Hurts


 次に到着したのは、一面をガラスで覆われた高層ビルが立ち並ぶ都心の一角。人通りの疎な裏路地を横手に車を降りて、裏路地に足を踏み入れると、綱吉が顔を隠すように上着のフードを深く被った。裏路地にあるビルの入り口を開け、その中に入り、フードを取る。すると、栗色の髪は漆黒に、ダークブラウンの瞳は幻術を解いた時の紅色に変わっていた。その姿に目を見張る。全身が素の状態、病的な白い肌、紅い唇と目は、黒髪のせいか色が素より際立っている。傷跡は幻術で隠しているのか、首元に赤黒い痣はなく、一緒に眠った時よりも人間味のない容貌となっていた。顔の造形は同じだというのに、まるで別人だ。配色が変わっただけでこんなにも印象が変わるものなのかと、じっくり観察していると、当の本人が俯いてしまった。
「見惚れてただけだ、気にするな。」
自分の容姿に自信がないのは分かったが、綺麗なのに勿体ないと思う。どうにか自信をつけて貰いたいと言った言葉に、綱吉の肩が小さくはねて、耳から首元が全くまに白から淡い赤へ変わっていった。
「…っ、お前のそう言うとこ…嫌い。」
細長い廊下の突き当たりにあるエレベーターに一緒に乗り込んで、綱吉が押したボタンの階数を、壁の表札で確認する。各フロア、有名なレコード会社の名前が印字されており、副題として、受付窓口、事務所等がある中で、その階数にはレコーディングスタジオと表記されていた。
「お前の言ってた仕事って、音楽活動か何かか?」
「…そうだよ。歌を歌って、お金をもらってる。」
登っていくエレベーターの中で遠慮がちに言う綱吉に、もっと誇ればいいのにと思う。その歳で稼いでいる日本人は少ないだろうし、ましてや、歌手として稼げるのはその中でもほんの一握りだ。誇れることなのに隠しているのは、周りに、今まで綱吉を褒める人間がいなかったからだ。そして、稼いだ金をボンゴレへ寄与しているからでもある。9代目が綱吉の障害や拉致のことを黙っていたのはなぜか、家光が、奈々が、綱吉の拉致になぜもっと早く気づかなかったのか。ボンゴレが隠すようならいくら調べても無駄だろうとシャマルに色々なことを問い詰めた。9代目は、綱吉を健常な人間と同等に見ているのだという。身内とは言え他人の過去の辛酸を口にするべきではないとも。彼らしいとは思ったけれど、健常な人間と同等に見ることは、綱吉が健常な人間と同等にできない部分に目を瞑ると言うことだ。綱吉が健常であろうと必死に試みて、それでもできない苦痛に目を瞑ると言うこと。慈愛に溢れ無慈悲な彼を今ばかりは腹立たしいと思う。その心中を察してか、言うつもりがなかったのだろう、苦渋の顔で、歳14のガキに支えて貰ってんのが気にくわねぇってのもあるんだろうな、と言っていた。その時は意味が分からなかったが、なるほど、こういうことかと納得する。最大勢力のマフィアとはいえ、財産は底なしではないし、何もしなくとも金が入ってくるわけでもない。悪に染まらず、企業、地頭、不動産経営、株取引といった真っ当な経営でボンゴレマフィアは成り立っている。その景気はドンの手腕に寄るものが大きいが、9代目は歴代ドンの中でも不向きな方だった。穏健といえば聞こえはいいが、経営に大胆さがなく、機会があっても慎重な運びのまま掴もうとしない。収益は家光の業績次第で僅かに右肩上がりになることもあるが、横線一方だ。増員に次ぐ増員、経年劣化等の修繕、何処かの暗殺部隊や牛柄の子供が手榴弾を乱用するせいで、人件費や管理費は斜め上なのだから、明瞭な赤字である。にもかかわらず、ボンゴレが絶大な影響力を維持したまま存続できているのは、偏に綱吉の収入があるから。そして、家康は、慈悲と理想だけではどうにもできないこともあるという現実に目を背けた、と考えれば辻褄が合う。しかし、ボンゴレを支えられるほどの収入とは、あまり音楽には詳しくないが相当売れているのだろうか。
