Hurts


 ギターと歌を人前で披露するようになってちょうど一ヶ月。原因はわからないが、男といる時に違和感を感じるようになった。幸せを感じていた日常に亀裂のようなものが走って行くのを見るのは、幸せを渇望していた自分にとって堪え難い恐怖だった。だから、目を背けて、現実と向き合わないようにしていた。それが、結局は恐怖どころか地獄に足を踏み入れる要因になった。はじめは、視線だった。男が自分を見る時の異様な視線。常闇で塗りつぶしたような薄暗い瞳が、気づけばこちらを見ている。歌と楽器を練習する時。人前で歌っている時。2人きりで話している時。男の目であることに変わりはないのに、その目を見ると不安と恐怖に苛まれた。次は、接触だった。骨董品を愛でるように手を、喉元を、顔を、脚を、腹を、胸元を。単なるスキンシップだと笑いながら受け流すものの、心臓は早鐘を打ち、身体は冷や汗を流し続けていた。異様なことだと分かっていたのに、拒まなかったのは、それ以上に男を失うのが怖かったからだ。自分が不完全な状態で生まれてきたことはまだ言っていないけれど、それでも、はじめて自分を認めてくれた人、他人に認められる方法を教えてくれた特別な人だ。拒絶しないことを、どう受け取ったのか、男は自分に愛を囁き始めた。

 キミを誰よりも愛している。その歌声、その声を紡ぐ身体、声音から伝わる美しい心音も、キミの全てを愛しているよ。キミがいないと僕は生きていけないんだ。キミが死んだら、僕も後を追うよ。キミも僕を愛しているから、分かるよね。自分を縛る言葉に、恐怖と憤りがない混ぜになって胸が苦しい。その羅列に対して、自分は何も応えることができず、ただ無言を貫いていた。

 防音加工の施された壁に所狭しと立てかけられた楽器類。その中央で男と綱吉は向かい合っていた。男の家の演奏室で普段通り楽曲の練習を終えて、今日の出来事を2人で笑って話していたはずだった。男がいつものように愛を囁き、僕が死んだらどうするんだ?と、いつもにはない質問を口にするまでは。一緒に死ぬ。あなたを愛している。そう応えていたらよかったのだろうか。唐突な質問に応えられずに、閉口してしまった綱吉に、男は瞬く間に激しい怒りをその目に宿し、小さな体を床に押し倒すと、乱暴に衣服を剥ぎ取った。新調したばかりのシャツのボタンが弾け飛び、逃げ出そうと床を這う綱吉の下を音を立てて転がっていく。
「なんで…、んで、ぁ、ごめ、ごめんなさいっ。ゃだ…、やだよ、ぃゃ、やだぁあぁ゛あ゛あ゛っ!!!」
出入り口に向かって綱吉は、髪を掴まれ、床に爪を立てて逆らうも、男の元に引き寄せられ、悲痛な叫びをあげた。爪が割れ、血で真っ赤に染まった手で迫り来る手を払おうとするものの、手首を摘まれそのまま唇を塞がれる。
「…っ、んぅ、ふ」
男の熱い吐息と舌が綱吉の口内を弄り、誰とも知れない唾液が綱吉の口から溢れ出す。
息苦しさに意識が朦朧としているのか、視点が定まらないまま涙を流す綱吉に欲情した男は、両の手首を纏めて片手で床に押さえつけ、自身のベルトを緩めて己を取り出すと、そのまま上下に扱き始めた。
口づけの泡立つ音と、男の性器の扱く音が室内にこだまする。少しして、男の体が震え、綱吉の顕になった胸元へ白濁が吐き出された。
「これからはこのおうちで2人で一緒に暮らそう。」
舌から透明な糸を伸ばし、赤く熟れた小さな唇から顔を離した男は、息を整えながら綱吉に吐き出された液体に満足そうに微笑み、肌に塗り込むように手を腹に滑らせた。痣が出来るほど強く握られ痺れて抵抗する力を失った手首から手を離し、下肢の衣服を脱がせつつ、先ほどの液体を薄い腹の下へと伸ばしていく。薄く真っ白な肌を彩る自身の体液に恍惚の光を目に宿しながら、そこに口を寄せて唾液を垂れ流し、2種類の液体を混ぜ合わせる。性器の更に下を辿って、閉ざされた蕾に塗り込むと、無理やりその先に指を捻じ込んだ。
「ぇ…、ぅぁ、っ」
綱吉の口から、疑問の入り混じった吐息と、異物が腹の中をかき分ける痛みに悲鳴が溢れる。
「気持ちいいだろう。愛する人とのセックスはとても気持ちがいいんだ。」
幼子に言い聞かせるように紡がれた言葉に、意味が分からないといった様子で首を振る綱吉に、男は平手を浴びせた。
唾液で濡れた唇に血が滲むまで何度も両の頬を叩くと、今度は真っ青から真っ赤に変色した頬を労わるように撫でる。
「気持ちいいよな?」
そうして、綱吉が縦に頷けば、男はにっこりと笑って蕾を弄る指を増やした。そうして、気持ちいいか?と聞くたびに頷き、指を増やすことを繰り返して、親指以外の指が全部入るようになった頃、唾液と白濁で濡れた菊口へ男の欲望が押し当てられ、愛の囁きとともに突き入れられた。
一気に根元まで突き入れられ、指とは比べ物にならない苦痛に、息を詰まらせ顔を歪める綱吉に、男はまたも問いかける。気持ちいいかと。
「っ、…き…もち…、…いぃ」
息も絶え絶えにそう答えれば、男は激しく欲望を打ちつけ、今度は繰り返し言うように要求した。何度も何度も気持ちいい、気持ちいいと応えて、男が3度目の欲を腹の中に吐き出したところで、痛みに耐えきれず、綱吉の意識は途絶えた。

