私はこれまで何でもそつなくこなしてきた。変装はもちろんのこと座学、実技、任務、全てにおいてだ。それは私にもともと忍としての才能があったからこそだが、当然これまで苦悩にぶち当たったこともある。しかし、私は努力することを怠らなかった。苦手分野を克服し、得意分野にしようと自分に鞭を打つような努力をしたからこそ、今の私がいるのだ。おかげで六年生をも凌ぐ優秀な成績を保持し、千の顔を持つ男とその名を学園中に轟かせている。私は非の打ち所がない完璧な忍なのだ。

だがしかし、完璧であるはずのこの私が、今人生最大の壁にぶち当たっている。乗り越えようにも高すぎて、破壊しようにも厚すぎる壁が私の行く手を阻んでいるのだ。当然、この私が努力を怠るような真似はしない。私にできないことなどこの世に存在するはずがない。そう、私はやろうと思えば何でもできる。今までだってそうやって乗り越えてきたんだ。そうだ、私は何でもできる。この鉢屋三郎に不可能の文字は無いのだ。

「そのくせ現実残酷過ぎんだよ」
「いきなり何だ三郎。お前も豆腐を食べたいのか?」
「いらねーよ豆腐小僧め…空気読めよ…」
「俺に相談があるのではないのか?」
「いやまあそうなんだがやっぱりやめるわお前に相談しても意味無いことはうすうすわかってたけどやっぱり意味無かった」
「珍しいな。三郎が雷蔵ではなく俺に相談を持ちかけるとは」
「雷蔵には死んでも相談できん。勘右衛門は面白半分ですぐバラしそうだし、八左衛門はその類には疎いし。兵助ならと思っていたが忘れてたよ、お前が豆腐小僧だってことをな」
「忘れられては困る!」
「もう二度と忘れないから安心しろ」

もう駄目だこいつ手遅れだ。俺がどれだけ深刻そうに語ってもどうやら兵助の頭の中には豆腐の文字しかないらしい。私の友人達は一体何故こうも薄情なのだろう。唯一の理解者である雷蔵は今回ばかりはどうしても相談相手にはなり得ない。むしろ敵対する可能性が高いのだ。もし俺の悩みの元凶を語ったりしたら絶対真っ黒な笑みを浮かべた雷蔵の背後に雷鳴が鳴り響くに違いない。雷蔵だけに。いやそんなくだらない駄洒落を言いたいわけではなく、本当に私の命の危機なのだ。物腰柔らかな雷蔵に限ってそれは無いと信じない奴も中にはいるだろうが、雷蔵は怒るとかなり怖いというかこの世の終わりまで追い込まれる感覚というか、とにかく途轍もない恐怖を相手に植え付けるのだ。そもそも何故こんなにも雷蔵に相談することを頑なに拒んでいるのかと言うとそれは深い訳があってだな。

「そういえば三郎さ、雷蔵の妹に惚れたんだってね」
「」
「って勘ちゃんが言っていたぞ」
「…もうやだ勘右衛門」

誰にも話していないはずなのに何で勘右衛門がそれを知っている。勘右衛門はぼけっとしているように見えて意外と鋭いから本当に忍に向いている恐ろしい奴だと思う。

「三郎もなかなか大胆だな。あの雷蔵の妹に手を出すなんて」
「いやまだ手は出してねぇよ」
「そうか?よく雷蔵のフリをして近付いているじゃないか。真っ向から話せないなんて三郎は照れ屋さんだな」
「ぐああ豆腐小僧なんかに理解されてるくっそぉお!ていうか何故私が雷蔵のフリをしなければまともに話せないことお前が知ってるんだよ!」
「この間雷蔵のフリをした三郎が雷蔵の妹が作った菓子を食って鼻の下を伸ばしているのを見た」
「見た…!?」
「勘ちゃんが」
「良い加減にしろよ勘右衛門」

何なんだよ。何なんだよ勘右衛門って。膝を抱えてうずくまりながら恐怖で震えていると兵助が「大丈夫か?」などと言いながらバシバシと背中を叩いて来た。兵助の慰めでちょっと元気が出てきた気がする。な訳ねーだろ。怒りを通り越して悲しみを覚えた。

