Hurts


 綱吉の意識はなかなか戻らず丸一日眠ったままだった。自身の肉体は成人の体に戻りつつあるが、一部の幼さが、夜通し看病しようという決意を嘲笑うかのように眠りへと誘う。自室のベッドに眠る綱吉の傍、薬を飲ませて、体温も若干下がったところで、安心してしまったのか気づけば椅子の上で眠ってしまっていた。目を覚ますと、かなりの時間が経ったのか窓から月明かりが差し込んでおり、その明かりに照らされているはずの綱吉はいなかった。急いで立ち上がり、部屋を出て屋敷の中を探し回る。世も更けているから足音を立てないように、屋敷の一つ一つの部屋を見て回った。
 そして、見つけた。

 家光が来日して数日間割り当てられることとなった寝室にいた。自分の目に映ったものが信じられず、一歩後ずさる。聞こえてきた音が気になって僅かに開けた隙間から覗き見た光景。月明かりで半分だけ照らされた2つの肉体が交わっている。腕の中に抱きかかえた体に腰を打ち付けている大きな肉体と、その中で揺さぶられている小さな肉体。それは紛れもなく自分のよく知る親子のものだった。水の爆ぜる卑猥な音とともに、荒々しい息遣いと、揺さぶられるたびに、快楽に濡れた喘ぎ声が聞こえる。気持ちいい、と娼婦のように声をあげる綱吉の表情を見て、これまで感じたことのないような感情が心の底から湧き上がってきた。喉元から出かかった声が出ず、息だけが漏れ出る。感情のまま、扉を開き黙ったまま2人に視線を送った。自分が今どんな表情をしているか分からない。こちらに気づいた家光がこちらを向いて、わずかに動揺を見せた後、再び綱吉に向き直って腰を動かし始めた。その下の綱吉といえば、こちらと再び動き始めた家光にひどく動揺していて、動いている体を抑えようと家光の胸元を手で押しているが、静止の声も虚しく、上ずって言葉も発せないようだった。目の前に繰り広げられている光景に、怒りが沸き起こって家光の頭に銃口を向ける。撃たないことを確信しているのだろう。そのまま綱吉の中で果てた家光は、痙攣している綱吉の唇に噛みついて、再び腰を動かし始めた。それを、黙って見つめる。銃も降ろして、その光景をただ眺め続ける。家光は、己を昂らせながら棒立ちしている自分を嘲笑うかのように、一晩中綱吉を抱き続けた。

 自分の隣を素通りしていく男を睨みつける。部屋の扉がしまって、寝台に目を戻すと、体液で濡れた綱吉が痙攣した状態で横たわっていた。時折か細く喘ぎ声を漏らし、余韻に浸っているその姿を見て欲情する自分に苦笑しつつ、部屋の浴室にあったタオルを濡らして、綱吉の体を拭いていく。抱えきれない疑問と、目を背けたい現実と、目の前にある欲望をどうしろというのか。ふき終わる頃には、寝息を立て始めた綱吉を尻目にベッドの淵に腰掛けて頭を抱えた。未だ昂ったままの己がズボン越しに見えて歯軋りする。
「…いかれてやがる」

 綱吉の目が覚めた気配がして振り向くと、体を痙攣させて丸まっていた。快楽が溜まった状態で眠ると、目が覚めた時に絶頂し続ける状態になることがあるというが、まさにその状態に陥っているらしい。初めて見た。過呼吸のような息遣いで、収まるのを必死に耐えているその姿はとてつもなく淫靡だ。その原因を思えば怒りで腑が煮えくりかえりそうになる。だから、苦しそうな綱吉の唇を塞いで息を吹き込んでやった。少しの刺激で絶頂し続けるようで、ただの口づけも綱吉にとっては毒になるだろう。侵食していることに喜ぶ自分に反吐が出そうになる。その怒りとも付かない感情を抑え込むのが正解なのだろうが、意志とは関係なく口は動く。らしくもなく綱吉に当たり散らした。何を言っているのか自分でも分からなかったが、その言葉が刃となって綱吉を傷つけたのは確かだ。尻軽、気狂い、異常者、思いつく限りの罵詈雑言を吐いて、荒くなった息を整える。こんな子どもじみた八つ当たりをするなんて、本当にらしくない。
 ごめんなさい、と小さく呟く綱吉の声にやるせ無さを感じる。惨めに思う。
「お前なんか…嫌いだ」
何も知らずに、ただ自分の鬱憤を晴らそうとした。理由があったとしても受け入れ難いことではあるが、これまでに知った綱吉の過去が円滑に完結するようなものではないことはわかる。綱吉も家光を嫌っているふりをしているくらいなのだから、異常性は重々承知の上で、縋るしかなかったのかもしれない。後遺症という形で禍根を残していてもおかしくはない。その後遺症がどれほど異常なものであっても、救うことを決意したのなら、それを受け入れる覚悟を持たなければいけなかった。

