part7


この付近に住みついている生き物は存在しているのだろうかというほどに寂しい雪山の山中で


激しい吹雪を背に受けながら
二人の人物は肩を並べて歩いていた。


一人は包帯を額に巻いた黒髪の男で
まるで部屋でくつろぐかのような薄着だった。


通常の人間ならば間違いなく凍死してしまうだろう。


しかし男は寒さで顔を青ざめさせることも、動じる素振りも一切見せはしない。


遭難すらしかねない険しい道のりを歩いているというのに
どこか近所を散歩をしているような、飄々とした表情だった。


もう一人の人物は金髪の少年だった。


黒髪の男とは打って変わって、十分に寒さを凌げそうな厚着をしていた。



彼の骨格には全く釣り合わない、明らかにサイズが違うぶかぶかの黒いコートを身にまとっている。


フードを被り、自分の身体よりも大きなそれに身をうずめていてもなお

少年の顔は血色がない。




身なりも表情も対象的なこの二人は
ぎこちなく不釣り合いな空気を醸し出しながらも、肩を並べて同じ道を歩き続ける。


「お前は寒くないのか?」


隣で歩いているクロロを一瞥し
金髪の少年は呟くように話しかけた。


「寒さには耐性がある。なんの問題もない」


それは強がりでも気遣いでもなくて
本当にそう思っているらしかった。


クロロのコートに身を包んだクラピカは
ぐっと唇を噛みしめる。


自分だってある程度の寒さには慣れているつもりだった。


それでもこの寒さにはさすがに身に応える。


しかし隣の男はそれをなんなりと耐え凌ぎ、お前は体力が戻っていないのだからと自分のコートを自分に着るように命じた。


いらないと言い放ち
脱ぎ捨てて突き返したとしても、男はそれを許さない。


悔しかった。


この男の助けを必要としなければ命の危機を感じてしまうことも、なんだかんだでその腹が立つ親切を受け入れてしまったことも…。



(こいつの命令だからだ…)


こいつがコートを着るように命令したから。


こいつの命令には絶対従わなければならないのだから。


(だから、自分はこのコートを脱げないでいるんだ。自分の意志で着ているわけではない…)



クラピカはそう自分に言い聞かせていた。



目を覚ましてからというもの、
明らかに自分の中に変化があった。


それはクラピカにとって決して良いものだとは言えないことであり

瞬時にそれに気づいてしまってからというものの、

底知れぬ危機感と恐怖が日に日に自分に襲いかかっている。




『怒りの風化』




それは自分が最も恐れているものである。
そして絶対にあり得ないと思っていたことだ。


なのに何故、

どうして、

妙な残像が浮かんでしまうのだ…。



毎日毎日心配そうな顔をして日替わりで自分の様子を見にくる団員達。

泣きそうな顔になりながら自分の口に流動食を押し込もうとしているシズクの姿。

自分の腕に針を刺して点滴や怪我の治療をしているマチ。

テーブルの上の緋の目達。

そして、クロロの涙。


「………」


その光景をいつ目の当たりにしたのかも
その時自分が何を考えていたのかも


一切のことを思い出せないのに


どうしてこれらの残像は
自分の脳裏にはっきりと焼き付いてしまっているのだろうか…。


自分が憎くて憎くて仕方がない相手に生かされていたというのなら


それは屈辱的にも甚だしい状況だというのに


どうして…


それほどまでに怒りが湧いてこない…?



クラピカは再び唇を硬く硬く噛み締める。


(全て、幻覚だ。)


そう、きっと自分が眠っている間に見た悪夢なのだ。


気にすることはない。


悪夢の余韻に惑わされているだけで
自分の中の憎しみが消えたわけじゃない。


自分は今まで通り奴らを憎んでいる。


自分が長年抱いてきた憎しみは
そんな簡単なことでなくなってしまうほど浅はかなものではないのだ。


そうだ…
悪夢に騙されるな…


クラピカはふいに足を止めた。


二、三歩歩いたところで
クロロが不思議そうに振り返る。


「どうかしたのか?」


しばらくの沈黙。

クロロは動かない。


「…別に」


そう言い捨てて再び足を踏み出してしまうのは


クロロと肩を並べて歩いてしまうのは


クロロが前に進もうとしないからだ。

自分はこいつの指示に従わなければならないからだ。


自分の意志ではない…。
そういうわけではない…。



クラピカは俯いてふるふると首をふる。


(絶対に違う。余計なことを考えるな。今まで通り、私はこいつを憎んでいる)


