※西谷寄り

「じ、じじじ、事件です!」

 バァアアンと部室の扉が勢い良く開かれ、談笑していた俺たちは一斉に音のする方に顔を向けると、そこには大変切羽詰まった様子の日向が肩で息をしながら呼吸を整えていた。
 一同、ポカーンである。日向が放った言葉の意味がわからずに揃って首を傾げると、日向は「だから!事件なんです!」と、さっきと同じセリフを繰り返した。ますます疑問符を飛ばす俺たち。大地が「何かあったのか?」と落ち着いた声で尋ねた。すると日向は大地の問いかけにハッとして、部室内をキョロキョロと見回してから安心したように胸を撫で下ろした。慌てたりホッとしたり、日向は見ていて本当に忙しい。

「良かった…ノヤっさんいなくて…」
「は?西谷?」

 確かに、今ここに西谷はいない。提出課題の出し忘れでペナルティを食らったから今日の部活は遅れると、昼休みに西谷から連絡があった。おそらく部活を開始してから西谷と合流することになると思うけど、それにしても何でここに西谷がいたらマズイんだ?俺は旭と顔を見合わせて、首を傾げる。

「お、俺、見ちゃったんです」
「何だ何だ日向。何を見たんだ?」
「田中さん…、聞いて驚かないで下さいよ」
「勿体ぶってないでさっさと言えボゲ」
「急かすなよ影山!…じ、実は…さっきここに来る途中で俺、見たんです。みょうじさんが裏庭で男と二人で話しているのを!」

 は?と俺は拍子抜けし、そして次の瞬間には「なんだそんなことか…」と早くも安堵していた。誰かが怪我したとか、体育館が使えなくて部活が出来ないとかそんな感じの緊急事態なら日向の焦り方も理解できるけど、バレー部のマネージャーのみょうじが男と裏庭にいることの何がおかしいのだろうか。男女が二人で話し合うなんて、日常でよくある光景にしか思えない。裏庭ってのがちょっと気になるけど。でも何で日向の中でそんな事件扱いになるのだろうか。と、俺は冷静に周りのリアクションを眺めていた。すると、今まで固まっていた田中が急にクワッと目つきを変え、ズンズンと大股で日向に詰め寄った。

「何ィ!?それはホントか日向!?なまえちゃんが男と二人きりだなんて…も、もしや…!?」
「は、ハイ!みょうじさん、告白されてました!」
「やはりそうかーーーーッッ!」

 天井に向かって叫んだ田中は、上に掲げた腕をダンッッと床に叩きつけて、ギリギリと歯を食いしばった。何だ何だ。この田中のオーバーなリアクションは何だ。

「おのれぇえ許さんんん!ノヤっさんの彼女に手を出すなんてその男良い度胸じゃねぇかオラァ!日向、その男のところに案内しろ!」
「ええ!?は、はい!こっちです!」

 告白現場に乗り込もうとする田中の本気に圧倒されて、日向はわたわたと慌てながらも素直に頷いてしまった。どうにも口を挟みにくい状況で、他部員は半分呆れながら様子を見ている。はぁ、と俺はため息を吐いて、止めに入ろうとしない奴らに代わってやれやれと口を開いた。

「こらこらやめろ二人共。行ってどうするんだよ」
「スガさん止めないで下さい!おれは友として、ノヤっさんの大切な彼女を守りたいんです!」
「わかったから田中は落ち着け。あと日向、お前も流されない」
「ハ、ハイ…」
「スガさぁん!スガさんはなまえちゃんが心配じゃないんですか!?もしなまえちゃんが下衆で汚ぇ野郎にあんなことやこんなこと…!アーッ!俺たちのエンジェルに何しやがんでいっ!」
「田中、もう一度言う。落ち着け」
「これが落ち着いていられますか!なまえちゃんはノヤっさんの彼女ッス!それなのに先月も、その前もなまえちゃんは呼び出されて告白されて…!!ノヤっさんの彼女なのに!」
「なまえちゃん、可愛いからなぁ」
「縁下テメェ!そんなのほほんと言うな!」
「みょうじさん、同じクラスですけど学年でも人気ですよ。やっぱり可愛いですし。ね!ツッキー」
「…知らない」
「山口それマジでぇ!?俺何人敵に回せばいいの!?」
「だからキリが無いからやめろって。なまえがモテるのは今に始まったことじゃないし、西谷もそれは知ってることだろ?なあ?旭」
「お、俺!?あーうん…まあ、西谷は広い心の持ち主だからなぁ、西谷が何も言わないんだし、それで良いんじゃないか?」
「なあ?大地?」
「え?あー…スガや旭の言う通りだと思うぞ」
「そういうこと。田中、わかったか?」
「旭さんと大地さんまで…お、おす」
「あ、でも…」
「ん?どうした日向」