「芸名は?」
「…IN」
後で調べようと聞いてみれば、聞き覚えのある名前が返ってきた。確か、ビアンキがテレビを見て言っていたバンドの名前だ。その時流れていた音楽は、綱吉と一緒に入ったレトルト専門店で、綱吉を迎えに行ったリムジンの中で聞いている。その時の綱吉の顔を思い出して思わず笑ってしまった。いつも通りで本当に隠し事が上手い、と。楽しそうにしている自分を訝しげに見上げる綱吉の頭を乱暴に撫でる。
「音楽に興味ないんでしょ。」
「いや、興味が出てきたところだ。」
綱吉の透き通るような紅い瞳に映るのは、ニヒルに笑う顔ではなく、己の知らない顔だった。まるで、愛しいものを見ているようなそんな表情に、心の奥に何が芽生えたのかがはっきりと分かってしまう。瞠目してすぐ、俯いてしまった綱吉は知らないだろう。綱吉が自分に向けている感情と自分が綱吉に向けている感情の熱量の差に落胆して、眉根を寄せていることを。透明な瞳に宿っていた憧憬を素直に受け止められない。きっと、今この瞬間に気持ちを伝えたところで、同情されたと苦しめるだけだ。その感情も確かにあるのだから。けれど、おそらく自分はもっとずっと前から、傷つくことを恐れている癖に、無意識に他人の犠牲になる綱吉を想っていた。その犠牲で助かったから、恩を感じているわけではなくて、必死に生きている姿が、本当に傷ついた時に何事もなかったかのように隠してしまう歪なまでの強さが、愛おしく、美しいと思えたのだ。恋愛事に精通しているものの、己が相手に対して強い感情を持ったことはなく、どうすればいいのか考えていることが新鮮でならない。そんな自分に苦笑しつつ、停止したエレベーターを降りて、エレベーターホールを挟んだ廊下の一方を進んだ先、曇りガラスの両開きの扉の前で綱吉が立ち止まる。扉付近の壁に四角いオブジェクトがあり、そこにカードと手のイラスト、そして『touch』の文字が描かれている。どうやらカード認証式の扉らしい。
「厳重だな。」
懐から紐付きの透明なカードケースに封入されたカードを取り出し、カードリーダーに当てると、軽快な電子音、豆粒大のランプと共に扉の中で何かが回る音がして、鍵が外れた。ドアが開かれた先に、細い廊下があって、その廊下の左側には2つの扉が、右側には長椅子が2つ並べられている。そのうちの一つに、中肉中背の男が座っていた。窓のない廊下には、ムスクの甘ったるい香りが漂っていて、なぜだか不快に感じる。
「お疲れ様です。それと、そちらは」
男は、まるメガネの下の切長な目を一層細めて、こちらへ視線を向けた。
「こいつの保護者のリボーンだ。」

 録音室の中、雑音除去フィルタに向けて声を発している綱吉をガラス越しに見つめる。レコーディングエンジニア、機材管理、他スタッフが10名、そして、己とマネージャー併せて12名が集う部屋は、少々手狭だが、揃っている機材や設備、広さを見る限り、コントロールルームの規模としては大きい方だろう。コンソール奥のガラス窓にはスタジオエリアと綱吉の姿が映っているが、綱吉一人だけだからか、随分広く見える。小さな体が奏でる心地よい高音と低音、それがより一層綱吉の存在を引き立たせていた。ロック、バラード、系統の異なる歌を歌う綱吉の姿は、歌手そのもので、いつもの便りない平凡な中学生はどこにもない。歌声が、胸を打つ。心臓が早鐘のように脈打ち、今にも弾けてしまいそうで、行き場のない熱が鼻先に集っていた。手に力が篭る中、聞き覚えのある音楽が聞こえてくる。テレビで、街中で聞いた曲。聞いた当時は、何も思わなかったが、覚えていたのは無意識下で印象に残っていたためだろう。その曲を、綱吉はピアノを弾き語りながら、次にアコースティックギターを弾きながら歌っていく。