大好きな飴 斜堂先生に外出届を貰い、普段の制服から私服へ着替えて待ち合わせの正門へ向かうと。そこには一組の男女がいた。 ううん、近付いてよく見てみると、一人は潮江先輩で、隣にいるのは女の格好をした委員会の先輩… 「食満先輩…ですか〜…?」 「おお、平太」 ちょうど小松田さんに外出届を渡している女装姿の食満先輩。 薄紅の袖口に白い桜をあしらった着物に、よく靡く髢、白粉をむらなく塗り、目尻には着物に合わせた同じ色の紅がさしてある。 まるで本当の女の人みたいで、近くで見ないと分からないし、隣に潮江先輩がいなきゃ赤の他人だと思って見過ごしてた。 思わずどきっとした。 これが六年生の実力なのかな…。 「どうして…女装されてるんですか〜…?」 隣にいる潮江先輩は特に気に止めた様子もないことに、更に不思議に思い首を傾げる。 すると食満先輩は本当の女の人のようにふふっ、と一つ笑みを零してお母さんみたいに優しい声で教えてくれた。 「女物を買いにいくんでしょう?なら、女がいないとおかしくない?」 ああ、なるほどと納得。 口調まで本当の女の人にした食満先輩は、本物の女の人そのものだった。 「おい、行くぞ」 「ああ。行こう、平太」 促され、慌てて小松田さんに外出届を渡すと食満先輩に続いて戸を潜る。 行ってらっしゃいと見送られながら三人揃って歩き出すと、すっと手を差し出された。 見れば、女の食満先輩がにっこり。 手を繋ごう、ってことで、いいのかな…? 恐る恐る、差し出された手に自分の手を重ねると、どうやら合っていたようで、ぎゅっと握られた。 反対側の隣には潮江先輩がいて、私服姿の潮江先輩はじめて見たなあと見上げた際に一緒に見えた空は、曇一つない透き通るような青だった。 今度、女装の授業が始まる。 女物の着物や髢は既に用意してあったけど、白粉や紅など化粧品はまだで、何を使えばいいのかも分からなかった。 そこで、女装の授業を知っていて、尚且つ一番身近な先輩である食満先輩に尋ねたところ(富松先輩は次屋先輩と神崎先輩を探していて忙しそうだった)、一緒に見て買いに行こうということになった。 『ああ、でもその日は久しぶりに文次郎と出掛ける約束を……文次郎が一緒でもいいか?』 文次郎…?ああ、潮江先輩のことだ。 あまり話したことない先輩だったけど、時々食満先輩の口から出る名前だったし、あの会計委員会の委員長だと思い出し、先約ならもちろんだと頷いた。 そうして僕と食満先輩と潮江先輩は授業が休みの今日、町に来ている。 商店が立ち並ぶ賑わう町。 学園に来てからはあまり外出をしていなかったから、久しぶりのそれにわくわくする。 前は、お父さんとお母さんとで来たんだっけ。 右はお母さん、左はお父さんと手を繋いで楽しく町中を巡った時のことを思い出す。 今日は右が食満先輩、左は潮江先輩。 「とりあえず、そっちの用を先にするか」 「いいのか?」 「元から特に決めていたわけじゃないし。適当に店巡りながら行けばいい」 左、右、左と頭上の二人の会話を交互に見遣る。 食満先輩とはあれから手を繋いだままで、なんだかお母さんと手を繋いでいるみたいで安心した。 先ずは白粉を買うことに。 お店へ入ると、何人かお客さんがいる。もちろん全員女の人。 食満先輩は躊躇うことなく奥に進んで行くが、今は女装をしているから違和感がない。 ちなみに潮江先輩はお店の外で待っている。 「平太、ほら」 食満先輩は幾つか白粉を取って僕に見せた。 少しずつ違いようだけど、どれも同じに見えて違いが分からない。首を傾げた。 「そうだよな。俺が今使ってるのはこれ。結構白いだろう?でも平太は俺ほど焼けてないし、初めてだからこっちでいいかな」 やっぱり分からなくて、先輩にお任せしますと頼んだ。 「了解。次は別のを使ってみよう。違いが分かるだろうから」 女性の声で、すみません これくださいと言う食満先輩に、財布を取り出そうとしたところを制止される。 