キミの全てが知りたくて





首にヒヤリとした感覚を覚えて、私は目を覚ました。

目を覚ました私の視界を占めたのは、口元に笑みを浮かべ目を細めるヒソカの顔だった。
その大きな角ばった手を私の首に添え、指先にグッと力を込めている。


苦しい


私の四肢を慈しむように撫で上げた指が、包み込むように抱き締めてくれた腕が、今は私の首を絞めている。ただ淡々と。


つい先ほどまで痺れるくらいの甘い時間を紡ぎあっていたのに……なぜ?


疑問が次から次へと溢れ出す。
でも、どんなに息を吸っても空気は吸えなくて。
どんなに口を開けても息苦しさがなくなることはなくて。
どんなに原因を考えても答えは分からなくて。
無為な時間だけが過ぎていった。


ねぇ、ヒソカ…私の事が嫌いなの?殺したいほどに?


動脈の血流を塞き止められて頭が次第に痺れ出す。
酸素を求める口から、カハッと蛙を踏み潰したような醜い音が漏れ落ちる。
苦しい。耳の奥で鳴り響くドクンドクンという音だけが、私を支配した。
その時、


「あぁ…◆」と


ヒソカの唇から漏れた吐息が、私の頬をすり抜けた。

のたうつ苦しさに、涙が自然と零れ落ちてゆく
つい先程まで二人で頭を並べていた白い枕が、じわりじわりと濡れてゆく
頬を伝うその雫のひとつを、ヒソカがペロリと味わうように舐め取った。


まるで蜂蜜でも舐めたかのような満足げな顔で。
そして、彼は囁いた。
まるで睦事のような甘い口調で。



「その顔、綺麗だよ◆」と


彼から送られた言葉は、この場に似つかわしくない甘い言葉で。
その言葉を口にしたヒソカは愉悦に満ちていて。
その目は恍惚を湛えていて。
それは、トランプタワーを壊すあの表情と同じはずなのに。なのに、なのに。
その声はどこか苦しげで。


今まで聞いたことのないヒソカの声に。
絞り出されたか細い声に。
胸が引き裂かれそうだった。



泣かないで
泣かないで
泣かないで、ヒソカ


思いは形にならないで、涙となって消え落ちた。
瞳を鋭く光らせて、唇をにんまりと歪めるけれど、彼のそれは畏怖には遠くて。
何故か私にはその顔が苛立ちをぶつけてくる幼い少年のように見えて。


視界がさらに滲んでいった。



泣かないで、ヒソカ。
お願い、そんな苦しそうな声を出さないで。
そんな悲しそうな顔をしないで。
お願いだから。


伝えたい言葉が次から次へと湧き上がる。
でも、気道を塞がれた私の口から漏れるのは、空気を求める醜い嗚咽だけで。
最期の言葉を残すことすら許されない。


「…あ゛…カハッ…ぐっ…ガ…」


そんな私を口を吊り上げながら見下すヒソカは、笑っているのに笑っていなくて。
でも、その瞳は今にも泣き出しそうに見えて。
彼を包み込んであげたくて腕を動かすけれど
力の入らない私の腕ではそれは不可能で。



涙がさらに零れ落ちた。




痺れる手足。霞む思考。ぼやける視界。遠くなる意識。ああ、私もうすぐ死ぬのね。だけど…



最期に…
最期に一つだけ…



私は残った力を振り絞って不自由な唇を動かした。
ありったけの想いを込めて。
命の全てをかけて。
愛しい愛しい彼の名前を口にした。



「 ヒ ・ ソ ・ カ 」と





****





ねぇ、どうしてだろう。
キミが最期に遺したあの声が耳から離れないんだ。







隣でスヤスヤと寝息を立てるキミを、ボクはジッと覗き込んでいた。さっきまでボクの腕の中で乱れていた妖艶な女性と同一人物だとは思えないくらい、キミはあどけない顔で寝ている。そんな寝顔に思わず口が綻んでしまう。


淫らなキミ、無邪気なキミ、可憐なキミ、大人びたキミ…いったいどれが本当のキミなんだい?


