美容院に行ったら想像以上に前髪を切られた。

「おはようみょうじ。…ん?髪切ったのか、似合うな」
「 ( ふぉっ ) 大地さん…オハヨウゴザイマス」

 今日は朝練も午後練も無いからバレー部には会わないだろうと油断していたら、下駄箱前でバッタリ大地さんに会った。声をかけられて無視するわけにもいかず、前髪を片手で隠しながら振り向くと大地さんは「何で額を隠してるんだ?」と首を傾げた。「いや、あの…」と言葉を詰まらせる私を大地さんは不思議そうに見つめる。うう…どうか見逃してください…!心の中で手を合わせていると、突然後ろから肩を叩かれて反射的に振り向いた。誰かの人差し指が私の頬をプニプニとつつく。

「おーす!なまえボブにしたんだな。可愛いなぁ〜こいつ〜」
「本当だ…短くなってる」
「お、おは、おはようございましゅスガさん…旭さん…」
「 ( しゅ? ) どうした?元気ないけど、もしかして熱があるのか?」
「いえいえ、まさか…何でもありませんことよ。うふふ」
「前髪なんか隠して…もしかして、」
「ひいいい旭さん!?いや何でも無いですよ!?はい!元気ッス!はい!あ、潔子さんおはようございまーす!」
「あ、ちょっとなまえちゃん!?何で俺の時だけビクつくの!?」
「東峰!みょうじを怖がらせるな!」
「えええ!?今のどこに怖がる要素が!?」

 私の前髪の異変に勘付いたらしい旭さんからシュタタターと猛スピードで逃げて、タイミング良く登校した潔子さんの元に駆け寄った。
 こんな前髪は絶対に誰にも見せられない。だって眉毛が丸出しなんだぜ。おでこが半分しか隠れてないんだぜ。美容師には「眉下で」ってお願いしたのに、雑誌に夢中になってる間にこんなパッツンになってただなんて、無念の一言に尽きる。何度か美容師にクイッと顔を上げさせられたけど、つい雑誌が気になって自ら俯いてしまったのがいけなかったのだ。こんなことになるなら前髪を切ってる間だけでもちゃんと前を見ておくべきだった。「っふふっ…!」と堪えきれなくて吹き出したあの時の美容師の顔は忘れない。思い出してギリィと歯を食いしばっていたら、潔子さんがクスリと笑った。はぅ…今日もお美しい潔子さん。

「なまえちゃん」
「はい!何でしょう」
「髪切ったね。可愛い」
「や、そんなっ!潔子さんにそんな風に言って貰えて恐縮ですぅ…」
「なまえちゃん…」
「き、潔子さぁあん…」

 花も恥じらう微笑を浮かべた潔子さんがその美しいお手で私の頭を撫でて、するりと滑らかな動作で私の手を取ると壊れものを扱うようにそっと握った。私の心臓が信じられないくらいドクドクいってる。く、苦ちい…!潔子さんの手はなんてスベスベなんだろう。今のうちにたっぷり触っとこ。そしてノヤっさんと田中さんに自慢する。もう今なら死んでも良い。

「…前髪、ほぼ無いね」
「…あ、」

 潔子さんは策士であった。





 前髪事情を理解した潔子さんは私にヘアピンを貸して下さった。「いっそ前髪を全部上げちゃえば気にならないよ」と、微笑みと共にアドバイスを下さった彼女は紛れもない女神であった。「有り難き幸せ!」と90°にお辞儀してマッハでトイレに駆け込んで前髪をグワっと上げた。微妙に前髪が残ってるより、こうして思い切っておでこを丸出しにした方が確かに幾分かマシである。調子に乗って流行りのボブヘアーにしてみたけど、私がやるとなんか芋い。鉞担いだ金太郎みたい。って、さっき廊下ですれ違ったクラスメイトの月島に言われた。ぐぅ。

「おっ!なまえー!」
「あ、日向。おはよ」
「本当に髪切ってる!」
「うん、金太郎、だけどね」
「金太郎?よくわかんねーけど、可愛いじゃん。似合ってるぞ!」
「!!…日向んは優しいね…!」
「そんなことより!」
「切り替え早いな。うん、何かな?」
「失恋したって本当か?」
「は?」
「月島が言ってた!なまえは失恋したから髪を切ったんだって!」
「日向、月島の言うこと鵜呑みにしたらダメだよ。彼の半分は嫌味で出来てるから」
「え、じゃあ違うのか?」
「違うよ。そもそも好きな人いないし」
「ふーん」

 ふーん、て。失恋じゃないとわかった瞬間興味失せたみたいなリアクションやめろ。日向は私に何を期待しているの。

「ていうか、おでこ」
「…ふ、触れないで」
「まだ触ってない!」
「そうじゃねーよ」
「でも触りたい!」
「アホか!」
「なまえのおでこ綺麗だなー!ツルツル!」
「ツルツル…」
「触るとご利益があるって聞いた!」
「あるわけないでしょ。誰だよそんなデマ流したの…」
「月島!」
「だから月島の言うこと信じるなっつの」

 えーとかつまんねーとかなんとかブツブツと言いながら唇を尖らせる日向の反応に軽くイラっとしながらさり気なく彼の背後を見ると、目つきの悪い長身がこっちに向かってくるのが見えた。

