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雪中花


 誕生日には花を贈るのだと知ったのは、二日前のことでした。

 暇を持て余してテレビを見ておりましたところ(一見、この水槽の頭に目なんてないように見えますが、きちんと色鮮やかな世界を認識できているのです)、お昼のドラマの主人公が妻に「誕生日おめでとう」と言いながら花束を贈呈していました。別の番組でもほぼ同様のシーンが描かれておりましたので、ああなるほど、と思った次第です。
 勤め先である骨董屋の近所に、花屋があることは知っていました。店主に頼まれ、店に飾るささやかな花を買いに行ったこともあります。はじめ、花屋の女主人はこちらの異質な姿に唖然としていましたが、今では慣れたのか、一輪おまけにくれることまでありました。迫害するものあれば労わるものあり。まったく人間とは不思議なものです。

 閑話休題。
 自分の誕生日はよいとして(知るよしもありません。自身も頭の代わりに存在している水槽の胎児も、いつ生じたのかなど分かるはずもないのです)、彼は、と思いました。同居人(こちらが勝手に居候しているわけですが)のことです。名はFと申します。アルファベット一字。世間では妙であるようですが、本人がまことの名でないことを公言していますし、世の中には名前のないもの(たとえば、胎児を羊水のような水槽に入れて首の上に乗せている異形)もいますので、まあごくまれにあることなのでしょう。
 耳と目はあっても口はないこの身では、いつ生まれたのかと聞くのも一苦労です。応接室に置かれているカレンダーをめくっても、それらしい日づけは見受けられません。ドラマでは大々的に印がつけられておりましたのに。

 そういうわけで本人に聞いてみました。身振り手振りです。「はぁ?」の一言で片づけられました。Fは異形を家においてくれる程度には優しいですが、思いやりの類はありません。あまり親しくなれそうにない人種だと言えます。
 花を贈るという行為をしたかっただけです。誕生日という口実がなくても許されるでしょう。それも彼のためではなく、いずれ生まれてくるだろう頭上の子に、うまく花を渡すための練習です。あるいは、殺風景な骨董屋に色を添えるという用途に応じるための花束でなく、単に人を喜ばせるためにつくられる花束を見たかっただけかも知れません。

 というわけで、仕事の帰りに花屋によりました。
 いらっしゃいませ。あらAさん、今日はどんな御用件で。ええと、花、たくさん。ああ花束。お店にですか。え、違う。Aさんが個人的に花束。あらまあ、珍しい。はい、すぐにつくりますね。どれを使いますか、どれも綺麗でしょう。御予算は……。
 愛想のよい女主人は手早くバケツから花を引き抜き、これはどうですか、こうしますか、などと頻繁に声をかけながら花をまとめてくれました。いらないところをはさみで切り、赤と薄青のリボンで飾り、サテン地のそれの端を手早くカールさせるというおまけつきです。花の量は明らかに予算を超えていましたが、彼女は笑顔を浮かべるだけでなにも言いませんでした。ありがとうございますと伝える代わりに、何度も頭を下げます。またいらっしゃってくださいね、と女主人はひまわりのように微笑んで手を振りました。

 雪が降りそうな空の下、帰宅しますと、同居人はソファで眠っていました。瑞々しかった花は少しずつ元気を失っています。Fの真っ赤な髪を引いてみました。生まれながらこの色らしいです。二度ためしましたが、目覚める気配はありません。
 ずっと持っていては体温で余計にくたびれると思い、彼に花を添えました。とたん、Fが目を開けましたので、とても驚きました。胎児が眠っている水槽が揺れます。慌てて姿勢を正しました。この子を守ることこそ、我が使命なのです。
「まだ死んでないんですけどねぇ」
 挑発的に語尾を延ばす独特の話し方で、彼は花束を持ち上げました。左右で色の違う目が花束とこちらを交互に見て、説明を求めます。
 あなたの誕生日が分からなかったから。ほんとうは誕生日に渡したかったのだけれど。そう、日ごろの感謝をこめて。いえ、それほど感謝はしていないし親愛もないけれど。でもここにおいてもらっているから、たまには。誰かになにかを贈りたかっただけでもあるのだけれど。ところでこれを生まれてくる子に与えたら、喜んでもらえるだろうか。
 そんなことを体で表しますが、Fはますます表情を険しくして「はぁ?」と心底、意味不明そうにこぼします。もどかしい気持ちになりました。なにか誤解を(急に親しげにされた、などの)されたらどうしましょうか。
「まぁいいです」
 なにがいいのか分かりませんが、赤毛のカウンセラーは無造作に花束を持ったまま、部屋から出て行きました。ふむ。嫌がられた様子も、意に沿わない受けとり方をされた様子もありません。
 じわじわと充足感がわいてきました。人に花束をあげるのはよいことなのです。水槽を撫でて心の中で語りかけました。
 羊水の子よ、生まれてきたときは、あなたにも花をあげましょう。



(異形の居候よ、お前は知らないのでしょうね。この花束のベースになっている水仙の、その意味を)
(球根に毒を持ち、活けた水にも毒を移す禍花であることを)
(うぬぼれという花言葉を持つということを)
(あるいは、雪の中でも咲く、たくましく気高い花であることを)



fin.
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友達の愛木さんより!!
綺麗なFをありがとうございました!!
131220

Thank you for reading.