スキップというものは、やって見せることに関しては実に簡単だが、言葉で伝えるには非常に困難な動作だ。

 飛び跳ねながら歩くのだよと教えると、なんだかとても子供染みてしまうし、だからといって右足を上げている間に、左足でジャンプして、今度は左足を上げている間に、右足でジャンプするんだよ、なんて教え方をしてしまうと、たちまち実際のスキップとはかけ離れた動作が完成してしまうだろう。これは実に厄介だ。

 だからこの場合、一番いい方法としては、スキップのできる人を両端において、手をつなぎながら見よう見まねでやってみるという方法だ。最初はそうしてやっていたものが、そのうち意識せずともできるようになってしまうのだから何とも不思議だ。君も一度試してみるといい。

 そう考えてみると、スキップという歩き方は、非常に子供染みているようで、しかしとても難解で、でも蓋を開けてみると何とも簡単すぎて吐き気がしそうなものだということに気づく。

「……ねぇ、君たちもそう思わないかい?」

 脇道でスキップの練習をしていた子供たちに、そこまでをくどくどと説明したあとで最後にそう付け加えると、子供たちがきょとんと首をかしげた。

「そうだよね、まだわかんないか。まぁ、薄々そうなんじゃないかとは思っていたけどさ」

 仕方がないので、臨也は屈んでいた体を戻すと、黒いパーカーの裾を翻してその場を去った。これだから子供って嫌いだよ、と、最後にそうつぶやいて。


 さぁ、帰ろうというとき、迷えるだけの部屋があるというのは幸せなことだと、臨也は思う。
 ひとつは自分にとって職場でもある新宿の雑居ビル、そしてもうひとつは――彼の部屋だ。
 そして臨也は、後者である彼の部屋へと向かっていた。

 ノブを捻ると、鍵は開いていた。このご時世、こんな大都会で不用心極まりないが、強盗が押し入ったところで、部屋の主に勝てる者は、おそらくこの世にはいない。

「あ? なんだ、おまえ。帰ってきたのかよ」

 靴を脱いでいると、静雄がお玉を片手にひょいと覗いた。

「それはそれは、帰ってきてしまって申し訳ないね。……っていうか、それ、なに? ちょっと鏡で見てきたら? 君には一番不似合いなものが手に握られている気がするんだけど、これは俺の目が錯覚を起こしているのかな?」
「……うるせぇ」

 いくらか気分を害したらしく、彼が一度だけ舌打ちをするなり、またキッチンへと戻って行ってしまう。

「なになに? なにを作ってるのさ? 彼女でも来るの? 彼女なんかできたんだ? よくできたよね、君みたいな暴力的で奥手な男がさ」
「てんめぇ、いっぺん殺すぞ。ちょっと黙って座ってろ」

 そのせりふを受けて、臨也が改めて部屋を見回して、肩をすくめた。

「座ってろって言うならさ、少しは片付けてほしいよね。俺はこの汚い君の部屋の、一体どこにどう座ればいいのさ?」
「その辺に座れ」
「その辺ってどの辺なのかな?」
「じゃあ帰れ」
「それは君の意思であって、俺の意思じゃない。まあ、一応ここは君の部屋だから、俺が君の意思に反して無理にでも居座り続けた場合、君が警察を呼んだらまずいことになるのかもしれないけど」
「ったく、いちいちうるせぇな。黙って座ってろ」

 フライパンを振りながら、バーテン姿の背中がぶっきらぼうに言い捨てた。
 臨也は適当に場所をつくると、そこにようやく腰を落ちつけて、点いたままになっていたテレビを眺めた。

「ねぇ、このアイドル、いつまでもつと思う?」
「は? どのアイドルだよ?」
「ほら、いますごい人気じゃん。俺が思うに、あと3年もったらいいほうかなぁ」
「てめぇは何にでも興味が湧くんだな」

 今度は鍋に野菜を放り込みながらそう答えてくれる。

「勘違いしないでよ。俺が好きなのはあくまでも人間であって、別に美人でもなければ、可愛くもない、つくりもののアイドルが好きだっていうわけじゃないんだ。そこんとこ、重要だから間違えないでよ」
「おまえは本当にウザい野郎だな」
「そりゃどうも」

