Hurts


 代理戦争という大事件を切り抜けて早数か月。緩やかな毎日に首を傾げることはないが、些細な違和感を感じる。争い事は真っ平御免だけれど、こんなに差があると反って不安だ。のんびりとしていていいのだろうか。場違いだろう。やり残したことは。誤った選択をしていないか。またあのような出来事に巻き込まれるのか。素直に喜べない自分がいた。
「なんだ。」
不老の呪いから解放され、優に己の丈を越した家庭教師が身を屈め、こちらを覗き込む。最近やっと、彼が代理戦争に颯爽と現れたあの格好いい人だと気付いた。後、数日もしたら、あの時と同じ彼になるのだと思うと複雑だ。家庭教師としての彼ならいいが、ヒットマンとしての彼は威厳があって近寄りがたい。
「なんでもない。母さんは何て?」
わざとらしいのは百も承知だが、視線を天井に逸らす。
「土曜には帰るから、いい子にしていろと。」
怖ろしいわけではない。その声に含まれている温かさには覚えがあって、安堵する。威厳というのは、だから、格好いいの度合いが凄すぎて、気圧されてしまうというやつで。綺麗な顔も併せて、その大きな存在感に圧倒されてしまう。あの時の彼はまるで漫画に出てくるようなヒーローで、圧倒的だった。
「見惚れたか?」
ニヒルに笑うその顔を押し退けて立ち上がる。眼下のテーブルの上には終わる見込みのない課題が積み上げられていて、窓から差し込む夕日に朱く照らされている。自分の顔も照らしてくれていたらいいなと外方向く。
「…まさか。」
こうしている今の彼は家庭教師であり、ヒットマンではない。ただ、数日、ひょっとしたら明日にも、近寄りがたい存在になっているとしたら、何だか寂しい。きっと、情け無い顔をしているから、リボーンが眩しくて見れないくらいに陽で照らしてほしい。

 夕飯の買い出しに行こうと、鞄を手に玄関に向かえば、当たり前のようにリボーンが付いてくる。
「いい加減レトルトは嫌だぞ。」
靴べらを革靴に当てて踵を入れる姿が様になっている。子どもの頃、父さんがやっているのを見て、かっこいいと真似てみたものの、靴が小さ過ぎて断念したことがあった。無理をして、靴の口が広がってしまったっけ。おまけに踵を痛めてしまったものだから、母さんにこっぴどく怒られて、結局公園に行くことも取り止めになった。散々な目に遭ってしまったけれど、父さんが肩車して遊んでくれたことが嬉しくて、それほど苦い記憶ではない。
「料理出来ないもん。レトルト以外がいいなら、リボーンが作ってよ。」
外に出ると空の半分が夜になっていた。春の終わりとは言え、まだまだ日は短い。冷たい風に目を細めて、ほっと息を吐く。
「ビアンキに習っているだろ。」
「ポイズンクッキングのこと?」
たわいのない会話をしていれば、あっという間に馴染みの繁華街だ。八百屋の手前にあるレトルト専門店に入る。母さんから預かった財布の中身を確認して振り向けば、リボーンが既に品定めしていた。難色を示していた癖に、現金な奴め。
 母さんは今、近所のママ友と国内旅行に行っている。何でも、ママ友が旦那の会社の交流会に出席し、そこで催されていたクイズ大会で見事優勝して、国内旅行のペアチケットを勝ち取ったらしい。けれど、旦那は海外出張で行くこと叶わず、仲のいい母さんに声をかけたということだ。4日前の朝、意気揚々と出かけて行った母さんの姿を思い出す。お土産に期待していてねと言って、スーツケース片手に手を振っていた。かと思ったら、すぐに戻って来て、作り置きは冷蔵庫の2段目にあるから、温めて食べてねと一言残して、今度こそ行った。まさか1日にしてその作り置きが無くなるとは思ってなかっただろうな。皆すごい勢いで食べるものだから。今日も、レトルトに文句を言いつつあっという間に平らげてしまうのだろうな。子ども達が外に遊びに行く日はいつもそうだ。そういうものなのだろう。それを思うと、この一年と少し、5人の子ども、うち一人は子どもではなくなったが、妙齢の女性の世話をしていた母の偉大さよ。偉大ばかりではない。死に直面したり、会えないかもしれない状況に瀕した時は、その存在の有難さに目頭が熱くなった。無事に済んだ時は、泣いてしまった程だ。
「これにする。」
感慨に浸っていると、クリームシチューのレトルトパックを差し出された。それを受け取り籠の中に入れる。
「クリームシチュー、好きなの?」
レトルト専門店に黒スーツのイケメンはなかなかアンバランスだ。数人の視線に倣うようにレトルトを人数分入れていくリボーンを見上げる。チャームポイントだという揉み上げが揺れていた。
「たまにはいいだろ。」
 翌日、翌々日の分を籠に入れ、会計に向かう。2人の女性の後ろに並ぶと、会話が聞こえて来た。
「あ、この曲いいよね。あたし、このボーカル大好きなの。」
彼女達が言っているのは、店内に流れる音楽のことだろう。
「本当にかっこいいよね。わたしも好き。アリーナで歌っててさ、まじやばかった。」
音楽と言えば、最近音ゲーをやってない。やりたいのは山々だが、リボーンからの課題が終わっていない現状で許してくれるとは到底思えないし。学校の宿題は何とか終わらせているから、大目に見てくれないだろうか。そんなことを思いつつ横を仰げば、リボーンの口元が縦横縦に動いていた。だめだ、ね。流石、読心術を体得してらっしゃるリボーン様。
「けち。」
「下手くそがやって何になる。」
「下手だからやるのっ。」

