『半兵衛殿なんてもう嫌い』



「って、世界で一番好きな子に言われちゃった。姫様どうしよう」
「…一つ聞いても良い?どうしてそれを私に相談するの?半兵衛」
「だって姫様、なまえと仲良いし」
「ええ、まあね。可愛い子よね、なまえは」
「そう、可愛い。すごく可愛い。可愛くて仕方ない」
「やあね。泣いてるの?」
「…だって、まさか嫌われるなんて」

 瞬きをしたら涙が落ちた。俯いたら止まらなくなった。ポタポタと足元にシミを残していくそれを止める方法は、この胸の痛みを消し去る他に無いことを俺は知っている。姫様に気持ちを打ち明けたら少しは楽になると思ったけど、そう簡単な問題ではなかったらしい。初めて胸の内を明かしたらどんどん想いが強くなって、その分だけ涙になった。産まれて初めてこんなに泣くかもしれない。涙が流れる度に俺の想いも外に吐き出されていく。

 半兵衛、と姫様が優しく名前を呼ぶ。

「なまえはあなたが好きよ」
「…姫様は気休めを言わない主義かと思った」
「ええ、その通りよ。気休めなんて言ったところで何になると言うの?」
「…本気で言ってるの?」
「あら、やけに疑うのね。本気に決まってるじゃない」
「だって、なまえが嫌いって言ってたのに?」
「あなた言ってたじゃない。なまえは可愛い子だって」
「可愛い子だよ?」
「そう、可愛いのよあの子。とっても可愛い」

 姫様はとても優しい目で可愛い、可愛いと唱える。姫様がなまえを想う気持ちと俺の気持ちはおそらく似ている。好きという言葉では形容しきれない。彼女はこの世の中で一番尊くて愛しい存在。この乱世に産まれ、育ちながら清らかな心を決して失わない、美しい存在。姫様は美しいものを愛でることが好きだ。だからなまえを大切にする。なまえのことをよく理解している。けれど俺はなまえのことがよくわからないでいた。それには決定的な理由がある。俺は男で、なまえは女だから。

「女だって、素直になれない時はあるものよ?」

 姫様はクスクス笑うと、スッと俺に手を伸ばした。どんどん近付くその手は俺の肩の上で止まり、ひらりと手の平を返した。

「なまえ、いらっしゃい」

 後ろで襖が開く音がした。続けて控え目に近寄る足音が聞こえる。その足音は俺の後ろで止まった。姫様は手を引っ込めると妖艶な笑みを残して部屋を出て行った。俺は姫様の背中を見送りながら、さてどうしたものかと頭を捻る。後ろで何も言わずにジッとしている可愛い女の子には何て声をかければ良いのだろうか。

「…ご機嫌いかが?なまえ」
「悪いよ」
「そう。俺に腹を立ててるの?」
「ち、違うっ」
「じゃあ誰に腹を立ててるの?」
「それは、わ、私自身に」
「へえ?」

 振り返ると、なまえは唇をぎゅうっと結んで俯いていた。心成しか目が潤んでいる。かく言う自分もさっきまで涙を流していたせいで、おそらく目は赤いだろう。しまった、なまえに見られてしまう。そう思って慌てて前を向いた時にはもう遅かった。前を向く直前に視界に映ったのは大きく揺れる瞳だった。はあ、と息を吐きながら目頭を抑える。もう隠し通せない。

「半兵衛殿の目、うさぎみたい」
「…ああ、うん。書物の読みすぎで目が疲れてさ。充血してるのかな」
「嘘。泣いたんでしょ」
「……違うし」
「わかるよ。半兵衛殿のことなら何だって」
「…じゃあ俺がどうして泣いたと思う?」
「私のことが好きだから」
「おお、直球だね」
「だってそうでしょう?」
「…そうだね、その通りだよ」

 自分でも自然と頬の筋肉が緩むのを感じた。多分、今どうしようもなく情けない顔をしていると思う。なまえは俺の表情を見てホッとしたのか眉を下げて笑った。手招きすれば歩み寄る俺よりも小さな体を抱きとめて、首にそっと唇を寄せる。

「私、半兵衛殿が好き」
「…うん」
「大好き。大嫌いなんて嘘。そんな風に思ったことない」
「うん、うん」
「…まだ怒ってる?」
「もう怒ってないよ。でも、そうだなぁ。なまえにもちょっと痛い思いしてもらおうかな」

 そして俺は白い項に噛み付いた。

「…っ!いっったい!何すんの!?」
「お返し。俺はこれよりもずっと痛い思いしたんだから」
「うぐう…これ絶対痕ついてる…」
「いい気味だね」
「半兵衛殿のあんぽんたん」
「なまえに言われたくないね」
「おねね様に言いつけてやる〜!」
「じゃあおねね様にも言えないようなところも噛んであげようか?」
「っ!ば、馬鹿!半兵衛殿の馬鹿!」
「そっくりそのまま返すよ。世界で一番可愛いお馬鹿さん」


(2015.6.1 世界の軸は君にある)



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