 そうこうしているうちに、テーブルの上に野菜炒めと炒飯、そしてレタスとじゃがいもとウィンナーが入ったコンソメスープが運ばれてきた。

「あれ、俺の分まであるんだ?」
「ちょっと多めに作りすぎただけだ」

 向かいに座り、煙草に火をつけながら静雄がそう言った。
 彼のこういう分かりにくくて、なにをしでかすかわからないところが、臨也にとっては新鮮で、そして同時に恐怖でもある。人間を愛している自分にとって、管理できない人間は、この世で彼たった一人だけだ。それが許せない。だからこそ読めるようになりたいと思うし、目の届く場所に彼をおいて研究したいとも思う。

「毒なんか入ってないだろうね?」

 口をつける前に訊ねると、静雄が炒飯を頬張りながら「てめぇを殺すときは、そんな小細工しねぇで真正面からやるよ」と、答えた。それが妙にしっくりきたので、臨也もまた何の疑いもなく、コンソメスープに口をつけた。
 悔しいが美味しい。さすが、たくさんのバイト先を転々としていたことはある。

「ねぇ、きょうが七夕だって知ってた?」
「あぁ? 七夕?」
「そう。織姫と彦星が1年に1度だけ逢うことを許された日なんだ。でもね、これを人間の人生に換算すると、1年に1回どころか7秒に1回の間隔で会っているという計算になるらしい」
「だから、何だよ?」

 灰皿にのせていた煙草をふたたび咥えると、煙たそうに目を細めながら彼が首をかしげる。

「人間ってつくづくばかだと思わない? 同棲しているカップルでも、7秒に1回の感覚で会うなんていうことは不可能に近い。仕事や学校に行かなくてはならないし、そもそもそんなにべたべたくっついているのは恋愛において刺激不足ですぐに別れてしまう可能性だってある。それなのに、遥か遠い星になぞらえて作られたカップルの心配なんかしてさ、心配なんかされなくたって、あっちはあっちで楽しくやってるだろうに、そんなに心配がしたいならまずは自分の人生の心配をすればいいのに、なーんてさ」

 そこまでを早口で言い終えてから、熱々のコンソメスープを啜った。相変わらず、彼は煙を燻らせながら、まるでかわいそうなものを見つけたときのような目でこちらを見ている。

「……おまえ、毎日そんなこと考えてて楽しいか?」
「あぁ、楽しいよ。楽しいさ。言っておくけど、俺はこの人生と性格を気に入っている」
「そりゃ、よかったな」

 彼がそこで野菜炒めを口に運んだ。
 水を含みながら、サングラスを外したナチュラルな彼の顔立ちをじっと眺めてみる。
 そうは悪くないと思った。

「あ、そうだ。七夕で思い出した」

 そこで、おもむろに静雄が立ち上がって、奥の部屋へと向かった。戻ってきたときには、小さな笹の葉が握られていた。

「昼間、露西亜寿司のサイモンにもらったんだ。なんか笹の葉で創作寿司を作るんだとよ」
「なーんか嫌な予感がするよねぇ」
「新しい缶詰がどうとか言ってたぞ」

 炒飯を十分に租借し終えたあとで、臨也はゆっくりとした口調でつぶやいた。

「実に興味深いよねぇ。あの店の料理は、人間の人知を遥かに超えていると思うことがあるよ」
「それは言えてる。……懐かしいな。ガキのころは、短冊に願い事を書いて吊るしたっけか」
「シズちゃんにもそんなかわいいころがあったんだね」
「あぁ? うるせぇ」

 そして臨也は、その過去がひどく嫌いだ。
 探しても、追いかけても手に触れられないものは大嫌いだ。
 それがこの男のものなら、なおさら嫌いだ。

「あとで願い事でも書くか?」

 めずらしく、静雄がそんなことを言った。

「いいよ。“静ちゃんが早く死んでくれますように”って書くことにするね」
「……はぁ、好きにしろよ」

 おおかた食べ終えた彼が、そう言って2本目の煙草に火をつける。

「うそだよ」
「あ?」
「だって、そんな願い事を書いて、現実になっちゃったら困るもんね。……君が死ぬとしたら、殺す側は絶対に俺だから。ほかのだれかに殺されたら、たまったものじゃない」
「……あっそ」

 じっと見つめると、彼も見つめ返してきた。
 彼が煙を吐きながら、「なんだ?」というふうに目を開く。

「本当に君ってばかだよね。それだから奥手だって言われるんだよ」

 聞こえるかどうかの声でささやく。

 今の“間”は、どう考えてもキスをする場所でしょ?

 あぐらをかく彼の腿にそっと指を添えると、臨也はその唇にゆっくりと近づいた。







 
 END
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