慣れた手つきで、手元も見ずに、地面を見つめながら歌っていく様子は、憂うようであり、引き寄せて腕の中に囲ってしまいたくなる。その姿に堪らず下唇を噛み締めていると、ふと、視線の端にスタジオエリアの照明を受けて爛々と光る眼が映り込んだ。綱吉のマネージャーというその男は、うっとりと聞き入っているスタッフの中で、恍惚とも呼べる表情を浮かべて、綱吉を見ていた。その気持ちが分かってしまうくらい、綱吉の歌は素晴らしいものだった。特に取り直すこともなく、全ての歌を歌い終え、スタッフもミスがないことが通常であるかのようにスタジオの片付けに入る。
 ギグバッグを抱えてスタジオの外に出た綱吉に合流し、次は、専属契約している広告の写真撮影ということで、出待ちという集団を袖にして、近隣のドームに徒歩で向かった。スケジュールの確認をしながら確かな足取りで進んでいくマネージャーの少し後ろに、顔を隠すように日傘を刺して歩く綱吉と自分。日傘は黒く、その下のパーカーも黒い。自分も黒一色だから、お通夜に向かう或いは終えて帰る途中の2人組と思われそうだ。目立つ外見をしていることは自負しているため、視線が集まることは予想していたが、その視線を向けた通行人のうち幾人かギグバッグに気づき、首を曲げて日傘の中を覗こうとしている。近くにレコード会社の社名が彫られたビルがあって、そちら側からやってきたとなれば、傘の下に隠された顔も見たくなることだろう。間に入って隠すのも良いが、芸能人であることを肯定するようなものだ。さてどうしたものかと、見られていることに気づかずに、地面に面を向けて歩いている綱吉を見遣る。己の肩の下に位置する顔がどんな表情をしているか、気になって少し気になって首を横に向けると、足元を食い入るように見つめる目があった。その目元には影が浮かんでいて、諦めや疲れの入り混じった横顔だった。その顔もこちらの視線に気づくまでの一瞬で、次の瞬間にはいつも通りの無垢な表情になっていた。あぁ、視線には気づいているのだな、と思った。好奇心の目。奇異の目。そういう目線に晒されることが多い人間は、己の外見と振る舞いを酷く気にする。綱吉は、生まれた時から晒されてきた。死に物狂いで、自分で正しいと思っていた歩き方を他人に正しいと思われる歩き方に矯正して、人目に晒されないよう努力してきたのだろう。憧憬の目を向けられていることに気づかないくらいに、己を殺すことになれている。だから、誰も、綱吉の苦痛に気づけなかった。その生き方を変えてやりたいと思うものの、それが果たして綱吉の為になるのかわからなかった。自分にとってその生き方は不自由で可哀想でならないけれど、綱吉にとっては安寧を齎す生き方かもしれない。生まれ方が、生き方が違うから理解できないのは当たり前のことかもしれないが、ここまで分からない人間は初めてだった。

 衣装合わせも兼ねて、待合室でメイクスタッフに囲まれ、着せ替え人形と化している綱吉を傍目に、部屋の端の長椅子に座っていると、紙コップを両手にマネージャーがやってきた。
「どうぞ、コーヒーです。綱吉君から好みを聞いて、買ってきました。」
差し出されたエスプレッソの香る紙コップを受け取り、早速傾ける。暖かい液体が喉を滑り落ちたあと、口に広がる苦味と鼻先に広がる芳香に目を細めた。男も隣に腰掛けて、自分用に買ったのか手に持ったコップを傾けて啜り始めた。香りからして、カモミールティー、飲み口の乳白色の水滴を見る限り、ラテのようだ。
「…綱吉君は、普段、あなたとどんなことをお話しするんですか?」
