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爛漫の春を想う

 青みがかった黒の髪を、さらりと春風が撫でた。
 食堂で眠っていた御影條は小さく呻き、頭上に投げ出していた指先をぴくりと動かす。耳を澄ますと周囲の喧騒がなくなっていることに気がついた。心なしか、気温も下がっているようだ。
 いったい何時間眠っていたのかと苦笑しつつ、円卓に倒していた上体を起こす。繁忙の時間をすぎた広い空間は、がらんとしていた。壁掛け時計を見れば午後六時。條が席をとったのは四時ごろのことだ。つまり、およそ二時間、夢の中にいたことになる。
「誰もきてねぇの」
 ここは條とその友人たちの、最近の集合場所だった。授業が終わった者が長机や円卓が並んだ食堂の一角を占領し、ぞろぞろといつもの顔ぶれがそろい、無料で提供されている茶や購買で売られているジュース、それに菓子などをつまみながら他愛もない話をする。それが終われば寮に戻り、また誰かの部屋に誰からともなく集まって雑談をしたり、訓練場に行って模擬戦闘に励んだり。
 学生同士の戦争が活発な時勢において、実に平穏な日々を送っているなと、條は静かに笑んだ。
「春、か」
 條はあと二週間ほどで学校を卒業し、本軍に入ることが決まっていた。今まで統括していた暗殺部隊御影班は、直属の後輩であり、四月に三年生になる天木鴛鴦に任せてある。
なにやら企んでいるらしい鴛鴦女史は、二年生になろうとしている一般部隊第二班所属の雪原露消と、その友人である八ヶ瀬タチビ、音谷佑人を班に引きこむ気でいるらしい。
それに、いつからかやたらと條に突っかかってくる、赤軍の二人組。主にうるさいのはひとりなのだが……。
「しのー!」
 悩みの種について思いをはせ、らしくもないため息を吐き出したところで絶叫が響いた。少ないとはいえ、まだ食堂にいた生徒たちが目をむいて出入り口を見やる。少女らしい高い声音だけで闖入者の正体に気づいた條は、いっそう深く息をついた。
「あら、いるなら返事しなさいよババア」
「名前覚えてるならそっちで呼べよロリ。あと先輩をつけろ後輩」
 白を基調に、真っ赤なリボンやレースの飾りをあちらこちらにあしらった派手な少女が、條の真横で腰に手をあて、ない胸を反らした。
「敬うところがないのよ雑魚」
「ほお? あたしに一撃で倒されたくせによく言うな」
 意地の悪い微笑とともに條が指摘する。どう見ても小学生にしか見えない高校二年生、来年度から三年生になる雨谷銘莉の頬に朱が走った。
「うるっさいわね! あのときは手加減してあげたのよ!」
「すでに五回くらい同じことしてんだろうが! あと声がでけぇんだよ!」
「アンタもでしょ!」
 この目立つ装いとよく通る声、それに圧倒的な戦闘能力の低さでよく暗殺部隊がつとまるなと、條は常々、自由奔放で知られる赤軍の心の広さに感心するとともに呆れている。
暗殺を生業としているならせめて気配を消せと何度も注意しているのだが、銘莉はいつだって正面突破だ。きちんとドアを開け、大声で條かその仲間たちの名前を呼び、大股で歩いてあごを上げ、尊大に挨拶をする。
暗殺ってなんだっけ。そんな疑問を條が抱いたのも、一度や二度ではない。
「っと、そんなくだらない話をしにきたんじゃないの」
「だいたいいつもくだらない話しかしてないけどな」
 條が言い終わる前に、銘莉は堂々と彼女の正面に座っていた。女性の平均身長を越えている條から見ずとも小柄である銘莉は、少しばかり腰かけるのに苦労する。ふわりと裾が広がった、狭いところには入れそうにない衣服も着席を阻んでいた。
 余談だが、赤軍の証である真っ赤な衣装で登場しては、周囲に剣と銃を向けられていた銘莉を見かね、白軍にくるときはせめて白を主に使った服を着てこい、と指示したのも條だ。おかげで針のむしろになることは減ったが、断固として制服を着なかった銘莉は相変わらず懐疑の視線の的になっている。
「で、なんの用だよ」
「花見をするわよ」
「赤軍でやれ!」
「あっちでやっても面白くないでしょう! それに、裏庭にいい木があるって知ってるのよ!」
 銘莉はその見た目にそぐわない、毒がある上に我がままな性格から、あまり赤軍になじめていないらしい。口数が少なく、人をよせつけない雰囲気をどことなく持っている銘莉の世話係、赤軍救護班の蒔苗山査子にしても、友達がいるほうではないだろう。
 対照的に、二人は白軍に友人がいる。條をはじめとし、彼女と親交が深い者たちには暖かく受け入れられていた。
