風邪が流行っているらしい。学校側から風邪の予防対策とかで厚着しろだのマスクの着用だのを義務付けられているけど、私はめんどくせぇの一言で流した。そもそも風邪の予防対策だなんて私には必要ない。何故なら私はこれまで風邪を引いたことが無いからだ。恵まれた健康体を持つ私には風邪の流行なんて関係ないのである。

「ぶえっくしょーーーいっ!!」

 前言撤回する。私の体は特別性でも何でもなかった。無念。自分のくしゃみが体育館の用具倉庫に響いたことにビビりながら、ポケットの中から取り出したテッシュで鼻をかんだ。まさか鼻をやられるとは…黄色のベンザを買って帰ろう。ずびっと鼻を啜ってため息をつくと、ネットを抱えていた影山が振り向いた。

「みょうじ、風邪か?」
「んー…ぞうみだい…」
「すごい鼻声だな。大丈夫か?具合は?」
「大丈夫、具合は悪くないけど…こんなに冷え込むとは思わなかった」
「寒いのか?」
「ちょっとねー」
「じゃあこれ、着てろよ」

 そう言って影山くんは自分が今まで着ていた黒ジャージを脱いで、私に手渡した。黒地に白字で印刷された『烏野高校排球部』の文字と影山くんの顔を交互に見る。

「え?部活のジャンパー…良いの?」
「おう。どうせ部活中脱いでるし」
「マジで〜〜!わーありがとう!!」
「それに…みょうじに風邪引かれたら困る。お、お前はマネージャーだからなっ!」
「うぇ〜い!」

 ツンデレかよ。

「具合悪かったらすぐ言えよ」
「うん!ありがと!いや〜あったけぇ」

 影山くんは背が高いから私が着るとやっぱりぶかぶかだった。袖が長すぎて腕まくりしないと手が隠れてしまう。両腕の袖を捲る時にフワッと影山くんの匂いがした。ほう、これは良い柔軟剤を使ってやがるな。くんくん。

「影山くんめっちゃ良い匂いだな…なんか負けた気分…」
「変態くさいぞお前」
「何とでも言うが良い。くんかくんか。はすはす」
「やめろ!」

 顔を真っ赤にした影山くんが私に腕を伸ばした。その腕を華麗に避けた私はジャンパーの裾を翻しながら倉庫を出て潔子さんのお手伝いに向かう。ほああ〜やっぱ良い匂い。後ろで影山くんがギャーギャー叫んでる。

「なまえちゃーん」
「ん?どったの山口」
「ツッキー見なかった?」
「………月島ァ?」
「え!?何でそんな嫌そうな顔するの!?」

 嫌そうなんじゃなくて実際嫌なんだよ。

「月島のことなんぞ知らん。トイレじゃね?」
「トイレは探しに行ったけどいなかった!」
「マジで探したのかよ。月島が用足してるところだったらどうすんの」
「もーなまえちゃん真面目に考えてよ!もうすぐ部活始まるのに!」
「はぁー?月島なんか知らね。澤村先輩に怒られるが良い。ザマァ」
「なまえちゃんツッキーに恨みでもあるの!?」
「はあ!?あるに決まってんだろーが!無かったらここまで突っかからねーよ!」
「うえええツッキーが何をしたってのさぁ!?」
「はああお前今何つった!?お前あんだけツッキーツッキー言っておきながらあいつが日頃私にどんな嫌がらせしてるのか知らねぇの!?お前馬鹿か!?お前馬鹿か!?」
「よくわからないけど落ち着いてなまえちゃん怖い!!」

 付き人みたいなポジションのクセに山口は本当に何も知らないらしい。こいつ日頃から月島の何を見てるわけ?良いところしか見てないんじゃね?月島に良いところなんてないけど。

 月島のことは部活に入部した当初から嫌な奴だなーっていう苦手意識があった。何故か偉そうだし、馬鹿にしてくるし、ハイスペックだし。でもあくまでムカついてただけだった。それがついこの間、マジで嫌いな奴に格下げした。月島は本当に性格が悪い。日向とか影山に対しても嫌な奴だけど、彼らには口で言うだけだからまだ良い方だと思う。私なんてここ一ヶ月、ほぼ毎日嫌がらせを受けている。特に腹が立った出来事は、今思い出してもムカムカする。