 綱吉の横に倒れ込み、謝る代わりに震えの収まった体を抱きしめる。やはり力を入れれば粉々に砕けてしまいそうな薄さだ。
「嘘つき」
向き合うようにして抱き合った綱吉の顔は胸元に押し付けられていてどんな表情をしているのか分からない。胸元から響いてくる声は、あまり感情が篭っておらず、諦めているように感じた。
「何があっても、嫌いになったりしない、って言ったじゃない」
他者のために努力をし、自己を顧みない性格は元からで、綱吉を生きた環境を知るまではそれを人を惹きつける魅力の一部だと思っていたけれど、知った今となっては、全く逆に思う。人へ向ける愛情は惜しみないのに人から与えられる愛情ははなから期待していない。不完全で歪な自分に与えられる資格はない。価値もない。誰からの見返りも受けず、己の情をすり減らすだけの生き様で、そんな感情を抱えながらこれからを生きてゆけるのか。それならせめて。せめて少しでも救われるように、自分だけは見返りがなくともただひたすらに、彼を愛そう。
「…悪かった、嘘をついた。本当は好きだ。愛してる」
場所も、タイミングも何もかもが最悪だなと思いながら、驚いて上向いた綱吉の顔を引き寄せて唇を合わせる。唇を離して琥珀の目に拒絶の色がないことを確認して、再び唇を合わせた。今度は深く交じり合う口づけを交わす。舌先で翻弄するたびに跳ねる体を抱き止めて、想いが伝わるように腰の熱を細い太腿にすりつけた。
「…移動するから掴まってろ」
酸欠状態のせいか、驚きのせいか、呆然としている綱吉を抱えたままベッドから起き上がって自室に向かう。早朝のためか人気もなく、そして部屋を出て行った家光にも遭遇することなく、自室に辿り着いてベッドに倒れ込む。
「借りるぞ」
白いシーツに埋もれた綱吉の脚を傾けて脇で押さえ、合わさった太腿に己を差し込んだ。腰を動かし始めたところで状況を理解したのか、綱吉の顔が真っ赤に染まる。擦れる刺激に綱吉のそれも勃ち上がり、息遣いに色が混じり始めた。水の泡立つ音も相俟って興奮がピークに達する。正面に見える綱吉の顔は羞恥心と快楽で濡れており、それが余計に快感を濃いものにしていく。腰が疼くほどかつてない艶かしい光景だ。耐性はある方だと思っていたが、この分だとあっという間に限界を迎えそうだと思ったと同時に、綱吉の体が強張り、小さな悲鳴の後、白い腹に白濁が吐き出された。達した瞬間の顔を目に焼き付けて腰を動かし続けると、静止の声とともに動く体を止めようとする手が胸元に添えられた。力のないその手を押し返し、喘ぐ声ごと口を塞ぐ。鼻から抜けていく声も、絶頂の波に痙攣する体も、何もかもが愛おしく感じる。今までにないほどの幸福感に満たされ、白濁を上塗りするように白い腹に向かって精を放った。
 眠気に負けそうになりながらも、必死に堪えて口を開こうとする綱吉の頭を撫でる。
「応えなくていい、俺がお前を愛していることを知ってくれさえすればいいんだ」
閉じられていく瞼に押され、眼球に膜を張っていた涙が綱吉の頬を伝っていく。指の腹で掬い、穏やかな表情と寝息に安堵する。腕の中で無防備に眠る寝顔の一部が夜明けの光に照らされ、
腕の中だというのに白く光り輝いて、どこか別の世界のもののように見える。白い睫毛と柘榴のように赤い唇。どこまでも白い肌に鮮やかな赤が差していて神秘的だ。小さな息遣いや丸まった仕草が愛らしい。幻の姿であっても、これまでの姿であっても、自覚した途端にこんなにも違って見える。綺麗だ。可愛い。ずっとそばにいたい。見返りはなくてもいいが、期待していないわけではなくて、本当はこの愛への見返りも欲しい。いつか、同じほどじゃなくても、愛してくれたらとんでもなく嬉しい。そんな願いを込めて、前髪をかき上げた先の額に口付けた。口角が上がっているのがわかる。年甲斐もなくはしゃいでいるなと苦笑しつつも緊張と吐精によって急に押し寄せてきた疲労感に誘われ、眠りについた。

