Hurts


 生きた心地のしないリムジンから降りて、生き返ったとばかりに息を吸い込む。どっと押し寄せた倦怠感に悪態をつきながら周りを見渡せば、そこには立派な洋館が聳え立っていた。
「わぉ。」
思わずどこかのかみ殺すマンの如く驚きの声を上げる。中世ヨーロッパの貴族を題材とした映画に出て来るような建築物が、見上げる己の小ささを嘲笑っていた。
「何、ぼうっとしてやがる。さっさと行け。」
目の前の光景に言葉を失い、眺めていると、背中を硬質な何かで小突かれた。慌てて洋館の中心、バラの模様があしらわれた玄関手前の階段に足をかける。振り返れば、エメラルドグリーンの銃口が間近に、その背後でXの文字が刻まれた銃を握ったザンザスが、車から降りる姿勢で地面に片足を着けながらこちらを睨みつけていた。その鋭い眼光に、顔を慌てて正面に戻す。入らなければ殺すと言わんばかりの2人の眼光と、重々しい扉に挟まれて泣きそうだ。
「あの…、オレ、お家に帰りたいんですけど…。」
最後の抵抗とばかりに呟くものの、背中を叩かれる感覚に渋々ドアベルを叩く。
数秒と経たずに開かれた扉の先に待っていたのは、黒スーツに身を包んだ男女の列とその奥に構える豪奢な螺旋階段だった。
「お待ちしていましたよ、坊ちゃん。」
坊ちゃん。慣れない呼び掛けに反応できず、ただ呆と耳障りのいい低音の出所に目を向ける。観音開きの扉の片方を抑えた男性が中へ招くように手を螺旋階段のある方へと向けていた。

 「異論はねぇな。」
銃口を突きつけながら、自信満々に告げた己の師に言葉を失う。平凡より劣る脳は混乱を極めていた。螺旋階段を上って左手奥の部屋に案内され、言われるがまま大理石が埋め込まれた椅子に腰掛けて直ぐ。居心地の悪さに眉を顰めていると、何の前置きもなしに、突然、今日からここに住めと言われた。
「え…、異論ありまくりなんだけど。」
辛うじて絞り出した返答はリボーンの発砲により打ち消され、助けを求めるようにオレガノとターメリックへ視線を送れば、諦めろと言わんばかりに首を振った。
「急に、そんな…意味分かんないって。」
ここで駄々を捏ねたところで、酷い目を見ることはわかっている。鉛玉の餌食にされると断言できる。だって、銃口がこちらを狙っているのだもの。白魚のように白く肉刺が見える指だってトリガーから離れていないばかりか、グリッド側に力を込めている。それに気づいて勢いを失っていく声に、端正な顔が笑った。ちくしょうめ。
「ボンゴレボスになるための大事な特訓だぞ。」
 ボンゴレファミリーボスの生活をこの屋敷で擬似体験するというのが、今回の特訓内容らしい。
この屋敷は、ボンゴレI世が日本の隠居先の一つとして建造したものだという。初代没後は次世代のボスの活動拠点、或いは引退後の終の棲家として用いられた。世代交代の度改修され、外観や内装は真新しいが、所々置かれている調度品は時代の変遷を匂わせており、先人達がここに住んでいたことが窺えた。ここで先人達の生活を踏襲し、ボンゴレボスとしての気質を備える。それが本特訓の目的だ。めちゃくちゃ嫌だ。すこぶる嫌だ。かと言って、容易に逃げ出せる場所ではない。聞けば、この屋敷は本館の出入り口から敷地を囲む塀まで、片道10q以上あるという。そんなばかな話があるかと思ったが、窓の外を見て早々に考えを改めた。地平線の向こうにあるのか、敷地に入る際、車窓からちらりと目にした目算で8mの門が見えない。慈善事業に近しい自警団が儲かっているとは思えないから、もしかしたら初代の次、マフィア世代が敷地を拡張したのかもしれないなどと推測したりして現実から目を背けてみたものの、ボンゴレが所有している広大な敷地の中にいることは紛れも無い事実だった。この屋敷から抜け出す方法は、追々考えるとして、先程から鉛玉に悲鳴を上げる度に殺気を向けてくる黒尽くめで痣を持つ男について考える。大方、リボーンに、隙を見せたらぶっ殺していいぞとでも言われているのだろう。留まるどころか勢いを増していくそれに冷や汗を掻きながら、よくもまぁ嫌いな人間の特訓に付き合う気になったなと思う。何か条件を付けているのだろうと推察するが、悪い予感がしてならない。もともと勘は当たるけれど、こういう勘は気持ち悪いくらいよく当たる。