「何騒いでんだお前ら」
「影山!このバカなんとかして!」
「お前髪切ったんだな。…で、前髪どうした」
「美容院に置いて来た」
「は?」
「影山!影山もなまえのおでこ触りたいよな!」
「日向、共感求めるのやめて」
「おでこ?」
「だってツルツルしてて可愛いじゃん!触りたい!」
「セクハラで訴えるよ」
「ええっ!?」

 日向マジでうるさい。でこでこツルツル連呼すんなし。だいたいツルツルって何だよ。禿げてるみたいじゃん。せめてスベスベとかにして欲しい。

「お前何で前髪上げてるんだよ」
「うん、まあ、ちょっとね。…イメチェン」
「おーでーこー!」
「そういえばさっき月島が『みょうじは傷心中だから抉ると良いよ』って言ってたぞ」
「慰めるんじゃなくて抉るところが月島らしいよねマジで腹立つわ」
「さーわーらーせーろー!」
「日向うるっさいな!そんなにツルツルしてるものが触りたいならバレーボール触ってれば良いじゃん!」
「そういうことじゃなーい!」
「お前そんなに気にするなら前髪下ろせば良いだろ」
「え…」
「そーだぞ!そんなグワッて上げてたら触りたくもなる!」
「それはお前だけだボゲ」

 影山の最もな指摘に私は冷や汗を流した。そう、確かに、影山の言う通りおでこを見せてるから日向がこんなに突っかかってくるのだ。だから前髪を下ろしておでこを隠せばいい。確かに、確かにそうだ。でもな、私は前髪を見せたくないんだよ。だからこうするしかないんだ。

「お前、前髪切り過ぎたのか?」

 影山は空気が読めるのか読めないのか時々わからない。

「え、それで前髪上げてるの?何で?」
「さあ。女子が考えてることなんて知るかよ」
「前髪短いのが嫌ってことは、つまりおでことか眉毛を見られたくないってことだろ?でも前髪上げたら見せたくないのも丸見えじゃんか。それなら短くても前髪あった方が良くね?」
「おいみょうじ、黙ってたらわかんねーよ」

 日向と影山の純粋な疑問が生み出した鋭い言葉の矢が胸に刺さる。息もつがせぬ猛攻に私の心はベキベキに折れていた。言い返す言葉も、その気もない。日向の的を射た言葉が私の頭の中でリピートされている。私は何を守ろうとしていたんだろう。プライドか?恥じらいか?しかし、それらはさっき日向に否定されてしまった。もはや私が隠し通すべきものなんて、無い。

「絶対に笑わない…?」
「笑わない!絶対笑わない!」
「前髪で笑うわけ無いだろ」
「…ならば見るがいい!この哀れにも刈り取られた前髪の無残な姿を…!」

 超スタイリッシュにかっこよくピン留めを外した。頭頂に固定されていた前髪がふわりと前に落ちる。おでこの真ん中辺りに髪の感触があった。ああ、ついに見られた。潔子さんにしか見せてないのに…!私はグッと目を瞑る。恥ずかしくて誰にも見せられなかった短く切り揃えられた前髪を、ついに日向と影山に見られてしまった。そして思った。やっぱり恥ずかしい。日向の言葉で羞恥心が消えた気がしたけどやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。二人はどんな顔をしているのだろう。そろりと片目を開けると、日向も影山も予想外にもフツーにいつもと変わらない様子で私を見ていた。あれ、おかしいな。もっとこう、吹き出して笑うような展開かと。すると日向はにぱっと笑ってバシバシ私の背中を叩いた。

「可愛いじゃんか!」
「え、」
「良いんじゃねーの、別に」
「嘘!?こんなパッツンなのに!?二人とも気遣ってない!?」
「全然!俺は本心!」
「お前に気なんて遣うかよめんどくせぇ」
「めんどくさいって何だコラ」
「前髪グワッて上げてるよりこっちのが良いって!モデルでもこういうオシャレな人いるし、なまえスッゲー似合ってるぞ!」
「ほ、本当に?」
「お前が思ってるほど悪くねぇよ。つか、前髪なんて嫌でもすぐ伸びんだろ」
「確かに…」
「そうそう!身長も髪と同じ速度で伸びないかなぁ〜」
「それはねーよ」

 馬鹿にされるどころか予想外に好評な髪型に自分の耳を疑った。こんな髪型でも可愛いなんて言葉を貰えるなんて思わなかった。きょとんと目を丸くするが、だんだんと自分の頬の筋肉が緩んでいくのがわかる。心の中のもやもやが消えて、陽がさしたようなポカポカとした気持ちになった。
 日向が日々悩んでる身長はなかなか伸びないものだけど、前髪なんて一ヶ月で一センチくらい伸びる。日向の悩みに比べたら私の悩みなんて小さいものだ。体を張った日向のフォローに私は密かに感動していた。日向でも気を遣えるんだなぁ、バカとか言ってごめんね。って気持ちを込めて日向の頭を撫でた。

「あ!なまえ今俺のことチビで可哀想な奴って思っただろ!」
「日向ん大好きって思ってた」
「え!?!?おおおおれも!」
「何言ってんだお前ら」

 予鈴が鳴って日向たちと別れた私は晴れやかな気持ちで自分のクラスにスキップしながら入った。「前髪どうした?」って数人に聞かれたけど得意げにファッションとだけ答えたら友達が盛大に吹き出して笑い転げた。

 その日からしばらくクラス内で私のあだ名が金太郎になったことを日向と影山は知らない。



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