目を覚ましてからというもの
クラピカはずっと頭を抱えながら



常にこんなことを言い聞かせ続けている。





「そろそろなんだがな」


雪山を歩きながら
クロロがふいに呟いた。


クラピカに話しかけたのではないらしく、
少し上を向いて視線を空へ彷徨わせている。


完全な独り言のようだった。

クラピカは何も答えずに足を進める。


ふと、クロロの視線がクラピカの方を向いた。


「お前は死後の世界を信じるか?」


いきなり放たれた意味深な質問に
クラピカはしばらく押し黙る。

クロロはクラピカの答えを待っているようだ。


「何故そんなことを聞く」


「別に。地獄とか天国とか、お前は信じているのか疑問に思っただけだ」


嘘だ。
完全になにかを探っている。


「何が言いたい?回りくどい聞き方をせずに直接言え」


「お前が死んだら、悲しむ奴なんているのか?」


クラピカの足が止まった。
殺気を含む鋭い眼光でクロロを睨みつける。


「……どういう意味だ?」


クロロは答えなかった。


「ヨークシンで再会したお前の昔の仲間は、今のお前を見たら何て言うんだろうな」


いつも通りの挑発だ。
相手にするな。


「知るか、私は何も変わってなどいない。今まで通りお前達を深く憎んでいる」


「そうか。ならばお前は俺が死んだら喜ぶか?」


「当たり前だ」


「お前が俺を殺す前に、誰かに殺されたとしてもか?」


「……何が言いたい?」


クラピカは眉をひそめた。
この男の真意が分からない。

こいつは自分から何を引き出そうとしている?


「お前の復讐はもう不可能だ。自分の手で殺すはずだった奴を他の誰かに殺されでもしたら、歯痒い思いをするものなのか?」


「決めつけるな。仮に私が自分の手でお前を殺すことが叶わずに誰かにお前が殺されたとしても、歯痒い思いなどしないだろう。私の中の深い憎しみに、わずかな区切りがつくだけだ」


はっきりと言ってしまってから疑問に思う。

果たしてこれは本心なのか?
復讐を糧にして生きてきた自分にとって、復讐相手を失った世界で生きていくことで
虚無感に苛まれることはないとはっきり断言できるのだろうか?


「そうか」

クロロはそれだけ言うと
ふっと自嘲気味な笑みを零した。

ほんのわずかに漆黒の瞳が揺らいだ気がするが、それはきっと気のせいだろう。




吹雪が少し穏やかになってきた。


複雑な山道を進み、
何時の間にか山を下っていたのだろう。


雪がかかっていないところまで来た。


クロロは足を止めずに歩き、
クラピカもその横でクロロに続く。


この男は何処に向かっているのだろうか?
何故自分を連れてきたのだろうか?



そんなありきたりな疑問に
この男は答えてはくれない。


行けば分かる、お前はただついてくればいい。

そう言って明言をはぐらかされ続けて一体何日が過ぎただろうか?


