「私、高校生活に期待し過ぎたのかもしれない」

 俺の真後ろの席のみょうじは死んだ魚のような目でポツリと呟いた。それは4限の終了を告げるチャイムが鳴り終わった直後のことで、何の前触れもなく、あまりにも突然だった。俺は弁当箱をカバンから取り出そうと体を傾けたまま固まる。

 何があった。4限目の授業中に、一体みょうじの身に何があったというのだ。昼休みになって生徒達はワイワイガヤガヤと机をくっつけあって昼食を取ろうとしているのに、みょうじは教科書を仕舞おうとも弁当を取り出そうともせずに、光のない目で机の一点を見つめている。いつもなら昼休みの開始と共に誰よりも早く机の上を片付けて「飯だひゃっほーう!!」とか叫びながら弁当にがっつくいているのに。今のみょうじはさながらリング場で真っ白に燃え尽きた某ボクシング漫画の主人公である。普段から明るい性格のみょうじがここまで消沈しているとなると、よっぽど応えることがあったに違いない。俺はどこから突っ込もうと考えながら、とりあえず自分の弁当箱をみょうじの机の上に置くことで話は聞くぞオーラを出しつつ、様子を見ることにした。するとみょうじは細く短い息を吐き出して目を閉じて、ゆっくり口を開いた。

「岩泉、夢は叶ったか?」

 何言ってんだこいつ。

「中学で出来なかったことが高校に入れば出来ると思ってたんだよ」
「おう」
「でも私、もう三年生なのに、何も出来てない。夢を、叶えられてない」

 ズゥンと暗雲を立ち込めながらみょうじは言った。暗い。とてつもなく暗いし、空気が重い。どうやらみょうじは自分の夢を叶えられない高校生活に絶望しているらしい。それだけはわかった。むしろそれしかわからない。

「…で、みょうじの夢って?」
「……聞いてくれるの?」
「むしろ話す気満々だっただろお前」
「岩泉なら聞いてくれると思った!ありがとう!心の友よ!」
「はいはい」

 ガシッと俺の手を掴んでみょうじは叫ぶ。ところでこれは時間がかかる話だろうか。昼休みはバレー部の連中と昼飯を食う約束をしている。あんまり遅れると及川がうるせぇから、出来れば5分で終わらせて貰いたい。

「岩泉から見て私ってどんな人間?」
「はあ?なんだそりゃ」
「いーから!答えて!」

 どんな人間って聞かれても…。明るいとか、食欲旺盛とか、正直者とか、あとは何だ…何気に成績が良いとか?一言でみょうじはこんな人間だとうまく言い表せない。みょうじがキラキラと期待を込めた眼差しを向けるものだから、なるべくみょうじが満足する返答をしてやりたいところだ。だがしかし、難しい。

「別に…普通…」
「普通ぅ?普通って何。どーゆー意味」
「いやだから…特別目立つ部分とかもねぇし…」
「お前はつまらない人間だからとっととくたばれと言いたいんだね。わかった。お前がくたばれ」
「そこまで言ってねーよ!」
「…わかってるよ。岩泉が言おうとしていることはわかってる。そう、そうなんだよ。…そうなんだヨ!!!」

 バァン!!と机を叩いてみょうじは勢いよく起立した。うるさい。

「私は平々凡々な人間。特別可愛くもなく、頭も良くない。超、普通。だから!だから神様は私にこんなつまらない日常しか与えて下さらないんだー!!つまんなーい!!毎日がつまんなーい!!うわぁあああん!!」
「落ち着けみょうじ。みんな見てるぞ」
「見てんじゃねーよ!!」
「じゃあ静かにしろ!!」

 どうやら俺の答えはみょうじの繊細な部分に思いっきり触れてしまったらしい。へなへなと脱力して椅子に座り込んだみょうじは静かに机に突っ伏した。そして「アーーーッッ!!!!」と叫びながら机をガンガン殴りつける。もう一度言う。うるさい。

「別に良いじゃねぇかよ…平凡な日常が一番だろ?」
「良くないッ!良くないよーッ!!」
「はあ…。結局、みょうじは何がしたいんだよ」
「そ、それは…!」

 ゴリラのように暴れていたみょうじがピタッと静かになった。心なしか顔が赤い。

「…こ、……がし……い」
「は?何て?」
「だ、だから!恋がしたいんだよチクショーー!!!」
「うぐっっ」

 何故か胸ぐらを掴まれた俺。いよいよみょうじが壊れてきた。

「つまりお前は恋愛がしたいのにできないことを嘆いてたのか?」
「そうだよ!!そうだよ!!」
「わかったからそんな力むなよ…苦しい。あと良い加減胸ぐら離せ」
「私の苦しみに比べたらこの程度大したことないだろ!甘ったれんな!」
「俺に当たるんじゃねぇよ!!」