「この間の調理実習でシュークリーム作ったじゃん?あれ、おやつの楽しみ残しておいたのに…月島の奴が全部食べちゃったんだよッッ!!」
「シュークリーム…」
「しかも全部食べておきながら『コンビニのシュークリームの方が何倍も美味しい』とかほざきやがるしよ!?腹立つべ!?」
「はは…ツッキー…」
「言っておくけどそれだけじゃないよ!?私が買ったいちごオレのジュースと月島が間違えて買ったとかいうブラックコーヒーを交換させやがったしよぉ!?交換っつーか無理矢理奪ったからね!?いや買い直せよって話じゃん!?私のこと嫌い過ぎだろ!何であそこまで嫌がらせするのかね?これが一ヶ月続いてるんだよ?キレるに決まってんだろふざけんな山口!」
「何で怒りの矛先が俺に!?ま、まあツッキーも悪意があってやってるんじゃないよ…」
「お前それ本気で言ってんのか?」
「ごめん。100%悪意だね。ごめん」
「当たり前だろ。悪意じゃなきゃ逆に何なんだよ。アーッたく腹立つわぁ。親の顔が見てみたいよ」
「ツッキーのお母さんは綺麗な人だよ!」
「そういうこと聞いてんじゃねーよ」
「ご、ごめん!」

 溜まってたものを一気に吐き出して少しスッキリした。まだシュークリームのことは許してないけど。今度何が何でも月島にコンビニのプレミアムシュークリーム奢らせる。とりあえず今は山口に当たっても仕方ない。

「ムカつくから放っておきたいところだけど…月島がいないと練習始まらないから手当たり次第探そう」
「なまえちゃんありがとう!俺、澤村さんに話してくる!」
「あいよー。じゃあ私は外を探しに行くから」

 とりあえず適当に外の水飲み場辺りを見てみるか。影山くんから借りたジャンパーの裾を伸ばして指先まで覆いながら外に出た。ふぅうクソ寒ぃ。また鼻水垂れてきちゃったよ。鼻水は出なくて良いから月島が出て来い。まさか私の勘が当たってマジで水飲み場にいる、なんてことは無いかな。あるわけないか。

「あったわ」
「…何でいるの」

 諦め半分で水飲み場まで来てみたら、予想外なことに本当に月島がいた。いや、予想して行ったんだから予想的中と言えるのか?マジか私すげぇ。何やら濡らしたタオルで目元を冷やしている月島がチラリと私を見た。あ、眼鏡外してるの珍しい。やっぱり顔綺麗だなぁ。ムカつく。

「部活始まるのにツッキーがいないって山口がうるさいから探しに来たの。何やってんのこんなところで」
「…別に」

 カッチーン。探しに来たって言ってんのにごめんの一言も無いんかいこいつは。それどころか「何でお前がいるんだよ」みたいな視線送ってくるしね。何なの。何なのこいつ。やっぱり放っておけば良かった。

「部活、始まるってば」
「…わかってる」
「……どうしたの?何か元気なくない?」

 月島の様子が変だ。普段と違ってどこか覇気が無い。建物の柱に寄りかかるように座り込んでいる彼は少しダルそうに見える。

「月島」
「何でも無い。後から行くから、先に行って」
「何でも無くないでしょ。具合悪いの?」

 月島の側に寄って同じようにしゃがみ込めば、タオルで顔を冷やしていて私が近くにいることに気付かなかった月島がバッと勢い良く顔を上げた。珍しく目を見開いて戸惑っている。

「…月島、顔青白いよ」
「…」
「熱は?」
「けほっ……無い」
「うーん、風邪かねぇ」

 通りでおとなしいと思った。あの皮肉屋の月島が私を前にしてこんなに口数が少ないわけがないもん。こんなに静かな月島は逆に気持ち悪い。

「あなたの風邪はどこから?」
「…」
「そこは乗れよ。さっき咳してたし、喉かな?銀のベンザ買って帰りなね。頭痛とかない?吐き気とか」
「…よく喋るね、今日のみょうじは」
「だって月島が喋らないから」
「…」

 月島は俯いて再びタオルに顔を埋めた。ぼうっとするのだろうか。私は風邪の症状に詳しくないから、月島が何も言わないんじゃわからない。

「とりあえず、外にいるのは体が冷えるし良くないよ。中に入ろう。そんで今日は早退させて貰いな」
「はあ?」
「はあ?じゃねーよ。そんなダルそうにしててバレー出来ると思ってんの?」
「あんたに指図されるとなんかムカつく」
「私はお前がムカつく」