 ようやく田中の怒りを鎮めることに成功したが、そこで日向がおずおずと声を発した。キョロキョロと目を白黒させながら、言い出しにくそうに「えーと、その…」と口を開閉している。

「みょうじさん、壁に押さえ付けられてましたけど…だ、大丈夫ですよね!」

 それはちょっと大丈夫じゃないかもしれない。

「大丈夫じゃねぇぇえよ!それ壁ドンじゃねぇかッ!!」
「壁…ドン?田中さん何スかソレ」
「影山、お前は知らなくて良い」
「はぁ」
「スガさん!壁ドンってただ事じゃないっスよ!?本当に行かなくて良いんですか!?」
「壁ドン…」

 壁、ドン。女子が憧れるシチュエーションとかなんとか、最近流行ってるあの壁ドンのことだろうか。実際に流行りに便乗している人が本当にいるなんて。そもそも壁ドンって、女子はやられて本当に嬉しいのか。というかまずその告白現場、雰囲気的に結構ヤバイんじゃないだろうか。なまえは大丈夫だろうか。今になって少しずつ気になり始めた俺。いや、だがしかし、さっき田中を止めた俺が「ちょっと様子を見に行こう」なんて言うことは許されない。

「もしノヤっさんになまえちゃんが壁ドンされたことを知られたら…!」
「な、何かマズイんですか田中さん!?」
「日向、よく考えてもみろ。ノヤっさんとなまえちゃんの身長差を」

 田中の言うように、頭の中で西谷となまえを並べてみる。確か西谷の身長は159cmだったような。なまえの身長は…多分165cmはある。以前から西谷となまえの二人は、彼氏よりも彼女の方が背が高いことを気にしている節があった。二人の身長差は本当に微々たるもので、パッと見そこまで気付かないのだが、やたらと低身長を気にする西谷は特に悩んでいるようだった。そんな西谷を気遣い、デートの時はヒールのある靴は絶対に履かないのだと照れ臭そうに話していたなまえを抱きしめたくなったのは余談だ。

「ノヤっさんはなまえちゃんよりも背が低いことを、なまえちゃん以上に気にしている。その理由の一つが……、壁ドンだ」
「はあ?何だそりゃ」

 田中の言っている意味がわからないのか、大地がきょとん目を丸くする。だけど、俺は理解していた。

「大地さん考えてみてください!なまえちゃんの方が背が高いんスよ?西谷がなまえちゃんを壁に押さえ付けようと思ってもー…」
「…ああ、見上げる形になるな」
「でしょう!?ノヤっさんはそれをものすごく気にしてるんです!なまえちゃんに近付けば近付く程、可愛い彼女を男の自分が見上げなければならないノヤっさんの気持ち…!痛い程よくわかるでしょう!?」

 わかる。すごくわかる。なまえよりも小さい西谷はやりたくてもできないのに、背が高い男子が告白の場でなまえに壁ドンをやったと西谷が知ったら…その先は言わずもがな。

 事情を察し、事の重大さに部室は静まり返った。みんな必死な表情をしている中、影山だけ首を傾げていることに不安を覚えた。まさかこの話の流れをわかっていないのか、影山。
 その時、扉がバァアアンとものすごい音を立てて開かれた。俺たちは揃って軽く跳ね上がり、バッと一斉に扉の方を向く。