コーヒーブレイクに気心の知れない他人が割り込むのは好かない。殺伐とした雰囲気を纏う自分を諸共せず、甘ったるい息を吐きながら、男は口を開いた。その質問に答えず、目前の様々な衣装で飾られている綱吉を眺める。今はちょうど、淡い色相の服を着せられていて、袖口から覗く白い肌と相まって今にも空気に溶け出してしまいそうだ。黒と紅が存在を繋ぎ止めているが、素の状態であれば、とっくにその腕を引っ掴んで、胸元に引き寄せていただろう。神秘的で、儚いその姿に、周囲の人間もうっとりと息を吐いている。彼らは知らないだろうが、栗色と蜂蜜色の瞳にもきっと似合う。透明で、柔らかな笑顔を向ける綱吉が、その服を着ている様を脳裏に浮かべていると、取り付く島がないと判断したのか、男は椅子から立ち上がり、飲み終わったカップを持って、部屋の外へ消えていった。
 白一色のスクリーンが天井から垂れ下がり、床一面に裾を広げている。その上には数人の男女が立ち並び、照明器具の奥に立つ少年を眺めていた。あるものは、スクリーンに同化してしまいそうな少年の肢体をレンズに収め、あるものは、己の施したメイクと衣装の出来栄えを確認し、あるものは、少年が蠱惑的な姿勢を取る度に、見惚れ、感嘆の息を漏らす。
 収録の次は写真撮影ということで、このスタジオにやってきたわけだが、どうにも気にくわない。初めのうちは、綱吉が普段見せない表情や仕草をカメラに向ける度に心臓が飛び跳ねていたが、それが自分以外の誰かの目に写っていることがどうにも気に食わなかった。我ながらとんでもない独占欲が埋もれていたものだと呆れる。
 今回もミス一つ無く予定の半分の撮影を終えて、休憩に突入した綱吉はといえば、照明の熱で流れてしまった化粧直しと、衣装交換、マネージャーから手渡された水で口を潤しながら、とれたばかりの写真が映るパソコンの画面を眺めて、ブレや色合い、構図について、カメラマンと話し合っていた。ホリックワーカと言わんばかりの働きぶりに、周りは驚く様子もない。これが、仕事場での綱吉の当たり前なのだろう。そうして短い休憩タイムも終わり、これから後半戦というところで、スタッフのうちの1人が、険しい顔でカメラマンに話しかけた。後半の撮影は1人、モデルが来ることになっていて、2人1組での撮影を予定していたが、交通トラブルにより急遽来れなくなってしまったと連絡が来たそうだ。綱吉の予定に空きはなく、日を改めるわけにもいかない。この写真撮影は、近日発売予定の香水の宣伝広告用の写真ということだった。商品のキャッチフレーズは、その香りを知ったら戻れない禁断の香り、という、鼻で嗤ってしまいそうなものだったが、それを写真で表現するというのだから全く嗤えない。コンセプトかなんだか知らないが、どこぞのモデルと綱吉が密着する想像をして、このまま撮影が頓挫してしまえばいいと悶々としていると、ふと目の前に影が差した。自分が腰掛けているのはスタジオの後方のベンチで、光もあまり届かず薄暗い。人が前を遮ぎれば暗闇の一歩手前だ。遮っている当人の顔は暗いが、スタッフに話しかけられていたカメラマンだということが分かった。そして、その男が足元にひざまずき、額を地面に擦り付けながら、モデルの穴埋めをしてくれないか、という。自分の顔が整っていることを、生まれて初めて神に感謝した。そもそも、神に感謝したことすら初めてだ。ヒットマンであるが故の、メディア露出のデメリットを無視し、嬉々として、綱吉の隣に収まる。
「俺が一緒にいて正解だったろ」
 突然の参入に目を丸くしている綱吉の腰を引き寄せ、顔を黒髪に埋めれば、周囲から黄色い声が上がった。綱吉の部屋と同じ日向の香りがする。そのことに胸を撫で下ろしながら、被っていたボルサリーノを綿毛のように柔らかな毛髪の上に乗せた。小さな頭をすっぽりと覆い隠され、鍔の下から覗く呆れの混じった瞳に、悪戯心が沸き起こる。さて、どんな姿勢を取ろうかと、メイクスタッフの奔走する数々の手の下で、頭を悩ませた。触れたいのは山々なのだが、際どい姿を世間に広めたくはない。それならば、隠せばいい。