会うたびに表情を変えるキミにボクは振り回されてばっかりだ。次はどんなキミに出会えるのだろう。そんな想いで胸が踊る。こんな気持ちは初めてだ。でもね、時々思うんだ。



キミの色んなソノ顔を、過去の男達も見てきたんじゃないかってね。



今日初めて出会ったキミの新しい顔だって、過去の男の誰かが既に見たことがあるかもしれない。まだボクの知らないキミの顔だって、既に知っている男がいるかもしれない。そう思うだけで、苛立ちが募り胸の中でナニカが猛り狂う。

胸をのたうつこの感情。ソレは嫉妬。誰にも渡したくない、過去のキミも、現在のキミも、未来のキミも。キミの全てはボクのもの。

だから、キミの事がもっと知りたいんだ。
キミの新しい顔を知りたいんだ。
誰も知らないキミの顔を見たいんだ。

もっと…もっと…




君ノ全テガ知リタイ




誰一人として見たことがないキミが見たくて、ボクは手をかけた、キミの首に。酸素を求めて苦しげに喘ぐキミ。眉を寄せ顔をくしゃくしゃに歪めるキミ。血走った眼球から涙をポロポロ流すキミ。ハジメテ見るキミの顔。あぁ、ゾクゾクする。キミは、なんて美しいのだろう。


「その顔、綺麗だよ◆」


思わず口をついたボクの言葉に、キミは驚いた反応を返したね。でも、この言葉は嘘じゃない。キミのその顔は例えようがないくらい綺麗で、額縁を付けて永遠に留めておきたいくらいだよ。そう、題名は「キミのハジメテの顔」、誰も知らないキミの顔、ボクだけが知っている。



こんなキミが見れるなんて、ボクはやっとキミのハジメテの男になれたね。



小刻みにわなないていたキミの腕がパタリと落ちた。見開かれた目。頬を飾る幾筋もの涙の跡。泡がついた唇。ピクリとも動かなくなった君を見て、ボクは白く細い首から指を離した。今日ハジメテ出会ったキミの新しい顔。ボクだけが知っているキミの姿。



「綺麗だよ◆とても」



もう呼吸をしなくなった唇を指でそっとなぞる。口元に残った泡を舌でペロリと舐めとりそのまま口づけをする。乱れた髪を整え頭を何度も何度も撫で上げる。頬に留まった涙を唇で吸い上げ、顔中にキスの雨を降らせる。その間中、ボクは何度も繰り返し囁いた。



「愛してるよ」と。



「愛してる」、そう言うとキミはいつも恥かしそうに顔を反らしたね。朱に染まった頬を隠すように下を向くキミを見つめて、ボクはジッと待つんだ。動揺するキミ。でも、最後には観念したようにボクの方を向いてキミは言うんだ、「私もよ」と。無垢な少女のようなその表情がボクは大好きで。いつもわざと言わせてはキミを困らせていたね。



ねぇ、どうしたの?返事をしてよ



いつものように返事をして。その優しげな瞳でボクを見つめて。「私もよ」ってボクに笑いかけて。



「ねぇ…起きて◆」



何度も何度も目覚めのキスをしても、ピクリとも反応しないキミの瞼。聞こえない呼吸。動かない心臓。



「…ねぇ、起き…て、ボクの名前…呼ん、で」



ねぇ、お願いだから



キミが最期に紡いだ言葉。ソレは確かにボクの名前だった。
例えソレが声無き声だったとしても、ボクには分かる。



最後の言葉
キミのボクを呼ぶ声
最期になってしまった
もう聞くことは永遠に叶わない





ボクが殺してしまったから




違う。
違うんだ。
こんな姿を望んだ訳じゃない。
こんな未来が欲しかった訳じゃない。




ただ君の全てを知りたかっただけなのに。




ただそれだけなのに





もう動かないキミの手を握りしめて、ボクは唇を噛み締めた。キミを想う気持ちと、相反するボクの行動。導かれた答え。キミの死。


噛み締めたボクの唇から、まるで涙のような紅い雫が、顎を伝って地面に静かに落ちていった。ポトリと白い枕の上に落ちた紅いそれは、彼女が遺した涙の軌跡の上に重なった。永遠に重ならない二人の魂をあざ笑うかのように、それらは混ざり合い二度と消えない印を枕に刻んだ。





FIN

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
狩人企画サイトの『心酔処女』様に提出致しました。


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