長女とお父さん命令
今日のイルトは機嫌がすこぶる良い。
無論、イルトのことである。教授からお願いされた論文のまとめも、ゼミ発表のレジュメ作りも未だに白紙である。にも関わらず、イルトの機嫌はとても良かった。
イルトの本日の予定。それは久々の兄弟との再会だった。
「姉様!」
ドアを開けるや否や飛び付いて来た末弟を危なげなく受け止め、イルトはその体を抱き締めた。
久々に会った末弟、カルトは受け止められたと思うと、これでもかと言わんばかりにぐりぐりと頭をイルトに押し付けてくる。そのカルトの頭を撫で、視線を移す。そこには少しばかり憮然とした表情の弟達がいた。
「カルト、久しぶり。イルとキルも」
「俺たちはついでかよ」
「拗ねないでよ、キル」
「だれが拗ねてなんか!」
「お邪魔するよ」
「はいはい。どーぞ」
姉様姉様、と甘えてくるカルトをそのままに、イルトは場所を玄関からリビングに移した。
イルトがカルトと会うのは実に久しぶりだった。カルトが物心つく前にイルトは家を出ていた上に、イルトもたまにしか帰省しない。イルトからすればよく自分を姉として認めてくれたものだと感心する。
ソファにカルトを降ろすと、キルアがぼす、とソファに座る。キルアはこのふかふかのソファがお気に入りらしく、イルトの家に来るといつもここにいる。
カルトが離れると、今度はキルアがすり寄ってくる。
「姉貴、ちゃんと親父撒いてきたぜ」
「最後まで渋ってなかった?」
「スッゲー渋ってた!」
けらけらと笑うキルアに、イルトも笑う。やはりというか、相当渋ったのだろう。イルミは少し機嫌が悪いし、キルアは少し疲れているようだったことからしつこさが伺えた。
「それで?」
「そしたらカルトがさー」
キルア曰く、イルミが二人を連れて飛行船に乗り込む間際まで俺も行く!と言って聞かなかったらしい。
いつものことだが、今回はイルミだけでなく、キルアとカルトも一緒だっただけにさらに羨ましかったのだろう。
いつも以上に長い引き留めようだったという。そして等々痺れを切らしたカルトが、思いもよらない反撃にでた。
「やだ!」
「やだじゃない!俺も連れて行きなさい!お父さん命令だッ!」
「姉様からのお願いの方が大事!!」
「!!!」
その言葉を言った瞬間父は崩れ落ちたらしい。なにがお父さん命令だ、バカじゃないのか、とイルトは笑った。父としてはカルトをイルトの二の舞にはしたくないようで、それ以上はついて来なかったらしい。
ただ単にショックが大きかったというべきか。とにかく父は家で大人しく待機しているようだ。ざまあみろである。
「なー、姉貴、ゲームしようぜ!」
「キル兄様ずるい!ボクもやる!」
イルトの焼いたクッキーを食べながらゲームに興じ、夕飯を食べてトランプをしながら色々な話をする。イルトの家に来た弟達はいつもこうして団欒の時を過ごすのがもはや決まりになっていた。イルミは飽きたのか早々にどこかに行った。
そして、夜が深まり、幼い弟たちが寝ると、いつの間にか返ってきた双子の水入らずの時間が始まる。
「いいとこのワインだね」
「教授のバイトしたらお礼に貰ってね。あと美食ハンターお墨付きのチーズ」
「ん。乾杯」
イルトとイルミは双子である。他の弟と違って、イルトにとってイルトの位置は特別だった。イルミはイルトに誰よりも心を許しているし、イルトにとってもイルミの位置は特別だった。
「まだ家に帰らないの?」
「帰る必要もないかなって。パドキアの家は確かに便利だけど、ここから普通に空港使った方が移動は楽だし」
そう言うと、イルミはほんの少し眉間にしわを寄せた。分かりづらいと言われるイルミだが、イルトからすれば非常に分かりやすい。今のイルミは拗ねているに違いない。
「なに、帰ってきて欲しい?」
「うん」
「なにその顔」
「や、イルミが甘えてくるの珍しいからさ」
珍しいイルミの甘えに、イルトは目を見開いた。イルミが甘えてくることは滅多にない。まだ、イルトたちが小さい頃はよく姉さん姉さんと駆け寄って来ていたが。最近では見られなかったというのに、どうしたことだろうか。何かあったのかと勘ぐり、イルトは思わずイルミの頭を撫でた。
その手にすりよるように、目を閉じる姿は猫そのものだった。
「そう。…俺だってたまには甘えたくなるよ。姉さん」
「今日の私の片割れは随分甘えんぼだ」
「そうだね。姉さん」
小さくイルミが笑う。イルトも長いイルミの髪を撫で、小さく笑った。
「じゃあ、また来るから」
「楽しみにしてるね。大抵暇にしてるから」
そう言うと、キルアとカルトが嬉しそうに頷いた。実に可愛い弟だとイルトは二人の頭を撫でた。
別れ際、空港でいつまでも手を振る弟たちに、イルトも手を振る。小さくイルミも振り返してくるものだから、この別れの瞬間だけ、イルトは家を出たことを少しだけ後悔する。
だが、どれだけ離れていても家族は家族であるとイルトは知ることができた。
たまには生存確認がてら電話でもかけてやるかな、とイルトは小さくなっていく影を見つめながら帰路についた。