入居手続きとオバンとヤクザ

 遅めの朝食と着替えを済ませた後、京と一緒に大家さんのところへと向かった。
 大家さんの家は一階の一○一号室と一○二号室の二部屋らしい。どうして二部屋も取っているのか疑問に感じるが、何かしら入用なのかもしれない。特に深く考えず、京の隣に並んで階段を下りる。というか、この部屋位置とすると、大声で騒いだり部屋の中を暴れたりすると大家さんにダイレクトに迷惑をかけてしまうことになるのか。やる予定はないけれど、気をつけて生活しようと思った。
 さて、一○一号室。
 表札には『太田』と書いてある。
「なあ、京」
「ん?」
「大家さんってどんな人だ?」
 俺の質問に、京はあごに手を当て少し思案する素振りを見せた後、
「N地区のオバチャン」
「は?」
「まあ、悪い人ではないで。安心し」
 そう言って、京は一○一号室のインターフォンを押す。ほどなくして「はーい」という女性の声と、ドタドタという足音、それから、
「ずるこしたあかんで!」
 という怒鳴り声とが聞こえてきた。
 思わず身を強張らせる。と同時に扉が開き、中から背の低い少々ふくよかな中年女性が現れた。
 全体的にパーマがかった黒髪、ふとましい腿にぴったりとフィットした黒いレギンス、そして大きなトラの顔がリアルにプリントされたTシャツ姿。随分とリラックスした格好の前に唖然としている俺の横で、京が、
「太田さん、今大丈夫です? ちょっと話あるんですけど」
 と言った。
「んん……、今お客さん来とるさかい、長話とちゃうかったら」
「ワシは別にかまんで」
 言い淀む太田さんの声にかぶせて、ドスの聞いた低音が聞こえてくる。そちらに目を向けると、部屋の奥からスーツ姿の男性がゆっくりとこちらへ歩いてきていた。その人の顔というか、風貌を見てまたもや身を強張らせる。
 艶やかな黒髪は後方へと撫でつけられており、目つきは鋭く、左の頬には何でどうつけられたのかは分かりかねるが、大きな切り傷があった。ゆっくりと蟹股で歩いてくるその雰囲気と威圧感、それに何よりギラリと移される鋭い眼光から、脳内にヤのつく自由業が浮かぶのも仕方ないと思った。
「客やァ言うても将棋しとっただけやしのう。兄ちゃんらの用事優先したってくれや」
 その怖すぎる風貌とは裏腹に、穏やかな口調でふっと口元を緩める。
「なんや、客て飯島さんやないですか」
 男性の方を見て、京はまた来てたんですか、と何事もないような口ぶりで話しかけた。飯島、と呼ばれた強面の男性は京を見て、
「おう、ワシがおったら悪いんか」
「いや別に。また将棋すか」
「ちょちょちょ、京!」
 普通に雑談を始めようとする京のわき腹をつつく。
「なん、」
「お前あの人と知り合いなのか……?」
「あの人? ……ああ、飯島さんか。知り合いも何もここの人やって」
「ち、なみに職業とか知ってるのか……?」
「興味あんねやったら自分で聞きィや」
「怖いだろうが!」
「おう、なんやコソコソと」
「そういえば見ィひん顔やね」
 太田さんたちに背を向けて小声で話していたが、太田さんの言葉に振り向かざるを得ず、俺は少々、いやかなり緊張しながら自己紹介をした。
「は、はじめまして……。樹内良介といいます……」
 そんな俺を横目に、京は今日ここへきた目的を話した。俺と京は幼馴染で、諸事情により今日から京の元で暮らすことになったこと。その報告と、必要手続きを済ませるためにここへ来たこと。
 太田さんはなるほど、と呟いた後、俺の正面に立ってじっと俺を見てきた。見られているというか、観察されている気分である。観察されながら少し思い返してみるが、京はともかく飯島さんに太田さんと、同郷であろうと思われる人たちにこの場所で囲まれている現状が不思議だ。
 俺の観察が終わったらしい太田さんは、
「うん、ええんちゃう」
と一言。
「ほな入居手続き簡単に済ませよか。二人ともちょっと中入って頂戴」
「こっちで書類書いてる間、ワシと将棋せんか」
「俺ルール知らんので遠慮しときます」
「けったいなやっちゃのう」
 結局、入居手続きが終わるまでの間、京は俺の隣でスマホをいじるばかりだったし、飯島さんは何故か少し離れたところから手続きが終わるのを見守ってくれていた。正直視線が怖いからどこか別のところに行ってほしかったが、まあでも、悪い人ではないのだろうなと思った。
 書類の記入が終わり、手続きが全て済むと、太田さんは飯島さんを手招きしてから俺に向き直った。
「改めて、私はここの大家してる太田志帆よ。何かあったらすぐ相談しといでな」
「ワシは、まあワケあって一時的にここのマンション借りとる飯島っちゅうもんじゃ。部屋は一○四号室やさかい、よろしゅう頼むわ」
 改めて、よろしくお願いしますと頭を下げる。

 これで俺は、晴れてここ、メゾンドエントーレの住人になったのだった。
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