 夢だったらどんなによかったか。暗闇から意識が浮上するとともに腹部に強烈な痛みを感じて、お腹を抱えこむ。意識を失っていたのはほんの数分で、男が起こすために腹を蹴ったのだと分かって絶望に涙する。まだ絶望は始まったばかりだというのに、すでに気が狂いそうだった。霞んだ視界の中、自分を見下ろしていた男が自分の鼻を摘み、息をしようと開いた口に己の欲望を突き入れる。生臭さと苦さ、吐き気でもがく自分をよそに、男は腰の動きを早め、喉奥を犯した。顔に男の淫毛が当たり、目を瞑れば、喉奥の男のものが鮮明に感じられた。この苦しみはいつ終わるのだろうか。抜かれた後でも感じる、内臓を押し上げられるような痛み。肉が引き攣る痛み。痛みしかないと言うのに、頭は真逆の言葉を紡ぐ。気持ちいい。不思議と少し楽になったような気がした。
 それから絶え間ず犯されつづけた。尿、精液、汗、いろいろな体液で汚れた体を引き摺られ、連れてこられた浴槽でまた犯された。男の欲望を咥えながら栄養ドリンクを飲むだけの食事をし、夜通し犯され、2日目の晩には、体が痛みに慣れ、快感を貪るようになっていた。
「ぁ、はっ、きもちっ、きもちい゛っ、ぃいっ」
気持ちいい、と言わされ続けた言葉を紡ぐたび、体の芯から強烈な快楽が湧き上がる。熱に浮かされたように言葉を吐き出す自分を気持ちが悪いと思う余裕もなく、男の欲望で何度も達しながら獣のような性交に酔いしれた。

 目が覚めると横で男が眠っていた。いつもは先に起きて、気絶している自分の口に朝立ちした性器を咥えさせる。そうして息苦しくなった自分は、喉を犯される快楽とともに目を覚ますのだ。でも、今日は違う。男の寝顔を見るのは初めてだった。出会った頃を思い出す優しい顔。母さんにも父さんにもこんなに優しい顔をされたことはなかった。父さんからは興味を持たれなかった。母さんからは嫌悪されたていた。だから今、何事もなくここにいる。自分がいてもいなくてもどうでもいいから、捜索願いなんて出していないんだろう。そう考えて、涙がこぼれた。雫がシーツに落ちて暗い染を作り、その横で、鎖のついた手錠でベッドの脚に繋がれ身動きできずにいる手首を見てそっと目を瞑る。それでも、自分は彼らのいる家に帰りたい。