 窓枠の中、真っ暗闇の中に真っ白な球が浮かんでいる。球は微かに光を放っていて、その様は儚く見えた。小さく息を吐きつつ、ハンモックで眠っている同居人を起こさないように、忍び足でドアに向かう。勿論、床一面に設置されている罠に気を配りながら。一面と言っても、催した時のための通り道くらいはあって、慣れた足取りでその道を通る。部屋を出るとほっと息を付き、物置部屋から愛用の物を取り出して外に出た。冷たい夜風が心地いい。見上げると、先刻より月が迫ったように思えて、見惚れた。綺麗、と意図せず口にした声が静かな空間であるせいか大きく聞こえて、我に返る。のんびりとしていたせいで見回りの警官に見つかり、補導されるなんてことになったら洒落にならない。今夜を逃すものか。昼間、あれだけ吐き出せたのだから、今夜はきっと格別なものになる。とは言え、格別でなかった日なんてなかった。思いを馳せ、逆上せた頬を隠すようにフードを被る。あぁ、本当に、夢のような日々だ。

 「レロレロ飽きたー。」
ブロッコリーにそっくりな頭を掻き混ぜ、牛柄の衣服に包まれた足を揺らしている子どもの名前はランボという。ランボが髪の毛に邪魔されつつも取り出したのは、桃色と乳白色の混じったキャンディだった。
「レロレロじゃなくて、レトルトな。食後になら食べていいからキャンディを仕舞って。」
キャンディに齧り付こうとするランボの小さな鼻を軽く摘まんで揺さぶる。
「ぐぬぬっ。ランボさんはぁ、レロレロキャンディを食べるんだもんね。」
それでも駄々を捏ねるものだから、手招きして台所に呼び寄せた。冷蔵庫から林檎を取り出してスライスし、兎の型抜きをそれに押し当てる。兎型の林檎をランボのシチューに浮かべるとランボは素早く飴をしまって、嬉しそうにシチューをスプーンで掬い始めた。
「ランボさんのシチューはぁ、特別なシチュー。」
台所に戻って型抜きで余った部分を刻み、自分のシチューに入れる。
「いいなぁ。ツナ兄、僕にもつくって。」
「イーピンも。」
いつの間にか傍らにフゥ太とイーピンがいて、服の裾を掴んでこちらを見上げていた。
「そうしたらランボが拗ねちゃうだろうから、明日の夕飯にしようか。」
頷き、笑顔で食卓に戻る2人を見送り、レモン水を入れたタッパーに林檎を 浸し、冷蔵庫にしまう。食卓に向かうと、リボーンが怪訝そうな顔をしてシチューを見ていた。
「煮てないけど、おいしいよ。」
スプーンでシチューを掬い、リボーンの口元に運ぶ。おずおずと口を開いて口に含むと、その顔が珍しく驚きに濡れた。
「よく知ってたな。」
「母さんがよく作ってくれたから。」

