お願いだから誰かこれは全て夢だと言ってくれ。

「泊めて?」
「帰れ」

ふわふわとした金髪を夜風に靡かせながらニコニコと笑う目の前の男、芥川慈郎がスエット姿で突如何の連絡もなしに私の家にやってきた現在の時刻は夜の十時。まだ眠るには早い時間帯だけど、明日は休日だから夢の早寝遅起きを決行しようと思っていたのに、予想だにしない来客に私の計画は台なしになってしまった。ちょっとした事情で両親が不在のこの家には普段は私と兄の二人しか住んでいないのだけど、今日は兄が彼女とのデートのため家には私しかいない。つまり、よく話すクラスメイトとは言え仮にも男である芥川慈郎をこの家に泊めることは非常に危険なのである。だから私は即答で芥川の懇願を断り、扉を閉めた。ら、閉まらなかった。扉には閉めさせまいと言わんばかりに芥川の足が挟まっていた。ジーザス。芥川の執着心はゾンビ並である。あまりの恐ろしさに一瞬ドアノブを握る手の力が抜けてしまった。そしてその一瞬の隙を芥川が逃すはずがなく、瞬時にドアノブは手前に引かれ、私の身体はバランスを崩して前方に傾いた。

「あれ、急に抱き着いたりしてどうしたの?もしかして俺に会いたかった?」
「違います。その逆だ帰れ馬鹿。今何時だと思ってんの」
「んー八時?」
「十時だ馬鹿野郎。わかったらさっさと帰れ」
「えーそれは無理」
「何で」
「とりあえず上がって良い?」

そう言って芥川は右手に持っていたコンビニの袋を私に見せ付けた。袋からうっすらと私の好きなお菓子の商品名が見える。コンビニの袋を眺めること約一分、ついにお菓子の誘惑に負けた私は芥川が中に入ることを許してしまった。これほど単純過ぎる自分を恨んだことはない。だけど、お菓子で私を釣ろうとする芥川も芥川である。何でそこまでして私の家に泊まりたがるのだ。なんらかの理由があるにせよ向日とか忍足とか同じテニス部員の家に泊めて貰えば良いのに。そうだ、今からでも遅くないから向日達にメールしよう。思い立ったら即行動、「芥川を引き取れ」というような内容のメールを向日と忍足の二人に一斉送信したところ、わずか十秒で「諦めろ」という簡潔であり辛辣な言葉を頂いてしまった。いらん。せめて訳くらい聞いてくれ。どうしてうちに芥川がいるのか気にならないのか。あ、そうか、どうでもいいからか。そういうことか。この薄情者が。

「ねー何やってんの?早く部屋行こうよ」
「ちょ、何勝手に二階に上がろうとしてんの」
「早くー」

私が携帯に気をとられている隙にいつの間にか芥川は階段の真ん中で立ち止まってこちらを見ていた。こいつのゴーイングマイウェイっぷりには毎度驚かされる。私の家をもはや自分の家だと思っているのか勝手にフラフラと歩き回る芥川を見ているだけで頭が痛くなった。やっぱり家にいれるべきではなかった。早まったか、私。眉間に親指と人差し指を当てて頭痛に堪えながら私も二階へと向かい、既に芥川が中にいるであろう自室の扉を開けると芥川が私のベッドの上に寝転がっている光景が視界に飛び込んできた。うん、なんかもう驚かない。「やっぱり」って思ってしまう自分が怖い。いっそのこと芥川に関しては深く考えないほうが楽なのかもしれない。…あ、向日達が言ってた諦めろってこういうことか。芥川には時に妥協が必要なわけですね、わかりました。いやわかるわけないだろ。

「ちょっと、まだ泊めるとは言ってない。お菓子置いてさっさと帰れ」
「あ、じゃがりこ買ってくればよかった」
「話を聞け」
「…やだ、帰らない」
「何で?もしかして家追い出された?」
「違う」
「…じゃあなんなの」

芥川はコンビニの袋を漁っていた手を止めて唇をアヒルのように尖らせて目線をやや下に下げた。何故か私が芥川をいじめてるみたいな図が出来上がっているけど、決してそうじゃない。早いとこ説得して帰ってもらわないと。だって、私がここで妥協して引き下がったら芥川はきっと本当にここに泊まることになるだろう。そんなことになってたまるか。私は負けじと芥川の目線を追う。

「…だって」
「だって?」
「なまえの親ってさ、今仕事の都合で海外にいるんでしょ?」
「…は?」
「しかも今日はお兄さんもいないって友達と話してるの聞いてたから、家に一人じゃ寂しいと思って」

普段は眠たげに座ってる目が今はキリリと真っすぐに私を捕らえている。びっくりした。あの芥川がこんな表情もできるのかという新発見も驚きだけど、それ以上に芥川が私の為を思って来てくれたことの方が驚きだ。ちょっと都合良すぎる気もするけど、なんかもうどうでも良くなった。私は無言でムースポッキーの袋を開ける。