 男の服を羽織って、暗い廊下を静かに歩く。この廊下の先にある玄関まであと数歩。玄関にあったはずの自分の靴はなくなっていたので、諦めて素足のままドアの摘みを回す。ドアノブを下げて扉を開けば、まだ薄暗い空が見えた。扉をゆっくりと締め、自分の家に向かって駆け出す。地面を素足で走る痛さも、全身の痛みも、寒さも耐えられる。家に帰って、今の状態を見られたとしても、これ以上嫌われようがないし、周りの目を気にする人だから追い出したりはしないだろう。嫌われる心配も、家を追い出されて男の家に逆戻りする恐怖も感じなくていい。足の裏の感覚がなくなっていようと、地面に血痕がついていようと関係ない。ただただ、夜空の下走り続けた。
 家までの距離も後少しとなった。随分走ったけれど、不思議と疲れはない。少しの緊張と嬉しさで頬を緩めたところで、視線を感じた。馴染みのある視線。常闇で塗りつぶしたような光のない目がどこからかこちらを見ている。そんな気がする。息を吐く唇が震え、涙で視界が霞む。それでも、この角を曲がればもう家だ。家の周りで叫べばあの男も手を出してこないだろう。家の屋根が見える。家の門が見える。安堵とともに、助けを呼ぼうと口を開けば、身体を焼かれるような痛みに視界が暗転した。最後に見たのは、明るい空を背景に、スタンガンを持った男の微笑う顔だった。
 カレンダーが捲られても、家が変わった他は変わらず男に犯され続ける日々。脱走を図って以来、手錠が外されることはなくなった。鎖が長さの調節可能なものに取り替えられるようになり、トイレもお風呂に入る時でさえ、手足は鎖で繋がれたままだ。体の自由はないが、声が聴きたいというので、口だけは自由だった。初めのうち、男が買い物に出かけた時や所要で出かけた時は、部屋の窓をわからない程度に足でこじ開けて、助けを呼んでいたが、無駄だということに気づいて気休めに歌を歌うようになった。父さんが家でよくかけていたレコードの歌。男も初めは懐かしさに上機嫌な様子だったが、歌に縋っている自分に気づいたのか、男はその歌を歌わせながら犯し、暴力を振るうことにようになった。

 週に一度、最愛の妻と電話するこの時間が愛おしい。ボンゴレの門外顧問として、本部と世界中の支部を往来する忙しない日々に、このゆったりとした時間は欠かせない。久しぶりに聞く奈々の声は晴れ晴れとしていて、少し不思議に思いながらも、寂しくさせている負い目もあり、嬉しかった。ただ、それが何周も続くと、何かいいことがあった、では片付けられず、身勝手ながらも妻の不貞を疑い、部下の中でも口の固い男に、妻の身辺を探るよう命じた。数日後、届いた報告は予想していたものとは違ったが、喜べるものでもなかった。寧ろ、最悪の結果だった。
 「…綱吉が、行方不明…?」
香港支部の人気のない廊下で、電話を片手に立ち尽くす。電話の内容が理解できなかった訳ではない。それが導く事実を理解することを頭が拒んでいた。あなたの息子が行方不明だ。別のファミリーの差金かもしれない。緊張した声で話す部下とは裏腹に、家光は全身の力が抜ける感覚に襲われ、壁に手をついた。考えさせてくれ、と言って電話を切り、おぼつかない足取りで、充てがわれた自室へ向い、ベッドに座り込む。
 綱吉が行方不明になって、2ヶ月ほど経っていた。この事実が何を意味するのか。奈々が未熟児で生まれた綱吉を嫌っていたのは知っていた。未熟児で産んでしまった自分のせいだと責めて、母体として務まらなかった至らなかった自分を嫌って、周りの目に翻弄されて、自責の念に押し潰されそうになった奈々は、自身を苦しませる綱吉を嫌い、八つ当たりするようになった。いつの間にか、自分のせい、が、綱吉のせい、になっていたのだ。八つ当たりと言っっても、不機嫌になって、おもちゃを片付けていなかった時や、飲み物をこぼした時に、いつもより少し長く怒るくらいだ。これならオレガノが怒った時の方がよっぽど怖い。親子なのだからそのうち、上手く収まるだろう。そう楽観視していたのが仇になった。取り返しのつかないことをした。いや、するも何も、自分は育児には我関せずと、何もしなかった。行方不明になっても探そうともしないほど、奈々にとって、綱吉は消えてほしい存在になっていったのは、そうやって放って置いた自分のせいでもある。奈々の目には、綱吉はいなくてもいい存在として扱っている自分の姿が写っていただろうから。
背筋に嫌な汗が流れ、震える手で携帯の電話帳から、番号を押す。静かな廊下に携帯の電子音が反響し、数コール後に繋がった。
「頼む、日本に来てくれ。」