 食後、キャンディを食べることなく居間のソファーで眠ってしまったランボに毛布を被せる。満腹からか、遊び疲れからか、全く起きそうにない。抱き枕の代わりのように大事そうに抱えたテレビのリモコンをそっと抜き取って、小さな頭の下にクッションを差し込む。つけっぱなしのテレビを見ると、ランボが好んで見ていた番組が丁度終わるところだった。
 冷蔵庫を開く音がして後ろを振り返る。ビアンキが冷蔵庫からペットボトルを取り出し傾けていた。
「あら。このバンド、INって名前なのね。」
番組の後に流れたコマーシャルのことを言っているようだ。視線を戻せばテレビ画面の中、暗闇で僅かな光に照らされ、銀が鈍く光っている。ドラムの音。ギターの音。響く歌声に、それらが金属のものであることが推察できた。特に惹かれるものもなく、目を逸らす。目先では食卓でエスプレッソを嗜んでいたリボーンが、ビアンキの呟きにつられてテレビ画面に目を向けていた。
「なんだ。」
「人気のバンドよ。音楽に興味がなかったから名前は知らなかったけれど、街中で流れているのを聴いて気になっていたの。」
テレビ画面が明るくなったのか視線の端が白くなっている。コマーシャルが終わったのかと思えば、音を聴く限りまだ終わっていないようで、長いコマーシャルだなと思った。
「リボーンは、音楽に興味あるの?」
ふと、気になったことを尋ねる。リボーンは少しの間画面を見つめた後、興味を失ったように手元のカップを傾けた。
「別に。」

 昨晩よりも欠けた球が変わらず夜空に浮かんでいる。慣れ親しんだ道を淡く照らし、一人の影を浮き彫りにしていた。足を進める度、影が揺れる。人型に筒状のものが付いた歪な影。その影に薄く笑って、肩に下げたギグバッグを軽く叩く。人型とは別に筒状の影が左右に動いた。それを見て、一体ではないと認識する。擦り切れる程、肩に下げ続けて来たギグバッグ。肩当てには繕った後があって、何度も買い替えるように勧められた。体の一部になっているんじゃないかとも言われた。ずっと、使い続けて来た愛用の物。これからも使い続けるつもりだ。夢を視るために。
 自分にとってのヒーローって何だろう。弱者に手を差し伸べることのできる人か。それとも、誰からも正しいと思われる人か。分からないのにヒーロがいる。漫画に出て来たヒーローだ。このヒーローはどちらにも当て嵌まるようで当て嵌まらない。だって、彼は手を差し伸べることはしないし、己のしていることが正しいことだと言ったことはない。それでも彼がヒーローに見えたのは、漫画に出てくるそれではなくて自分の中に思い描いているそれと一致していたからだ。その一致が自分にとってのヒーローなのだろう。だから、そう見えただけで彼はヒーローではない。救世主ではない。身勝手に苦痛から救い出してくれると期待している人物に過ぎない。気付かなかったとしても構わない。自分には歌がある。苦痛から救い出してはくれないが和らげてくれる。苦痛に程度の度合を見るのはどうかと思うが、それは、他者からすれば程度の低いものかもしれない。そんなことで、身勝手に甘えるな、吐き出すなと嘲笑う者もいるだろう。けれど、甘えたくて、吐き出したくて仕方がないのだ。歌っている間は、考えることが出来る。考えて考えて、胸がいっぱいになって、それを決壊させるととても気持ちがいい。だから歌う。叫ぶ。啼く。そうして視た世界は夢のようだった。
 息も絶え絶えになり、無言のままステージの外に向かう。疲れた。熱い。頭から水を浴びて、湯船に浸かり冷えた水を飲んで、柔らかなベッドで寝たい。そんなことを考えていると、腕を掴まれてステージの中央に引き戻された。腕の先には、汗だくでにっかりと笑う友人の姿。恨まし気に目を向ければ促すように目を閉じた。その顔は気持ちよさそうで、倣って目を閉じる。視界の利かなくなった体で感じる音。それは強大で、広大で、凄まじい。後ろ背に沢山の声が向けられ、電流のような痺れを感じる。音が体内に響いて気持ちがいい。色々な声音が綯い交ぜになって襲ってくる。浮いた心地でその余韻に浸っていると、足首を何かに掴まれた。見れば、ステージ下から観客と思しき女性が身を乗り出して足首を掴んでいる。慌てて女性を引き剥がそうとするスタッフを制止し屈むと、女性の手を取って握った。放心している様子の彼女に心からの感謝を述べる。それは彼女に向けたものではなく、ここにいる観客全てに向けたものだった。吐き出しただけのものを彼らは好きだと言った。逃げの為に歌っていたものを彼らは大好きだと言った。それがとても嬉しい。筋違いなのは分かっているけれど、自分が間違っていないと錯覚させてくれる彼らに感謝を言わずにはいられない。囁くように呟いた言葉は、果たして届いたのだろうか。マイクを使っていないにもかかわらず、一層大きくなった歓声に耳鳴りが起き、力の抜けた手からするりと彼女の手が落ちた。見れば、彼女は悲鳴を上げてステージの下に倒れている。熱気にやられたのかもしれない。ステージを降りて彼女に駆け寄ろうとすると、スタッフに止められた。体に問題はないという。ならよかったと、彼女の周囲で倒れていた数人も含め運んでいったスタッフを見届け、今度こそステージを後にした。夢のような夜もこれで終わり。視界の隅に見えた欠けた球は、怖ろしく美しかった。

