■ 青天に染む鶏頭花

 母が亡くなった事実を人並みに悲しんでやるには、私と彼女はあまりにも他人すぎた。彼女にとってどうであったかは知らないが、少なくとも自分にとっては、別段心を波立たせるものになりはしなかったのだ。これでも一人息子に過ぎないため、喪主は立派に務めさせていただいたが、相続された遺産金が、謂わば報酬のようであった。喪主という仕事を請け負うにあたり、見返りは正直釣り合わない額である。だから、不平など漏らしはしなかったし、参列者の目には立派に『母の死に心を悼めながらも気丈にふるまう息子』として映ったであろう。
「一周まわって、不謹慎にすら感じるよ」
 やけに馴れ馴れしく友人面をする男が、苦笑を浮かべつつ吐き捨てるように言っていた。
 母の遺体を棺におさめる時、久しぶりに母と対面することになったが、生気を失った青白い肌は冷たく、長い闘病生活の末に痩せこけた頬は、私の記憶の中にある誰に似るともない。初めて目にする老女が、そこには横たわっていたのだ。そう言えば、母の顔などもうとうに忘れてしまっていたことを、あとあとになって思い出すのだった。
 化粧によって色づいた遺体の顔を眺めながら、遠縁らしい若い女とその娘が、「ほら、見てごらん。おばさん、とっても綺麗ね」と話していた。今思えば女の声はやや震えていた気がする。
(綺麗、ねえ)
 生気のない、空っぽの骸が、色みだけを繕っては花に埋もれていく。顔だけを除き、すっかり花に沈んだ母を眺めていると、そう言えば彼女は、花粉症が大層酷かったことを思い出した。お前の大嫌いな花に沈む心地はいかがですか、ねえ、オカアサン。
 火葬場に入る棺に、参列者全員で手を合わせた。重苦しい空気の中、係員がボタンを押すと、小窓が赤々と色付き、その場にいた参列者は糸が切れたように涙を流し出した。どれも皆、生前母と親しくしていたらしく、この場において自分が一番場違いな気がした。事実その時私が考えていたことと言えば、こういうところの職員は果たして、働きに見あった給料をいただいているのだろうか、とか、多分そういった些末事であった。
 納骨の行程など一番記憶に残っていない。骨の欠片を拾い上げながら、これは喉仏のあたりですね、という職員の解説を、やけに真剣に聞く人が多かったとか、それくらいだ。ふと、中原中也の詩を思い出した。この白く、かすかすのものが形を成し、洗濯物をしたり居間に寝転がってせんべいをかじりながらバラエティー番組を眺めていたんだろうか。そう思うと、なるほど確かに、少しおかしく思えた。

 母は、一族の墓に入れられた。先祖代々お世話になっているらしい墓石はお世辞にも綺麗とは言えなかった。下の方に少し苔がむしており、角はどこも丸い。不揃いなその丸みは、風化のせいだろうと思われる。供え物の花は枯れ、正直この下に眠っている母やご先祖の方々を思うと、不憫にすら思えた。ゆくゆくは私もここにいれられるのだろうか。死後のことなど関係ないと言えば関係ないことだが、こればかりはご遠慮願いたいものである。
「お母さん、愛息子が来ましたよ」
 わざとらしく語りかけても、無論返答はない。心底疑問に思うのだが、恥ずかしげもなくこうして墓石に語りかけられる人は心臓に毛でも生えているのだろうか。
「お母さん。…………。ああー、」
 心なしか生臭いような、そんなぬるい風が鼻先を掠める。川が近いからだろうか。今日が、雲ひとつない晴天でよかったなあとぼんやり思う。特にそう思うに至る理由などはないのだが、今朝のニュースでアナウンサーが、嬉しそうに洗濯日和だと言っていたのが、いっそう惨めにさせるようで。
 私は母を、母と呼び慕えるほどに記憶も思い入れも持ち合わせていなかった。私と彼女は、あまりにも他人すぎたのだ。彼女の立場になって考えると、私の存在はそれだけで彼女の人生を惨めにさせたのだろう。だから、儀礼的に謝罪を述べることだけはしてやれた。でも、ああ、しかし。
「母にかける言葉も浮かばないほどに私は、いえ、――俺は、あんたに対して関心がなかったみたいだよ」
 ここ最近、梅雨でもないのに雨が続いて、洗濯物が溜まっていたことを思い出した。もう、帰宅したらそれらが全て片されていることはないのだから、さっさと家に帰らねばなるまい。
 墓参りの前に購入した花を形式的に手向けて踵を返し、そのあとはもう、振り返ることはなかった。鶏冠のような真っ赤な花穂が、鮮やかに揺れながら、その命尽きるまであなたのそばにいることでしょう。
 どうぞ、安らかに。

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