「いいよ」 「でも…」 「これくらい出せない先輩じゃあない。変わりに、授業頑張れよ」 「…ありがとうございます、食満先輩」 お言葉に甘えて白粉を買ってもらいお店を出ると、少し退屈そうな潮江先輩が待っていた。 「お待たせ」 「買えたのか?」 「はい〜…先輩に選んでいただきました〜…」 食満先輩がわざわざ選んでくれたことや買ってくれたことが嬉しくて報告すると、それは良かったな、とちょっと乱暴だけど頭を撫でられた。 びっくり。 でも、嫌じゃない…。 不器用だけど、優しかった。 次に向かったのは斜め向かいの紅屋。 店先に幾つもの紅が並べられていて、どれがいいのか白粉よりも分からない。 「平太はまだいらないと思うぞ。逆にケバくなる」 先輩が言うのだから、きっとそうなのだろう。 今回はまるっきり先輩に任せることにして、じゃあ いいかなと買うのを止めた。 食満先輩は買うみたいで、たくさんの少しずつ違う赤や桃を眺めている。 一つを手に取ると、小指で数量掬い上げ、下唇に当てた。 それを数回左右に揺らし、上唇も同様に。 すると、普通の女性に見えていたのが、更に女性らしくなった。 別人とまではいかないけど、印象はぐんと変わる。 紅一つでこんなにも変わるんだ…。 お母さんが時間を掛けてお化粧をしていたのが分かった気がする。 「なあ、文次郎」 食満先輩が潮江先輩を呼んだ。 潮江先輩は食満先輩より幾分か体格がいいから、女の食満先輩と並ぶと、なんだか普通の男女に見えてしまう。 普通の男女っていうのは、つまり恋仲の…って犬猿の仲と称される二人に言ったらキレられそうだから絶対言わないほうがいい…。 「これ、どうだ?」 「何で俺にきくんだよ…。俺が女装の成績よくないの知ってるだろ」 「そうじゃなくて、女装をさせれば一番の仙蔵と同室なんだから、同じのかぐらい分かるだろ」 「分かんねえよ」 「じゃあ、お前の判断で」 「それって好みの問題になるぞ」 「…それでいいから」 ん、と目をつむった食満先輩が、見せるように潮江先輩に顔を向ける。 すると潮江先輩は、くいっと食満先輩の顎を持ち上げてゆっくり顔を近付けた。 吐息が掛かるくらいまで寄せる。 びっくりした。 だって、だって、まるで接吻するみたいだったから…。 食満先輩の顔をまじまじと見た潮江先輩は顔を離すと、もう少し薄いほうが良いと言った。 「少し映えるくらいでいい」 「文次郎が言うなら、そうする」 持っていた紅を戻し、改めて選んだのはそれより淡い桃色。 ちょっと買ってくるな、と店の奥へぱたぱたと入って行く食満先輩を見送って。僕はまだ少しだけ、さっきびっくりした時のどきどきが残っていた。 「他の奴に見せられるか…」 潮江先輩がぽつりと何か呟いたけど、僕にはよく聞き取れなかった。 それからは適当にお店廻り。 大きいがさばるような物は買わなかったけれど、櫛や髪紐といった細々したものを時々買った。 食満先輩とお揃いで、紅色の簪も買った。 僕と先輩、二人だけの秘密みたいで、なんだか嬉しい。 女装の授業の時に使おう。 また食満先輩が別の店へ立ち寄っている時、ふと隣の露店に目が奪われた。 甘い匂いに誘われて傍へ寄ってみると、いろいろな形のそれに更に目がくぎ付けになる。 棒に刺していくつも並んでいるそれ。 「わあ…」 動物や花の形をした飴細工に、思わず歓喜の声が漏れる。 凄くきれいで、だけど口に入れたら溶けて無くなってしまう。 飴なんて久しく食べていない。 まさか食堂のおばちゃんが出してくれるわけないし、お土産にはべたべたして誰も買ってこない。文化祭の屋台で出ていたのを食べた以来。 学園に来る前は、町へ出る度に買ってもらってたけど…今は、もう…。 その味を鮮明に思い出してしまい、ごくりと唾を飲んだ。 「飴屋か」 「えっ…あっ…」 いつの間にか傍にいた潮江先輩は目の前の飴細工を眺めて、ちらりと僕を一瞥する。 