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一話的な:後半

 己が質量に応じたスピードで、ゆっくりと開いていく扉を、白森はただ呆然と見ていた。重厚なそれが隔てていた向こう側、そこには一体何があるのだろうかと、淡い期待と不安さえ抱く。そんな白森の胸中など、無論誰も知らない。知らずして、まま扉は開いていく。己が質量を感じさせる、重々しい音を立てて。開いた、その先に広がっていた空間には。
「……え?」

 何もなかった。

 扉の向こうに広がっていたのは、広大な、円形の空間、ただそれだけ――ではなく、扉の付近に、やはり丸いドームのような建物が、ちょこんと存在しているだけであった。建物の大きさを考えると、ちょこん、という表現は不適切かもしれぬ。むしろ、一般的な住宅よりは幾分大きい、のではあるが、この空間との比率を考えると、ちょこん、という表現でやはり妥当と言える。
「こんなにも無駄なデッドスペース、初めて見た……」
 白森は思わずそう呟いた。感想としても間違いだらけだが、それほどに動揺していたのだろう。
「今、何か言ったかしら?」
 スーツの女が、白森の方を振り向いて、尋ねてきた。女が自分に話しかけてきたことよりも、白森は、
「え、日本語!?」
 彼女の扱った言語について驚いた。
「え? 私、今何か間違えてたかしら? これでも結構話せるつもりだったのだけれど」
「え! あ、いや、違います違います! え、や、違うことはないんだけどそうじゃなくて! えっと、日本語喋れるんだなって……。社長、英語使ってたし……」
 白森は、会議室でのことを思い出しながら言った。女も、ああと思い出したように言い、「あれは向こうが勝手に話してただけよ」と肩をすくめる。それまで、クールな雰囲気を醸し出していた女であったが、その仕草はえらく女性的であって、白森は、彼女が女性であることを再認識した。
「さ、無駄口を叩いてる暇はないわ。団長がお待ちなの。行くわよ」
「え、行くわよってどこに……?」
「この場所で、あそこ以外に用のある場所があると思う?」
 女はそう言うと、そのまま建物の方へ歩いていった。白森も、置いていかれてしまわぬよう、慌ててその後を追った。



 建物の中身は、正方形の鉄板を打ち付けて並べたかのような、そんな造りである。点在する蛍光灯の白い光は、外が暗かったためかより眩しく思えた。白森は、建物の内部を迷いなく歩いていく女のあとを、ただただ黙ってついていくしかない。色々と、聞きたいことはあった。それはもう枚挙にいとまがないほどに。しかあれど、見知らぬ他人にそうほいほい質問できるほど、白森は不用心ではなかったのである。また、先ほどのやりとりから見て、悪いようにはされないだろうという、どこか確信めいたものもあって、時期がくればあらかたの疑問は解決するだろうとも考えていた。
 二人は無言のままに建物内部を進んでいく。道なりに進み、一つ階層を降りて、やがてとある扉の前で、女は立ち止まった。
「ここよ。もう皆、揃っているわ」
「あの、皆ってのは……?」
「詳しいことはあとでちゃんと説明するわ。あなたはただ毅然たる態度でいなさい」
 お姉さん、あなた外国人じゃないでしょう。などというつっこみをする間もなく、スライド式の自動扉が、物静かな動作音を立てて開いた。



「よう、我らが新たな兄弟よ! 歓迎するぜェッ! がーっはっはっはぁっ!!」
 扉が開くなり、豪快な笑い声とともにそのような言葉がかけられた。不意をつかれたその音量に、白森は思わず耳を塞ぐ。
「団長ー、始めなんだからもっと声抑えないとー。新人君耳塞いじゃってんじゃないすかー」
 声の主とおぼしき、ニメートルはゆうにあるかと思われる髭面の大男に対して、隣にいたそばかす赤毛の若い男性が呆れたように言った。すると、反対隣にいた少年と少女が、「団長、うるさい」「うるさーい」と言葉を掛け合う。この二人、もちろん髪型は違えど、面立ちが酷似している。恐らく、一卵性の双子であろう。
「がーっはっはっは!! おう、新たな兄弟、すまねえな! だがこれでも大分抑えてんだ! がーっはっはっは!!」
 ならば普段どれほど騒がしいのか。容易く想像がついてしまいそうだな、と白森は思った。いや、そんなことよりも、である。
「新たな兄弟……? 新人……?」
「お? 何だ、ヴァレリア。お前何も話してねえのか?」
 大男が、不思議そうな面立ちで、スーツの女に言う。女は心底申し訳なさそうに「実際に見せてからと思いまして……」と述べたのち、頭を下げた。
 女、ヴァレリアは、改めて白森の方に向き直ると、大男を中心に半円の形で立ち並ぶ五人の男女を背に、
「改めて、ようこそ。世界政府直轄秘密組織――チェイスへ!」


