脱出
気を失った後も、楠木と斎藤に好きに弄ばれたようで、目を覚ました時身体中が鈍痛に見舞われた。どうやら殺されはせずに済んだらしい。先ほどの倉庫のような薄汚い場所ではなく、少しきれいな部屋の簡易ベッドで寝かされていた。部屋の外では怒鳴り声がして、耳を立てると俺の話をしているらしかった。
「まあまあ長谷川さん、落ち着いて。キツイ拷問を繰り返しましたけど、何も知らないようですから、無駄ですよ。」
怒鳴っているのは、俺を拉致した長谷川のようだった。
「なんだと楠木ぃ、お前ふざけてんのか!この拉致計画にどれだけ時間費やしたと思ってんだ!収穫なしで済ませられるかよ!」
「それなら、俺が他の人質を連れてきますよ。あいつはもう用済みですから、俺が処分しておきます。」
「…ふん、早く殺してしまえ。ベッドに寝かしたりなんかして、そんな優しくしてやる必要ねえだろ。お前も斎藤も、なんかおかしいぞ。」
「…」
このままここにいたら俺は殺される危険が高い。早々に逃げ出したいが、部屋にはドアは一つしかなく、そのドアの側から声が聞こえることから、逃走は難しそうだった。
キィ…と音を立てて部屋に入ってきたのは楠木だった。長谷川はいなかった。
「起きてたのか。お前はもう用済みになった。ここから出てもらう。」
殺される…そう思ったがなぜか楠木に横抱きにしてかかえられた。その手つきは、なんとも優しいものであった。
「ど、どこに連れて行くんだ」
「俺の家に連れて行く。…まだ聞きたいことがあるからな。」
さっき用済みと言ったくせに、と思ったがどうやら殺されはしないようだ。だが、またあの恐ろしい尋問が始まるのかと思うと死ぬより辛いことだった。抱えられたまま揺さぶられながら、どうにか逃げ道はないかと思案していると一人の男が立ちふさがる。
「…楠木、そいつをどこに連れて行くつもりだ。」
斎藤が、怒りを露わにした表情で通路を塞いだ。
「こいつの処分は俺に任された。お前に口出しする権利はない。そこをどけ。」
楠木は無表情のまま返答する。
斎藤はどくつもりはないようで、楠木を睨みつけたまま動かない。
何が原因かは分からないが仲間割れをしてくれているので、俺は俺で再び思考を開始する。その時、斎藤の後ろの通路を行き来する人の中に、見覚えのある人影を見つける。え、どうしてこんなところに…と思う間も無く、彼の合図に気づき、俺は直感で実行に移す。
「…あの…」
おずおずと楠木に申し出ると、楠木は、ん?と柔らかい顔で俺を見る。
「…ト、トイレに行きたいんですけど…」
抱えられているので下からのぞきこむ形で楠木に頼むと、彼は顔を赤らめて一瞬言葉を失う。だがすぐに、斎藤を押しのけるとすぐ近くのトイレに連れて行ってくれた。斎藤はなぜか先ほどまでの空気を消し去り、道を明け渡してくれた。
「ん、んじゃ、ここで待ってるから」
俺を降ろしてから廊下で壁にもたれて、行っておいで、と声をかけられる。敵であるはずなのになぜか子供に接するように甘やかす楠木を、不思議に思ったが、思惑通りいったことに胸を撫で下ろす。トイレの個室をノックすると、やはり先ほど見た人が中にいた。
「御園さん、無事で良かったです。」
「に、二宮さん、どうしてここに…」
かつての事務所仲間であった二宮が、敵の組の中心にいることに驚きを隠せない。廊下に漏れないように、小さな声で問いかける。
「御園さんがいないことに組長がすぐ気づいて、組のスパイもすぐに見つけ出して、御園さんの居場所を突き止めたんですよ。俺なら御園さんと付き合いも長いんで、中でどんな状況でも暗号で合図できると思って。」
組長の仕事の速さに驚かされる。まだ連れ去られてから1日も経っていないのに、そこまでやってのけるだなんて。確かに、二宮とは潜入捜査を共に行うことも多く、小さな目や手の動きで意思の疎通が出来るまでになっていた。先ほど、平然と目の前を通り過ぎ、僅かに指を俺に見えるように動かしたことで、このトイレに来いというのが分かった。
「でも、どうやってここに…」
「それは、田嶋さんの力ですよ。御園さんが拉致されたと分かって、すぐに潜入できるように手配してくれました。俺は今この組の支配下にある浜野組の下っ端ってことになってます。」
田嶋さんが?まさか、とは思ったが
田嶋さんなら顔も広いし、他の組にも貸しが多い。それくらいわけないとは思うが、まさか俺のためにそこまでしてくれるとは驚きだった。
「このトイレの窓から出たらすぐウチの車があります。浜野組の車ということになっているので、門から堂々と出ても問題ありません。廊下で待つ男にバレる前に、早く脱出しましょう」
そう言われ、背中を押されて否応無く外に出させられる。そのまま、目の前の車に乗ると、事務所の下っ端が運転席に乗っていて、すぐに逃走できた。
なぜか殺さないでいてくれた楠木と斎藤の顔が浮かんだが、俺は考えるのをやめ、組長の待つ本家へと戻った。その間、身体中が痛み動けない俺を二宮が労わるように介抱してくれた。その温かさに、ほっと安心した。
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