 こいつ手に負えねぇ!みょうじ超めんどくせぇよ!お前が恋愛できるかできないかなんて俺は知ったことじゃない…とまで言わねぇけど、でもお前に八つ当たりされても俺はどうすることも出来ない。とりあえず落ち付いて欲しい。俺はガサゴソとブレザーのポケットを漁る。

「やる」
「…飴?」
「おう。及川が女子から貰ったけど食べ切れねぇとかなんとか言って俺に寄越してきたやつ。とりあえず元気出せよ、みょうじ」
「…ありがとう」

 少し落ち着いたのか、シュンと縮こまるみょうじがそっと飴を受け取った。白地に苺の絵がプリントされた包みを剥がして口に放り込み、そして「ガリッボリボリ」…噛み砕いた。

「及川くんなんて、くたばればいい」
「お前及川のこと追っかけてたじゃねぇか」
「中一の時ね。だってイケメンじゃん。でも今はどうでもいい。クソどうでもいい。むしろ腹立つ」
「女子で及川のことをそんな風に言う奴初めて見たわ」
「だってモテモテじゃん。良い気になってんじゃん。調子乗ってんじゃん。ムカつくじゃん。くたばれって感じ」
「…あ、そう」
「岩泉の幼馴染でしょ?苦労すんねー」
「あ、ああ…まあな」
「及川くんを追いかけてる子の気持ちはわからなくもないけどさぁ?まあ、イケメンだしぃ?でも私は断然岩泉の方が良いな。岩泉もバレーうまいし、性格良いし、男らしくてかっこいい」
「…え」

 腕を組みながらみょうじはうんうんと力強く頷く。ちょっと待て、さりげなく恥ずかしいこと言うな。俺は及川みたいに普段から女子に騒がれることはないから、例えアホのみょうじでもそんなことを言われたら普通に照れる。顔が熱くなってきた。

「岩泉、魂飛んでる」
「お、おう……」
「…あのさ、本心だよ?」
「……おう」
「も〜。『おう』以外のことも言いなよ〜。褒めてんのに」
「……お、俺は」
「ん?」
「みょうじのこと、まあ、それなりに、その……好き、というか、嫌いじゃねーぞ」

 何言ってんだ俺。

 何言ってんだ俺ェーーー!?!?

「…みょうじは明るいし、正直者だし、話しやすいし、うまそうに飯食うし、笑った顔は和むし…。一緒にいると楽しいし、何より落ち着く」
「…」
「みょうじは良い奴だ。だから自信持てよ。そんな落ち込む必要ないし、むしろ胸張って良い。恋愛がしたいならすれば良いじゃねぇか。みょうじなら大丈夫だって」

 意思に背いて勝手に口が本心をベラベラ喋り出した。待て待て止まれ俺の舌。みょうじの顔を見てみろ。超面白い顔で固まってしまったじゃないか。どうする、この状況。

 みょうじは良い奴だ。前々からみょうじの男女分け隔て無く接することができるサバサバした性格が良いなぁって思ってたし、一緒にいて落ち着くのは事実だ。実際、一番仲の良い女友達を聞かれたらみょうじの顔が真っ先に思い浮かぶ。みょうじのことはそこそこ意識していた。ただ、友達の一線を越えることは全く考えていなかった。みょうじと毎日馬鹿な話を出来るなら肩書きなんて何だって良かったのだ。

「…えーと、その、あれだ。お、俺も本心だからな!」

 完全にヤケクソだった。相変わらず面白い顔で固まっているみょうじは何もリアクションを見せない。多分、しばらくこのままだろう。及川達との約束を思い出して、俺は弁当箱を持って立ち上がろうと椅子を引いた。すると、弁当箱を掴んでいた俺の手をみょうじが握った。何故か手が震えている。え、どうしたみょうじ。