「まあ、なんだ、あれだ。俺は雷蔵の妹と三郎はなかなかにお似合いだと思う」
「…」
「応援してるから頑張れ」
「兵助お前…!」
「って、勘ちゃんが」

もう何も言うまい。





≪≪≪





近い内に私は死ぬかもしれない。連日に及ぶメンタル攻撃は確実に私の魂を削り落としていた。昨日の兵助の予想外過ぎる的確な指摘、それから今日の昼休みでのことである。あの時私は食堂に向かうまでの道を一人で歩いていた。その時は兵助の指摘なんて忘れていて、今日のランチは何だろうなんてアホなこと考えていたのだが、突然後ろから聞き覚えのある声と規則正しい足音が聞こえてきて思わず私は飛び跳ねた。その時の私は多分ここ一週間で一番テンションが上がっていたと思う。

「兄さん兄さん!待って!」
「やぁ!なまえ」

私(ではなく雷蔵)を引き止めたのはなんと私が密かに想いを寄せているあの雷蔵の妹だった。ここのところテスト続きでなかなか会いに行けない日が続いていたから(もちろん雷蔵のフリをしてだが)、会うことができて私は素直に嬉しかった。歳は私と一つしか変わらないというのに、相変わらずなまえちゃんは小さい。その小さいのが肩で息をしていて、落ち着いたところで前を向く。私と目が合うなり白い頬をほんのり赤く染めあげ、リスみたいなクリクリな目を細めながら笑った。何だこいつ。馬鹿みたいに可愛いな。良い加減に実兄と俺の変装ぐらい見分けろと叱責してやりたいところだが、雷蔵にしか見せないこいつのクッソ可愛い笑顔をこうして独り占めできていると思うともう何だって良くなる。やっべ口角が上がりそう。

「食堂に行くんだよね?私も一緒に行って良いかな?」
「もちろん、構わないよ」

辺りにパアッと花を咲かせて喜ぶなまえに眩暈がした。すげえなこいつ。可愛さ半端ない。倒れそうになりながらもなんとかそれを堪え、行こうか、と雷蔵スマイルを浮かべながらなまえの背中に手を回すと、背後から何やら騒がしい足音が聞こえた。この学園で騒がしい足音と言えば七松先輩が代名詞として飛び出してくるところだが、この足音は七松先輩では無い。誰だようっせーな。近付く人の姿を視認しようと振り向くと、私の頭上が不意に暗くなった。視界が遮られたわけではない。振り向いた先にはいつもの学園の景色が広がっており、人影なんてどこにも見当たらなかった。足音も消えた。では私を覆うこの影はなんだ。雨雲か?だが今日は快晴のはず。急に日が落ちるなんてことはあり得ない。そもそも太陽はまだ真上に、

「死ねよ」

見上げて私は硬直した。逆光で体を黒く染め上げ、目だけを鬼のようにギンと光らせた雷蔵が私目掛けて飛び蹴りを喰らわす瞬間を、今こうして目の当たりにしている。私は反応する間もなく飛び蹴りの餌食になり、気付いた時には体が十メートル近く吹っ飛んでいた。死んだ、私絶対死んだ。痛みとかもはや感じないし、手足の感覚もない。目を開けたら三途の川があって祖父母が手招きしている、とかそんなベタな展開だったらどうしよう笑うしかない。なんとか瞼を持ち上げるとそこには花畑ー…ではなく、忍術学園の校庭という名の地面だった。あっれー私生きてるらしい。土煙で周りがよく見えないがとりあえず私が地面と抱き合っているということだけはわかった。雷蔵の渾身の飛び蹴りを顔面から受けて生きているなんてこれ何て奇跡?なんとか手足も動かせそうだ。体はこんなに重症なのに何故こんなにもベラベラ語れる程意識がはっきりしているのか甚だ疑問ではあるが、まあ生きていたのだから良しとしよう。だからと言って起き上がる気がしない。もし起き上がるものなら今度こそ雷蔵にトドメを刺される。嫌だ私はまだ死ねない。こんなところで死んでたまるか。死んだふりを決め込もう。私は土煙に身を隠しながら死体ごっこを続行すべく目を閉じるが、どうやら雷蔵の目は誤魔化せなかったようだ。ザッと地面を力強く踏む音が目の前で聞こえた。マジで、目の前。あと何ミリかで目玉が潰れるところだったのでは無いかと私は半ば放心状態で引きつった笑みを浮かべながら恐ろしさに体を震わせる。