 ゆらりと月島が立ち上がる。

「何てことない。ただ、少し目眩がしただけ」
「咳もしてたじゃん」
「大したことない」
「そうは見えないけど」
「みょうじうるさい」
「ムカつくわー人が心配してんのに」
「余計なお世話」
「あっそーかよ」

 もう知らん。プイと月島に背中を向ける。立つのも辛いなら肩くらい貸してやろうと思ったけどやーめた。先に戻る。

「…ねぇ、みょうじ」
「あ?」

 呼び止められて、つい振り向いた。すると何故か月島が複雑そうな顔をして私を見ていた。月島でもそんな顔をするのか。ちょっと意外で驚いた。

「その上着」
「ああ、これ?影山くんの」
「王様の…?」
「寒くて。借りたの」

 私がそう言うと月島はムッとしたように目を細めた。エーなんか睨まれてるよ。

「…あーあ、王様も迷惑してるだろうね。あんたみたいなブスに上着貸さないといけないなんて。かわいそう」
「あ?誰がブスだって?」
「なあに、まさか自分が可愛いとでも思ってんの?」

 こいつ本当に殺したい。

「…はっ。何とでも言うが良いよ。私こう見えてもモテるもん。月島にとってブスでも私を可愛いって言ってくれる人はいるもーん」
「妄想でしょ」
「違うわい!今日だってサッカー部の先輩に呼び出されて告白されたもんね〜だ」
「…は?」
「お前のお友達の山口だって初対面で私のこと可愛いって言ってただろーがよ?山口に聞いてみ?私のこと可愛いと思ってるか聞いてみ?」
「誰」
「は?」
「あんたに告白したっていうサッカー部の先輩、誰?」

 何でそこに食いついたんだよ。しかもなんか声低いし。何だよ。何怒ってんの。

「知らん。名前忘れた」
「…」
「でも本当だし。告白されたし。イケメンだったし。付き合っても良いかな〜?ってちょっと思ったけど」
「はぁ?冗談でしょ」
「え、真面目」
「中身を知らずによくそんなこと考えられるね」
「あー…確かに」
「だいたい、あんたみたいなブスに彼氏なんて出来るわけないでしょ?調子に乗らないでくれる?不快だから」
「はぁ〜?お前私の話聞いてた?今日の告白もオッケーすれば私に彼氏が出来ていたんですよ?どぅーゆーあんだすたんど?」
「そんなことで浮かれちゃって…かわいそうな人」
「おっしゃーー喧嘩売ったな!?買うぞ!まとめて買うぞチクショーめ!」

 豪快に腕まくりをして大股でドシドシと月島に詰め寄った。月島は表情を変えることなく、ぼんやりとした目で私を見下ろしている。あ、そういえばこいつ風邪気味なんだった。さすがに病人に暴力はまずいか。

「ねえ」

 掠れた声で呼ばれて見上げると、真面目な表情の月島と目が合った。そしてゆっくりと月島の手が伸びて私の頬に触れる。…え、えええ?何これ。ナニコレー!?

「つ、月島…!?」

 離れようとしたら月島の腕が腰に回った。月島の顔が近づく。

「 ( エーーーッ!?!? ) 」

 いよいよ混乱してきた。どうした?月島どうした?そして私もどうした?全然身動きとれないし、月島相手にすごいドキドキしてる。月島如きにときめいてるなんて私の身に一体何があったと言うの!?でも仕方ない!月島イケメンだものー!

「何顔赤くしてんの気持ち悪い。近くで見るとますますブスだね、あんた」

 瞬時に顔から熱が引いた。

「キィイイイイッッ!!」
「すーごいアホ面だったよ」
「このヤロー!病人だからって手加減してやらん!!殴る!!」

 ついに堪忍袋の緒が切れた私は勢い良く影山くんのジャンパーを脱ぎ捨ててTシャツ姿で身構えた。腹立たしくて寒さなんかを感じる余裕もない。こう見えても空手習ってたんだからなコラ!黒帯だぞオラ!ガーッと口から火を吹く勢いで威嚇する私を月島は静かに見下ろしている。すると、月島は間を置いてから小さく笑った。

