「幸村殿のあんぽんたん!!大っっ嫌いー!!」

大っっ嫌いー!!城内に私の声が木霊する。沸き立つ感情を制御できなくて、思わず大声で叫んでしまった。ハッとして我に返った時にはもう遅い。怒りに任せて私は上司に向かってとんでもなく無礼な口を利いてしまった。いや、でも悪いのは幸村殿だ。謝らないといけないのは幸村殿だ。そう思っても気まずい空気に耐えきれなくて、私を塀を越えて城を飛び出した。後ろから私の名前を大声で呼ぶ幸村殿と、いつの間にいたのか佐助の声も聞こえる。誰が振り返ってやるかばぁか。私は全力で地を蹴り垣根を越え逃亡を試みる。忍として生まれてきたことをこれ程感謝したことはない。私は足が速いのが自慢だけど、だがしかし、同じ忍の佐助に追いつかれるのは時間の問題だ。少なくとも幸村殿は私に追いつけないはず。なるべく佐助にも見つかりたくないから城下に逃げよう。木を隠すなら森の中と言う。人を隠すなら人の中だ。町娘に変装でもすれば、さすがの佐助も早々気付かないだろう。素早く布屋で衣服を購入し、町娘に変装した。うん、我ながら素晴らしい変装。

なんて、変装を自画自賛している場合ではない。やばい、どうしよう。理由はどうあれ幸村殿にあんぽんたんとか言ってしまった。最悪、首をはねられる覚悟を決めておかなければ。幸村殿はそんなことで首をはねるような非情な人ではないけど。…いや、有る意味非情だ。人でなしだ。だってあの人、私が楽しみに取っておいた団子全部一人で食べちゃったんだよ。鍛錬後の自分へのご褒美にするつもりだったのに。あんまりな嫌がらせだ。もちろん、幸村殿が私の団子だと知ってて食べた訳ではないことくらいわかってる。団子に目がない幸村殿のことだから、何も考えてなかったのだとは思う。だけど、選りに選って私がずっと楽しみに取っておいた城下の有名な団子屋のみたらし団子を食べてしまうなんて…!キィ〜!

「…いや、大人気なかったな、私」

時間が経つと怒りも徐々に収まってくる。そして事の重大さを意識せざるを得ない。どうしよう。このまま帰って晒し首にされるか、しばらく城下で過ごして熱りが冷めるまでおとなしくしているか。うん、後者だな。

とりあえず日が沈んできたので適当に宿を探すことにした。思えばあんまりお金を持っていない。しまった…給料日前だ。せめて給料日後に城を出れば良かった。いやそもそも城を出るべきではない。

「はぁ…心も体も疲れた」

良さげな宿を見つけたのでそこで一泊することにした。もちろん仮名を使ったからバレる心配はない。
案内された部屋で一息ついた後、湯浴みを済ませて敷布団に寝転ぶ。なんだかんだ鍛錬後だったし、めっちゃ走ったし、疲れた。今日一日散々だったと溜息をついて瞼を下ろす。すっかり日が落ちて、外は不気味な迄に静かだ。城下で過ごすのは何気に初めてかもしれない。不思議な感覚だ。鈴虫の心地よい音を聞きながら眠りの体制に入ると、近くで風を切る音が聞こえた。





ふ、と目を覚ました。しばらく眠っていたらしく、頭がぼんやりしている。あれ、首筋が痛い。寝違えたかな。

「あ、ようやくお目覚め?よく寝てたねなまえちゃん。寝顔がものすごく可愛かったよ。ご馳走様〜」
「そんな馬鹿な」

寝転んだまま天井を見上げれば、天井ではなく佐助が視界に飛び込んできた。全くもって気持ちの良い目覚めではない。佐助にはいずれ見つかるとは思ってたけど、あまりに早すぎやしないか。