「おす!遅くなりました!」
「ノヤっさん…!」

 扉を開けたのは噂の西谷だった。ニッと笑った西谷は、カバンを下ろしながら「いや〜ペナルティがもうキツかったんス!教室を一人で掃除しろって言われて!でも部活に遅れたくなかったんでマッハで終わらせて来ました!」と、ペラペラと話し出した。俺は「へえ災難だったな、お疲れ!」とだけ返してサッと西谷に背中を向ける。今の今までなまえの壁ドン話で部室が軽く騒然としていたなんて、西谷には口が裂けても言えない。西谷に悟られる前にこの空気を換えようと、俺は別の話題を探した、のだが。

「田中さん。今の話、西谷さんにしなくて良いんですか?」

 影山ァアアア

「ん?何だ今の話って。俺のこと話してたのか?」
「いや、正確にはみょうじ、むぐっ」
「バッカ!バカ影山黙れこの野郎!」
「なまえ…?なまえがどうしたんだ?」

 …あーあ、どう誤魔化せば良いんだコレ。西谷、なまえに何かあったんじゃないかって真剣な表情になってるぞ。西谷のこの顔はマジだぞ。…影山、お前は素直で可愛いけどもうちょっと空気を読む練習をしような?

「い、いや!別に何もねーよノヤっさん!」
「…何隠してるんだ、龍。なまえがどうしたって?」
「いいいいや!!何も!!ね!?スガさん!」
「え?あー、…うん」
「…やっぱり何かあるんすね。スガさんも知ってるんでしょう?」

 こういう時の西谷は恐ろしく勘が鋭いから困る。もう隠し通すのは無理だな、うん。観念しようという意味を込めてポンと田中の肩に手を置くと、田中が「エエエ!?」とムンクの叫びのような表情で停止した。わかったわかった、俺が言う。

「そんな深刻なことじゃないよ、西谷。なまえが裏庭で告白されてるのを日向が偶然見かけたんだってさ」
「な…!?ま、マジすか!?もう今月三回目なんスけど!」
「スゲー!みょうじさんモテモテ!」
「日向、お前も空気読め」
「…はぁあ〜なるほど、そういうことか。でもこればっかりは仕方ないッス。なまえ、スゲェ可愛いし。俺も可愛いなまえに惚れたわけで、そりゃ今はなまえの性格も引っ括めて全部好きだけど、でもやっぱり男がなまえに惹かれる気持ちはすごくわかる。むしろ、そんな可愛いなまえを彼女にできて、俺は幸せ者ッスよね!」
「ノヤっさぁあああん!!!」
「西谷…お前…なんて男前な…」
「なまえがここにいたら間違いなく泣いてるぞ…鼻水垂らしながら…」

 西谷の男前な発言に田中が叫び、旭と大地が涙を浮かべた。俺も少し鼻の奥がツーンとしている。やはり、西谷の男気はいつ見ても感動する。世の中の嫉妬や憎悪に塗れた人間は本当に西谷という男を手本にしてもらいたい。

「…で、なまえの話って、それだけじゃないんスよね?」

 ギックゥ

「いやいや。それだけ」
「スガさん、冷や汗」
「違う違う、これは体の水分?的な」
「だから汗です」
「汗は汗でも冷や汗とかじゃないから。暑いから汗かいてるだけだから」
「スガ、落ち着け」
「大地、わかってる」

 恐るべし西谷の第六感。なまえのことで下手な嘘は通用しないと、今回の件でよくわかった。だけど、それにしても壁ドンは言えないよなぁ…。ただ、西谷がショック受けるだけだし、なまえも知られたくないだろうし。うぅ〜〜ん、なんて誤魔化すのがベストだろうか。うぅ〜〜〜ん。

 コンコン

「お疲れ様です。みょうじです、入っても大丈夫ですか?」

 …オワッタ。

「なまえ!!!!」

 ギラリと目を光らせて、西谷は勢いよく扉を開けた。丁度ドアノブに手をかけようとしていたなまえは、勝手に扉が開いたことに驚いて目を丸くしている。可愛い。

「わっ。夕先輩どうしたんですか?そんな慌てて…」
「なまえ!俺に言うことあるよな?」

 ムンッと鼻息を荒げて西谷は腕を組んだ。なまえはイマイチ状況を理解していないのか、パチパチと瞬きしながら首を傾げている。そんななまえを急かすように西谷はズイッと顔を近付けた。