「これ食べたら帰ってね」
「えー何で!一緒に寝よう?」

芥川の発想は私の常識を軽く越えている。不躾というよりは非常識だ。そんなことはこいつがなんの連絡もなしにうちに来た時からわかっていたけど、まさかここまでとは。私はムースポッキーをもぐもぐと頬張りながらなるべく冷静を装う。

「何で私が芥川と寝ないといけないの?」
「俺がなまえと寝たいから」
「答えになってないよ」
「なまえを抱き枕にしたいから」
「勘弁してくれ」

何で私が芥川に抱きしめられながら寝ないといけないのだ。意味がわからない。さすがにそんなこと言われてまで妥協できるほど私は寛大な人間ではないから、私は何度も何度も帰るように釘を刺した。私の話を聞いているのかいないのか、芥川は枕を抱きしめながらムースポッキーをちみちみと食べている。食べかすが枕の上に落ちないかヒヤヒヤしながら芥川を見つめていると、不意に顔を上げた芥川とバチリと目が合った。芥川はふにゃりと笑う。

「なまえとのお泊り会楽しみだなぁ〜」
「だから話聞けよ」
「聞いてたし〜。寝る前は歯を磨けって話でしょ?」
「ちが……もう良いよそれで」

通常のポッキーよりも本数が少ないムースポッキーは五分も経たない内にあっという間に無くなってしまった。だけどコンビニの袋の中にはまだまだスナック菓子やチョコレートなどが見える。芥川は続いてうす塩味のポテチを開けた。というかいつになったら寝るんだこいつ。いつだって眠そうにしてる芥川は何故か今日に限って目をぱっちりと開けている。まるで修学旅行で夜更かしを楽しむ中学生のようだ。いや確かに芥川は中学生なのだけど。

「私コンソメ派なんだけど」
「俺はうす塩が食べたかったの」
「…あっそ」

私は芥川に背を向けるようにしてゴロンとベッドの上に寝転んだ。ボリボリとポテチをかみ砕く音が耳障りだけど私は目を閉じる。眠い。疲れた。目を閉じるとドッと疲れが出てくる。歯磨いてさっさと寝よう。その前に芥川のために敷布団も出してあげなきゃ。あ、敷布団どこにやったっけ。

「なまえ」
「んー…?」
「眠い?」
「んー…」
「俺眠くないんだけど」
「へー珍しいねー…」
「起きて」
「やだよもう寝る」
「虫歯になるよ」
「んー…」
「…食べちゃうよ」
「んー…」
「なまえを」
「んー……ん?」

ギシリとベッドの軋む音が聞こえて、芥川が私の真横に移動してきたことがわかった。こいつなんて言った。私の聞き間違いじゃなければ中学生らしからぬことを言っていた気がする。私が薄く目を開くと同時にお腹に腕が回った。芥川の腕だ。私がびっくりして思わず顔を上げると、今度は首筋にフワフワと柔らかいものが触れて、私は瞬時にカアッと顔が熱くなるのがわかった。芥川が背後から私を包み込むように抱きしめている。首筋に触れているのは芥川の柔らかい髪の毛だ。私はゴクリと喉を鳴らす。

「あ、芥川?」
「なまえ…良い匂い」
「は、ちょ…」
「甘い匂い…なんか眠くなってきた」
「え、ねぇちょっとこのまま寝ないでよ?今敷布団出してあげるから」
「やだ、俺なまえと寝るって言ったじゃん」
「私嫌だって言ったじゃん」
「…なまえって俺のこと嫌い?」

会話が成立しません。誰か芥川の取り扱い説明書を下さい。扱い方がさっぱりわからない。

「…そうは言ってないでしょ」
「じゃあ好き?」
「何でそんなこと聞くのよ」
「俺、好きだよ」
「何が」
「なまえが」

…。

「 は?」
「好き」
「…え、あの…芥川?」
「なまえが好き」
「ちょ、ストップ!」
「好きすぎて、つらい」
「…え」
「好き…好きだよ、なまえ」

芥川の腕にだんだんと力が加わって、芥川の胸元と私の背中がピッタリと密着する。芥川の吐息が優しく首筋を撫でて、私は身体が震えた。シンと静まり返った部屋の中だからか、私と芥川の心臓の脈打つ音が重なってダイレクトに耳に入り込む。頭が真っ白になった。