 座り心地のいい椅子に座っているはずなのに、居心地が悪い。理由は分かっている。頭を上げれば目に入る光景がそれだ。恐る恐る視線をそこに向ける。すると、ウールの絨毯に投げ出された長い脚の持ち主が、車内に設けられたバーカウンターからワインボトルを取り、栓を親指で押し開けていた。軽快な音がして、樹脂でできたコルクが床に落ちる。親指一つで開けられるものなのかと感心して眺めていると、ボトルの中身と同じ色をした目に睨まれ、慌てて視線を足元に戻した。身の毛もよだつ殺気で肌が痛い。
「情けねぇぞ。」
「ぐぇっ。」
ほっとするのも束の間、視界が揺れて腹部に鈍い痛みを感じ振り向けば、隣にいたリボーンがこれまた長い脚をこちらに向けていた。蹴られたらしく、制服にはくっきりと靴の跡が残っている。蹴られるのも仕方ない。臆病が過ぎると自覚はしているが、染み付いた逃げ腰はなかなかに根深いもので、どうしようもないのだ。それは、リボーンも分かっているのだろう。それ以上は何も言わなかった。そう、初めて会った時以前から、自分は臆病で、様々な出来事があったにも関わらず、今もその性根は変わらない。それでもいいと思っている。何も変わらなかったという事実は、出来事を乗り越えた証だと思うから。自分が生きてきた世界を改変されることなく守ることが出来た。だからこそ、リボーンはあの時あの場所で、自分に、お前は変わっていないと言ったのだろう。乗り越えたからこそ、変わらぬ日常に戻ることが出来たのだと。
「まだか。」
しみじみと過去を振り返っていると、恐怖の根源、もといXANXUSが苛立ちの交じった声を上げた。
「あと半時ほどで着きますよ。」
その声に妙齢の女性の声が応える。声は、カウンターバーの前方から聞こえていて、顔を傾ければ、金髪を後ろで纏め、眼鏡を掛けた女性の横顔が見えた。彼女の名前はオレガノ。父さんの秘書をしていると言っていたけれど、こんなに綺麗な人が父さんの秘書だなんて勿体ない気がする。その隣には、スキンヘッドの大柄な男がいて、名前はターメリックというらしい。2人ともXANXUSのどすの利いた声を聞いて苦笑している。苦笑で済ませられる2人に感心しながらも、見倣いたいとは思わなかった。自分がやったら、体にいくつ穴が開くか知れたものじゃない。
 数時間前。下校時間になり、今日も授業中によく眠れたなぁと欠伸をしながら学校の門を跨ぐと、何故だか嫌な予感がした。首を傾げながら帰路を歩いていると、クラクションの音が背後から聞こえ、慌てて足元を確認する。歩道を歩いているので何の問題もないはずだと振り返れば、ドラマに出てくるような車が自分に追随するように徐行していた。リムジンというやつだ。黒塗りの、見覚えのあるエンブレムを付けたリムジンが、住宅街を走っている。貝殻の模様が刻印されたフロントグリルエンブレムだ。ああ、これはもう心当たりしかないと道を引き返せば、車が止まり中央部の扉がスライドして、ニヒルに笑った顔とエメラルド色の拳銃が表れた。