セッティングから解放されて早速、今にも砕けて霧散しそうな肢体を、舞台上の革張りのソファに押し倒し、己の体で覆い隠す形で、馬乗りになった。影の中で輝く朱色の瞳が開かれ、動揺に揺れる。それが、己によって引き起こされたものであることに満足したのも束の間、細い腕を首に巻かれ、息のかかるほど間近まで顔を引き寄せられた。その息は熱く、熱に浮かされたように潤んだ瞳がこちらを見つめている。目が眩むような情欲に耐えきれず、唇に噛みつこうとすれば、それを止めるようにして、紅に彩られた爪を持つ人差し指が押し当てられた。それと同時に、無音だった世界にシャッター音や、興奮の入り混じったため息の音、現実の音が蘇る。数秒、理性を失っていた。まさかの事態に心臓が早鐘を打って、顔に血が昇る。そんな状態を見透かすように、綱吉が、作り物めいた笑みを浮かべていた。
 綱吉と並んで、先刻撮り終えたばかりの写真を確認する。どの写真もスタッフ数人が顔を赤らめるくらいに、淫靡なものであったが、綱吉の横顔は真剣そのものだった。写真を写すモニタに目線を走らせている。その目元と頬は赤いがスポットライトの熱に当てられたものだ。色素が薄く、日焼け止めでカバーしていなければもっと赤くなっていたことだろう。
手近にあったペットボトルを頬にあててやる。
「…ありがとう」
綱吉は画面に集中していた視線をこちらに向けて、目を細めた。あてられたペットボトルの冷たさを心地よさそうに感受している。水分補給もさせてやりたいが、誰のともしれない飲みかけのペットボトルを飲ませたくない。
「喉、渇いたでしょう」
その困っている絶妙なタイミングでマネージャが紙コップ片手にやってくる。透明な液体から水と推測されるそれを受け取った綱吉は、手渡された紙コップに視線を落とし、ちらりとマネージャーに視線を向けた後、飲み口を傾けた。

 何時間経っただろうか、窓の外は日が沈み、紺一色となっている。綱吉はマネージャーと明日以降の予定について打ち合わせをするそうで、部外秘だからとマネージャーに締め出された。仕事の邪魔になりたくはないと、大人しく言うことをきいて、息抜きにスタジオの外に出ると、夜の冷たい風が頬を掠めていった。景色に何かを思うことなんて今までなかったが、灯りのコントラストが星空のようで美しいと感じる。街を行き交う人々の足音、談笑、車両の道路を走る音、信号機の歩道優先を知らせる音。早鐘を打つ己の心臓の音が、その中でも一際大きい。耳が拾う音の全てがやけに鮮明で、ビルの側面に背中を預けながら、初めての体験に戸惑いつつも、自分の変化に苦笑を零した。想いを自覚してからが、本当に早い。恋は盲目というけれど、撮影のあの時間、まさにそれを体現した。我を忘れたあの瞬間を思い出して、思わず緩んだ口元を手のひらで覆い隠す。あの時の綱吉の顔は反則だった。こちらを真っ直ぐ見つめる瞳は蠱惑的で、半開きになった唇は、齧り付けと言わんばかりに紅く熟れていた。あどけない表情に油断していたところに、気が狂いそうになるくらいの色香を当てられて、人並み以上を自負していた頑強な理性が一瞬の内に霧散してしまったのだ。あの場に誰もいなければ、襲っていたと思う。こんな状態で、今夜、綱吉の隣で眠れるだろうか。

 「車を出すのでここで待っていてもらえますか?」
少ししてマネージャーと共に綱吉が部屋から出てきて、そのまま3人並んでスタジオのあるビルから、表の通りへ足を踏み出したところで、マネージャーは通りの更に向こう側、車道を挟んだ先にある駐車場へ目を向けて言った。帰りは、この男が屋敷近くまで送ってくれるらしい。綱吉に何と声を掛ければいいのからしくもなく、悩んでいると、ふと、綱吉の顔が少し赤いことに気がついた。スタジオに入る時同様、風土をしていて、顔が隠れているからわかりづらいが、鼻先や頬が赤い。視線を下にずらして、裾から覗く手を見ると、これもまた赤かった。
