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変則的プラトニック

 灼熱の太陽が、一面砂に覆われた地表を焦がしている。頭上には淀みのない紺碧が広がるばかりで、草木はとうの昔に焼け尽きた。まるでこの世の果てのような場所で、女が一人、懸命に何かを探している。何を探しているのかと尋ねると、女は折り重なる花のような笑みを浮かべて、こう言った。


「この砂漠に落とされたというルビーを探しているのですよ。それは蟻の涙粒よりも小さいもので、ですから私はかようにして、老婆のように腰を折り曲げ、目をよく凝らして探しているのです。と言いますのはかような次第でして、私には竹馬の友と呼ぶに値する大切な友人がおります。いえ、そう思っているのは私だけかもしれません。それでよいのです。彼女と私は決して同等などではない。そのような意識を抱く行為自体おこがましい。彼女からすれば私なぞその他大勢の内の一人、名もセリフもない画面を埋めるだけのエキストラ……いえ、人間であるかどうかも疑わしい。ともあれ私にとっては自分の命よりも尊く、素晴らしく、大切な存在である方がおりまして、何を隠そうそのルビーとは彼女が落とされたものなのです。
 ……おや、なんです? あなたもあの方々と同様に彼女の言葉を、いえ彼女を疑っているというのですか? アア、お可哀そうに。なればこそ私は、早急にルビーを探し出さねば。
 私は、ご覧のとおりみすぼらしい見目にございます。皆々様と同じ酸素を吸い、生命活動を行っていること自体大変おこがましい、低俗な人間でございます。故に私は身の程をキチンとわきまえ、皆々様から遠ざかり、言葉を交わすことすら控え、孤独、それでいて妥当な日々を過ごしておりました。かような醜女に産んでくだすった母を、種を与えた父を、呪うなどということは致しませんでしたが、全く割り切って考えられたというわけもなく、生きながらにして死んでいるかのような日々でした。しかし、かような私を一個の人として認め、手を差し伸べてくれた。その方こそが彼女でありました。
 見目麗しい彼女は、明るく人柄も良い、まさに愛されるべく産まれてきたような女性でした。この世の穢れとも呼べるほどの醜女である私に、彼女のような御方が干渉してこようなどとは神ですらも思いますまい。ですが、かような奇跡はいともたやすく起こってしまったのです。他の誰でもない、彼女の手によって。
 それからの日々は、筆舌に尽くしがたいほど素晴らしいものでした。私は相変わらず醜女でございますけれど、そのようなことは一切気にならなくなってしまいました。たった一人、自分を認めてくださる方がるだけで、世界と言うものは見違えるほどに変わることを、あなたはご存知でしょうか。私は、彼女によって人となりました。私自ら引いていた線は、彼女によって消されて無くなり、私は笑うことの気持ちよさを知り、言葉を交わすことの楽しみを知りました。
 そうして、季節は巡り、私は一人の男性と知り合いました。彼は、彼女の恋人関係にある方で、彼のことを紹介してくだすったのはもちろん彼女でした。私の中では神に等しき彼女の惚れた御方ですもの、ソリャアとても素敵な方でした。私たちはよく三人で昼食をともにし、談笑し合いました。休日も、主に彼からですけれど誘いを受け、三人で色んなところへ出かけました。以前とは比べものにならないほどに、心底幸せな毎日でございました……。しかあれど、次第に彼と彼女の間には不穏な空気が漂い始めたのです。それは、本当に突然のことでございました。ですから、私にも何が何だか分からない。そのために、軽々しく首を突っ込むこともできない。彼女が私に荒んだ目を向ける度に、きっと苦しんでいるのであろう彼女に対し、何も出来ない自分が心底腹立たしかった。私を人としてくだすった彼女。女神にも値する、慈悲深き私の聖母。
 彼女が、私から少しずつ距離を置かれる一方で、彼はやけに私にアレコレと接してきました。私はそれが大変悲しく、彼に相談致しますと、しかし彼はいつも言葉を濁し、最後には、彼女のことはいいじゃないか、などと戯言を言うのです。耳を疑いました。ともあれ、これで私は、他人を頼ってはいけないことを学び、また彼女に救いの手を差し伸べられるのはもう私しかいないのだ、ということを悟ったのでした。
 しかし、彼女が私から、何かしらの理由により距離を置きたがっていることは勘づきましたので、私はずっと以前、彼女と出会う前のことを思い出しました。彼女が消してくださった線をもう一度引き、自らの賤しさを弁え、口を閉ざす。しかしながら以前と決定的に違うこと。それは、今の私には彼女を救い、そして守るという崇高な使命を抱いているということでした。私は自らを隔絶しつつ、彼女の生きる世界を傍観し、彼女を悲しみの淵から救い出して、二度とその深みへ落ちてしまわぬよう彼女を守りきらぬばならなかったのです。もちろんこれは誰に命じられたものでもございませんが、命を賭して完遂せねばならぬ使命でありました。
 そうして、表向きがずっと以前のものに戻ってしまうと、心なしか彼女の悲しみが薄らいでいったかのように思えました。一体何が彼女を苦しめていたのか、結局分からずじまいでしたけれど、彼女が以前のように元気を取り戻してくれるならば、それでよかった。だから、彼女が明るさを取り戻してからも私に接触してこなかった点に関しまして、私はいかな感情も抱きませんでした。