 夢と現実の境目が分からなくなっている。そう自覚していて、誰にも内緒で薬局に行きストレスを抑える薬を買い漁って飲んだ。それでもだめで、肉体だけでなく精神もだめだめだなと自己嫌悪に陥る。そんな毎日を送っていた。なんで。どうして。父さんが、あれだけ必死に自分を生かそうとして、歪だけれど愛してくれて、だから生きたのに。生きていたら、なんでまた同じ目に遭って、どうして抗えない。理不尽な世界だから仕方ない。けれど、理不尽な目に遭って抗えないのは、自分が数年前から全く成長していないから。何も変わっていないからだ。リボーンにも言われた。ずっと逃げ越しのまま、今回も何もできずに嫌な現実から目を背けて夢に逃げた。嫌な出来事は全て夢だったんだ。車で襲われたことも、現実じゃなくて夢。明智さんがそんなことするはずないもの。明智さんの車に乗っていたから、明智さんに見えたけど勘違いしていたし、車の内装も違った気がする。あの車は、あの黒い人は、いや、それもきっと夢だ。全部悪い夢だ。夢であれば全て丸く収まる。なんて、都合のいい。何かに依存するそんな寄生虫のような自分に嫌気が差す。これじゃあ、いくら足掻いたところで誰にも認められないだろう。欠けていることも、歪んでいることも知った上で受け入れてくれる、そんなヒーローみたいな人がいる訳も無いから。この世界で生き続ける意味はあるのだろうか。生きるのは疲れる。でもそれで生を止めたら、父さんのやってきたことが無駄になる。いやこの考えはエゴだよな。そんな堂々巡りの気色の悪い思考の螺旋に陥っては、錠剤を用量の倍口に含んで噛み砕き呑み込む。どうすればいいんだろう。いくら考えても答えが出ない。誰かに相談できない。相談したら、仕事や家族や繋がりを失う可能性がある。世界から排斥されてしまう。相談したくない。誰にも頼らず、知られず、迷惑をかけることなく自分で解決したい。リボーンのように強くありたい。なのにままならなくて、結局自分は夢に逃げて、何かに依存する。今回も父さんに救いを求めて、欠点のある醜い体を愛してもらった。ごめんなさい。もう、どうすればいいのか分からなかったから。言い訳してごめんなさい。生き汚くてごめんなさい。ごめんなさい。悲劇のヒロインぶって気持ち悪い。何のために生きてるんだろう。このまま生きていても誰かに迷惑をかけるばかりで、犠牲を強いるばかりで、早く誰も傷つけない死に方で死んじゃえばいいのに。彼もどうしてこんな自分に執着するのか。こんな貧相な体を貪ったところで何も面白くないだろうに、2度も襲うなんて。歌手だからだろうか。いや、だからこれは夢なんだ。頭が混乱する。父さんに依存している無様な姿をリボーンに見られたからだろうか。もしかして、これも夢か。そうだ、リボーンが、あのリボーンが自分を愛しているなんて、あり得ないもの。ヒーローみたいな彼が、あり得ない。
 目を開ける。目の前には目を覚ました自分を優しい眼差しで見つめるリボーンの顔があった。分からない。夢と現実の境目が分からなくなっている。夢があった。誰かに認められたい、そんなささやかで難しい願いが叶うことを夢見て、進んできた。叶えばそれでいいと思ったのに、幸せな夢を見て、苦しい夢を見て、苦しい現実を知って、幸せな現実を目の当たりにして、手を伸ばした瞬間に気付いた。願いが叶ったら、幸せな現実を受け入れたら、満ち満ちて、それでおしまいなんだ。進み続けたら、俺はお終いを迎える。俺の幸せは、俺の願いは、いつの間にか終わらなければいけないものになったんだ。
 認められたい。愛されたい。生きたくない。そんな想いを経た夢。
 それは幸せの中で終わりを迎えること。
 夢の中で生き続けるのだ。苦しみを味わうことも、逃げる罪悪感を感じることも、すべてその前に終わればなくなる。格好悪い終わり方で、ヒーローのような彼が絶対に持ちそうにない願いだ。それでも願ってしまった。夢が変わってしまった。仕方ない。いろいろなことがあって、臆病になって、もう独りではどうしようもないと分かっているのに諦めるふりをしながらも足掻く手を止められない。辛い辛いと泣き喚く無様を晒したくないと思うプライドがあるくせに、簡単に逃げようとする。そんな生き方しかできないから。どこまでも矛盾していて愚かな自分にぴったりの夢だ。
 何のために生きてきたんだろう。生まれてこなければよかったのに。俺の目の前にヒーローみたいな彼がいた。