 詰まっていた予定を全てキャンセルし、何事かと問い詰める部下を袖にして、その日の便で日本へ、奈々の待つ自宅に直行した。けれど、奈々にはまだ会いたくなくて、見つからないように2階にある綱吉の部屋の窓から忍び込む。部屋には、ベッドしか置かれていない。以前は他にも物が置かれていたことは知っている。日本を立つ前に、机や本棚といった家具を設置したのは他ならぬ自分だ。女性1人で移動できる小さなものばかりだから、奈々が移動させたのかもしれない。もしくは業者に依頼して処分したのだろうか。根拠のない考えが頭をよぎる。昨日までは、奈々との会話を心待ちにしていたのに、今、会話をして、自分のしでかしてしまった事を実感するのが怖い。仕事にかまけてばかりで、家族のことは二の次。その結果がこれだ。築き上げた家族が崩壊していく音がする。子どもを憎悪している妻と、いなくなってしまった息子。ベッドの傍に崩れ落ち、息苦しさに握りしめたベッドのシーツが引っ張られ、枕元から黒く薄い紙が現れた。引っ張り出して見るとそれは、自分が昔よく聴いていたレコードが入っているレコードケースだった。このレコードを流すと、綱吉が2階から降りてきて、自分の隣に座って楽しそうに聴いていた。一度、自分と奈々が外出から戻ってきた時に、泣きそうな顔をしてレコーダーの前に立っていたことがある。ずっと聴いていたら音がおかしくなってしまった。壊してごめんなさい。と、この世の終わりみたいな顔で謝っていた。たかだかそんなことで、と奈々はため息をついていた。自分も、いずれボンゴレを継ぐかもしれないのだからそんなことで、とため息をついていたのを思い出す。それ以来、綱吉はレコーダーに近づかなくなった。あの時、綱吉はどう思っていたのだろうか。綱吉の立場に立って考えて、哀しさと腹立たしさに泣きそうになる。初めから接し方を間違えていた。障害を持っていることに偏見はなく、自分の息子には違いないからと、何もせず、見守っている気になって、期待していただけだった。見守っていたのはボンゴレという家族で、一度も綱吉を理解しようとしなかった。もっと関心を持つべきだった。何度も聴いた痕跡を残しつつ、どこも破れていないレコードケースに、堪えていた涙が溢れる。家にあったレコーダーは日本を立つ前に処分してしまったから、別のレコーダーで聴いていたのだろうか。
すべて自分のせいだ。ひどいことをした。会って謝って許してほしい。どこまでも利己的な考えに自嘲しながら、空っぽの部屋を後にした。