さすがに問いただすのは面倒になってきた。

どうせこの男は明言を避けるのだろうし
問うてみるだけ時間の無駄だ。


クラピカは何も言わずにクロロについて行く。


しばらくの間無言で歩き
とある地点でクロロが足を止めた。


雪山を過ぎたというのに
相変わらず人気がない寂しい場所だった。


断崖絶壁の広野で荒れ果てている。


『この世界の尖端の地』


頭の中でそんな言葉がぼんやりと浮かんだ。


世界中の誰からも見放されたような錆びれたこの場所は、確かに似ていた。


忘れることのできない場所に。


自分が初めて復讐相手を殺したあの場所に。


よく似ていた。



「ここが目的地なのか?」


「ああ」


「何をするつもりだ?」


「日が暮れたら分かる」


クロロはそれ以上何も言わない。
クラピカに背を向け、振り返ることなく佇んでいる。


クラピカもそれ以上は何も聞かずに
沈みかけた夕日を黙って見つめていた。


ふと、自分がまだクロロのコートを着たままだということを思い出した。


「もう寒くないから返す」


即座に脱ぎ捨ててクロロの背中に突きつける。


「そこら辺に置いておけ」


クロロは振り返ることなく静かに言った。




時間はゆっくりと流れていく。


夕日が沈んで明るい月が姿を現しはじめる瞬間を、二人は黙ったまま眺めていた。


やがて完全に月明かりが夜空を支配して
美しい星達が輝き始めた頃

なにかを待っていたクロロがようやくクラピカの方を向く。


穏やかな笑みを浮かべていた。
その表情は何かに満ち溢れていて。


クラピカに戸惑いを与える。


クロロはクラピカに近付くと
クラピカの肩を優しくぽんと叩いた。


「お前は、ここで見ているだけでいい」


静かにそう告げると
なにがなんだか分からないと言った表情を浮かべて固まったままでいるクラピカに背を向けて


侘しい荒野の中心へとしっかりとした足取りで歩いて行く。


「!!」


クロロの姿を目で追って、
そこでようやく違和感に気が付いた。


ついさっきまでそこになかったものが存在していた。



…誰かが、いる。



荒野に所々に散らされた大きな岩石のひとつに腰を下ろして、誰かがこちらに笑顔を向けていた。


その姿には見覚えがある。


月明かりだけが辺りを照らす薄暗さの中でもはっきりと分かる、がまがましさに満ちたオーラ。


うっすらと浮かび上がる両頬の奇妙なペイント。


余裕の笑みでこちらを向きながら、手の中のトランプを弄んでいるそいつは…。


「ヒソカ…」


「やぁ、久しぶりだね◆」


ヒソカはにっこりと満面の笑顔を作って
片腕を上げる。
親しげに手を振った。


目の前にいるクロロを無視して
少し離れた所で驚愕しているクラピカに話しかける。


「どこで何をしているかと思ったら、まさか君がこんなことになってるなんてさすがに予想外だよ。残念だなぁ、君も美味しそうだったのに…」


「好きでここにいる訳ではない」


視界がわずかに赤みを帯び始めた。


「それは分かるよ。君が大人しく自分からクロロの元に行くわけはないだろうし。可哀想に、捕まっちゃったのかな?それとも賢い君のことだから、内部を把握しながら蜘蛛を潰すチャンスを窺っていたりして」


当たっている?
そう言って
ヒソカは面白そうに首を傾げる。


遠くにいるはずなのに
至近距離から顔を覗かれているような錯覚を覚え、クラピカの額にじんわりと冷や汗が浮かぶ。


そんなクラピカの様子を見て軽く微笑んだ後
ヒソカはわずかに身体を動かした。


背筋がほんの少しだけ動いただけかのように見えたそれは既に残像で


次の瞬間にはクロロの前に立ちふさがっていた。


張り裂けんばかりの恐ろしい笑顔を貼り付けて
それをクロロに向けていた。


クロロは動じない。


「だけどクロロは僕の獲物だからね。君より先に、僕が殺らせてもらうよ◆」


二人がほんの一瞬だけ
同時にクラピカに視線を向けた。



クラピカは息を呑む。


反射的に瞬きをした。



目を開けた次の瞬間には、
二人は目に追えないスピードで互いに向かって走り出していた。



これから始まるのはおそらくヒソカが心の底から切望していたことだろう。


誰にも止めることはできない予測不能の凄まじい闘い…


どちらかが死ぬまで決して終わることのない。



「二匹の怪物達による、本気と本気の殺し合い。」



自分は見たくもないその光景を

最後まで見届けなければならないのだろう。



ーto be continueー


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