「…べ、」

 みょうじがプルプルと震えながら俺に向かってもう片方の手を伸ばしている。何だ。何だ何だ。何なんだこの手は。狼狽えていると、グワッ胸元が持ち上がった。

「ベタ褒めじゃねぇかよ!!!!」
「だから何でお前は胸ぐら掴むんだよ!?!?」

 何故かブチ切れているみょうじに再び胸ぐらを掴まれ、俺の体は若干浮いた。この馬鹿力は一体どこから来るんだ。男の体をこんな軽々と持ち上げられる女子なんてそうそういないぞ。みょうじは特に目立った点がない普通の女子と言ったが、訂正しておこう。この行動だって普通とは程遠い。喉を押しつぶされて意識が遠のき始めた。

「何だよー!!岩泉のくせに何だよー!!ドキッとしちゃったじゃーん!!」
「おい…みょうじ…手…離せ…苦じ…」
「付き合えよー!!責任取って私と付き合えー!!ドキドキさせた罪を償えー!!」
「落ち着け!落ち着けみょうじ!どさくさに紛れて爆弾投下すんな!」
「受け止めろ!私の愛を!受け止めろ!」
「わかったからとりあえず手離せ!マジで窒息死する!」
「やっほ〜岩ちゃーん!遅いから迎えに来ちゃった〜…って、キャアアアア!?!?岩ちゃん!?!?」

 視界が霞んでそろそろ意識を手放しそうになった時、ひょっこりと現れた及川が女子のような悲鳴をあげた。驚くのも無理はない。この状況はどう見ても事件だ。殺人事件だ。みょうじは間に入ろうとする及川をキッと睨みつける。

「ちょっとちょっとみょうじさん!岩ちゃんに何してんの!?やめてあげてよぉ!岩ちゃんが死んじゃう!」
「及川くんは引っ込んでて!見りゃわかんだろ!告白してんだよ!」
「告白!?何の告白!?脅迫の間違いでしょ!?とにかくその手を離してあげて!岩ちゃん白目剥いてる!」

 これほど及川に感謝したことが今まであっただろうか。いや、ない。生死の境目を彷徨いながらも俺はスゲーまともなこと言っている及川に感動していた。

「チッ。及川くんムカつく」
「え、ええー!?俺何かした!?君に嫌われるようなことした!?」
「存在が不愉快」
「酷いこと言うね!!」

 みょうじの意識が及川に向いたことで俺の胸ぐらを掴む手が緩められた。そろりとみょうじから離れ、皺になった胸元を手で払う。酷い目に遭った。

「みょうじさんってこんな暴力的な子だったのか…俺てっきり大人しい子だと思ってたのに…」
「はあー?何で他人の及川くんにそんなこと言われないといけないわけー?」
「あははごめんごめん。気を悪くしちゃったかな?……ッハ!そうじゃないよ!君さっき岩ちゃんに何であんなことしてたの!?恨みでもあるの!?」
「岩泉に?あるわけないじゃん」
「じゃあ何でカツアゲみたいなことしてたの!?岩ちゃんが苦しそうだったじゃん!」
「だから告白してたんだってば」
「だから脅迫の間違いデショーが!!」
「うるっせぇ!及川くんうるっせぇんだよ!いつも岩泉の隣にいやがって…羨ましい!羨ましィーー!!私だって岩泉とイチャイチャしたい!青春したい!恋したーい!!」
「ええ!?ちょっと岩ちゃん目の前にいるのにそんな大胆な発言しちゃって良いの!?恥じらいとかないの!?」
「構わねぇよ!大いに聞いてくれて構わねぇよ!だって岩泉だもん!私の愛を受け止めてくれるもん!恋がしたいなんて私の馬鹿みたいな小さな悩みにも真剣に耳を傾けてくれる寛大で男前な岩泉が好きじゃー!!」
「君もうヤケクソになってるよね!?岩ちゃんも黙ってないでこの子の暴走食い止めっ…………岩ちゃん」
「…んだよ」
「顔、真っ赤だよ」
「うるせぇ」

 んなことわかってんだよグズ川。俺は顔を両手で覆いながらへなへなと座り込んだ。

「…みょうじ、」
「なぁに…って岩泉何で座り込んでんの?お腹痛いの?」
「腹より頭が痛ぇよ」
「エッ!?大丈夫!?一緒に保健室行く?看病してあげようか?」
「いや行かねぇし看病もしなくて良いから、とりあえず黙れ。……俺が恥ずかしい」
「え?何で?」

 不思議そうに首を傾げるみょうじにとりあえず渾身のデコピンを食らわせておいた。馬鹿正直で単純馬鹿でやかましいけど、みょうじのこういうところは嫌いじゃない。ポカーンと目を丸くする及川やクラスメイト達の視線を感じつつ、満更でもない自分自身に俺は頭を抱えた。



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