 ボンゴレの屋敷での生活が始まって2日。母さんの説得、その他諸々の根回しは完璧で、いつの間にやら外堀を埋められて逃げ場のない現状に辟易しながらも、新鮮な生活に少しばかりわくわくしている今日この頃だ。虎視眈々と2丁の拳銃が己の隙を狙っているため、新鮮な生活もとい疑似体験から免れることはできないが、この屋敷から抜け出す方法は確立できた。これが無ければ、呑気でいられなかっただろう。まぁ、方法と言っても他力本願なため、申し訳ないと思う気持ちはあるけれど。本当に、ターメリックさんとオレガノさん、2人が送迎を請負ってくれたことには感謝の念が絶えない。
「お忙しいのに、ありがとうございます。」
送迎の軽車を降りて、運転席に座るオレガノさんにお礼を言えば、オレガノさんは頭を横に振って苦笑した。
「仕事先に移動するついでなので構いませんよ。それに、送り迎えさせて欲しいと言ったのはこちらなのですから、お礼を言われる程の事でもありません。終わったら連絡をください。迎えにはターメリックが来ると思いますが。」
優しく笑うオレガノさんに見送られながら、人目に付かない木陰に停まっているマネージャーの車に乗り込む。甘い香りのする車内に収まって、いつまで経っても着け慣れないシートベルトにじたばたしていると、お疲れ様です、の挨拶とともに、ささくれだった大きな手が、タングを握る己の手を覆い、バックルへと誘導した。きつく締まらないようにウェビングを抑えられながら、金属が音を立ててバックルに固定される。柔らかく香るムスクに、紳士だなと感心するまでがお決まりのそれだ。

 「いいですよ。」
家の都合で休みが欲しい。その急な申し出に、黒縁眼鏡のよく似合う中年男性、マネージャーの明智さんは、皮手帳片手にあっけらかんと返事をした。
「本当ですか?」
いい返事は貰えまいと思っていただけに半信半疑で問いかければ、苦笑いとともに肯定される。
「いつも頑張っている綱吉君へのご褒美です。」
強請った休み、と言っても特訓漬けの休みがご褒美になるとは思えないけれど、それをボイコットした後の仕置きよりはましだろう。安堵したのも束の間、エンジン音とともに動き出す車に気持ちを切り替える。己にとっては生き甲斐だが、割り切った言い方をすれば仕事でもある。歌手足らんと息を深く吸えば、やはり甘い香りがした。

 「いい、歌だ。」
愛する人の傍で、愛する気持ちを囁くように唄う。前髪を優しくかきわける大きな手に、歌を止めを擦り寄せれば、再び己の中で誇張し始めた熱に体を震わせた。その熱が中を掻き分け最奥を掻き混ぜる。その暴力的な快楽に声が抑えられず、無様に絶頂に達した。余程体の相性が良いのか愛故か、目が眩むような心地に、胸を掻き混ぜる恐怖に、涙が一筋零れた。嬉しくて幸せなのに、苦しくて切なくて痛い。これは許されない愛だ。己に合さるこの熱い体が、いつか離れて行ってしまうその時を思うと、胸が張り裂けそうになる。欲を言えば、いつまでも愛して欲しい、いつまでも傍にいたいけれど、そう簡単にはいかないのが世の常。この世が愛する貴方を苛む事があれば、この身を犠牲にしてでも守る。貴方は己の全てで、心の底から愛している。けれど、貴方が自分と同じである保証はない。愛想をつかされることを止める術はないのだ。
「…いしっ…、ぁ、、ぃ…あい…して、…る。」
譫言のように愛を呟いて、点滅する視界に映る彼の唇を喰む。お互いの唾液を混ぜるように互いの舌を絡ませ、甘い感覚に酔いしれていると、上顎を擦られ、軽く絶頂を迎えてしまった。息の仕方を忘れ、彼の背に縋るように爪を立てる。
「…っ、は、綱吉。」
苦しげな声に不安に駆られて焦点を絞れば、唾液の糸を伸ばした先、口角を上げ、悩ましげに眉根を寄せる彼が煙る息を吐いてこちらを見下ろしていた。
「俺も、誰よりも…愛してる。ごめん、な。でも、どうしようもないよなぁ。」
泣き笑いとも取れる表情に、止めどなく涙が溢れる。この睦言すら、本来あってはならないものだ。慎重に慎重を重ねて秘密裏に行なっているこの性交は、果たしてどれほどの罪なのだろうか。
「ごめ、なさ…、父さ、ん。」