「具合が悪いのか?」
不安になり、正面から綱吉の顔を覗き込む。綱吉の反応は薄く、少しして言葉を理解したのか、ゆっくりと首を振るも、その視線は足元に向けられていた。頬に影を落とすまつ毛は、閉じてしまいそうな瞼を押しとどめるかのように小刻みに揺れている。そしてやはり、頬や鼻先、正面から見てわかったが、首元まで白かった肌が赤くなっていた。なのに、唇が死人のように青ざめている。焦燥に駆られて、体を抱き上げ、額に己のそれを合わせれば、驚くほど熱かった。顔にかかる息も熱く、腕に抱えた腰や太腿からは震えが伝わってきた。
「…戻ったらシャマルに見てもらおうな。」
マネージャーの癖に、体調不良に気づかなかったのかという苛立ちと共に、こんなことなら、仕事の邪魔なんて考えずに自分も打合せに付き添うべきだったと後悔の念が浮かんだ。赤子をあやす様に小さな背を手で摩り、もう片方の手で、綱吉の頭を己の肩に誘導する。そうして、苦しげではあるが、寝息を立て始めた綱吉にほっと息を吐いて、目の前に停留したマネージャーの車へ乗り込んだ。

 熱さで意識が朦朧とする。あの紙コップの水にはいっていた薬のせいだ。心臓の音がうるさく耳に響いて、こちらへ話し掛ける声も掻き消される。生理的に溢れ出る涙で霞んだ視界で、打ち合わせの内容を書き留めるために開いた携帯の手帳アプリの字が躍っていた。苦しい。その苦しさを助長させるような甘ったるい香りが鼻を付き、思わず顔を顰めてしまう。いけない。背後で腰を揺り動かす男に今の顔を見られでもしたら、文字通り痛い目をみる。いつも通り快楽に縋るように目を瞑ると、薬のためか、息が止まってしまいそうなほどの快感に襲われた。途端に恐ろしくなり、助けを求めるように手が空を掻く。何の意味もないその行動が男の嗜虐心を擽ったのか、体の中の逸物がひと回り大きくなった。その先端で、しこりを押しつぶすように突かれれば、掠れた吐息を零して、テーブルの上に崩れ落ちるしかなかった。断続的だった絶頂がとうとう止まらなくなってしまった。自分が今どんな無様な声を晒しているかも分からず、気をやってしまう一歩手前という状態で、恐怖が最高潮に達する。
 嘘つき。嘘つき。嘘つき。嘘つき。ずっと一緒にいるって言ったくせに。嘘つき。期待するんじゃなかった。大嫌い。
体液に濡れた携帯のように、穢れきった体に黒い感情、どこまでも汚ない。それなのに、まだ生きている。なんで、生きているんだろう。

 抱き抱えられている綱吉を見て、ようやく綱吉の具合が悪いことに気がついたようだ。マネージャーは驚いたような顔をして、呼び出しがかかって打ち合わせの席を外すまでは、普段通りだったのですけどねぇ、と言って、慌てて救急病院をカーナビの案内先に登録しようとしている。身内に医者がいるからさっさと車を出せと、殺気混じりで命令すると、マネージャーは情けない悲鳴をあげて、アクセルを踏んだ。家の付近に到着し、終始険悪な空気から解放されて、安堵の顔を見せたマネージャーは、綱吉の体調が酷く、連絡を取るのが難しいようであればと、電話番号の書かれた名刺を差し出して、来た道を戻っていった。綱吉を抱えたまま、ボンゴレから支給された端末を懐からだして、その番号を登録する。登録を終えると当時に、一台の車がクラクションを鳴らしながら現れた。その運転席に馴染みの髭面が座っていることを確認し、後部座席に乗り込む。髭面の男、もといシャマルはミラー越しにこちらを一瞥すると、何も言わず、ボンゴレの屋敷へ向けて車を走らせた。いつもなら、突然呼び出されたことへの不平不満をこぼしていそうだが、屋敷の正門を通り、玄関先に着くまで、一才口を開くことはなかった。

 「盛られたな。」