「人の妹を騙して言い寄ろうなんていい度胸してるね三郎。…いつまで死んだふりしてるの、起きろ」
「あ…いや…違うんすよ雷蔵さん。別になまえちゃんを騙そうとしたわけじゃなくて」
「人の妹の背中に手を回しておいて何?それ言い訳なの?ねぇ」
「ふぐっ」

いってえええ!思いっきり叫んでやりたかったが私は蹴られた鼻を抑えながら蹲ってなんとか悲鳴を消すことができた。雷蔵とんでもなく恐ろしい奴だな。そこらの盗賊なんかよりずっとタチが悪い。至近距離で鼻目掛けて蹴りいれるなんてどんな攻撃だよ。死にはしないがそれ以上の苦痛を味わった気がする。不意に雷蔵がしゃがみこんだ。ヤンキー座りで私の顔を覗き見ながら「え?もう一発欲しいって?」なんて言ってるんだけどもう嫌。

「あの…雷蔵兄さん…」

ここでまさかの救世主登場に私卒倒。雷蔵兄さん、なんて呼ぶのはこの世で一人しかいない。

「ああ、この馬鹿のせいで嫌な思いをさせてしまってごめんねなまえ。あと少しで終わるから待ってて、そしたら食堂に行こう」
「あ…いや、そうじゃなくて、私鉢屋先輩に何もされてないからそこまでしなくても…」
「…いいかいなまえ、こいつは僕の顔を利用して君に近付いたんだ。こんな下心丸出しの馬鹿を庇わなくて良いんだよ。こうでもしないとまた懲りずに君に近付くだろうしね」

びっくりする位言い返す言葉が思いつかん。

「たしかに兄さんだと思ってたから鉢屋先輩だとわかった時はちょっとびっくりしたけど、でもこれは鉢屋先輩の変装を見抜けなかった私の不注意でもあるから」
「なまえ…」
「鉢屋先輩ごめんなさい、こんなことに巻き込んじゃって」
「え〜〜っ?いやいや〜なまえちゃんは全っ然悪くな、……いや、私こそすまなかった。むしろ私が悪いんだ。本当にすまん」
「ええ!?どうしたんですか鉢屋先輩!冷や汗すごいですよ!」
「いや…違う違うこれは…なんか…体の水分?的なやつだから…」
「ですから汗ですって!」

汗…汗なのかこれは…。冷や汗か興奮の汗なのかまったくわからん。私の目線に合わせるようにしゃがんで律儀にごめんなさいをするなまえちゃんがぶったまげるくらい可愛くてつい軽い口調で返したら雷蔵の顔が般若より恐ろしいものに姿を変えたからマジでビビった。全国の兄は妹に言い寄る男に対してはみんなこうなのか。怖い、怖すぎる。

「あの、よかったら鉢屋先輩もお昼ご一緒にどうですか?お詫びに奢りますので」
「なまえちゃん…!」
「…なまえ、やっぱり先に食堂に行っててくれる?僕は三郎を保健室に連れて行くから、そのあと合流しよう。さぁ、行こうか三郎。大事な話もあるしね」
「え…」