 もうあまり猶予がない。
綱吉が学校に出ている間、家光を一発だけでも殴ろうと部屋を訪れると、そこに先客がいた。先客もとい、シャマルが部屋に乱入した自分を一瞥して、まぁ落ち着けよなんて抜かしながらコーヒー入りのマグカップをよこす。この様子だと、綱吉と家光の関係も、俺が綱吉をどう想っていて、どうして部屋に押しかけてきたのかも分かっていそうだ。一方で、家光はこちらを一瞥するだけで俯いたまま。隙だらけの状態で、いっそ殴ってくれと言っているようだった。それに乗るのはなんだか癪で、大人しくマグカップを受け取り、部屋に配置された1人用のソファに腰掛ける。ベッドにシャマルが、ベッド脇のサイドテーブルを挟む1人用ソファ2台にそれぞれ自分と家光が腰掛け、三角形を形作るように向かい合っていた。そんな中、シャマルが口にしたのが、冒頭の一言だった。誰のことをいっているのかは明白で、服用している薬の量が尋常じゃないだとか、本人も気づかない自傷が増えているだとか、ただでさえ少ない体重が減ってきているとか、原因を突き止めて屠る前に綱吉の方に限界が来る、とそんな恐ろしい話をしている。ずっとそばにいたのに知らない事実もあった。口に流し込んだコーヒーの味がしない。
「…どうすれば、いいんだろうな」
誰かが言った。
 救われても、呪われているかのようにまた傷つけられる。人は誰しもそうで、どのくらい可哀想とか、優劣がつくようなことでも必ず報われることでもないが、度が過ぎるんじゃないか。理不尽なわけでもない平和な環境に少し違った形で生まれたにもかかわらず、それでも諦めなかったから、その並々ならぬ努力は実を結んだ。それなのになぜ、愛を得られず、辱められた挙句、再度同じ辛苦を味わう羽目になるんだ。何も悪いことはしていないのに、地獄の底へ引き摺り込もうとする理不尽という呪いが綱吉を蝕む。何度でも救ってやりたいが、救うことで、救わなかった時よりも期待した分痛みが強くなるなら。綱吉にとってなにが救いになるのか。そしてこの考えを当事者として繰り返しているであろう綱吉を思う。綱吉は今、何を思っているのか。
「…どうすれば、…俺は、あいつのためなら何だって…」
しぼり出すような声が普段は快活な男の口から溢れ落ちた。結局、ひと口飲んだきり減らなかったカップをサイドテーブルに置いて、シャマルに目配せする。肩をすくめて、程々にしろよと残し部屋を出て行ったのを確認し家光の方に向き直る。
「セックスもあいつのためか?」
俯いていた顔が跳ね上がり、落ち窪んだ目がこちらを捉えた。
「…そうだ、あいつが少しでも楽になれるように、俺は…」
「てめぇが楽になるためだろ」
震えながら弁明しようと続ける声に被せる形で吐き捨てる。訳があることを知っていても、納得はできない。当人が、許されない行為を正当化しようとしているなら尚更だ。
「あいつを救って、あいつに愛されて、…お前は何度安心した?」
そう続けた言葉に家光は大きく目を見開いたかと思うと、大きな体躯を震わせながら子どものように泣き始めた。一発殴ったわけではないが、十分な痛手を負わせられたようで幾分か気が晴れたようだ。少しばかり心に余裕ができて、目の前の同じ人を愛する男に対し僅かな同情が生まれる。それでも譲ってやるつもりは毛頭ない。
「俺はあいつを愛してる。俺は俺のやり方で救う」