 「ラジオでも付けましょうか。」
ターメリックが右に手を伸ばし、カーナビの下に設置された摘まみを回す。流れてきたラジオは料理の話題で盛り上がっており、前方から何度目かになる舌打ちが聞こえた。それも、今までになく凶悪な。冷や汗を流しながらお腹を摩る。恐怖で空腹を忘れていたが、そろそろ夕飯時だ。いつもなら食卓を囲んでいる時分に、どうして連れ去られる羽目になったかといえば、偏に、自分が失態を犯したからだ。リボーンに補習の有無を訊かれ、有ると答えたらスパルタ指導をされてしまうと思って、ないと答えてしまった。訊いた理由を確かめなかった過去の自分が恨めしい。
 摘まみが回され、ラジオDJの快活な声が車内に響き渡る。最近巷を騒がせている殺人事件について話題に挙げており、注意喚起と被害者家族への激励で締めくくった後、聴き慣れた音楽が流れ出した。一昨日に買い出し先、昨晩に居間で聴いた音楽。音楽は好きだ。ゲームも含め、音楽の関わっているもの全てが好きだ。向こう数年嫌いになったことがない。かと言って、歌うことと聴くことが上手いかと問われれば、上手いと答えることは出来ないのだけれど。得手不得手の基準を決めるのは周囲で、自分ではないと聞いたことがある。その逆も然り。例えば、周囲に音痴と言われていても、本人が上手く歌えていると思ったとすれば、それは上手いのか。一方、周囲に上手いと言われていても、本人が下手だと思っていれば、それは下手なのか。そもそも自分の場合は、どちらでもなかった。怖くて周囲の意見を聞いたこと、恥ずかしくて自分の歌に感想を抱いたことがなかった自分の歌は彼らにとって果たしてどちらなのだろう。以前は自分の歌がどちらかなんて気にならなかったが、周りに人が集まるにつれて気になるようになった。歌には歌った本人の個性や感情が宿るというから、周囲の人が自分の歌を聴いたとして上手だと判断したら、それは自己が受け入れられたということにならないか。気になるようになって、頻繁に思い出すことがある。物心ついたばかりの頃の出来事ではあるが鮮明な思い出だ。

 自己が認められるものか否かを歌の評価で判断するというのは歌への冒涜行為だと諫められたことがあったが、諫めた本人のように評価によってモチベーションを高めるということが出来なかった。自分の歌を周囲に届けるということも含めて。持ちつ持たれつの関係が聴衆と演者の最適な関係だとその人は言った。その人にとって、聴衆の評価から活力を得、その活力を以って紡いだ思いを周囲に届けることがそうなのだという。自分もそうでありたいと試みたがだめだった。どう足掻いても自分はそうでない自分のまま。聴衆の評価から他人にとっての自己を判断、結果次第で外面を変える。そうして活力どころか内面に一切の変化なく事を終えるのだ。無論、思いが届くことはない。そもそも自分の内に届けられる思いがあるとは思えなかった。毒を吐き出す歌で、持ちつ持たれつなんてあったものじゃない。ベクトルが斜め上から来て、斜め下へ行く。自分と聴衆との関係はそんな記号だけの殺風景なイメージだ。考えは人それぞれだからと片付ければそれで終わりだが、そうはいかない。何故なら、その言葉を紡いだ人間が音楽に依存する今の自分を作ったから。憧れのようでありたいという気持ちが、意地汚くもがくのだ。
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