終わる。背後にとんでもなく恐ろしい鬼を従えながら素敵な笑みを浮かべる雷蔵から言葉にできない程の恐怖を感じ取った私は微笑みながら涙を流したのであった。





≪≪≪





「ぶふっ…!」
「そこ!笑うとこじゃない!」
「だ…って!ぶ!あっはははは!おかしい!三郎残念すぎる!」
「違う私が悪いのではない、雷蔵がとんでもないんだ。今の話から読み取れるだろ!」
「っ…く、雷蔵もすごい、けど、あの…三郎が…ぶっ」
「…もう良い、勘右衛門に話した私が馬鹿だった。何故今日に限って委員会があるんだよ…」
「神様も勘右衛門に話してご覧って言ってるんだよ。で?保健室では何を言われたの?」
「『なまえを騙すような真似をしたら次は無いからね』」
「…」
「私は一生片想いをする運命なのだろうか」
「雷蔵がバックにいるんじゃ、厳しいだろうね」
「く…」
「でも三郎の気持ちわかるよ。なまえちゃん?可愛いよね。なんか昔飼ってた兎を思い出す」
「小動物みたいだよなクッソ可愛い」
「三郎の執念は異常だけどね」
「振られたわけではないのだから諦めるわけ無いだろ」
「いいね、男らしくて。応援するよ」
「せんべい頬張りながら読書している奴に言われてもな」
「本当だって。俺なかなか情報通だからね、三郎も得する情報知ってるよ。なんなら教えてあげるけど」
「勘右衛門は今日もかっこいいな」
「あからさまなヨイショはいらないからね。まあ良いけど」

床に寝転びながらせんべいを頬張っていた勘右衛門はよっこらせと起き上がり、私と向き合うように胡座をかいてゆっくりと口を開いた。私は勘右衛門の話を一語一句聞き逃すことなく正確に記憶する。勘右衛門情報を要約するとこうだ。なまえちゃんは優しくて勉強ができる年上が好みなのだとか。この情報は勘右衛門の見解でしかないが、一時期なまえちゃんが中在家先輩に片想いしていたという話は本当らしい。なまえちゃんがそのことを兄である雷蔵に相談しているところを勘右衛門が見ていたと言うのだ。ここで私はオイお前と突っ込みたくなったが、勘右衛門曰くその時の雷蔵の表情があまりにも驚愕に満ちていて大変面白かったらしいので私も心の中で盛大に笑ってやった。ていうかなまえちゃんって中在家先輩に片想いしていたのか。なんか妙に納得、というかあんまり衝撃を受けなかった。確かに中在家先輩はかっこいい。不気味なところもあるが後輩や動物に優しいし、勉強もできる。なるほど、うんうん。私もなまえちゃんの理想からかけ離れているわけではない、はずだ。年上だし勉強できるし。優しい…かどうかはちょっとわからんが。だがなまえちゃんに優しくしている自信はある。

「あとなまえちゃんはよく図書室で本を読んでいるそうだよ」
「図書室か…いやちょっと待て図書室って完全に雷蔵の縄張りじゃないか。殺される気満々なのかと雷蔵に勘違いされたら今度こそ私は終わる」
「大丈夫、終わりは始まりと同じだから」
「何の名言だよそれ」
「なまえちゃんと結ばれるのは三郎の努力次第だよ。頑張ってみなって」
「お…おう…」
「そう言えば今日は図書委員総出で新作の本を町まで見に行くんだっけ?でも図書室は開放しとくみたいだし、いるんじゃない?彼女」
「…!勘右衛門…お前…」
「ほら、行きなよ。今日は特に仕事も無いし、チャンスなんだから」

知らなかった、勘右衛門がこんなにイケメンだなんて。勘右衛門が力強く親指を立てて頷くのを見届けて、私は颯爽と委員会部屋を後にした。拳に力を入れ、胸を張って堂々と廊下を歩く。先ほどの力強く親指を私に向ける勘右衛門の輝いた表情を思い出し、私はやはり持つべきは友だと感慨に浸った。ありがとう、勘右衛門。もし私の恋が進展したら美味しい饅頭をお礼に奢ってやろう。楽しみにしているといい。図書室の立て札が見えてきたところで私は深く息を吸い、なるべく平静を装いつつ障子を開けた。

「あ、鉢屋先輩!」

思わず障子を閉めてしまった。まさかいきなりなまえちゃんがいるとは思わなかったのだから仕方ない。図書室に行くまで意気込みは確かにあったのだが、いざなまえちゃんに会った時に話すことを何も考えていないことに今更気付いたのである。なんと言う痛恨のミス。頭を抱えてうな垂れていると障子の向こうから「えぇーちょ、ちょっと!」というなまえちゃんの明らかに動揺している声が聞こえてきた。そりゃそうだよな。引かれたかな。どうしようどうしようとオロオロしていると図書室の障子がガラリと開いた。ひぃ。