 人混みに酔いそうになる。舞台裾から見る光景は現実離れしていて、これからこの光景を前に綱吉が歌うのだと思うと胸が熱くなった。後ろを振り返ると、小道具に背を預け舞台が始まる時を待っている綱吉の姿があった。目を閉じて音に集中しているようだ。しばらくして、シンセサイザのビートが会場に響き渡り、客席からの歓声がその音をかき消すように大きくなっていく。
「行って来い」
目を開いて舞台に足を進める綱吉にそう声をかけた。その声に応えるように、綱吉が真顔から満面の笑みに表情を変える。そのまま舞台の光の中に溶けていくかと思えば、片足でくるりと反転して、行って来ます、と口を動かした。幸せだと全身から伝わってくる。抱きしめたい衝動に駆られながら綱吉を見送った。
 眼下は大勢の人間でひしめき合っている。涙を流している者。興奮で頬を赤くしている者。大勢の人間が一つの歌に感化されている。感情の込められたその歌に自分の胸も熱く、苦しくなる。 夢への切望。求めても得られない、そんな悲壮と絶望。言葉と音楽が聞く者全ての胸を穿つ。こんな歌を独りで作り出したのか。目頭に集まる熱に首を振ってやり過ごし、少し離れたところで滝のような涙を流しているヴァリアーの面々を見て枯れた声で笑った。歌で感情を表現すると言っても、これほどの共感性を持たせることができるのは綱吉の歌の技術と情熱、そして経験のなせる技だろう。気づけば頬を伝っている涙をボルサリーノの鍔で隠しスーツの袖で拭って、舞台上の綱吉を見る。バックライトを背後に、マイクへ叫ぶその姿を目に焼き付けて、自分だけは何があっても味方でいようと思った。歌に込められた想いが分かる。当事者ではないにしろ事情を知っている者として、歌詞と歌声と表情の意味を知っている。これで、綱吉の望みもわかれば全力で叶える助力をしたのに、肝心の望みは曖昧な言葉にはぐらかされている。それが綱吉なのだ。己の望みを述べるものの、その望みに対してどう動くかは自身で抱え込んで最後の最後まで言わない。以前は美味しいところだけもっていきやがってと、笑みを浮かべたものだが、今は笑えるどころかそれが酷く恐ろしいと思う。一歩間違えば破滅する局面に、立つのは自分だけだからと捨て身で挑んでいる。それで死んだら仕方がないなんて笑って済ませてしまいそうなそんな危うさがはっきりと見えるのだ。自分が囮にされるというのに笑った。穢された体でも愛してもらえる安堵に縋った。惰性で生きるだけの人形に仕立てた元凶が、自分とは反対側の舞台袖から熱を帯びた視線を向けている。自分の欲求が満たされればそれでいいと思っているのか。マネージャーとして綱吉に信頼を寄せられているくせに、メガネの下の切長な目に狂気を宿らせ、支配する時を待っているのか。気色が悪い。甘ったるいムスクの香りがここまで匂って来そうだ。今がその時なのだろう。銃口をそいつの頭に向ける。別の場所で待機しているヴァリアーが驚いて、それでも長年の経験か捕縛計画が台無しにならない様、自分を止めるべく動き出す様を横目で見て、引き金に人差し指を掛けた。残念ながら、この計画は犯人の死亡で幕を閉じる。早打ちで自分に敵うものなどいないのだから。