 いやだから、ほんとは敵対関係なんだから、戦争をしなければならないんだぞ。分かっているのか、と指導する立場の御影條は最初こそ心の中で叫んだものだが、今となってはどうでもよくなっていた。早く赤軍を裏切ってしまえとすら思う。
「いい木って、あのソメイヨシノか。よく知ってるな。辺鄙なところにあるから、白軍のやつらでも知らないってことがたまにあるのに」
「タチビが昨日教えてくれたのよ。みんな誘ってお花見しようって」
 高校生には見えない少女は口元を緩め、照れくさそうな顔になった。
「へぇ、で、メリィは大好きなあたしを誘いにきてくれたと」
「大嫌いよ!」
 間髪を入れず、机を拳で叩いて叫んだ銘莉は、條から視線を外して「でも誘おうと思うくらいには、嫌いじゃないわよ」と蚊の鳴くような声でつけたした。今日の少女はどういうわけか素直だ。よほど花見が楽しみなのだろう。
 條はちらりと時計を見る。もうすぐいつもの面々がやってくる時間だ。それまでの暇つぶしに、銘莉で遊びたくなった。貴重な態度をとる一年下の少女をからかいたい、という衝動が腹の底からわいてくる。
「あの木はやめておいたほうがいいぞ、メリィ」
「はぁ? どうしてよ」
「タチビもきっと知らなかったんだな。あそこには出るんだよ」
「なにが」
「幽霊」
 目視できるほど、銘莉から血の気が引いた。條は内心でほくそ笑み、机に肘をついて両手を組む。銘莉は膝の上でこぶしを握った。
「ゆ、幽霊なんているわけないじゃない」
「それがいるんだよなぁ。目撃例もあるんだ」
 きわめて深刻そうな表情を作り、條は陰鬱に目を伏せる。赤軍の暗殺者の大きな目に涙がたまっていた。しかし、銘莉の山より高い矜持はここで白軍の暗殺者の言葉を遮ることを許さない。
 三本の指に入るほど苦手な怪談話か、誇りか。板ばさみの銘莉は、條の思惑に気づくことなく、唇を噛みしめる。
「今から何年か前、まだ戦争が始まったばかりのころ、とある女学生と男子学生が恋をしたそうだ。しかし男子学生は戦死。残された女学生は世をはかなみ、恨み言を叫びながら首をつった」
 ちらりと條は銘莉に目を向けた。即興で作成している物語がしっかり少女に浸透しているのを確かめ、こみ上げる笑いを噛み殺して、言う。
「それが、白軍の裏庭にある、あのソメイヨシノなんだ。以来、花が咲く季節になると、縄で首をつった女学生の霊が出る。こっちにおいでと手招きを……ってぇ!」
 声を潜め、幽霊談を終わらせようとしていた條の頭が後ろから叩かれた。弾かれたように振り返った彼女と、眉を吊り上げている八ヶ瀬タチビの眼差しが交わる。
「なにホラ話教えてるの!」
「先輩の頭を殴るんじゃない!」
「鴛鴦ぃー!」
 タチビだけでなく、鴛鴦や露消、佑人がそれぞれ制服姿で苦笑していた。いつから聞いてたんだよ、と條は唇を尖らせる。銘莉は半分泣きながら、男子生徒並みに上背がある鴛鴦に抱きついていた。
「先輩、意地悪はよくありません」
「ちょっとからかっただけだよ」
 班の後継者である鴛鴦が銘莉の艶やかな黒髪を撫でつつ、眼鏡の奥から困りきった目を向けてくる。條は肩をすくめ、うめき声を上げている小柄な少女の襟を引いた。
「なにすんのよ鬼ババア!」
「うるせぇ。あれくらいでびびってんじゃねぇよ」
「だって幽霊よ、出たら切れないわ!」
「メリィは鞭しか使えねぇだろ! どうやって切るんだよ! あと全部あたしの作り話だから幽霊なんかいねぇよ、気づけよ!」
 ようやく鴛鴦の腰から手を離した銘莉が目を丸くする。こぼれかけた涙は、さっとハンカチをとり出したタチビが拭ってやっていた。
「嘘……?」
「おう。もし本当にそんなものが出たら、あたしが退治してやる。だから安心して花見しようぜ」
 唖然としている銘莉の頭をやや乱暴に撫で、條は小声で謝罪する。ぱん、と沈黙していた露消が手を打ち鳴らした。
「じゃあ花見会の相談だ!」
「場所とりとかどうします?」
 佑人が席に着き、それを皮切りに各々が定位置に腰を下ろす。最後まで残っていた銘莉はごしごしと目元を拭い、條の隣に座った。
「一番いいところをとるのよ!」
「そういや今日、山査子は? 壱依もいねぇし」
「二人して救護室で盛り上がってたので、置いてきちゃいました」
「……呼んできます」
「一人では大変だろうから、私も」
 露消が舌を軽く出す。佑人と鴛鴦が小さく息をついて立ち上がり、タチビが笑声を上げた。條は苦笑する。
 銘莉は夜を迎えた空を開け放たれた窓越しに見上げ、幸せそうに笑んだ。


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