「馬鹿だね。乗せられちゃってさ」
「はぁ?乗ってやったんですけど?喧嘩買ってやったんですけど?何ですか?怖気付いたんですか?」
「王様から借りた上着、水たまりに落ちたよ」
「………エ」

 月島が指差した方を見ると、私が思わず投げ捨てた影山くんのジャンパーは水たまりの水分を吸い込んでびちゃびちゃになっていた。あ、ああ…私、何てことを。膝から崩れ落ちた。

「うあああーーッ影山くんごめん!!本当にごめん!!ごめんーー!!」
「馬鹿だねー」
「ちゃんと洗って返すよぉ!良い柔軟剤買って帰るからぁ!月島この事影山くんには内緒にしてて!お願い!」
「どうしよっかなぁ〜?」
「後生だから!後生だから!ごしょ、ぶえっくしょーい!」
「…」

 月島から引き気味の眼差しを感じる。事のヤバさに気付いて一気に体温が下がり、加えてこの寒空の下にTシャツ一枚の私。風邪が悪化した気がする。止まらないくしゃみと体の震えに耐えながら月島に頭を下げ続けた。これで影山くんにチクったりしたらマジで月島は鬼だ。鬼島だ。

「あんたって本当に馬鹿だね」

 フワリと私の頭に何かが被せられた。暖かい。それと、影山くんのとはまた違う柔軟剤の匂いがする。真っ黒のそれを手に取って、パチパチと大袈裟に瞬きしながら月島を見つめる。

「それ着なよ。マネージャーが風邪を拗らせるわけにはいかないでしょ」
「さてはお前もツンデレだな!?」
「いらないなら返して」
「いりますいります!ありがとうございます!」

 流行ってるのかな、ツンデレ。
 月島から受け取った部活のジャンパーを羽織って素早く袖を通した。予想はしてたけど影山くんのよりもぶかぶかだ。袖を三回くらい折るとちょうどいい長さになる。更に肘まで袖を捲り、水浸しになった影山くんのジャンパーを拾って水気を切った。本当に申し訳ないことをした。良い洗剤と柔軟剤でしっかり洗濯してアイロンかけてピシッと綺麗に畳んで返そう。ぐんぐんヨーグルト二本付きで。

「みょうじ」
「何でしょう」
「みょうじこそ、今日は帰りな」
「え、何で?」
「さっき、少しだけど顔熱かった。熱あるよ」
「ウソ!?」

 ペタペタと自分の顔や首を触ってみても手の平の体温も高くてよくわからなかった。言われてみると確かにさっきまでは鼻がムズムズするだけだったけど、少し体が怠くなってきた。これが熱なのか?熱出たこと無いからよくわからないけど、少しフラフラする。

「先に部室行ってて」
「え?」
「家まで送る」
「え」

 矢でも降るんじゃないか。

「今失礼なこと考えてたでしょ」
「いやいや!山口の言う通り月島は良い奴だなって思ってた!イヨッ!ツッキー!」
「わざとらしいね。…まあ良いや。突っかかるのも怠い。澤村さんには僕から話しておくから、早く帰る準備したら?」
「う、うん。月島、ありがとう」
「どういたしまして」

 月島の親切っぷりが逆に怖い。ありがたいけど、怖い。親切なんて月島に一番似合わない言葉だ。ジャンパー貸してくれたし、おまけに家まで送ってくれるなんて不気味過ぎる。裏があるんじゃないだろうか。体育館にまっすぐ向かうフリして振り向き様に「なーんて、ウ・ソ。自力で帰れ」とか言われるんじゃないかと疑わずにはいられなくて、柱の影に隠れて月島の背中をジッと見つめた。でも月島は振り向くこともなく角を曲がり、体育館の扉に手をかけた。そして。

「…っくし」

 くしゃみをした。私より何十倍も可愛らしいくしゃみは私の心臓をガッと鷲掴み、一方月島はと言うと何事もなかったかのように体育館の中に姿を消した。

 …いやはや、実に見事なり。あっぱれ月島。最後の最後で投下した爆弾は破壊力抜群であったぞ。爆風に巻き込まれたような、いやそれ以上の衝撃である。私は額に手を当てて細く息を吐き出し、微笑を浮かべながら柱に寄り掛かった。

 シュークリームの件、許してやるよ。



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