 懐かしい匂いがする。心臓を鷲掴みにされるような、甘い香り。
「ぁ…。」
瞼を開けば、彼の顔が間近にあった。何も言わずにこちらを見つめている。いつも通り仕事現場に着く前に眠ってしまった自分を起こそうとしているだけだ。何もおかしなことはないはずなのに、自分を覗き込む薄暗い瞳に、既視感と恐怖を覚えた。男の背後、車のフロントガラスを隔てた先で駐車場の電灯が青白く光っている。それがより一層瞳の色を濃くしていてぞっとするほど恐ろしい。
「悪い夢でもみましたか?酷く魘されていました。」
言われて始めて自身が冷や汗をかいていること気付く。手の震えが止まらず、親しい人に恐怖を抱いてしまう程とても恐ろしく悲しい夢を見た。けれど目の前の男にそれを言うのは危険な気がした。
「いいえ。俺は何も見ていない。」
男を拒むように告げ、バックルからベルトを外そうと手を伸ばすも、その手を制すようにバックルごと力強く握り締められ、痛みに顔を顰める。恐怖に顔を上げずにいれば、煽るように耳へ熱の篭った息が掛かった。
「歌を聴かせておくれ。」
愛でるように頬にもう片方の手が添えられる。己に触れるその大きな手はバックルの手同様に異様に熱く、頬から首、鎖骨を滑り胸を撫で下腹へ降りていった。
「うたえ。」
顔をあげれば黒い瞳がこちらを観ているに違いない。怖い。手が痛い。助けて。ごめんなさい。
逃げようともがくものの、シートベルトが体をきつく縛っている。その身体を嘲笑うように、ささくれだった手が弄ぶ。
「…やめて。…やだ。」
身体中の力が抜けて、歯の根がカチカチと高質な音を鳴らす。息が苦しい。冷や汗が止まらない。動けないことをいいことに、男は己の性器を取り出すと、それに自分の手を添わせた。男の性器から溢れ出た液体が手に触れて、嫌悪感に涙が溢れる。
「歌え。」
命令されたことが理解出来なくて、男の手に覆われて、性器を愛撫させられる自身の手を呆然と見つめることしかできなかった。その光景とその光景を生み出したのが、彼だということを信じられない。そうしている間に、男は、バックルを握っていた手を自分のズボンのウエストから忍び込ませ、そのまま下着の下の秘部に触れた。思わず身体が硬直する。
「歌え。」
車内には男の荒い息と衣服の擦れる音。そして、呪文のように唱えられた言葉。言うことを聞けば、この行為を止めることができるのだろうか。淡い希望を抱きながら、掠れた声で歌う。荒い息に喜色を含めた男は、あっさりと希望を打ち砕いて、乾いた指を無理やり秘部の中に突き入れた。痛みと恐怖と馴染んだ快楽に、歌の音が震える。
「…許せない。許さないぞっ。僕が初めてであるべきなのにっ。」
憤る男が、シートを押し倒し、運転席から身を翻して、自分に覆い被さりながら首をきつく締めた。息苦しさに、首を掴む男の手を引き剥がそうとするものの、微動だにしない。いつの間にかずり落ちていたズボンごと、男は足で太ももを割って間に入り込み、屹立した性器で下着を押し退け、秘部を犯した。男が動く度にするシートの軋む音や男の怒鳴り声が篭もり始め、携帯をこちらに向けて嘲笑う顔を最後に、瞼を閉じた。

 「…ナ。綱吉。」
視界が開けて、黒一色の世界が真っ白に染まる。
眩しさに目を細めながらも、声の持ち主へ視線を向ければ、そこには黒い瞳があった。
「…っ、ぅ"…ぉえ…」
途端に激しい吐き気が押し寄せ、ここがどこだか分からないまま、起き上ってトイレに駆け込もうとするものの、我慢できずにその場で胃液を吐き出してしまう。吐き出したものを受け止めた手の平の臭いにまた吐き出して、吐き出すものも無くなったところで、痙攣する体を摩る手に気付いた。背中を滑る暖かい手に怖気が走って、息が止まる。赤や青、様々な光が点滅している視界の中、寄り添う人の形が不気味に歪んでいた。
「ちが…。そんな…、ちがうの、ごめ…、ごめんなさい。…んなさい。…ぃ。」
くぐもった声が聞こえる。あの男が怒っているのだ。歌も歌わずに、大切な『おうち』を汚してしまった役立たずな自分に。