「どれが欲しいんだ?」 「え…」 「一つ好きなのを選べ」 「えっと…じゃあ…」 それ、と指したのは二本の耳がきれいにぴんと立っている兎。 潮江先輩は飴屋のおじさんに、兎の飴と引き換えに銭を渡した。 ほら、と差し出される飴細工。 本日何度目かの驚きと、躊躇っていると、 「構わない、お前のために買ったんだ」 と言われ、やっぱり躊躇いながらも潮江先輩の手からそれを受け取った。 「ありがとう、ございます〜…」 気にするな、と撫でられた頭。 さっきと同じそれは、さっきよりも心が温かくなる。 潮江先輩に対して恐い印象しかなかったけれど、そんなことないのかもしれない…。 僕の中で潮江先輩の印象ががらりと変わった気がする。 可愛らしい兎を見納めて、ぱくりと口に入れれば。途端、口いっぱいに甘さが広がった。 旨いか?と聞かれて、こくこくと頷く。 本当に、甘くて美味しい。 久しぶりだからか、或はこの飴だからか、また或は潮江先輩が買ってくれたからか、特に美味しいと感じた。 「お待たせ。…お、平太、何食べてるんだ?」 「飴です〜…あそこの飴屋さんで売っていたのを、潮江先輩が買ってくださいました…」 「文次郎が…?」 「欲しそうにしてたから買ってやっただけだ」 「…そっか、ありがとな。平太、美味しいか?」 はい、と喜んで頷けば、良かったなと自分のことのように嬉しそうな笑顔の食満先輩。 良い買い物ができたのかな…? 僕も自然と笑顔になった。 自ずからまた手を繋ぐと、 「そろそろ行ってみるか。ちょうど小腹も空いてきた頃だし」 「そうだな。混んでるだろうし、少し待つようかもしれん」 な?と促されたけど何のことか分からなくて、飴を加えたまま首を傾げた。 他の店より一際賑わう茶屋。 先輩達に連れられてやってきたのは、一軒の饅頭屋さん。 曰く、最近出来た新しいお店で、旨いと絶品らしい。それでこの混みよう。 どうやら当初からの目的はここだったみたい。 お店に着く頃には、飴は溶けてなくなっていた。 忙しなく行ったり来たりするお店の人たちを見ていて、暫く待つようかなと思っていたら案外早く席につけた。 案内された店先の長椅子に腰を降ろすと、潮江先輩が三人分のお饅頭とお茶を注文した。 「もう買う物は大丈夫か?」 「ああ、伊作に頼まれた物も買えたし。平太は?」 「僕も大丈夫です〜…」 お目当ての白粉も無事手に入いり、食満先輩に改めて感謝していると、茶屋のお姉さんがお饅頭とお茶を持ってきてくれた。 評判は本当で。美味しくてぱくぱく頬張っていたら、そんなに美味いからって、喉につっかえるなよと潮江先輩に笑いながら心配される。 「ああ、平太、餡ついてる」 今度は食満先輩に口許を拭われる。ちょっと強引なそれに、んーっと嫌々をする子供のような声を漏らした。 すると、向かいに座っていた老夫婦に面白そうにくすくすと笑われてしまった。 ここのお饅頭、美味しいものねと愛想いいお婆さんに言われ、素直に頷いた。 「家族でお出かけに来たの?」 にこにこと笑顔で尋ねられ、思わず三人揃って饅頭を食べる手が止まる。 食満先輩と潮江先輩は完全に思考停止状態で、僕は慌ててはいっと返事してしまった。 「仲が良いのねえ。楽しかった?」 「は、はい…。お母さんの白粉を見に行って…お父さんには飴細工を買ってもらいました…」 「そう、それは良かったわね。さっきといい、子供思いで素敵ね。嘸ご両親の仲も良いでしょう?」 「えっと…」 さすがに返答に困り両隣を交互に見遣ると、二人とも外方を向いていて。見える耳が赤くなっている。 どうしよう…。 しかし、いいえとは言えず、思わず頷いた。 「はい〜…」 後々、怒鳴られないか内心びくびくしながら笑い返した。 日が傾き始めた頃、来た時同様、食満先輩と手を繋いで学園を目指す。 茶屋でのことは杞憂に終り、どちらからもお咎めを受けなかった。 