「ていうかここ…」
「うん、武田の屋敷だけど」
「おうふっ」

やはり。枕の質感がやたらいいと思った。ということはあれか、私は寝ている間に佐助によって武田の屋敷に連れ戻されたというわけか。いくら相手が佐助だからと行ってここに戻るまで目が覚めない程の爆睡って忍としてどうなってるの私。

「なまえちゃん、首痛い?」
「え、何で。痛いけど」
「いやぁ、ごめんね。連れて帰ろうとしたらなまえちゃん起きちゃったから、また逃げられても面倒だし手刀で気絶させちゃった」

語尾に星をつけて佐助は茶目っ気を演出した。殺したい。

「だから首筋が痛いのか…手荒な真似しやがって…」
「だってまたなまえちゃんに逃げられたら旦那が…」
「あ、やべっ。幸村殿のこと忘れてた。ごめん私ちょっと行くわ」
「ちょ、ダメダメ何言ってるのこの子はー!また城下に逃げるつもりでしょ!させません!」
「嫌だー!打ち首なんて嫌だー!」
「もう何訳のわからないこと言ってるの!打ち首になんてするわけないでしょ!」
「だって幸村殿にあんぽんたんって言っちゃったよ!打ち首ものだよ!嫌だ私まだ死にたくない!団子食べたい!」
「ちょっと落ち着いてなまえちゃん。旦那は怒ってないって。むしろ反省してたよ。なまえちゃんに大嫌いって言われた衝撃でしばらく魂抜けてたんだからっ!想像して見て!縁側に一人佇んで遠くを見つめる旦那を!」
「あな恐ろしや…。やはりタダでは済まないか…鞭打ちの刑?」
「なまえちゃん、旦那がそんなことするわけないでしょ。もぉー…いくら俺様が話したって意味ないよ!本人と直接話しなさい」
「い、嫌!佐助行かないで!」
「 (か、可愛い!) だ、ダメダメ!俺様は心を鬼にするから!甘やかさないから!」
「やだやだ!佐助ぇえー!」
「やだもうこの子可愛い!」

悶絶する佐助の様子にほくそ笑んだ。よし、駄々っ子作成いける!と思ったのだけど、佐助はハッとしたように障子を一瞥すると風のように姿を消した。今一瞬、佐助に頭を撫でられた気がするけど、何で?ていうか逃げられた。独眼竜風に言うとShit!ってやつだ。

「なまえ、そこにおるのか」

佐助に気を取られてて障子の向こうにいる人の気配に気付かなかった。声で人物は特定できている。幸村殿だ。ゲェっと顔が歪む。どうしたものか。いないフリをすべきか、すべきでないか、なんて思考を巡らすけど、結局どこかで佐助が見ているのかと思うと逃げる気にもならなかった。

「…はい。おります」
「失礼する」

カラカラと障子の戸が開く。予想通り、幸村殿だった。ややはだけた着物を整えて正座で頭を下げる。

「あの、幸村殿、私…」
「っぐ…」

っぐ?ぐって何の音だ。恐る恐る顔を上げて私はギョッとした。

「ゆ、幸村殿!」
「なまえ…!すまぬ…!某は…なまえが楽しみに取っておいた団子を…」
「ちょ、え、ちょっと!泣かないでくださいよ!団子の件はもういいですから!」
「うう…なまえ…嫌いにならないでくれ…!大嫌いなどと言わないでくれ…!某はなまえに己の存在を否定されると胸が苦しい…」

両目からボロボロと大粒の涙を流して幸村殿は叫ぶ。私はこの衝撃的な展開に付いていけない。幸村殿って部下に嫌われることをこんなに恐れている人だったっけ。たった一度、たかが私に大嫌いと言われるだけでこんなに泣き叫ぶなんて、幸村殿超繊細。独眼竜がこれを見たら何て言うだろうか。

「なまえは…もう某を嫌いになったか…?」
「いえ………………………………なってません」
「い、今の間は何なのだ!やはり某が嫌いか…!」
「違いますって。ちょっと混乱してるだけです」
「某が…嫌いだからか…!?」
「めんどくせぇ!この人超めんどくせぇよ!」
「…!!面倒などと言うななまえ!某を否定するな…!なまえ無しで某はどう生きて行けば良いのだ…」
「お館様と殴り合いしてればいいじゃないですか…部下を巻き込まないでくださいよ」
「某にはなまえが必要なのだ!!」

ものすごい剣幕で詰め寄られ、圧倒されて気付けば幸村殿に抱きしめられていた。あいたたた!理性がぶっ飛んで力加減忘れてるこの人!

