侍少年と、早朝掃除

 俺がここ、メゾンドエントーレに来て、一週間ほどが経過した。
 以前にいたT地区13エリア、通称『みどりのエリア』とはまるで違う、程よく都会で程よく田舎な同地区36エリアにあるこの共同住宅には、少々濃すぎる住人ばかりが暮らしている。一週間経過した今もまだ、ここの半数とも顔を合わせていないが、もうそろそろお腹いっぱいだ。
「樹内殿、朝から精が出るでござるなあ!」
 週当番の駐輪場掃除をしていると、ハツラツとした青年の声が早朝の車庫に響いた。
 前時代的なその口調に振り返ると、これまた地味な和装姿の青年が立っている。男性にしては珍しい、女性的なおかっぱヘアーで、頭頂部からは一本長い毛が元気に立ち上がっていた。
「早いな、岡田君。おはよう」
「おはようでござる!」
 彼の名前は岡田宗左衛門君。話し方や服装と同様に古めかしい名前だが、それには理由があった。
 親や、彼自身がド級の時代劇マニアというわけではない。ではなんなのかというと、
「今日も今日とて元の時代に帰るべく、手段を探さねばならぬからな!」
 一点の曇りもない澄んだ瞳で、彼はそう力強く胸を張る。俺は苦笑を返すしかなかった。

 この青年、岡田宗左衛門君は自称“お侍様”であり、聞くところによるとタイムスリップしてきたのだという。
 遡ること三年前。気づいたら彼は岡田家の居間にてテレビを見ていたのだそうだ。見回せど見知らぬものばかりで、窓から覗けば古きよき日本家屋が点在するばかり、歩きづらかった土の道は黒々としたコンクリートで舗装され、見知らぬ日本の姿が広がっていたのだという。
 自分が何故ここで、現代の服に身を包み鎮座していたのか何一つとして覚えはなく、それ以前の事もただ「自分は元禄十七年の江戸の町にいた」ということと名前くらいしか覚えていなかったそうだ。
「それではな、樹内殿!」
「おう、気をつけてな」
 岡田君はぶんぶんと両の手を振って走っていく。それを見送り、さて掃き掃除を再開しようと振り返ったところで、
「えらい馴染んできたやないの」
「うおわあ!」
 いつの間にか真後ろに立っていた太田さんに驚き、みっともない悲鳴を上げた。
「けったいな挨拶やな」
「突然背後に立たないでくださいよ!」
「驚いたやろ」
「寿命縮むわ!」
 よく見ると、いやよく見なくても、太田さんは寝巻き姿で外に出てきているようで、パステルピンクのふりふりしたネグリジェにヘアバンドという、なんとも気を許した状態にあった。改めてそれを直視してしまい、何とも複雑な気持ちになりながら言葉をつなげる。
「そんな格好でどうしたんすか」
「郵便受け確認しにきたら、宗ちゃんときうっちゃんが話してんのん目に入ったからついね」
「はあ……」
「うちの子と仲良うしてくれておおきにね」
 そう言って、太田さんは穏やかに微笑む。俺も微笑み返した。

 岡田君は、太田さんの知人の子だった。
 彼が幼少の頃に数回顔を合わせた程度だったが、半年ほど前にぼろぼろの風呂敷を背負って、ここに置いてほしい、と言ってきたのがきっかけ。以来、彼は太田夫妻と一緒にこのエントーレで暮らしている。
 どうして岡田君が侍を自称しているのかは太田さんにも分からないとの事だった。それでも、何も追求せずおいてやるのは優しいと感じた。友達から頭を下げられてしまっては、断るのも悪い、と言っていたが、きっと太田さん自身岡田君を心配しているのだろう。
「仲良くっつーか、まだそんなに接してもないスけど、元気でいい子っすね」
「元気すぎてしゃーないくらいやわ」
「男子なんてそんなもんすよ」
 そんな短いやりとりを交わした後、二度寝すると言って部屋に戻っていった太田さんを見送り、ようやっと清掃を再開した。
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