近頃、我が家で頻繁に怪奇現象が起きている。怪奇現象と言ってもオカルト的な内容ではないのだが、不気味な事件という意味で理解して頂きたい。とりあえず具体的に何が起きているのかを説明しよう。

一つ目、綺麗に洗濯して庭に干していたはずの洗濯物に所々土がついていたこと。

二つ目、花壇の煉瓦が何か鋭利なもので切り付けられたような細長い跡があること。

そして三つ目。三つ目は今日、たった今目の前で起きた。私が愛情をいっぱい注いで育てた花壇のお花達が、グシャグシャに踏み潰されていたのだ。憐れな姿に変わり果てたお花達を愕然と見つめる私は、さらに衝撃的なことにこれまでの怪奇現象の犯人を見てしまったのだ。見てしまったというか、現在進行形で見ている。何食わぬ顔してグシャグシャなお花の上に腰を下ろす犯人を見つめ、私は芝生に手と膝をついて真っ白に燃え尽きた。

「なぁお」
「…いや…『なぁお』じゃなくてさ…もっとさ…他に言うことがあるでしょ…猫さん…」

もうお分かりだろう。洗濯物を汚したのも、花壇の煉瓦に傷をつけたのも、花をグシャグシャに踏み潰したのも、このつぶらな瞳を武器にしている可愛い猫さんだったのだ。罪の意識などまるで無い純粋でキラキラと輝く目で私を見つめながら猫さんは「なぁお」と、また可愛らしく鳴く。なんだこの可愛い生き物。溜まりに溜まった怒りを可愛い猫さんにぶつけることができるわけもなく、私はこれまでの悲劇の数々を無かったことにせざるを得なくなった。また新しい花を植えよう、うん、そうしよう。必死に自分にそう言い聞かせても私の目から涙が止まることはない。そんな私を心配するように猫さんが私を見上げながらゆっくり近付いて、片手をちょこんと私の膝に乗せた。この子、自分が何をしたら可愛いと思われるのかをよく理解している。私も今の仕種で完全に猫さんの虜になった。

「君は可愛いね。隣の家に住んでる人型猫の馬鹿とは違ってなんて素直で愛らしい…」

なぁーお。猫さんが私の独り言に答えるように鳴き声を出す。その反応があまりに可愛かったのでお腹を撫でてやると、猫さんは仰向けになってのびーと足を伸ばした。気持ち良さそうに目を細めて唇を舌でちろちろ舐めている姿がまた壊滅的に可愛い。何かおやつ持ってきてあげようかな。マグロの刺身とかあった気がする。冷蔵庫の中身を確認しようと立ち上がると、猫さんが驚いて勢いよく起き上がった拍子にちりんと鈴のような音が聞こえた。

「…首輪?」

毛に埋もれててよく見えなかったが、確かに猫さんの首には首輪が巻き付いていた。野良猫じゃないのか。誰の家の猫だろう。というか何で家猫が我が家の庭にいるのだ。疑問を抱きながらもう一度しゃがみ込んで猫さんの首元を探ると、名札らしきものがあった。

『菊丸』









「お前の飼い猫かよ!」
「にゃーんだ、なまえの家にいたんだ〜。朝ご飯あげようと思ったらいないから心配したんだぞー」
「この馬鹿!」
「え?何でなまえキレてるの?」

私はこれまでの事件の数々を事細かに説明した。ついでにキャパシティをオーバーした怒りを英二にぶつけることで同時にストレスを発散する。英二は私の話を聞いているのか聞いていないのか、猫さんを左腕で抱えながら右手で耳を塞いで顔をしかめた。こいつ、やっぱりムカつく。

「私の話聞いてる!?」
「なまえ声でかい。そんなに怒鳴らなくても聞こえてるし」
「よかった聞こえてるんですね。じゃあ私に言うことがあるよね」
「この子を送ってくれてサンキュー」
「違う…違う…そういうことじゃない…」
「にゃんだよー」
「英二、お前ちょっとついて来い」

ついて来いと言いながら手を引っ張って強引に我が家の庭に連れてきた。そして無言でグシャグシャになった花壇を指差すと、英二は「あー…」と、ばつが悪い顔をしたと思ったらすぐに「えへっ」とか言いながらお得意の可愛い菊丸スマイルを浮かべたものだから、私はすぐさま舌打ちをしながらきつく睨んで英二の回避を許さなかった。そんな生温い方法で誰が許すか。一方猫さんはというと英二の腕の中で眠くなったのか呑気に欠伸をかいている。

「これを見てどう思う?その子の肉球についた土を見て君は何て言わなければならない?」
「ゴメン…」
「よし」
「この子が大変迷惑をかけました」
「猫さんは悪くねぇ!」

頭を軽く押して猫さんにお辞儀させる英二をすかさずスパーンと叩く。確かに猫さんが全てやったことだが、そもそも飼い主である英二がしっかり見張っていないからこんなことになったのだ。つまり、英二が悪い。猫さんに責任転嫁するなんて都合が良すぎる。

「だいたい、猫は家の中で飼うものでしょ」
「だぁーって、うちインコいるしぃ〜」
「それなら初めから飼うなよ…」
「ていうか、この子俺の家の猫じゃない」
「え?」
「この辺りに捨てられた猫みたいなんだよねー。やせ細ってて可愛そうだったから見かける度にご飯あげてたら懐いちゃって」
「…」
「最近ちょくちょくいなくなると思ったらなまえの家に来てたんだねー」

悪さは駄目だぞーと言いながら英二は猫さんの頭を人差し指で撫でてやる。猫さんは嬉しそうに目を細めて「なぁお」と鳴いた。猫さんはどうやら本当に英二に懐いているようだ。だけど、それはそれ。これはこれ。餌をあげてたら懐かれちゃった、とか言ってたけど腑に落ちないのが本心である。動物好きな英二らしいと言えばそうだが、しかし近所迷惑に発展するのはどうなのだろう。

「私の家だからよかったけど、向かいの西田さんの家の盆栽に何かあったら英二殺されるよ」
「あー…あの爺ちゃん怖いもんね…。でもこの子が叱られて怖い思いするくらいなら、俺が代わりに叱られてあげるよ」
「猫なのに怖い思いするの?」
「当たり前じゃん、猫にだって感情があるんだから。この子今はこうやって甘えてくるけど、最初は俺を引っ掻いてきたりするくらい人間不信だったんだよ。だって人間に捨てられたんだもんね、仕方ないよ」
「…そっか」
「だからこの子を怒らないであげてね〜」
「猫さんには初めから怒ってないよ。英二には怒ってるけど」
「うん、ちゃんと花植えるの手伝うよ」
「…ん、じゃあそれで」

なるほど、だから菊丸と書かれた首輪を付けさせてたわけか。時々ものすごくムカつく奴だけど、なんだかんだ言って英二は総合的に良い奴だと思う。私も動物は好きだが、猫さんの代わりに西田さんに怒鳴られるのだけは御免なので、英二のそういうところは尊敬してるし、同時に好きだ。

「ちょっと待ってて、今濡れタオル持ってくる」
「ん?何で?」
「足に泥ついたままじゃ猫さんかわいそうだし」
「おぉう!そっか!じゃあお願いねん」

相変わらず腕に抱えたままの猫さんのお手々で「バ〜イ」と手を振る英二を見て、何で私が英二にこき使われてるんだとか疑問に思いながらサンダルを脱ぎ捨てて小走りで洗面所に向かう。本当は猫用のシャンプーがあればよかったのだが、あいにくうちにそんなものは無い。普段家族が使ってない大きめのタオルを見つけたので、それを充分に濡らしてから力強く絞る。タオルを伸ばしながら庭に戻ると、英二は芝生の上にあぐらをかいて猫さんを足の間に座らせていた。にゃんにゃ〜んとかなんとか、普段の菊丸語なのか猫さんとじゃれあってる時用なのかよくわからない言葉を発している。
ていうか、猫ってもっと素っ気ない生き物じゃなかったか…。なんだあの猫さんのふやけた表情は。英二に心開きすぎだろ。

「猫さんは英二が好きなんだね」
「まーな!」
「英二も猫だから仲間意識持ってるんだよ」
「俺人間なんだけど」

真面目にツッコミを入れる英二が面白くてケラケラと笑ってると英二は唇を尖らせる。そういう表情を普通男がやったらイラッとくるところだが、英二だから違和感を全く感じないどころか可愛いとさえ思ってしまうから不思議だ。手始めに英二の相棒である大石君で想像してみたところ、イライラを通り越して悲しい気持ちになった。
我ながらくだらないところで無駄に頭を使っていたわけだが、実はさっきから気になって仕方ないことがある。

「この子、もしかしてまだ名前無いの?」
うーん、まだ決定してないんだよねー。候補はあるんだけど」
「へー。何て名前?」
「タマかひよこ」
「後者何でだよ」
「ひよこみたいにふわふわで丸いから!」
「英二ちょっと黙ってろ。私が名付け親になる」
「にゃんでだよう!」
「お前に名前付けさせたら猫さんが可哀相だろ!私が決める!」
「じゃあ何にするんだよ!」
「ポチ…とかどうよ」
「それ犬の名前だろ!」
「どう考えてもひよこより良いだろ!」
「じゃあタマで良いじゃん!」
「タマはサザエさん家の猫だろ!」
「ポチだってコボちゃん家の犬じゃん!」

ギャーギャー言い合いしながら私は心の中で思った。どっちもどっちだ、と。

「…」
「…」
「一から考えよう…」
「そだね…」

とりあえず猫さんの体を拭きながら私達は一言も言葉を交わさずに名前を考える。どうせなら可愛い名前が良い。なんかこう…ふわふわしてて…一発で名前覚えられるようなやつ。

「何か思い付いた?」
「なーんも」
「意外と難しいね…」
「む〜」

腕を組んで難しい顔をする英二を余所に私はわしわし猫さんの体を拭く。顔を撫でるように優しく拭いてやると猫さんは気持ち良さそうに目を細めた。またしても眠くなってきたのか、くかぁと口を大きく開く。

「なぁお」
「気持ち良いの?可愛いなー君は」
「なぁお」
「そっか〜じゃあもっと拭いてあげるね」
「うわ〜なまえが猫と会話してる…」
「猫の扱いには慣れてるからな」
「そこで何で俺を見るのかにゃ?」
「なぁお」

またしても猫さんが鳴く。この子人間の言葉がわかるのだろうか。さっきからタイミング良く鳴くのでそんな感じがする。鳴くと言ってもいつも「なぁお」だけど。「なぁお」ってなんか名前みたいだな。なお。女の子らしくて非常に可愛らしい名前じゃないか。

「…」
「…」
「…」
「…今なまえが考えてること当ててあげようか」
「…と、いう事は英二君も気付いてしまったんだね」
「うん…遅ればせながら…」
「遅ればせながら…」

うんうん。私達は意味もなく頷きながら猫さんの頭を撫でた。

「なお」
「良い名前じゃーん」
「今までのポチとかタマとかひよことか何だったんだろうね」
「結果オーライだにゃ」
「都合良すぎるにゃ」

確かに結果的に鳴き声をヒントに良い名前思い付いたからよかったけども。ひよことか言う名前をつけていたらなおちゃんグレて非行に走っちゃうところだったわ。近所迷惑な行為が悪化しなくてよかった。

「おっしゃ、私名付け親だ」
「え?何言ってんの?名付け親は俺だよ?」
「?いやいやいや、私ですけど?」
「俺だろ」
「いや私だろ」
「俺!」
「私!」
「俺!」
「私!」
「このぉおお…なまえしつこーい!!」
「良いか!しつこいのは!お前だ!お前!」
「二回言うな!」

性格が子供っぽい英二と私がぶつかるといつもこうだ。いや、私の方が英二よりいくらか大人だがな!

「…仕方ないなぁー、なまえが名付け親でいーよ」

と思ったら英二の方が私よりいくらか大人だったワーイ。なんだよこれ…英二の方が大人とか悔しいじゃんか…。

「いや…良いよ…英二が名付け親になれば良いよ…」
「心変わり早っ」
「もういっそのこと二人共名付け親で良いよ…」
「にゃんだそれー。名付け夫婦?」
「ふ、ふーふ…!?」
「違うの?」
「英二の発想がぶっ飛び過ぎてて私まだ取り残されてるんだけど…」
「なまえ付いてこーい」
「何?なおちゃんは私達の子供なの?」
「だってそうじゃん?俺がなおのパパで、なまえがママ」
「はぁ…」
「にゃんだよその顔ー」
「いや…まあ…」
「まあ、何?」
「いや別に…もちろん子供のようになおちゃんを可愛がりますとも…」
「なおだけ?旦那の俺は?」
「私が英二を可愛がったら気持ち悪いです」
「可愛がらなくて良いからさ、好きになって欲しいかなー」
「えっ」

えっ。

「なまえ、顔すごいよ」
「…わざとです」
「天才だにゃ」

うわあああ。思わず心の中で死ぬ程叫んだ。危うく英二ワールドに引き込まれるところだった…危なかった…。くっそー不覚にもドキッとしてしまったじゃないか。相手はあのにゃんにゃん猫被り英二だというのに。

「よぉ〜し、なおー綺麗になったぞ〜」
「なぁお」
「くそ…くそ…」
「なまえ、大丈夫?」

なんだろう、今日は英二スペシャル感謝デーか何かなのだろうか。今日の英二はいつもと一味違うのか。なおちゃんに優しい英二に感心したり、名付け親の席をあっさり譲った英二に裏切られたり、急に告白みたいな台詞でド…ドキドキさせられたり。

「なまえ顔真っ赤だよ」
「違うこれは夕日が…」
「まだ太陽は真上にあるけど」
「そ…そうか…どうりで暑いわけだ…」
「ふーん」

湯気が出そうなほど熱くなった頬を手の平で押さえて俯く。変な汗が吹き出てきてなんか気持ち悪い。苦しい言い訳だが、英二は大して興味が無いのかまたなおちゃんと遊び始めたので、これは回避できたと思って間違いではないはず、だ。多分。

「ドキドキした?」
「、」
「はは〜ん、図星だにゃ〜」

抱き抱えたなおちゃんのお手々で私をふよふよと指差す英二は満足げに笑っていた。ば、ばれてるぅ。びっくりし過ぎて頭が真っ白になった。

「…」
「…」
「何か言えよ〜」
「なおちゃん可愛いね」
「そだね」
「…」
「…」
「…」
「って違うだろ!」

見兼ねた英二が再び突っ込んだ。いつもはボケ担当なのに今日はよく突っ込むなぁ…とか呑気に驚いてたら急にガバッと英二がこちらを向いた。心なしか英二さん、なんか怒ってらっしゃる。その隙になおちゃんは解かれた腕の隙間からそろそろと抜け出して植木鉢の裏に移動した。そしてこちらをジッと見ている。さながら夫婦喧嘩を陰でそっと見つめる子供のような眼差で。

「あのさ!」
「は、はい」
「さっき言ったこと、本当だかんね」
「おう…」
「…ちゃんと考えとけよな」

さっき言ったこと。そう言われて不覚にも再び照れてしまった。私が鈍感ちゃんだったらどんなに良かっただろう。わかりたくなかったが、あいにく勘の良い私には英二の言っていることがわかってしまったわけでありまして、はい。

「まさか英二がね…」
「にゃんだよう」
「いや…、でもありがとう」
「ふはっ、照れるじゃん」

軽く吹き出したかと思えば英二はすぐにいつもの柔らかい笑みを浮かべる。私は冷静な口ぶりの割に内心めちゃくちゃ照れていたので、真っ赤な顔を隠すように体育座りで膝に額をくっつけて俯くことしかできない。なおちゃんを撫でるような優しい手つきで私の頭を撫でる英二の手が耳の上を滑るようにしてゆっくりと首筋に回った。英二の額と私の額がコツンとぶつかる。

「都合よく忘れんなよ」
「が、頑張る」
「ん」

額を合わせたまま英二はわしゃわしゃと私の頭を撫でる。顔同士が近すぎるせいで英二の表情はよく見えないが、唇が満足げに弧を描いていたので、きっと笑っているのだろう。

「よぅ〜し!なおにおやつをあげよーう!」
「なぁお!」
「あ、うちにマグロの刺身あるよ」
「おおうすっげー豪華」
「今持ってくるね」
「よろしく〜」

パタパタと駆け足でキッチンに向かう。英二の姿が見えなくなったとたんに顔がボッと熱くなるのがわかった。冷蔵庫に寄り掛かったままズルズルと床に体育座りで縮こまる。

「し」

死ぬかもしれない。ドキドキし過ぎて心臓が止まりそう。まさか今日という日にこんなことが起きるなんて誰が予想できる。あの英二に、あっさりとさりげなく告られた。英二なんてついさっきまでご近所の付き合いってだけだったし、そりゃたまにテニスの試合を見に行ったりもしたけど学校は違うし、そもそも英二は青学で可愛い彼女を作ってるのかとばかり思っていた。英二との共通点と言えば歳が同じで家がお隣りってだけだったのに、英二が私のこと好きだったなんて、いやまさかそんなわけ。

「…うそーん…」

嬉しい、良かった、なんて思っている。嘘だろ。自分の中にこんな感情があるなんて知らなかったし、考えたこともなかった。でもこうして嬉しいと感じて鼓動がやたらと頭に響くのは、紛れも無く。

そろそろとキッチンから中庭を覗くと英二がなおちゃんを抱き抱えているのが見えた。互いの鼻先をくっつけてじゃれあっている。うれしそうな英二の横顔を見てまた胸がキュッとなった。私もいつかは英二にああやって抱きしめて貰えるのかな、なんて。自分の中の女の子らしい感情がなんだかくすぐったい。私がこんなにも頬を染めて熱を冷ますことに苦戦しているのも、激しい動悸を抑えられないのも、知っているのは私だけで良い。



















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