「もーいきなり閉めるから何事かと思いましたよー!…?鉢屋先輩?」
「え、あ、いや」
「どうしたんですか?」
「え、えっと…あー…うん…、その…」
「?」
「き、奇遇だな!これから読書でもしようと思っていたのだが、まさかなまえちゃんに会うなんて…」
「鉢屋先輩も読書を?それは奇遇ですね!」
「あっはははは…は、……ん?」

なんか違和感。

「あのさなまえちゃん」
「はい」
「その…よく私が鉢屋だとわかったね。いつもは気付かないのに…」
「わかりますよ、だって今の時間兄は図書委員の仕事で町に出ていますから」
「あ…そうか…」
「はい」
「だ、だよな(やっべ超焦った…)」
「…」
「…」
「…なんてね」
「え」

クスクスとなまえちゃんはおかしそうに笑う。なまえちゃんが笑う理由がさっぱりわからない私の頭の中は疑問符で埋め尽くされていた。ひとしきり笑って息を整えた彼女は見たこと無いくらい妖艶な笑みを浮かべて、次の瞬間には私の右手を掴んでいた。

「図書室の前では迷惑になりますから、場所を変えましょう」

なまえちゃんに腕を引かれている間私はかなり間抜け面だったことだろう。さっぱり状況が理解できていなかった。ただひたすら、何故なまえちゃんが一目見て私が鉢屋であることを見破ったのか、何故笑っていたのか、そして私はこれからどこに連れていかれるのか。高く結い上げられたなまえちゃんの長い髪がゆらゆらと揺れているのをぼんやり見つめながら私は情けないことに完全に冷静さを失っていた。

連れて来られたのは裏庭に聳え立つでっかい木の下だった。私は目をぱちぱちさせながら現状の理解に励むが、きっと無駄な努力に終わるだろう。私の手を離してくるりと可愛らしく振り向いたなまえちゃんは笑っているようで、どこか真剣な表情も垣間見えた。何が何だかわからない私が「えっと」と、無意識に出した言葉を静止するようになまえちゃんが静かに口を開いた。

「実は私、鉢屋先輩が私の前で兄のフリをしていること、知ってるんです」

とても死にたいと思った。

「ちょ、鉢屋先輩何で真っ白になってるんですか!」
「真っ白にもなるよ私超恥ずかしい奴じゃん超痛い子じゃん」
「そ、そんなことありませんよ!私だって鉢屋先輩だとわかってて兄だと思い込んでるフリをしていたんですから!」
「雷蔵のフリをしている私を傷つけないためだろなまえちゃん優しいね。でもそれならもうちょっと早く言って欲しかったなあ、やっべ泣きそう」
「ち、違いますよ!私の方が恥ずかしい奴なんです痛い子なんです!は、鉢屋先輩と正面から話すことができないから先輩を兄だと思うようにしてたんです!」
「え、そんなに私のこと嫌いなの」
「違います違います嫌いなわけないじゃないですか!鉢屋先輩を前にすると緊張しちゃって心臓が破裂しそうで…。で、でも本当は鉢屋先輩とお話したいんですよ!」
「緊張してるの…?」
「は、はい!今だってもう心臓バクバクいってます!でも頑張ってお話してます!」
「も、もしかして私がなまえちゃんに緊張させるような恐怖を植え付けた…り…?」
「ちゃう!」

半ばヤケクソ気味でなまえちゃんが叫んだ。ちゃう!だって、可愛い。ようやくアホらしいこと考えることができるようになってきた。多分、脳がなまえちゃんから発せられる情報の処理を開始したのだろう。頑張ってくれ私の脳みそ。現状を完璧に理解するまで何かが足りない。

「な、何でなまえちゃんは私と話すと緊張するのかな…?」
「い、言わなきゃわかりませんか!」
「わかりません」
「この!鈍感!」
「なまえちゃんそれただの悪口!」
「何でわからないんですか!もう!それに、今の話の流れだと本気で私が兄と鉢屋先輩を見分けられてないと思ってたんですね!馬鹿だなこいつって心の中で笑ってたんでしょう!てっきり鉢屋先輩は気付いててわざとフリを続けているのかと思ってたのに!」
「(ふおおもう立ち直れない)」
「それに、実兄と好きな人を見分けられないはずが無いじゃないですか!」
「うんそうだよね馬鹿にしてごめん馬鹿は私だったね本当にごめんちょっと耳鼻科行ってくる」