 それは、夏の暑さも薄らぎ、葉が赤や黄へと色づき始めるころのこと。彼女が、突然私の席にやってまいりました。多くのご友人達を引き連れて。私は、こうして彼女が私の前に来てくださるなぞと、いつ以来だろうかと思い、内心歓喜に打ち震えておりました。
『ネエ、人の男食った感想はどう?』
 彼女が、口角を歪に上げながら、かようなことを尋ねてきました。しかしながら、私にはよく意味が分からず、『エッ?』と間抜けた返答をするしか出来ませんでした。他でもない彼女が、久方ぶりに私に言葉をかけてくだすったと言うのに、私はなんと阿呆なのでしょう。そんな私に、彼女が腹立たしさを感じてしまうことは当然でした。彼女は目に見えていら立ちながら(しかし声を荒げないあたり流石彼女でございます)もう一度、
『だからさ、ツレの男食った感想はどうだったって聞いてンのよ』
『ちょっと顔がいいからってやることってエゲツないよねー。普通、友達の男に手とか出さなくない?』
『まじ信じられないし。あたしだったら友達取るわ』
『とか言って、アンタ男取ってそう』
 キャハハと耳障りな笑い声を立てる、頭の悪い女達。ですけれど、彼女のご友人なのですから、これは賤しき私の偏見でございます。彼女はご友人達とともに笑い声を立てつつも、鋭利な刃のごとき目を向けます。私は、少ない頭の中をフル稼働させますが、彼女の質問の意味と、それに対して自分の返すべき答えがサッパリ分からず、情けないことにそのまま黙ってしまうのでした。すると、彼女は大きくため息を吐き、
『相変わらずネクラなのね』
と、嘲笑の意を少し含ませて言いました。全くおっしゃる通りでございます。返す言葉など、そもそも言葉を返そうと言うことすらおこがましい。何故ならば私は、本来なら皆々様と同じ空間に存在すること自体おこがましき醜女なのですから。
『てかアンタよくこんなのと絡んでられたね?』
『ホラ、あたしイイコじゃん? だからハブりとか見過ごせなかったっていうか』
『で、裏切られたんでしょ? カワイソー』
『まじそれ。もう砂漠にルビー落とした気分なんですケド』
『何それウケる。てかありえないから』
 相変わらずキャハハと耳障りな笑い声が鳴り響き、私の脳でぐわんぐわん反響する中で、彼女の言葉だけが鮮やかに浮かび上がりました。砂漠にルビーを落とした。などと彼女は事もなげにおっしゃいましたが、私とてルビーの価値を知らないわけではございません。かような宝石を、あまつさえ広大な砂漠に落としただなんて、大ごとでございます。であるというのにこの女どもは何を悠長に笑っているのか。しかも、それを冗句の一つとして流すだなんて! 
 私は、ガタッと勢いよく席を立ちました。彼女や、彼女のご友人達は、目を丸めて私の方を見ます。
『私が見つけてまいります!』
『は?』
『砂漠とはどこぞの砂漠でしょうか!? ゴビ? サハラ? 遠慮なくおっしゃってくださいな、私はあなたの友人として身を粉にしてそのルビーを見つけてまいりましょう! エエご遠慮などなさらないで、何故ならば私はあなたのご友人……イエ、それは流石に身の程知らずでございました。あなたは私を一個の人として認めてくだすった唯一の存在。私にとって神にも等しい御人にございますもの。あなたのためならば私はどこへなりとて向かい、必ずや、あなたが落とされなすったというルビーを見つけ、皆々様の前にご覧じて見せましょう! そしてあなたの正当性を立証してみせましょう!』
 …………というような次第で、私はこうして今もなお彼女の落とされなすったルビーを探しているのです。おや、ひどく辛そうな面持ちをしていらっしゃいますけれど、どこか具合でも悪いのでしょうか。でしたらすぐに引き返しなさい。そして、ゆっくり休むといいでしょう。私ですか? 私は、彼女のルビーを探さねばなりませんからともに行くことはできません。御心配、痛み入ります、名も知らぬ旅人様。私はどうやら、長らく人と会話することに飢えていたのやもしれませぬ。彼女より、言葉を交わすことの楽しみを知ってしまったから。アア、早く彼女にお会いしたいものです。そのためにも、そのためにも、ルビーを」


 この世のものとは思えぬほど美しい女は、灼熱の太陽が焦がす砂の僻地で、今日も口実(ルビー)を探している。女が、果たして無事にそれを見つけることが出来たのかどうかは、太陽にしか分からない。ただ一つだけ、はっきりと述べられることと言えば、ここにルビーは存在しない、ということである。



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ご閲覧誠にありがとうございます。
書評会に提出する作品に、あとがき、などとおこがましいことは致したくないのですが、一つだけ書いておきたいことがございまして、かようなスペースを設けております。
本作は女の語りという体で書いておりますゆえ、その最中における台詞には『』を使用いたしました。これを不適切なのでは、と思われた方がいらっしゃいますことを仮定し、先に言い訳を述べさせていただきます。これは、某作家の方がなされていましたので、ああなんだこれはありなのか、と思い、使用いたしました。それだけ。それだけ述べたくて。長々とすみません。書評をつけていただいた際にこのこと書かれて言い訳とかしたくなかったので←
アア日本語が気持ち悪い。では、拙作ではありますが、お暇なときで構いません。何卒よろしくお願いいたします。

Thank you for reading.