 黒髪の隙間にあるルビーのような瞳がこちらを見つめている。作曲の時もリハーサルの時も何度も歌っていた曲を終えて、これでフィナーレかと、興奮冷めやらぬ中、愛するあの子の姿を追えば、下げていたマイクを口に近づけていた。いつものように、またね、と言って舞台を後にするのだろうと見ていればバックコーナーから音が流れ始める。聞いたことのない旋律だった。そしてあの子が、舞台袖に視線を向けて、縦横と口を動かす。ばいばい、とそう言っている様だった。自分もその視線を追えば、いつも一緒にいる黒尽くめの特徴的なもみ上げを持つ男が見えた。その男は驚くことに銃を構えている。その視線はこちらを向いていない。狙う先はどこなのか、そんな疑問はあの子の歌声が聞こえ始めたことでかき消された。愛する人と共にいたい。忘れないでほしい。その人を守りたいだけだったんだ。邪魔をしたから殺してしまった。これは仕方がないことだった。そんな歌詞が耳に届き視線を戻した。黒髪の隙間にあるルビーのような瞳がこちらを見つめている。胸の奥から猛烈な勢いで怒りの感情が沸き起こる。こちらを見つめる紅い目が、自分を邪魔者として見ていた。どうして、こんなにも君を愛しているのに。今までどれだけ可愛がってやったと思っている。愛し尽くして、オマエだって悦んでいただろう。それだけじゃない、無能なアイツに代わることだってできるんだ。迎えにいくことだって、スケジュールを立てることだってできる。俺はアイツと違って有能だから。あらゆる面で優れているんだ。アイツはなんの努力もしなかったが俺は違う。見目をよくして、香水をつけて、オマエの隣に立っても遜色ない様に着飾った。そうして、やっと見てもらえると思ったら別の男を侍らせて、この尻軽め。それでも懐の広い俺はそいつらを排除しオマエを許して抱いてやったというのに。オマエはそれらを全て無碍にした。オマエのその傲慢な口を二度と開けなくしてやる。

 引き金を引いた。銃口から鉛玉が飛び出し、狙った獲物の頭蓋に向けて真っ直ぐ軌道を描いていくのがスローモーションで見える。何も知らない男の視線は綱吉に向けられたまま、その眉間に風穴が開くと言うところで弾丸の軌道は止まった。否、止められた。男の眼前に聳え立つ氷の壁が弾丸を堰き止めている。それと同時だった。
 何か硬いものが柔らかいものに刺さる、鈍い音がした。
「…ぇ」
視線をずらした先の光景に思わず疑問が口から出る。啜り泣く声や興奮に染まった息遣いで溢れていた会場が静まり返って、その中で自分の情けない声が鮮明に響き渡った。独りギターを鳴らしながら歌っていた綱吉が、刺された。背後にいたバンドメンバーのうちの一人が腰から光る刃を振り下ろし、綱吉の肩口に突きさしている。反動で地面に向かって沈んでいく体からナイフが引き抜かれ、鮮血が迸った。
 考えるよりも先に体が動く。地面に叩きつけられた体にまたがって再びナイフを刺そうとする男を舞台の下に蹴り飛ばし、綱吉の首元に開いた細い穴を掌で塞いだ。悲鳴と救急車のサイレンの音が鳴り響く中、なぜか自分の激しい鼓動が鮮明に聞こえる。誰か嘘だ、夢だと言ってほしい。こんな間違いをしたことは今までなかった。冷静じゃなかったとはいえ、こんな愚かな間違いをするはずがないんだ。小さな身体から手のひらをすり抜けて零れ落ちる鮮血と共に額に灯っていた炎が小さくなって、体から熱が、色が、奪われていく。髪の色も黒から白になって、唯一の紅がその白を染めていく。嫌だ、頼むから連れて行かないでくれ。

 気づけば赤いランプに照らされた薄暗い廊下の長椅子に腰掛けていた。眼前には自身の脚と組んだ手がある。記憶が抜け落ちているのか、どうしてここにいるのか、なぜ喉が大声を出した時の様に痛むのかわからない。顔を上げて周囲を確認すると、深刻な面持ちのヴァリアーと、自分と同じ様に俯き向かいの長椅子に腰掛けている家光の姿があった。段々と記憶が蘇ってくる。綱吉が後ろにいた男に刺された後、自分は男を蹴り飛ばした。そして綱吉の傷口を押さえ、そして。
 舞台下に落ちた男を銃で撃った。
男は今綱吉と同じ様に手術室で治療されている。恐らく助かるだろう。急所を撃たなかったから。できるだけ苦しむように急所に近い場所を撃った。十分に痛みを味わったら、急所を撃って失血死する様を見届けてやろうと思っていたのに、そうする前に担架で運ばれていってしまったのだ。会場に配置されていた警官は取るに足らないものだったが、ヴァリアー総出の取り押さえは流石にかわせず、足止めをくらっているうちに男は救出されてしまった。男が憎い。自分が憎い。綱吉に付き添い、綱吉が手術室に消えてから数時間、ただただ手術の成功を祈って待ち続けた。
 手術室の扉の上部に設置された点灯が赤から緑に切り替わり、重厚な扉が開かれる。移動式のベッドが数名の手によって押されており、そのベッドには呼吸器を着けた綱吉が横たわっていた。家光と共に椅子から立ち上がり、追随するように手術室から出てきたシャマルに視線を向ける。
「ツナは…」
駆け寄って肩を掴み、恐怖で質問もままならなかったが意図は伝わったはずだ。
「…後は本人の気力次第だ」