 探し始めて一週間。綱吉について何も知らないことを改めて痛感した。綱吉の好きなもの。綱吉のよく行っていた場所。十数年経ってようやく知ったことばかりだ。綱吉はある男と一緒にこの町の商店街や、交差点近くの路上で場を借りて、歌を歌っていたようだ。とても評判がよく、レコード会社からオファーが殺到しているそうで、街の人の印象にも残っていた。その男の特徴を聞いて、身元を特定し、住所を調べたが、登録されている住所に男はおらず、空き家だった。綱吉に辿り着くための手がかりにたどりつけず、胸を締め付ける喪失感とともに夜道を彷徨っていると、いつの間にか街外れにきていた。夜も更けてきた。今日も何も見つからなかったか、と、帰国してからずっと仮住まいしていたホテルへと踵を返す。
「…?」
ふと、とても心地の良い歌声がどこからか聞こえてきた。
懐かしい曲。昔、自分がよくかけていたレコードの曲。
「…っ!」
足先を戻し、導かれるように音源を探る。段々と近づく音源に、期待と興奮が高まって、泣きそうだ。辿り着いたのは、街外れに生い茂る木々に隠れるようにして建っていた一軒家。その家の窓から聞こえる。家の中は薄暗く、玄関は閉まっていたので、庭のガラス扉の鍵の近くを、落ちていた石で割り、鍵を開けて家に侵入する。細長い廊下を挟んだダイニングは男物の服や、楽器が散乱し、微かに腐臭が漂っている。廊下の左右に部屋があって、浴室の向かい側の部屋から歌が聞こえていた。ガラスの割れた音に驚くと思ったが、歌は止んでいない。近づき鮮明になった声に確信する。この歌声は、綱吉のものだ。生きている。涙まじりにその部屋の扉を勢いよく開け、第一声に息子の名前を呼ぼうとして、目の前に広がる光景と鼻につく臭いに体が固まった。
ダイニングよりも更に散らかった部屋の中央にダブルベッドが置かれ、その上に子供が横たわっている。一瞬誰だか分からなかった。分かりたくなかった。暴行の痕。陵辱の痕。ここまで酷い光景は滅多に見ない。見たことはあるけれど、まさか、自分の息子が同じ目に遭うとは思っても見なかった。生きていたことへの歓喜と、原因を作った自分への後悔と憎悪。さまざまな感情に翻弄されて声が出ない。息ができない。歌い続ける綱吉に近づいて、かける言葉もないまま、手枷に触れる。鍵を、探さなければ。早く助けて、家に連れて帰って、そして。そして。そして、どうするのだろう。もう許しを乞おうなんて考えはもう微塵も残っていなかった。1ヶ月以上も行方不明で、無事で済むはずがないと思っていた。けれど、こんな、死んでしまった方が楽と思えるような、酷い目に遭っていたとも思わなかった。
「もう大丈夫だ。父さんと一緒に帰ろう。」
震える声で、やっと頭に浮かんだ言葉を発する。歌うことをやめた綱吉は、今何を思っているのか。続く言葉は予想していた。
「…もう、…いぃ…」
もう、生きたくない。諦めも、悲しみもなく淡々と答えた綱吉に、心が音を立てて壊れた。それから、人形然とした綱吉にしがみついて、子供のように泣き喚いた。決壊したダムの如く流れ出る涙を拭いもせず、声が枯れ果てるまで謝罪の言葉を叫んだ。

 万が一のためにあらかじめ近くに呼び寄せていた、シャマルに電話してここの住所を伝える。呼び寄せた時に事情は説明してあったが、その時も今も、頼み込むことなく、シャマルは綱吉の治療を了承した。電話先の声が震えていることに気がついたのだろう。1時間とかからずにやってきたシャマルは額に汗を浮かべて、息を切らしていた。部屋に入り、眼前に広がる惨状に少し赤らんでいた顔を青くしている。
「…男だから診ないなんて、言わないよな。」
「…ばか言え。」
シャマルに治療を任せ、ベッドの脚はステンレス製、手錠は頑丈なニッケル素材だったため、力技で外すことが難しく、手枷の鍵を探しに部屋を物色することにした。床の血痕や陵辱に使ったであろう道具を見つけるたびに怒りで目の前が眩む。落ち着けと声をかけるシャマルに相槌を打って、息を整えていると、玄関の開く音がした。男だ。割られている窓に気づいたのだろう、慌てて部屋の前にやって来た男が驚いた顔で部屋の中にいる男2人を見ている。気づいた時には、シャマルの静止を振り切り、怒りに任せて男を殴り続けていた。男が泣いて謝るのも無視して、顔面の骨を砕き、綱吉を汚した手足と股間を踏み潰した。シャマルに羽交締めにされ、止められていなかったら、男の頭を踏み潰して殺していただろう。一般人に手を出すことは禁じられているが、それでも禁を破って殺すべき相手で、死んで当然だと思った。

