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斜陽。肯定。夜を渡る。

 荒寥とした荒野に、夕陽が沈みます。押し潰されそうなほどに雄大で、鮮やかな夕陽でございました。夕陽は影を背負いて、地平線の向こう側へと沈みゆきます。その様を、静かに見守っていた愚者は、実に軽やかな足取りで、歩きだしました。足音は立たずして、地を踏みつけます。既に傷だらけの大地でございましたから、今更泣きだすこともないのでございます。小石が転がり、砂利が擦りつけられ、なおも平然と、愚者は歩きます。深くかぶったぼろいとんがり帽子の、片方に入った切り目から覗く瞳には、夕陽しか映っておりませぬ。
 かっちりと着込んだスーツの上からは、くすんだ麻のぼろ布を纏い、おろしたての真新しい革靴が、オレンジの光を反射いたします。ぼろ布の裾が風にたゆたい、長く伸びたシルエットが揺らいでは、ふらりふらふら、足取りをおぼつかなくさせました。眼差しは凛々しく真っすぐであったけれども、脹ら脛がわりのペットボトルは空、故に不安定なのでございます。
 夕陽に引き摺られていきます。雲でございます。ずるずると、否応なく引き摺られて、地平線の向こう側へ、いえ、恐らく地の底へと、引き摺られていきます。雲は嘆き、紫色の、どろりとした涙露が垂れました。傷だらけの荒野を濡らします。露はその後、緑色の煙と化して消えます。音はございませんが、愚者は両腕を広げ、恍惚の表情を浮かべ、空を仰ぎました。まるで舞台俳優のように指先までも美しい、洗練された動きで、自分の喉元に手をやります。その一つ一つの所作は実に艶やかで、口元が歪につり上がりました。
 涙露が肩に触れ、肩が腐敗していきます。鼻腔をするどく突く刺激臭を放ち、肉は熔けヌックと白骨が表れます。それでも構わず足を弾ませ、音のない旋律に身を委ね、黄昏色の腐食した荒野で舞い続けてゐるのです。
 ふいに靴底が地表面を削りました。どんよりと濁った鈍い血液がじゅわりと垂れます。靴底には針。それでも音のない旋律は止まず、地表に転がる小石を踏み散らし、蹴飛ばしながら、愚者は舞い続けます。小石は星です。けれど、鮮やかな夕陽の前にはその輝きも何の変哲もないものと変わります。愚者は星を蹴飛ばして、黄昏色の夜を渡ります。





考察、弐

 彼女という人間について考えた。圧倒的な自分主義(ミーイズム)と自己陶酔(ナルシズム)のふもとで、膝を折る愚者を想った。胸に秘めたるは爛れにも似た自己への信頼、陶酔、愛である。絶対的、揺るぎないと自称するその感情はハリボテで、支えと言えば薄い木の板それ一枚のみである。故に苦しみ、悩む時分があるが、これを彼女は容認している。せっかく吊り下げられたつり橋を、彼女自ら、焼け落としてしまったのである。そんな、想像(イメージ)。 かつてソクラテスは自分が無知であるという最大の知を容認した。それは、なかなか向き合えるものでなく、つまり真の賢者とは愚者なのである。というのが私見であって、故に私は彼女を愚者と呼びたい。愚か者。しかし半端ではある。致し方のないことだが、齢にして十七の小娘が全ての知を制しているなど、そのような詭弁を弄したくはない。また、どれほど崇高な造りの芸術品であっても、傷一つないということはありえないのである。
 などと、大層な言葉ばかりを並べ立てておるが、ある意味では、これは皮肉にもとれるかもしれぬ。受け取り方は様々、であるが故に一方からの想像、印象、その身勝手さを同時に伝えらるば幸いである。

 さてさて、最後までお目をお通しになられた親切結構愚かな皆々様へ捧げますは、最大にして最後のエゴイズム。この、物語とも呼べない一方からの勝手な想像、私めの内に展開する、数多ある心象風景の一つに関して、拙作ではございまするが、どうぞよしなに、各々の立派な犬歯で噛み砕いてくださいますよう。

音谷 拝
12' 5/15

Thank you for reading.