 チェイス。それは、日々深刻化複雑化する事件や謎の究明の助力とすべく、世界政府が特別に設けた追跡のみを行う追跡者組織のことである。追跡。読んで字のごとく、逃げるものの跡を後を追う、あるいは物事の経過や筋道を辿って調べることを意味する。
 各国警察などが行き詰まった事件、逃した犯人などを、ただひたすらに追い、捕縛するためだけの、シンプルと言えばシンプルな活動内容だ。ただ、それだけのために一組織設けねばならぬほどに、世界中の犯罪率は上昇し、質も向上しているのである。
「俺達は、世界政府が極秘に執り行った審査ってやつに、幸か不幸か、通っちまっつーわけだな!」
「追跡者には誰もがなれるというわけではないの。厳しい審査に通った、選ばれた人間のみ。白森信也、あなたはその審査に通った選ばれた人間というわけ」
「え、え? 世界政府? 追跡? 審査?」
 ヴァレリアや大男の説明を聞いても、なお事情が掴めないのは当然である。白森は、数分前までは至って平凡な会社員であったのだ。それが、いきなりわけもわからないところに連れてこられ、見知らぬ、しかもぱっと見て大半が多国籍の人間という状況におかれ、ついには今日からお前は、世界政府が組織した追跡者集団の一員だ、などと言われたのである。むしろ、すんなりと飲み込める人間の方がすごい。
 ふざけるな、と憤ることも出来ず、かと言って、わあすごい、だなんて歓喜することも出来ず。白森は、ただただ混乱するばかり。頭を抱え出した白森に歩み寄り、肩にそっと触れたのは、白森より小柄な、純然たる日本人らしき女性であった。
「こういうときは、一旦深呼吸してみてください」
「は、」
「いいから、はい、吸って。吐いて」
 白森は言われたとおり、言われたテンポに合わせて、深く呼吸を繰り返す。すると、不思議なことに、次第に気持ちが落ち着き始めた。それを悟ると、女性は柔和な笑みを浮かべて、先ほどまで自分がいたところに戻っていった。
「さっすが綾だなー。ヤマトナデシコ! んー、俺にも深呼吸教えてほしいなー」
「やらしいことする気だー」
「やらしいー。やらしいねー」
「フロ・リー。お前ら二人してひどいなー。このランディ様がそんなゲスなことすると思うのか?」
「…………」
「…………」
「目と目で通じあうな、くそー」
 双子が無垢な視線を交わしあい、赤毛が悔しそうに言葉を吐いた。大男はそんな赤毛を見て大笑いし、日本人女性は顔を赤くして縮こまる。そんな連中を、唯一真面目人間らしいヴァレリアが一喝、と、ここで白森は、一番右隅、ちょうど照明の灯りから離れており薄暗いところに、一人静かに佇む男に目をやった。
 男は煩わしげに仲間を見ていたが、白森の視線に気付くと、今度は白森に目をやった。睨み付けた、とも言うべき、鋭い視線である。白森は思わず萎縮したが、ヴァレリアに肩を叩かれ、「いつものことよ」と言われたので、やや力を緩めた。
「とにかく、チェイスのことはこれからゆっくり知っていけばいいわ。それよりも大事なのは、今ここにいるメンバー。紹介するわね」
 ヴァレリアがそう言うと、五人は改めて姿勢を正し、白森に向き直る。
「はーい! ランドルフ・サミュエルでーす! 聞いた話じゃ君ニ十五だっけ? 俺ニ十六なのよー年近い同士よろしくなー! ちなみにランディって呼ばれてるぜ!」
 まずは赤毛、いや、ランディが元気よく名乗った。続いて、双子の少年少女が進み出て、
「リーはフリダ」
「フローはフロラ」
「リーが弟、」
「フローがお姉ちゃん」
「仲良し」
「こよし」
「彼らはフロラとフリダ。見てのとおり双子よ。話し方は見たとおりだけど、すぐに慣れるわ」
 と、ヴァレリアが捕捉する。次に前に出たのは、日本人の彼女。
「初めまして。藤林綾、と申します。私は給仕として働いております。同じ日本人同士、仲良うしてくださいね」
「あれ? 今、イントネーションが……」
 白森が思わず呟くと、綾は途端に顔を赤くさせ、あわあわとあわてふためきながら、「ちちちちゃいますよ!? わた、わたし別に関西人やないですから!!」と、完全に関西の言葉遣いで否定しだした。しかし、もう否定する意味も皆無であって、しばしの沈黙ののちに綾は、
「…………生粋の、大阪人です」
 恐らく綾は、大阪出身であることに多少のコンプレックスでもあったのだろう。しかし、むしろ大阪を、よく知りはしないけども好意的に思っていた白森は、
「俺、一度大阪いってみたいなって思ってるんです。今度、話聞かせてくださいね」
 そう言って笑った。綾は、ぱあっと顔を輝かせ、次。くしゃりと、心底嬉しそうに笑った。
「エリアス・グランヴェルです」
 綾の隣であり、端。ずうんと立った、黒コートの男が、そう名乗った。しかし、それ以上語りたくもないのか、それきり口をつぐむ。横でランディやフロラ、フリダが「エリー」「エリー」と愛称を口にする度、眼鏡の奥の理知的な瞳がぎろりと動いた。
「私は、ヴァレリア・ウェークフィールド。副団長というところね。それで、中央にいらっしゃるのが、」
 ヴァレリアは、例の大男を示し、
「団長よ」
「え、名前は!?」
「がーっはっはっはぁ! いーんだよ、細くぇことはよ!! 名前なんて記号でしかねえ、そうだろ? がーっはっはっは!!」
「それでいいのか……」
「んじゃ、あれだ。忘れた! がーっはっはっは!! さて、次は兄弟、お前の番だぜ?」
 団長はにやりと笑い、白森を見やる。他のメンバーからの視線も、自然と白森に向けられていく。白森は、気恥ずかしいような、それでいて厳かな、不思議な気持ちになりつつも、静かに、口を開いた。

「白森、信也です。」

 これから彼に待つ物語は、未だ扉の向こう側。鍵をもちいてうち開くのは、またいずれ。



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あとがきかけねぇ……っ
0120603


Thank you for reading.