 名付けて、ボンゴレボス生活疑似体験の記念すべき3日目。今日は朝から晩までみっちり執務という名の地獄の書類仕事をこなしてもらうことになっている。地獄に落とされる哀れな生贄を叩き起こそうと部屋の扉を開けば、案の定、生贄もとい自身の生徒、沢田綱吉はベッドに横たわっていた。しかし、なにやら様子がおかしい。不規則に上下するシーツから除く真っ青な顔。大量の汗をかいて、濡れた髪の毛が頬に張り付いている。何かに縋るようにシーツを握った手は、顔色の反面、紅く、指先の爪を圧迫した手の平から血が滲んで、真っ白なシーツを赤に染めていた。
「おい、ツナ。…ツナっ!」
慌ててベッドに駆け寄り、大声で呼んで、体を揺すっても起きる気配はない。耳をすましてみれば、何か譫言で呟いているようだった。誰かの名前らしきものが聞こえる。名前以外は聞き取れないが、切迫した声音に、無意識のうちにあやすよう頭を撫でていると、やがて苦痛に満ちた顔に朱が戻り、強張っていた体も弛緩していった。
「ツナ。綱吉。」
安堵に、名前を呼べば、瞼が小刻みに動いて、琥珀色の瞳が現れる。
眩しさに細まったものの、声の元を辿るように視線が虚空を彷徨った後、何か恐ろしいものを目にしたかのようにその目を大きく見開いた。
そのまま起き上ってベッドから起きあがろうとする体を支えようと肩に手を伸ばせば、その手は空振り、綱吉の体が痙攣したかと思えば、いつも泣き言を言う唇から嗚咽とともに胃液が吐き出された。酸の臭いと、身に覚えのある臭いに悪寒が走る。魚の生臭いような臭い。憶測に過ぎないが、無下に出来ないそれに、呆然としている最中、誰かに許しを乞う声が2人だけの部屋に物悲しく響いた。教え子の今までに聞いたことのない声と、最悪の想像。何も出来ずに途方にくれていると、嗚咽とは別の音が聞こえ始めた。嫌な予感がして、下から覗き込む。
「…っ」
喉を爪で引っ掻いていた。すでに指を滴り落ちるほどの血が流れ、肉を抉り始めている。慌てて手を取り押さえれば、引き付けが悪化し、ついには呼吸もままならなくなってしまった。綱吉を抱きかかえて部屋を飛び出し、階段を駆け降りる。抱えている体からあって然るべき重さを感じない。焦りは募るばかりで、階段を降りた先、藪医者が寝泊まりしているはずの部屋の扉を蹴破った。
「診てくれっ…早くっ!」
ベッドに寝転び、成年雑誌片手に頬を緩めている男、もといDr.シャマルに声をかける。シャマルは驚きつつも、直様ベッドを降りて、つい先ほど自身が寝ていた場所を叩いた。ここに寝かせろということらしい。非常時とはいえ、男は診ないと公言している彼がどうしてすんなり引き受けたのか。疑念を抱きつつ、ゆっくりと抱えていた身体をベッドに降ろす。白いシーツが細い首筋から伝う血に真っ赤に染まり、引き付けを起こす身体に皺を作った。
「襲ったのか?」
静かに、けれど、怒りを少し含ませた声音がシャマルの口から発せられる。その質問は、抱いていた疑念の答えだった。こいつは綱吉がこうなっている事情を知っている。成年誌を購入した時の袋だろうか。シャマルはコンビニのロゴの入った乳白色のビニール袋に穴を開け、綱吉の口元に当てながら、険しい顔つきで質問する彼に首を振った。返事に表情が変わらないところを見ると、はなから疑ってはいなかったようだ。別のこと、心当たりのある事情に怒っているのだろう。
「起こしに行ったら、魘されていて、目が覚めたら、俺の顔を見て吐いた。」
起きた不可解な出来事を自身が理解するため、噛み砕くように淡々と説明する。知るべきだと思った。知って、今度は自分が助ける番だと思った。
少しして、不規則だった綱吉の呼吸が落ち着き、首元の傷の手当に取り掛かったシャマルは、独白するようにつぶやく。
「…いや、お前の目だよ。お前の目を見て吐いたんだ。」
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -