鬼のような形相の影山に追いかけられたら、そりゃ誰でも逃げたくなる。

「何で逃げんだよこんのボゲ!!」
「ひえええだって君が追っかけて来るからだよぉおお」
「立ち止まったら追いかけねぇよ!!」
「だって影山明らかに怒ってんじゃん!!私何かした!?身に覚えがないんだけど!!」
「身に覚えが無いだと!?っざけんなボゲ!すっげぇ腹立つ!とりあえず止まれよ!いつまでも校舎内走り回ってたって意味ねーだろ!」
「やぁああ無理無理無理!」

 立ち止まったりなんかしたら間違いなくカツアゲみたいに胸倉掴まれてブンブン揺さぶられて最終的にバレーでサーブ打つみたいに頭ぶっ叩かれるに決まってる。高一女子、頭部破裂により死亡。なんてそんな新聞の一面を飾りかねない殺人事件が容易に想像できるのにこの足を止めろと?無理無理。だいたい何で私がこんな目に遭ってんだよクソが!見てご覧よ生徒達の冷ややかな目を。廊下走り回るとか小学生かよ…みたいな眼差し。

「もーーーー疲れた!!影山止まってよぉ!!」
「ああ!?まずお前が止まれ!そしたら俺も止まる!それで良いだろ!」
「本当!?嘘じゃないよね!?じゃあいっせーのせで止まるよ!?あ、私とは2メートルくらい離れて止まってね!」
「早くしろボゲ!」
「いっせーのっ!!」

 せ!!で自分の足にブレーキをかける。相当勢いがあったのかキキーッと上履きが床に擦れる音が響いた。スライディングのようにスピードが徐々に落ちていって、体がやや斜めに傾きながらも足裏に体重をかけて止めた。とりあえず息を整えて振り向くとそこには

「やっと捕まえたぞ」

 鬼のような形相の影山が立っていた。

「ギャアアアアア」
「うるせーよ!」
「二メートルは離れて止まるって約束したのに!騙したな!」
「誰も約束するなんて言ってねーよ」
「むっかつくぅうう!」

 ギンと睨みつけられてちびるかと思った。蛇に睨まれた蛙の図が勝手に頭の中に浮かんでくる。まさしく今の状況のわかりやすい例えだ。
 なんてことを考えている内に状況が悪化した。ガシッと両肩を掴まれて完全に逃げ場を無くした私はプルプルと恐怖に体を震わせながら自分の足元を見るしかない。顔を上げたら駄目だ。今なら影山の目で殺される自信がある。だってそのくらいの殺気を肌で感じるもん。鬼のような、ってもんじゃないよコレ。正真正銘の鬼だよ。

「ちっ…。こっち向けよ」
「か、かげ、影山が手を、どけ、て離れてくれたら、向くよ…」
「子供みたいにゴネてんじゃねーよ」
「ううう…もうなんなんだよぉ…私が何したってんだよぉ…」
「…んでそんなビビって」

「あっ、影山!と…影山の幼馴染?」
「な…日向、」
「日向ぐうううん!!!」

 救世主だー!!予期せぬ日向くんの登場に一瞬だけ影山が手の力を緩めた。その隙に全力疾走で日向くんの元に走る。「あっ!オイ!」影山の焦った声が聞こえるけど無視。頭上にクエスチョンマークを浮かべる日向くんが目を丸くしながらも腕を広げてくれた。タックルする勢いで日向くんの胸に飛び込んで彼の肩を軸にグルリと背後に回る。日向くんは私と影山を交互に見ながら「え?え?」と状況をあまりよくわかっていない様子だった。そりゃそうだ。実は私も何でこうなったのかよくわからない。日向くんの肩から顔だけ覗かせて影山の様子を伺ってみると、影山が最高に怖い顔してて背筋が凍った。やべーあれマジだよ、マジギレだ。また手が震えてきた…ってアレ?この震え日向くんじゃね?

「みょうじさん…何か影山キレてるけど、なんで」
「ごめん、ごめんね日向くん巻き込んで。でも助けて。あの鬼追っ払って」
「ちょ、無理無理!」
「オイ!!」

 影山の怒鳴り声が廊下にめっちゃ響いた。耳がキーンとして、私も日向くんも硬直した。廊下にいた生徒達が何だ何だとひそひそ話をしている。や、ちょっと目立つのは勘弁して下さい。私優秀な生徒なので先生に目をつけられたくないんですよね。

「お前…いい加減にしろよ」
「え、何。何が?今の何がまずかったの。わかる?日向くん」
「いいいいや俺に聞かれても…!」
「オイ」
「 ( めっちゃドスきいてる怖いい ) 」

 影山がさっきの日向くんみたいに両腕を広げた。ただし、修羅の顔で。

「なまえ、こっち来い」
「無理ィイイイ!」
「良いから来い!…お前もいつまでも背中貸してんじゃねぇよ日向!」
「よ、よくわかんねーけど…みょうじさん怯えてるぞ影山。とりあえずその怖えー顔なんとかした方が…」
「あ゛?」
「みょうじさんとりあえず謝っといたら!?」
「日向くん負けないで!!だって私何も悪いことしてないよ!?」
「まだそれを言うかこの…!」
「影山落ち着けって!今ならお前の目つきの悪さで死者が出るぞ!」
「出ねーよ!!」
「影山!カームダウン!カームダウン!」
「俺は充分落ち着いてるわボゲ!」

 あらやだ影山英語わかるのねすごいわ!なんて冗談を今は口が裂けても言えない。どこらへんが落ち着いてるというのですか。怒鳴りすぎてめっちゃ息切れしてるし…ていうかそんな怒り肩で息しないでよ怖いわ。その背中に漂ってる禍々しいオーラ仕舞って欲しい。

コソッ
「 ( みょうじさん、本当に心当たりねーの? ) 」
「 ( 無い、全然無い。お昼ご飯食べてたら急に影山が来てめっちゃ怖い顔で『来い』とか言うんだもん!身の危険を感じたから逃げた ) 」
「 ( でも影山があんなにキレるのってよっぽどのことがあったんじゃ… ) 」
「 ( 心当たりは無いけど… ) 」
「何コソコソしてんだお前ら」
「「いや何も!?」」

 日向くんと声を揃えて首を横に振った。影山の眉間の皺がより濃くなった気がするのは気のせいなんかじゃない、絶対。

「…なまえ、お前」
「あ、あい」
「青葉城西との練習試合、観に来てただろ」
「…え」

 想定外の質問に一拍置いた。青葉城西の練習試合?確かに、観に行った。だって影山が高校に入って一番最初の練習試合だったし、何より私も北山第一出身だから金田一とかに久々に会いたいと思ったから。

「誰に試合があるって聞いた」
「えっと…」
「言え」
「ひぃっ!及川さんです!」

 グワっと影山が目を見開いた。日向くんは完全にフリーズした。あああ盾が壊された。このLevel99の鬼にサシで挑めと?死亡フラグが立ってるとしか思えない。

「いつ聞いた」
「試合の前日…。な、なんか、急に電話がかかってきて…明日練習試合あるから観においでって…」
「何で及川さんがお前の電話番号知ってんだよ」
「あ、えっと、確か中学の時に及川さんに携帯無理矢理取られて…。ロックかけてなかったから探られたんだと思う…」
「………それで」
「え?」
「え、じゃねーよ。練習試合の日、及川さんに会っただろ」

 今度は私がフリーズする番だった。確信のある影山のその言葉で私は少しずつ現状を飲み込めてきた。そして、出来れば避けたいと思っていた最悪な展開に今なりつつあるのではないか、という疑問と焦りも出てきた。逃げたい。

「及川さんに何て言われたんだよ」
「…いや、別に、何も」
「正直に言えよ」
「……ふ、普通に、あいさつ?」
「だけか?」
「う、うん……、」
「…ちげーだろ」

 心底苛立ってるみたいに影山が舌打ちしながら頭を抱えた。影山のこの反応を見るに、影山は全部知ってるらしい。鎌かけたのかよ。もうこれ以上隠しても影山の怒りを買って状況は悪くなる一方な気がする。

「つ、付き合わない?的なことを言われ、ますた」
「…それで」

 額に手を当てたまま影山は動かずに、掠れた声で続きを促す。それで?って。続きがあることも知っているのか。どうせ及川さんがペラペラ喋ったんだろうな。あの人、昔から影山をからかうの好きだったし。相変わらずなんだな、あの人。

「…キスされた」

 影山は何も言わない。唇の隙間から細いため息を吐き出して黙り込んでしまった。

 しかし、何だろうこの状況。何で影山がこんな深刻そうなんだろう。だって私たちはただの幼馴染で、決して付き合っているわけじゃない。及川さんにキスされたのを黙ってたのだって、影山にそれを話したところで意味がないと思ったからだ。けどこの反応は予想外過ぎる。どうしたんだろう、一体。影山がこんな、まるで落ち込んでるみたいな。

「…ッハ!え、みょうじさんあの大魔王様に告白されたの!?」

 気絶していた日向くんが復活した。張り詰めていた空気がぱちんと弾けて少し息がしやすくなった気がする。肩の力が抜けた。日向くんの無邪気な性格はこういう状況で非常にありがたい。と、思っているのはどうやら私だけみたいだ。影山がめっちゃイライラしてる。

「日向…空気読めよクソが!」
「!?!?ご、ごめん!」
「ありがとう、ありがとう日向くん」
「え?どういたしまして?」
「んでお前は感謝してんだよボゲ!」
「だ、だって影山が超怖いから!」
「怖かねーだろ!」
「怖いよ!何で影山がそんな怒ってんの?」
「!何でって」

 影山の勢いが止まった。キョロキョロと目を泳がせて言葉を模索している。私と日向くんは顔を見合わせて首を傾げた。何だこれ、何この間。影山の顔が少しずつ赤くなっていくのも気になるし、あとそろそろ予鈴が鳴るんじゃないかという焦りも出てきた。やばい4組の担任怖いんだよね。

「す………な………だろ」
「え?何?」
「〜〜〜だからッ!好きな女が他の男にキスなんかされたら不愉快に決まってんだろうがこのボゲ!!だいたいお前は無防備過ぎるんだよ少しは警戒しろ!!及川さんなんかにホイホイ騙されやがってクソが!!お前が反省するまで一切口利いてやらねーからな!!バーカ!!」

 言い終わると同時に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。生徒達はパタパタと駆け足で教室に戻っていく。目を丸くして立ち尽くす私と日向くんをキッと睨みつけて、影山はドシドシと大股で自分のクラスに戻って行った。嵐が過ぎ去ったように廊下は静まり返っている。

「…」
「…」
「…とりあえず、教室戻ろ、日向くん」
「あ、ああ、うん、またな、みょうじさん」
「うん、バイバイ」

 ぎこちなく手を振って日向くんと別れた。日向くんは1組に。私は4組に。錆び付いたロボットみたいな歩き方で席につく私をジッと見つめる隣の席の眼鏡男子の視線が痛い。

「君たち馬鹿でしょ。全部丸聞こえだったんだけど」
「!!!!」
「ま、話の内容は面白かったけどね。…で?大王様と王様、あんたはどっちを選ぶの?」

 全力で逃げるという選択肢はあるのだろうか。



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