ない遺跡から発掘された調度品、埋葬品、古文書など、世界の至宝を展示する』(国立博物館パンフレットより)

「これがねえ…」
「そう!かつて幻の100年と言われたガザル帝国の真髄!」

パンフレットを片手にはしゃぐ友人を横目に、イルトは欠伸を噛み殺した。
ガザル帝国はアイジエン大陸の亡国である。パンフレットの通り、圧倒的な高度文明を持っていたにも関わらず、この国は僅か3日で滅亡した。パンフレットと、イルトの持つ情報はそれぐらいのものだ。

そもそも、イルトの専門はヨルビアン大陸の文化史である。同じ史学のくくりとはいえ、多少専門がずれてしまえばもう表面上のことしか分からなくなる。一般人教養よりは多少深い。かといって詳しいというわけではない。

イルトはふらふらと展示品を見て回っていた。猛烈な勢いの友人はイルトを置いてさっさとどこかへ消えてしまった。毎度の事ゆえに慣れてしまったイルトは、慌てず騒がず、時々思い出したように凝で展示品を見て、呪いの品を興味深そうに見ていた。

それにも飽きたイルトは博物館に併設されているカフェで一休みしていた。毎度の事だから、友人もここを目的地として来るだろう。イルトはパンフレットを開いた。

ガザル帝国は休日のバラエティでよく扱われそうな歴史のミステリーだ。その知名度の高さは今世への影響の大きさだけではない。

謎が多い。そしてあやふやなものも多いのだ。
呪いの品や、奇怪な伝説など、あげればきりがないほど存在する。呪いの品に関してはある程度念で説明ができるが、それでも多くの謎が残されているもまた事実だった。

この手の遺跡は多くが念を扱えるハンターによって発見されている。
イルトの知っているハンターも遺跡の発掘と保全を主に行い、いまもどこかをふらふらしているようだ。
遺跡に関しては右に出るものがいないなか、このまま残されているということは彼は自身の興味が湧かないか、もしくは彼がこのままを望んだかどちらかである。

だから、きっとこの謎はずっと眠るだろう。





「すいません、友人と待ち合わせなんですが」

その声にイルトはようやく来たか、と向き合っていた末端から意識をそらした。それはなんとなくというよりもう癖といったほうが正しい。

その瞬間。長年培ってきた暗殺者としての経験が、念能力者としての勘が、本能の警鐘を鳴らした。

「イルトー…あれ、おかしいな…いない。帰っちゃったのかな?」

入り口からはちょうど死角になっている奥の席に座っていたイルトは、友人のその姿に絶句した。

「なんだ、いないのか?」
「みたいです。いつもここにいるのに…」
「いや、俺こそ突然すまない。お詫びに食事でもどうだ?」
「いえ、そんな」

冗談だろう、とイルトは叫びたかった。
友人の隣にいたのはいつぞやの屋敷で出会ったあの男である。髪型を変えてはいるものの、イルトには声と気配でわかる。間違いない。

幻影旅団の団長がなぜ、ここにいる。

二人はイルトがいないことを確認すると、店の奥に座っていたイルトの方へと来た。
いつも同じ場所に座って、彼女を待つのがイルトと彼女の暗黙の了解だった。

それがまさかこのような形で裏目に出るとは思わなかったイルトは大いに焦る。まずい。今あの男に見つかると非常に厄介なことになる。どうする。どうすればいい。

オーラは微塵も出さず、あくまで平静を装いながら、イルトは内心で大いに焦っていた。それでも最悪の想定をし、顔の構造を変えた。

イルミには及ばないが、イルトも骨格変化を使った変装ぐらいは体得している。イルトはこの瞬間ほどイルミに感謝したことはなかった。

流石に服までは変えられないため、服はジャケットを脱いで誤魔化した。イルト=ゾルディックであると特定されるものは全て隠し、外国語の書類だけは残しておく。仕事中だと察してあまり話しかけては来ないだろう。

しかしそうは卸さないのがイルトの友人にして、学科内でも奇人の名を欲しいままにする彼女である。




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