 世間が連日綱吉の銃撃事件を報道し綱吉の回復を願う民衆の声を拾っていく中、綱吉の容体は良くも悪くも停滞したままだった。病室の中で複数のコードに繋がれた綱吉は刻々と眠り続けている。心拍数を測る装置がモニタに波形を映し出すだけの変化しかない病室には自分とヴァリアー、執刀したシャマル、綱吉のマネージャー、家光の部下2名を除いて誰も来ない。家光と奈々、綱吉の活動や身体事情を知っているボンゴレ関係者には居場所を伝えたが、家光は絶望のあまり廃人に、奈々はここぞとばかりに記憶から存在を消してしまったようで、綱吉のことを知らないと言い、病室には来なかった。ボンゴレ関係者も曖昧な返事ばかりでこちらに出向く様子はなく、病室にむしろ守護者や同居人といった綱吉の事情を知らない者達が居場所を聞き回っているそうだ。ボンゴレ上層部は今後の収支のマイナスを懸念し、已む無く麻薬や武器の密売に手を出そうとしているとか。数日前からずっとこの病室で寝泊まりしているから直接見たわけではなく、ここを訪れる者から聞いた話だが笑うしかない。
 綱吉の体を濡れタオルで拭き、服を着替えさせ、関節が固まらないようにマッサージをする。たまに話しかけたりもするが、何をしても綱吉は反応しない。消灯時間が訪れるまで微動だにしない伏せられた瞼を眺める日々を送って、もう2週間が経った。綱吉を刺した男は意識を取り戻したというのに、綱吉は眠ったままだ。その頃には世間の事件の関心も無くなり、綱吉のマネージャーも別の人に付いて仕事があるからと病室に来なくなった。

 忘れられている。どういうわけか徐々に綱吉の存在が忘れさられていっている。そうマーモンが言った。綱吉に掛けられていた認識阻害の術式が、綱吉の存在がすべての人の認識から外される、ように変質してしまっているそうだ。示し合わせたように、家光の穴埋めで忙しくなっても様子を見に来ていたオレガノとターメリックが来なくなった。ヴァリアーもマーモンを除いて全員綱吉を忘れてしまったそうだ。守護者達も綱吉の名前を口にする者はもういない。術式を認知していて、かつ耐性があれば忘れないのだろうと推測を立てているマーモンに、なんとなくあと数日もすればこいつも忘れるのだろうなと覚束ない頭で思った。なぜだか分からないが、綱吉がそうした気がする。そして、忘れられていけばいくほど、綱吉は色を取り戻していった。栗色とまではいかないが、クリーム色の髪へ。肌は青白いままだが、瞼の奥の瞳は琥珀色へ戻っているだろうか。
 病室を見回る看護師も綱吉のいる部屋だけ素通りしていく。認識から外される、というのは忘れるということではないことが分かった。そして綱吉を認識している人間が自分とシャマルだけになった日。その日は満月で、消灯した病室でも窓から差し込む月明かりで十分視野が確保できるくらいの雲一つない夜に、ふと綱吉の顔を見れば瞼が微かに震えていた。
「ツナっ」
混濁していた意識が瞬く間に覚醒し、慌ててベッド脇に駆け寄り綱吉に呼びかける。綱吉はこちらの声が聞こえているのか、ゆっくりと琥珀色の瞳をこちらへ向けた。こちらの姿を視認すると目が細められ、嬉しそうにするものだから顔が歪んでしまうのを堪え、こちらもそれに応えて笑う。堰き止められていた想いが多すぎて何を言えばいいか迷っていると、綱吉の口が動いた。刺し傷は塞がっているものの致命的な傷を負った喉は機能を失い、空気の漏れる音だけが部屋に響く。幸せそうに歌っていた姿を思い浮かべて、あまりの虚しさに唇を噛み締めながら、唇の動きを読んだ。

