闇に溶けた声
「……そろそろNのところ行くか」
木陰で太陽の光を避け涼んでいた俺は、重い腰を持ち上げそう呟いた。
さすがに時間も時間だしな。傾き始めた太陽を見ながらつま先で地面をつつき靴を履き直す。
腰についているボールを確認し、さぁ行こうと歩き出した時にある光景が目に入ってきた。
「毛だ……イーブイ?」
こちらに向かって勢いよく近づいてくる茶色い毛玉。俺は眉間にしわを寄せ考える。え、あれって確かNの……あれ。
「お前Nはどうし痛え!」
口を開き言葉を発したとたんに俺の頬に喰らわせられたのは叩きつける。
ふっさふさの柔らかい尻尾とは言え、遠くから助走をつけジャンプしたそのままの勢いでやられたそれはけっこう痛い。
じんじんと軽く痛む頬を片手で抑え口元をひきつらせた。
「……お前そこまで毛玉引きちぎられたいんだな。ちょうどいい、今は邪魔もいねえし……ってそうだ、お前Nは?」
当たり前だが聞いてもなんの反応もない。俺とは絶対に目を合わせようとせず、明後日の方向を向いているソイツを見て小さく舌打ちをする。
「え、ぬ、は?」
「…………」
「お前あれな、これから飯抜きにしてやるからな」
「…………」
俺はため息をつきイーブイから目を離した。
たまたまはぐれたのか?
いや違う。Nはこいつから目を離さないし、なによりこいつが自ら俺の元へ来るとは思えない。
…………と、なれば。
俺は目を離したイーブイをもう一度見る。
あいつまた面倒なことに巻き込まれやがった。
「おい毛玉、俺をあいつのところに連れて行け」
「…………」
「……俺はお前のトレーナーじゃねえし、命令なんて出来る立場でもない。けどお前が少しでもあいつを大切に想っているのなら、」
そこへ連れて行ってほしい。
そこまで言った俺を、イーブイは牙を剥き出しにして見た。いやなんで。
「……別に大切とかではないのか」
呆れたように言うとスッと緩められる威嚇。思わず小さく笑ってしまった。
お前本当に見た目と正反対の性格してるよな。
「はぁ、分かった。俺が、あいつが大切なんだ。だから護りたい。満足?」
しばらくして、トンッと地面を蹴る音が聞こえた。
―――――
死ぬのかな、って思った。
ボクの体に見事命中したシャドーボールのおかげで体中のあちこち痛いし、うまく呼吸もできないし、空気をすおうとすれば血が口から出て止まらないし。それに右腕はうまく動かない。
地面に血だまりを作り伏したボクにだんだんと近づいてくる足音が聞こえる。そしてその足音はボクが倒れているすぐ目の前で止まった。
逃げろ、うるさいほど頭の中で警報が鳴り響く。
「大丈夫。死なせませんから、絶対に」
にこやかに、まるでちょっと出かけてくるねくらいの柔らかい声で発するその言葉。
ボクはそれを聞きながら、まだ動かせる左腕に全神経を集中させた。
たくさん痛いけど、でもそれでも、。
よろよろと頼りなく立ち上がるボクに目の前のカレは少し驚いたように目を見開く。
「なんだ、まだ立ち上がるの?」
「…………」
「そんなに俺と来るのが嫌なんですか?」
「……こ、んな……」
「あぁ、喋らないで。それ以上血が出たらさすがに危険だから」
くすくすと、なにが可笑しいのか笑い出すカレ。まぁ元からいつでも笑っていたのだけれど。
しかしそれはほんの少しの間で、すぐに冷めた顔になりボクを見据えた。
「抵抗するだけ無駄です。だから早く諦めて俺と一緒に来てよ。これ以上傷つきたいの?」
「…………」
「……へえ、それが君の答えなんだね」
ゆうらりとカレの瞳が揺れる。隣にいるリーフィアに命令を下そうと、口を一回開いたがまたすぐに閉じてしまった。
どうしたのだろうか。
「…………」
「……ど、うし……て、」
いったいキミの目的はなんなんだい。
その言葉を発することは叶わず、ボクは口元にこびりついた血を乱暴に袖でぬぐった。目の前のカレは未だゆらりゆうらりと揺れる瞳をボクに向ける。
「俺は君が分からない」
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