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虹の火葬



 虹を燃やした。
 よく晴れた日のことだった。青い空には雲ひとつなくて、遥か向こうに続く稜線がよく見えた。
 三週間も降り続いた雨が、一昨日の朝にようやく止むと、とてもとても大きくて、綺麗な虹がかかった。普段、空なんて仰ぐことをしない僕だけれど、この日ばかりは庭まで出て、雄大な空のキャンパスに描かれる、七色の橋を食い入るように眺めた。そこで思ったんだ、虹を燃やそうって。
 思い立ったら早かった。今までも、そしてこれからも、外敵に怯えることのないであろう奴は、僕の目の前で、暢気に横たわっているのだ。捕獲など容易い。僕はあっという間に虹を捕まえてしまうと、ホームセンターで購入した鎖で奴をがんじがらめにし、さらに、逃げられないようにと南京錠をかけた。虹は、それでもなお、暴れることをしなかったので、僕の慎重さはひどく滑稽に思えた。こいつは、どこまで暢気なんだろう。さてはこいつの中には、悪と言う概念はないのかもしれない。
 ソリャアそうか。だってこいつは、外敵に怯えることなどなかったのだから。しかし、とするとそれは僕らも同じなのではなかっただろうか。この世に生まれ落ちた時、少なくともその瞬間だけは、僕らはその身の危険を脅かされることなど、なかったはずで。では、一体いつから、僕らの中には、敵という概念ができたのか。
 僕らはみな、誰かの敵である。何故ならば、誰一人とて同じ正義を持たないからだ。そんな奴らが集まり、形成したコミュニティでは、共通悪という名の別の正義をしたてあげる。それは時に概念であり、生き物である場合もある。それを対象に、コミュニティが結束出来れば、それでいいのだ。だけれども、それはひどく脆いものであって、コミュニティ内に身をおくものたちは、次はいつ自分が共通悪になるかと身体を震わせている。警戒は日をおうごとに強くなり、果ては人間不信か。
 あえて言おう、こんな世界は、ある意味では狂っている。キチガイじみた世界であると。
 自分の正義に寄り添い、懸命に、誠実に生きる人間が、悪にしたてあげられるのは簡単だ。集団に固執した社会は、個人プレーを認めようとしない。追いやられた場所で僕は一人、暢気な虹を手にしている。

 僕だって、お前のように在りたかったよ。

 虹を燃やした。
 よく晴れた日のことだった。七色の粉は、風に乗って高く高く舞い上がり、雲ひとつない空の青に溶けていった。
 暢気な虹は死に、僕は極彩色の涙を流して、はらはらと泣いた。



130223


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