情事の痕跡が残る綱吉の身体をベッドに寝かせ、シャマルは怪我がないか触診を。自分は、臀部についている液体を濡れタオルで拭う。意識が朦朧としているとは言え、片足一般人の綱吉を殺し屋の殺気に晒すわけにはいかないと、溢れ出しそうな殺意を何とか抑え込んでいるが、その液体と痛々しく腫れ上がった肌を見るたびに、額の血管が破裂していく。傍にいたのに、なんて体たらくだ。己自身も憎い。
「誰の仕業かわかってる。こいつが落ち着いたら、ぶち殺しに行く。」
「どいつだ?」
自分の殺気に当てられて、青褪めているが、一応は殺し屋の端くれということか。物怖じすることなく、シャマルが尋ねた。
「綱吉のマネージャーだ。仕事の打ち合わせだからって、2人にしたのが間違いだった。」
それを聞いて、シャマルは驚いたようだ。動かしていた手を一瞬止めて、確かか、と尋ねてくるので、首を縦に動かした。
「…家光から聞く限りじゃ、こんなことをやるようなやつじゃないんだがな。」
「聞いただけだと、わからねぇだろ。」
「まぁ、そうかもな。だが、糞野郎とは言え、一般人を証拠もなしに始末するわけにもいかんだろ。」

 シャマルの診察が終わり、綱吉の具合は未だ改善しないが問題ないとのことで、自室に連れていくなり備え付けの風呂に一緒に入って、お湯で体の表面を洗い流す。ボディソープを泡立てて、全身に手のひらを滑らせていると、意識が浮上したのか、己の胸元に寄りかかる形で収まっている綱吉の瞼が開いて、僅かに身を捩った。綱吉は、頭上の自分、周りの景色の順に視線を巡らせると、そんな綱吉から目を離せず、固まっている自分の手を取り、秘部に誘った。風呂が終わったら、風邪をひかないように急いでタオルで拭いて軟膏を塗ろうと計画していた考えは一瞬で消えて無くなる。
自分の中にある情欲を見透かしたような目をして、綱吉の口の形が、し、て、と縦横に動いた。
瞬時に腰の中心に熱が集まるのを感じ、果実のように鮮やかに熟れた紅い唇に喰らいつく。余裕は一切なく、荒荒しく唇を喰み、口内を舌先で弄った。目の前が眩んで、全身が幸福感で満たされる。腕の中の痙攣を感じ、糸を垂らしながら口を離せば、蕩けた顔と、その下の蜜口から液体を垂らしている光景が広がっていた。あまりに淫で暴力的なそれに、背筋を悪寒が走る。我を忘れて、己の欲をぶち込みたくなるが、なけなしの理性がそれを押し留めていた。犯されたばかりの身体を酷使していいものか、こんな形で交わっていいものか。自分が想うだけの、教師と生徒という関係で一線を越えていいのか。でも、綱吉を汚した痕跡を上書きしたい。綱吉と交わりたい。これがきっかけで、この関係を脱却出来れば。
「…いれ、て…」
様々な思いを一掃するように、綱吉の口から無情な言葉が吐き出された。

 シャワーを頭からかぶり、双方ずぶ濡れのまま綱吉を抱えて浴室を出る。そのまま部屋の真ん中にあるベッドに、綱吉を下にした状態で雪崩れ込み、綱吉の秘部に己をあてがう。先走りで濡れた己は意図も容易く、秘部に呑まれていった。
「…っ…」
熱を持った脈打つ肉壁に包まれ、強い吐精感に襲われるも、息を整えながらやり過ごし、ゆっくりと押し進めていく。まとわりつく襞に汗を流しながら、腰が綱吉の臀部と合わさったところで、肌の弾く乾いた音とともに綱吉の身体が弓形に仰け反った。綱吉の喉元から過呼吸になる寸前のような息が詰まった音が聞こえたが、それを気にする余裕は当然なく、視界が点滅するほどの強烈な快感に、綱吉の中で果ててしまった。嘘だろ、と驚きながらも、己の体液で上書きした満足感と痙攣し続ける肉壁に、意識が薄れてゆく。微睡みに瞼が降りる前に見た綱吉の瞳は、体に反し、冷え切っているようだった。
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