今なまえちゃんがサラッととんでもないこと言った気がする。

「…私の告白は無視ですか」
「え?やっぱり今の告白なの?」
「そうですよ!鈍感な鉢屋先輩の為に私が分かりやすくそのまんま愛の告白をしてあげたんです!わかったかこの野郎!」
「なまえちゃんどんどん言葉遣いが汚く…」
「あースッキリした」

なんと男前な。腰に手を当てて明後日の方向を見るなまえちゃんは一仕事終えた職人の顔だった。そらに比べ私は何なのだ。ゴミムシか。変装を見破られていることにも気付かずに雷蔵のフリをすることで好きな子と接点を持てている気になっていたなんて。その上、なまえちゃんが私を好いていることにも気付かずに告白を先越されるなんてなんたる失態。…どっちが男でどっちが女かわからないなこれは。

「あの…なまえちゃん、一つ質問して良いか」
「…何です」
「なまえちゃんは一時期中在家先輩が好きだったって聞いたんだが…中在家先輩はもう、良いのか?」
「ああ…それ尾浜先輩から聞いたんですよね?」
「え、ああ…え?」
「それ、私が尾浜先輩に鉢屋先輩に伝えるようにお願いした嘘の情報ですよ」
「え」
「もちろん中在家先輩にもご協力頂きましたので大丈夫です。私に好きな人がいたって知ったら鉢屋先輩はどんな反応するのかなーって、気になったんです。まあ、その嘘の情報が兄にまで漏れて尋問された時はどうなるかと思いましたが」
「あ、あぁ…それで勘右衛門が笑ってたのか…。ていうかそれってつまりなまえちゃんと勘右衛門は組んでたってことか…?」
「悪巧みしてたわけじゃないんですからそんな風に言わないで下さいよ!まあ、結果的にそうなんですけど!」
「……えええええええマジかよおおおおおおお」

勘右衛門マジで何なのあいつ。勘右衛門は私の味方だったのか?それともなまえちゃんの味方だったのか?それすらわからない。何だこの遣る瀬無さ。ふと委員会部屋を出る時に向けられたあの親指を今になってへし折りたくなった。あの輝かしい笑顔が実はドヤ顔だったと思うと無性に腹が立つ。それと同時に全力でありがとうと叫んでやりたい。

「…で、告白の返事はくれないんですか」

ぶすっと頬を膨らませるなまえちゃんが今までに感じたことの無い程可愛いと思った。やっべぇ可愛い鼻血出そうマジで。とりあえずムラムラ…ではなくキュンキュンするこの気持ちを鎮めるように深いため息を吐きながら目を閉じて必死に次に発さなければならない言葉を模索した。不安そうに私を見つめる視線が私の顔を擽る。ここまで計算高い子が私の気持ちに気付かないわけがないのに。何を不安がる必要があるのだ。もういっそのこと言葉ではなく息が出来なくなるくらい抱きしめてやろうか。それでも十分私の気持ちは伝わるはずだろう。とりあえずなまえちゃんの細い手首を掴んで手前に引いてみた。思っていたよりも簡単に倒れこんだ彼女を胸で受け止め、逃がさないように両腕で閉じ込める。それに応えるように細い二本の腕が背中に回った。

「はー雷蔵には何て言おうか」
「?何をです?」
「私はこれからなまえちゃんと交際するわけなのだから、雷蔵に許可を得ないと」
「その必要はないですよ。兄はあれでも鉢屋先輩を認めてるんです」
「え、それは無い無い絶対無い」
「本当ですよ。ただ、鉢屋先輩が兄のフリで私に接しているのはかなり嫌そうでしたが」
「あぁ…それはもうやめるよ…」
「私もちゃんと鉢屋先輩と正面から話せるように頑張ります。鉢屋先輩も頑張って!」
「ああ、良い加減やめないと勘右衛門に笑いのネタにされそうだしな」
「ちょっとずつ慣れていきましょうね。私、鉢屋先輩のこと勉強ができて優しいことくらいしか知らないです」
「ん…?それどっかで聞いたことがあるような…」
「私の好きなタイプです。尾浜先輩から聞いたんでしょう?」
「あぁ!え。あれ私のことだったんだ」
「当たり前じゃないですか。でも不思議ですよね、鉢屋先輩の素顔も知らないのにたったそれだけで好きになっちゃうなんて」
「私は全てにおいて完璧な人間だからな!」
「あ、自信家なんだ」
「事実だ」
「あとナルシスト」
「それは違う!」

完全に馬鹿にされている。両手で口元を覆いながらクスクスと楽しそうに笑うなまえちゃんがあまりにも可愛いので何も言えないわけだが。笑い終えるとなまえちゃんはニコリと笑って背伸びをした。互いの鼻先が触れるか触れないかという程の距離まで接近し、その小さな両手で私の頬を包む。私はなまえちゃんを抱きしめたままの状態なので自ずと距離は縮まり、まるで口付ける瞬間のような光景のまま数秒、私は情けない程に心臓をバクバクいわせながら呆然としていた。なまえちゃんにされるがままだ。何がどうなっていると混乱していると、ようやくなまえちゃんが口を開いた。

「いつか鉢屋先輩の素顔を見せて下さいね」
「お、おう…」
「約束ですよ」
「ん…いずれな」
「じゃあ私が鉢屋先輩のお嫁さんになったら見せて下さいね!」
「お…!?」

お嫁さん!?そう叫ぶ前に、私の唇はなまえちゃんによって塞がれていた。


Hello
my
eden



なまえちゃんから予想外な告白を受けてめでたく結ばれた翌日。気分が最高潮に高まっている私はらんらんるんるんと軽い足取りで街を歩いていた。右手には先ほど購入した一日限定十個しか販売されない幻の饅頭の包みが握られている。なまえちゃんと結ばれたのはやはり勘右衛門のお陰であるから、約束通り饅頭を購入してやったというわけだ。滅多にお目にかかれない高級品だ。きっと勘右衛門も喜んでくれるはず。早く学園に戻ろうと足を方向転換すると、見覚えのある長く柔らかな黒髪を高く結い上げた男がこれまた見覚えのある店の前にいた。何やってんだあいつ。私が声をかけようかかけまいか迷っていると、くるりとそいつが振り向いた。

「お、三郎ではないか」
「よ、よお…兵助。お前はまた豆腐を買いに来たのか…?」
「もちろんだ!なんと、今日からこの店で季節限定の胡麻豆腐が発売されるようになったのだ!三郎も食べるか?」
「いらん」
「そうか?あぁ、そうだ。聞いたぞ、雷蔵の妹と交際を始めたんだってな」
「ふふん、まあな!雷蔵に聞いたのか?」
「いや、勘ちゃん」
「何でアイツが知ってるんだよ。まだ話してないのに」
「昨日三郎と雷蔵の妹が裏庭でこそこそと話しているのを遠くから見ていたそうだぞ」
「何だと」
「それにしても三郎、お前大丈夫だったか?」
「あ?何が」
「今朝雷蔵がお前を鬼のような形相で探し回っていたぞ。三郎は手が早いとは思ってはいたが、交際を始めたばかりでいきなり接吻とはやるじゃないか」
「…オイ、その情報まさか」
「勘ちゃん」
「くそったれが」

私は丁寧に包装された包み紙を乱雑に破き、高級品の饅頭に思いっきりかぶりついてやった。

「これからが大変だな、三郎」
「学園に帰りたく無いのだが」
「雷蔵が門の前で待ち構えているかもな」
「ちょっと死んでくる」
「雷蔵の妹を残してか?」
「生きる」
「だろう」

「俺もちょうど用事済ませたから帰ろう」兵助に励まされるように背中を叩かれ、私は死んだ目で頷く。饅頭を包む役割を終えた包装紙を焚き火に投げつけ、帰ったら一発勘右衛門の顔面に拳を食い込ませてやろうと決意しつつ、頭の片隅では雷蔵への言い訳を必死に考えている私であった。




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