普段仲の悪いお二人が、仲が良いと言われて嫌じゃないのかな…? でも、今日の二人からはとても犬猿と言われてるとは思えないくらい、仲は悪くなかったように見える。 …ううん、むしろ凄く仲良かったような…。 意外と優しい潮江先輩だし、もしかして二人は周囲が言うほど嫌み合っていないのかもしれない。 一日を振り返りそう思っていると、小さく食満先輩に呼ばれた。 「今日は楽しかったか?」 首を傾げた際に揺れる黒髪。 髢だと分かっていても、今日はその姿の食満先輩しか見ていないから、すっかり頭では違和感なく似合っていると定着してしまった。 「はい〜…とても楽しかったです〜」 それは本当。 食満先輩と町へ来れて、白粉を買ってもらって、お揃いで簪を買って、潮江先輩には飴細工を買ってもらえて、美味しいお饅頭を食べさせて貰えた。 びっくりすることやどきどきすることもあって。でも嬉しかったりした。 学園に来てから、一番楽しかった一日かもしれない。 「そうか、なら良かった」 ニッと笑みを浮かべる食満先輩に、僕は尋ねてみることにした。 「あの〜…」 「ん?」 「…食満先輩は、潮江先輩のことが好きなんですか〜…?」 「へ…」 ぴたりと歩みが止まる。潮江先輩も。 一瞬間を置いた後、みるみる食満先輩の顔が赤くなっていく。 白粉の上からでも分かるほどに。 どうしたのだろう…? 変なことでも聞いてしまったかな…? でも、今日の二人を見ていたら嫌み合っているようにはとても見えなくて。本当はとても仲良しで、嫌いじゃなくて好きなんじゃないのかなって思ったんだ。 ほら、僕だって伏木蔵や孫次郎や怪士丸が大好きだけど時々喧嘩もしちゃう。それと同じなのかなって。 そう言ったら、 「あっ、ああ!そういうこと、そういうことな!う、うん、そうかな!そうかもしれないな!なっ、なあ、潮江文次郎!」 酷く狼狽ながら、よく分からない答えが返ってきた。 どうして姓名一緒? 「…むしろ、」 同意を求められた潮江先輩がゆっくり口を開く。と、同時に視界が真っ暗になった。 「わあっ…」 潮江先輩の大きい手で両目を覆われたのだと分かったのは、一瞬反応に遅れてから。 塞がれる直前、潮江先輩が食満先輩の顔を引き寄せているのが見えた。 「"大好き"なんじゃねえの?」 「…んんっ」 次に視界が開けた時、何故かさっきよりも顔を真っ赤にした食満先輩が口許を手の甲で抑えていた。 逆に潮江先輩は涼しそうな表情で口角が上がっていて、なんだか嬉しそう。 何があったんだろう…? 首を傾げてみるけど、食満先輩も潮江先輩も教えてくれなかった。 「帰るか、平太」 潮江先輩に名前で呼ばれてびくりとする。 だけど、昨日までの恐そうな印象とは違う笑顔で手を差し出されて。僕はちょっと嬉しくて、初めて潮江先輩の手を握った。 食満先輩の手は指が細くてすらりと伸びていてお母さんみたいだけど、潮江先輩の手は大きくて温かくてしっかりしていて。まるでお父さんみたい。 「食満先輩、帰りましょ〜…」 ずっと食満先輩からだったけど、初めて僕から右手を差し出して繋ぐ。 まだ少し食満先輩の顔は赤いまま。 夕日でそう見えるだけかな? 「また、食満先輩と潮江先輩と出掛けたいです〜…」 両手をしっかり握りながら、次は三人で何処へ行こうかと胸を弾ませた。 後日、女装の授業では先生に褒められ。 今度は食満先輩と一緒にお揃いの簪を刺して僕も女装をして町へ行くと、潮江先輩が飴屋のおじさんに 「綺麗な奥さんと可愛らしい娘さんだね。家族でお出かけかい?」 と言われたのは、また別の日のことだった。 『寝ながら食う』の春子様より相互小説頂いちゃいました「文食満+平太で甘くてほのぼの」です 訳分からんリクエストにも関わらず予想以上の素敵小説 何このナチュラル家族!良妻な食満先輩と最後に悪戯する文次郎も堪らん!三人でお手て繋い帰るシーンなんてマジ良い夫婦(*^P^*) ピュアな平太君にもキュンキュン! ありがとうございました!! |