「うーん?今日もかっこいいですね」
「ち、違う!そうじゃねぇ!」

 あ、西谷が照れてる。

「告白!告白されたんだろ!?」
「え?何で知って…」
「風の噂だ!!」
「はあ…」
「で、他に何された!?」
「他?特に無いですよ」
「いーや、嘘だ!なまえ、お互い隠し事はしないって約束したよな?本当のことを言ってくれ。俺は絶対にお前を責めないし縛ったりもしない。でも、本当のことを知りたい」
「夕先輩…。はい、夕先輩が隠し事はするなって言うので、私は本当のことしか言いませんし、隠し事もしません。本当に今日は告白されただけです。ちゃんと断りましたよ?」
「…本当に本当か?」
「はい」
「本当にそれだけか?」
「はい」
「…スガさん」
「いやだから、俺は何もないって言ったべ」
「でもなんか…腑に落ちないというか…」

 西谷は半信半疑と言った様子で俺となまえを交互に見ている。そんな西谷を、なまえは心配そうに眺めていた。やっぱり壁ドンの話はなまえもしたくないのだろうか。だけど、なまえがそれを隠しているようには俺も見えない。本当に告白以外は何もなかったのでは無いだろうか。だとしたら、日向が見た壁ドンは何だ?

「じゃあお前が見たみょうじさんが壁ドン?されてたとかいうのは何だったんだよ。日向」

 KAGEYAMAAAAAAA!!!!

「影山この馬鹿!馬鹿!馬鹿野郎が!!お前は黙ってろ!!」
「壁…ドン…だと」
「ノヤっさん違うんだ!壁ドンじゃなくてカビゴンだから!」
「カビ…ゴン?」
「そうそう!!!」
「壁ドンならされましたけど」
「なまえちゃん!?!?」

 必死にフォローしようとしていた田中も、それを見ていた俺もズッコケた。まさかなまえ自らが暴露しようとは。しかもけろっと。そんな「え?何かマズイですか?」みたいな不思議そうな顔されても。さてはなまえも影山と同じ種族だな?

「その男に壁ドンされたのか…なまえ…」
「されました」
「何でそれを言わない…?」
「別に報告するまでもないと思ったので。私が断ったから相手が感情的になって詰め寄って来ただけですし、変なことはされてませんから」
「でも壁ドンだろ!?その男に見下ろされたんだろ!?」
「はい」
「ど、ドキドキしたのか!?」
「全然。するわけないじゃないですか。壁ドン如きで」

 壁ドン如きって。如きって。乙女が憧れる究極のドキドキシチュエーションを、如きで片付けたよ。なまえにとって壁ドンなんて大したことではないというのか。なまえにフられた男に少しだけ同情した。

「…なまえは壁ドンされても何とも思わないのか?」
「夕先輩にされたら照れます」
「!!!!そ、そっか!」

 あ、また照れた。なまえに特別扱いされたことで西谷は若干機嫌を良くしたらしい。照れ臭そうに鼻の下に指を添えた。そういう西谷のちょっと単純なところ、すごく好きだぞ。

「…あ。でも俺、なまえより小せぇから、見下ろせねぇよな」
「何言ってるんですか。だから照れるんですよ」
「え?何でだ?」

 西谷が不思議そうになまえを見つめる。西谷の視線から逃げるように、なまえは頬を赤らめて目線を足元に落とした。

「だって、その方が夕先輩の顔が近いから…」

 その言葉で、部室がピンク一色になった。モジモジと頬に手を当てるなまえを、西谷は思いっきり抱きしめた。

「なまえー!!大好きだぞ!!!」
「夕先輩…!ここ部室!」
「そんなの関係ねぇ!」

 あるわ。

「なまえ、疑って悪かった!こんなどうしようもなく情けない俺だけど、これからもよろしくな!」
「夕先輩…!はい!もちろんです!夕先輩好き好きー!」

 西谷となまえが二人きりの世界に入ったことで、俺たちは完全にアウェイだ。しばらくその光景を白い目で見つめていたけど、大地のドスの利いた「部活の時間だ」という言葉に、俺たちは黙って頷いた。バカップルにはもう付き合っていられない。ピンク色のムードに包まれた西谷となまえを置いて、俺たちは部室を後にした。最後尾にいた俺は部員を代表して天に願う。

 神様、どうかこの二人が末長く爆発しますように。



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