「なまえ…!なまえ…!」
「幸村殿…離し…」
「某から離れるな、なまえ。二度とだ…もうどこにも行くな…!」

この人ぶっ飛んでる。何でここまで部下に執着するのか意味がわからない。たった一回、大嫌いと言っただけなのに。…もしかして。いや、まさかなぁ。

「幸村殿…らしくないですよ。しっかりしてください」
「なまえ…」
「ああもう、こんなに目を赤くして…どれだけ泣けば気が済むんですかっ」
「す、すまぬっ」

顔を上げて目元の涙を拭った幸村殿とようやく目があった。これがあの甲斐の虎か?と、疑問に思ってしまう程、今の幸村殿は非常に情けない顔をしている。着物の袖を目尻に当てて涙を拭ってやれば、幸村殿はクシャリと苦しそうな表情をした。

「すまぬ…取り乱した」
「はあ…でしょうね」
「そなたを思うと、胸が苦しいのだ。どうしてだと思う」
「さあ…」
「…なまえ」

幸村殿の手が私の両頬に触れる。そう言えば、さっきから幸村殿はらしくもなくベタベタしてくるが、何でだろう。いつもなら「破廉恥でござる!」って叫ぶ程の純情なのに。

「幸村殿、あの…何でしょうこれは」
「?何かおかしいか?」
「ええと…その、恐れながら私は男性に触れられることに慣れておりませんので…その…出来れば離れて頂きたく…」
「え…あ、これは、えと……すまぬっ!!!!」
「ひぃっ何故っ」

何故こうなる!頬に当てられていた手が離れたかと思えば、今度は再び抱きしめられてしまった。全く持って意味不明な状況に私の冷や汗は大洪水である。

「お前の顔をしばらく見ていなかった故…こうして触れていたいのだ」
「…大袈裟ですよ幸村殿。私一日も屋敷を離れていないでしょう」
「お前とは片時も離れていたくはないのだ」
「とりあえず私は着替えたいですしお腹も空きましたし離れて頂きたいのですが…」
「おお!そうだ、お前の団子を食ってしまった詫びに城下の有名な団子屋で団子を買ってきたのだ!共に食そう!」
「な、何ですって!幸村殿大好き!!」
「!!そ!そうか!ではすぐに用意して参る!待っておれ!」

大好きという言葉にあからさまに元気を取り戻した幸村殿が部屋を飛び出した。これは使える。

「なまえちゃあん、悪いお顔」
「あ、佐助」
「あんまり旦那をからかわないでよ。可哀想でしょ?」
「からかってないよ〜」
「どうだか〜」
「幸村殿は好きだけど、あの愛情表現はちょっとなぁ」
「なまえちゃんが好きで好きでどうしたらいいのかわからなくて子供みたいに駄々をこねてるだけよ。目を瞑ってあげて」
「まあでも、それはそれで面白いしちょっと可愛いからもう少し観察しよう」
「だから旦那をいじめないで!尻拭いするのは俺だって知ってるでしょ!もう!」
「佐助大好き」
「も、もうこの子はそうやって!でも不覚にも嬉しかった!」

武田軍、ちょろい。こんな奴らで大丈夫かと将来を案じていると、幸村殿が大量の団子と茶を持って戻ってきた。佐助と二人で話していたことが気に食わなかったのか、佐助に掴みかかる勢いで詰め寄る幸村殿を尻目に私は団子を頬張る。

「団子うめぇ」




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