「あの…芥川、」
「グゥ」
「………」

グゥって、なにそれいびき?恐る恐るゆっくりと体の向きを変えて芥川の顔を覗き込むと長い睫毛を縁取った瞼が完全に閉ざされているのが見えた。…こいつ自由人過ぎるでしょ。いきなり人の家に押しかけるは告白の最中に眠るは、何なのだ芥川慈郎という人物は。胸元を押してもう一度顔を覗き込むと、よだれを垂らして幸せそうに眠る芥川の寝顔がそこにあった。かなりの間抜け面だけど、どこか幸せそうな表情を見たら自然と口元が緩んだ。芥川ってすごく温かい。緊張が解けたことで再び瞼が重くなる。眠い。もういいや、寝ちゃおう。結局芥川を泊めることになるわ抱き枕にされるわで完全に芥川の思う壷だけど、なんかもうなんだって良い。だんだんと視界が霞んで、背中にある腕の温もりを感じながら私はゆっくりと瞼を下ろす。夢の世界の一歩手前で、幻聴かもしれないけどやけに温かで優しい「好きだよ」という芥川の声が聞こえた気がした。








学校がある平日は本来憂鬱なものであるのに、これほど休日が早く終わることを願ったことは無かった。芥川が家にやってきたのは金曜日の夜であったけど、色々ととんでもないことが起きて結局芥川は土曜日もうちに泊まり込んだのである。もちろん私はさっさと帰れと催促したが、そこに割って入り芥川を引き止めたのはデートで浮かれに浮かれていた馬鹿兄だった。兄はどうやら芥川が私の彼氏だと思い込んでしまったらしく、輝かしい笑顔で「もう一晩泊めてやれ」と私に死刑宣告をしたのである。しかも厄介なことに兄が芥川をえらく気に入ってしまい、ついには芥川を「弟」と呼んでいた。やめろ。私は芥川と付き合っているわけではないし結婚なんて論外だ。私は兄に誤解なのだと必死に弁解する。だがしかし、現在彼女との関係が好調である兄は物事を全てプラスに受け止めようとしているのか、芥川との関係を否定する私の話には全く耳を傾けてくれなかった。こうして兄の中で芥川は私の彼氏というポジションに立ってしまったのである。おまけに兄は私にイケメン彼氏ができたと海外にいる両親に号泣しながら電話をする始末だ。お願いだからこれ以上話を膨らませないでくれ。ニコニコとご満悦な様子の芥川の隣でホロリと私は涙を流す。兄のとんでもない勘違いにより私と芥川はただのクラスメイトから妙な関係になってしまった。
そして月曜日の朝、現在。寝不足で低血圧気味な私はフラフラとおぼつかない足で学校に向かう途中で突然誰かに肩を叩かれた。ゆっくり振り向くと輝かしい笑顔のお二方。目眩が私を襲う。

「チューしたん?」
「お前ら本当死ね」
「良いじゃねーか、お前だって満更でもないだろ?」
「良くねーよ。あのあとお兄ちゃん帰ってきて色々大変だったんだからな。デート帰りで浮かれてる兄程うっとうしいものはないんだぞ」
「お前超おもしれー」
「向日帰れ」
「で?で?チューしたんか?なぁなぁどうなん?焦らさんといてや〜」
「忍足死ね」
「な…何で俺だけ…」

ようやく芥川から解放されたと思いきや、次に待ち構えていたのはあの日まんまと私を見捨てた向日と忍足だった。次から次へと現れる関門を私はどうくぐり抜ければ良い。もはや妥協しか手はないのか。そんな馬鹿な。

「つかさ、お前ジローの告白受けたわけ?」
「んなわけあるか」
「え、そうなん?でもジローの奴、昨日の午後練で『なまえと付き合うことになって超嬉C!』とか言ってたで」
「……………は?」
「なまえ、しっかりしろ。白目剥いてんぞ」
「……え、ていうかあの…え?芥川くんの馬鹿は一体何をしているの?」
「そういえば『明日学校でみんなに自慢するC!』とも言っとったなぁ」

忍足の言葉を全て聞き終える前に私はクラウチングスタートで走り出した。とても帰宅部とは思えないスピードで中等部の校舎へと向かう。背後に砂埃が立ち込めるほどだ。とにかく全速力で階段を駆け上がり、教室へと直行する。ガラガラと勢いよく扉を開くとさっきまで騒々しかった教室が一瞬で静寂に包み込まれたが、次の瞬間には女子の黄色い声が上がった。

「よ!芥川くんの彼女!」
「なまえおめでとー!」

群がる女子の向かう側には自席に座ってニコニコと微笑みながら手を振っている芥川がいた。ありえないだろ。ここまで嘘が広範囲に広がってしまったら、もう弁解の余地がないじゃないか。私が呆然と立ち尽くしていると不意に肩を叩かれた。デジャヴュ。振り向くとまたしても輝かしい笑顔の忍足とその後ろで爆笑している向日がいた。

「諦めた方が楽やで?」

もう一度言う。お願いだから誰かこれは全て夢だと言ってくれ。






「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -