一度流れ出した涙はそう簡単には止まってくれない。それならいっそのこと出し切ってしまいたくて目を強く瞑ってみるが、この胸の痛みが消えない限り涙は流れつづけることを私は知っていた。そっと目を開くと、涙でぼやけた視界に夕焼けの赤が反射してチカチカと目の奥が痛む。

「この…この…憎たらしい涙め…早く止まれよ…」
「もっと静かに泣けないのか」
「だ…だって止まってくれないんだよ…。鬼道君の前なのに…は、恥ずかしくて死ぬ…。ごめんね、鬼道君関係ないのにこんなことに巻き込んじゃって…」
「気にするな。クラスメイトが教室の隅で泣いているところを黙って見ているほど、俺は薄情な人間ではない」
「お、男前な言葉をありがとう…今度なんか奢るね…」
「いいから。早く泣き止め」
「あ…ハンカチ…。ありがとう、鬼道君」

綺麗にアイロンがかけられたピンピンのハンカチを受け取り、私はそっと目元に押し当てた。鼻水ついたらごめんね鬼道君。感謝と申し訳ないと思う気持ちでいっぱいになりながら、鬼道君のためにも早く涙を止めようと深く息を吸った。鬼道君のハンカチから香る優しいせっけんの香りを肺いっぱいに吸い込むと、いくらか気持ちが楽になった気がする。あれ、なんか発言が変態っぽい。

「ところで鬼道君、何で泣いてるのか聞かないんだね」
「なんとなくわかる」
「え」
「俺がお前について知っていることと泣いている事実が関係しているのであれば、な」
「わ、私の知っていることって?」
「お前は隣のクラスの男に片想いしている。そして彼女がいるという理由でフられた」
「 (ほああああ!ば…バレてるだと…!?) 」
「心配するな。このことは人から聞いたのでは無く俺の憶測にすぎない」
「鬼道君がなんでそれをわかっちゃったのかはこの際触れない方が良いの…?」
「愚問だな」
「 (鬼道君怖い…) 」
「お前を見ていればあの男が好きなことくらいすぐにわかった」

窓の外を見ていた鬼道君が不意にこちらを向いた。太陽は徐々に沈んでいき、空が桔梗色に染まり始めている。鬼道君の顔に影が落ちて表情は伺えないけれど、声質がなんとなく色々な感情が混ざり合った複雑なものであることだけはわかった。頬を流れた涙が乾いていく。

「私そんなにあの人のこと見てた…?」
「あいつを見ていたことが決定的だったわけではない。お前の目や表情が物語っていた」
「わかりやすかったってことだよね恥ずかしい死にたい」
「俺が敏感に反応しただけだ。出来れば俺の勘違いだと思いたかったが、今日泣いているお前を見て確信してしまったことが悔しい」

く、悔しい…?俯いていた顔を上げて鬼道君を見上げると、鬼道君がゆっくりとこちらに近付いているのが見えた。ハッとして後退ると、それを許さないと言わんばかりに鬼道君が私の手首を掴む。一歩下がろうとしても、背後のロッカーが行く手を阻んでいた。ガシャン。踵がロッカーにぶつかった音が静かに教室内に谺する。何、これ。何がどうしたの。どうすればいいの。どうしてこんな状況に追い込まれているのだろう。背中に嫌な汗が伝うのを感じながら、私は唇を震わせながら目の前に迫る彼の名前を呼ぶ。鬼道君の様子が、変だ。

「なあ、みょうじ」

空はいよいよ藍色に包まれていった。電気のついていない放課後の教室は真っ暗で、僅かな不安と恐怖に体が震える。その上、今まで見たことの無い鬼道君が怖くてたまらない。何で手首を掴まれているのかも、鬼道君の様子がおかしい理由を私に理解出来る訳もなかった。今までに感じたことのない鬼道君のオーラと居心地の悪い空気に、止まりかけていた涙がまた溢れた。

「…どうして泣くんだ」
「ご…ごめ…。でも鬼道君なんか変だよ…落ち着いて、とりあえず手を離して」
「落ち着くのは俺では無くお前の方だろう」
「そ、それもそうだけど…鬼道君、なんか怖いよ…」
「怖いのか、俺が」
「そ、そうじゃなくて…、違う…怖いというか、いつもの鬼道君じゃないように思えて…」
「確かにいつもの俺では無いかもしれないな」
「ほ、ほらやっぱり…。だから落ち着いて…、ね?手を離して欲し、」
「お前が好きだという気持ちが今は抑えられそうにない」

手首を掴む鬼道君の手に力が入る。怖いし痛いし、もう何がなんだかわからない。鬼道君の手が私の手首を溶かしてしまいそうなほど熱くて、私はただ彼から離れなければと、そればかり考えていた。私の心を見透かしてか、鬼道君が喉の奥で笑う。

「みょうじ」
「き、鬼道君…お願い離して…」
「漬け込むつもりはまったく無いが、このまま何もしないで終わらせるつもりもない。何のために俺がお前の側にいたと思う?俺の気持ちをお前にわからせるためだ」
「だって、わかんないよ…そんなこと言われてもどうして良いか…」
「みょうじ、受け入れてくれ。頼む」
「や…ちょ、鬼道君…」
「みょうじ、みょうじ…好きだ。お前のことがずっと好きだった」

もはや涙は流れない。私を抱きしめて首すじに顔をうずめながら、好きだ好きだと何度もつぶやく鬼道君が悲しそうで、泣きそうで。泣きたいのは私の方なのに、鬼道君を見ていて悲しい気持ちになるのは何故なのだろう。私は悪くないのに、何でこんな罪悪感に心臓が潰されそうになっているのだ。わからないよ、鬼道君。必死に言葉を探しても、声を出すことができなかった。ヒュウ、と喉を掠れた息が教室の暗闇に消える。この暗闇だけが私が縋れる唯一だ。もう何も見たくない。何も感じたくない。暗闇の中に一緒に溶けて消えてしまいたいのに、手首にある鬼道君の熱と首すじにかかる吐息が私を捕らえて離さない。

「お前を見ているだけにするのはもうやめだ。いい加減、疲れた」

枯渇していく。私の心が、静かに。

( 2013 5/9 )
あさくらさんへ感謝の気持ちを込めて。企画参加ありがとうございました!



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