『助けてくれてありがとう』
首を振る。ちっとも助けられていない。
『俺のヒーローになってくれてありがとう』
ヒーローなんかじゃない。空回りばかりで救えなかった。お前は全てを奪われてしまった。
『愛してくれて、ありがとう』
自分でも驚くくらい愛してる。

 頷くと、綱吉が嬉しそうに、けれど困ったように眉を垂れて笑った。確かめるように唇を合わせる。差し込んだ舌に、綱吉のそれが触れ、送り込んだ唾液を取り込んでいく。糸を垂らしながら唇を離せば、こちらを真っ直ぐに見つめる綱吉の顔があった。
『愛して』
その言葉に頷いて、綱吉に覆いかぶさり、再び深く口付ける。荒々しくも、苦しくないようにゆっくりと唇を喰み、口内を舌先で弄った。それと同時に、患者服の帯を緩め、肌けさせた胸元の飾りを指先で引っ掻く。徐々に硬度を増していくそれを追い討ちをかけるように摘み押しつぶし、太ももの間に膝を入れて付け根を刺激すると綱吉の体が大きくのけ反って痙攣した。唇を離して綱吉の顔を見る。血が通い、桃色に染まった頬に熱に浮かされ潤んだ瞳とどちらのともしれない唾液で濡れた艶やかな唇。目眩がしそうなほど興奮する。綱吉の太ももを肩に乗せ、己の逸物で張りつめたズボンの前を開き、先走りで濡れたそれを綱吉の秘部に擦り当てた。そうして付いた己の体液を塗り込むように綱吉の秘部を慎重に指で解していく。声はないが口から溢れる空気の音と蕩けそうな顔で、綱吉が感じているのがわかる。これだけでも達してしまいそうになるのを耐えて、解れた蕾にゆっくりと己を挿入していった。吸い付くように迫る肉壁と襞に息を呑む。吐精感をなんとかやり過ごし、根元まで挿れたところで探りつつ徐々に引き戻していくと、1箇所だけ感触の異なる部分があった。他よりも膨らんでおり、固くなっているしこりのようなところ。陰茎の裏側にあたるそこを亀頭で擦れば綱吉の体が痙攣し、陰茎の先から僅かな精液が溢れ落ちた。今度は己の側面で擦りながら届く限界の壁を穿つ。痙攣と共に激しく収縮する壁に自身の限界が近いことを知り、綱吉の体を抱き締めた。それに応えるように綱吉の腕が力なく背中に回り、日向の香る中、欲を綱吉の中へと注ぎ込む。幸せそうな綱吉に、不覚にも再熱し、あっという間に硬度を取り戻したそれを再び動かした。
 視界が点滅している。気持ちいい。なんて幸せなのだろう。深く考える必要はない。誰も覚えていなくても、自分だけは覚えている。ずっとそばにいて、死が2人を分つこともなく、死んだ後だって片時も離れるつもりはない。楽しいこと、愛し合うこと、幸せなこと。まだまだ教えることがある。家庭教師として恋人として2人だけで生きるんだ。これから先ずっと。
「愛してる」
愛を囁きながら二度目の欲を放った。
『俺も愛してます。だからごめんなさい。貴方だけは忘れないで』
この言葉の意味を理解したくなくて、綱抱きしめる腕に力を込める。もう息も聞こえない。心臓の音も聞こえない。

 静寂に包まれた病室に電子音が途切れることなく鳴り響いた。医者として役割を終えたシャマルは来ない。シャマルがいなければ、綱吉が目覚めることはなかった。綱吉は望む最期を迎えられたのだ。

 記憶の中の綱吉が歌っている。想いをのせて歌っている。
愛する人と共にいたい。忘れないでほしい。その人を守りたいだけだったんだ。邪魔をしたから殺してしまった。これは仕方がないことだった。
苦痛と恐怖で歪んだ顔の男を見る。その体はダース分の弾丸を打ち込まれて穴だらけだ。
一般人を殺したのに、いつまで経っても復讐者は現れない。バミューダに交渉したか、何らかの方法で手を回したのだろう。
俺がこうすることも分かっていてこうして免罪符まで用意している教え子を想って笑う。
こんな最高の生徒ーー
「忘れねぇよ」
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