 しばらくボンゴレの所有する物件に綱吉と2人で暮らすことになった。ひどく衰弱し、今にも消えてしまいそうな綱吉の傍にいてやりたかった。仕事は部下に任せてある。理由が分からないままというわけにもいかず、信頼しているオレガノとターメリックにだけは、掻い摘んで事情を話した。言葉に詰まったものの、快く了承した2人は、話をした週末から休暇返上で来日して様子を見に来てくれるようになった。不慣れな洗濯や食事の用意、掃除などの家事を手伝ってくれる。そして翌日、片道で半日ほどかかる本部へ帰っていく2人には感謝の念が耐えない。2人とは、こまめに連絡をとり、人員を取りまとめてもらって、判断が難しい案件は、電話で指示したり、ビデオ通話などで打ち合わせするようにしている。他の部下にもたまに連絡を取るようにして、試行錯誤しながらも仕事に関してはことなきを得ていた。
 週に二度、日本に滞在しているシャマルがやってきて、手術の経過を診ていく。生きているのが奇跡と言えるほど、綱吉は酷い状態だった。肋骨は数本骨折。所々外れたまま放置され、歪んだ関節。損傷した肝臓。栄養失調。ギブスを巻き、2つのうち1つの肝臓は壊死しかけていたため摘出し、栄養剤を点滴した。その姿だけでも胸が苦しいのに、手術後、目を覚ました綱吉が、何事もなかったかのように、久しぶりに自分に会えたことに喜んで、笑っているのを見て、枯れ果てたはずの涙が溢れ出した。昔からそうだ。どんなに傷付いても、顔には出さない。レコードの針の消耗のときも、靴べらで靴の履き口を大きくして奈々に怒られた時も、傷付いた顔は見せない。大きく変わってしまった綱吉の外見を見て痛感する。精神の損傷が最も激しく、元々細く小柄だった体は、食べ物を受け付けなくなり、更に厚みを失った。髪と肌は、色素が抜け落ちて、蝋でできた人形のように真っ白になり、唯一色を残すのは瞳と唇だけ。血管の色が浮き出た事による真っ赤な瞳と唇。元の色はなく、日に当たれば炎症を起こしてしまうため、日中は遮光カーテンを締め切って、歩行の練習がてら夜に一緒に歩くようにしている。痛みが酷いはずなのに苦痛を顔に出すことなく、歩こうと言えば玉の汗を額に浮かべて歩き、ご飯にしようと言えば、美味しいと言いながら笑顔で食べて、一晩中嘔吐する。自分がいなければ、何もせずに死ぬのが分かる。自分の匙加減が生かし続けている。頼られていることの嬉しさと、後悔。その生活は、これまでの贖罪であり狂気そのものだった。

 生きるのに疲れた子どもと、生きていいのか分からなくなった父親。互いに自身の生を諦め、先を見失った2人は、シャマルの手には負えない状態だった。死なないだけで、生きてはいない。2人の生は狂った依存の上に成り立っている。家光は生きる理由を綱吉に託し、綱吉は家光に生きる術を託した。色素が依然として戻らない綱吉の体に映える赤い鬱血痕。情事を交わしたことは一目瞭然だった。理解できないことではない。それ故に2人を咎めることができず、週を追うごとに数を増していく痕跡に目を瞑る。2人が死ななければそれでいいと思った。

 体に馴染んだ快楽に苦しむ綱吉を抱いた。綱吉にとっての救いとなるように。体が不完全でも、汚れていても愛することのできる唯一の人となれるように。犯した罪が消えることはない。それでも、綱吉を救いたくて、苦しい思いから少しでも逃れたくて、交わった。そのことにシャマルは気づいていたはずなのに何も言わなかった。救いたいと思いつつも、救いようがないことないことを知っている者同士、理解しているのかもしれない。交わる時は家族であることを忘れ、綱吉を愛おしく想った。呪文のように気持ちいいと連呼する綱吉を優しく抱いて、恐怖に支配された体が徐々に弛緩していく様は、哀れで、愛おしく、禁じられた行為と分かっていても、何度も欲に溺れた。もはや奈々への愛情はなく、ただ、綱吉の母親であるという認識のみ。週一の電話は、年に一度の手紙へ変わった。
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