夢を見てるみたいだった。私に背を向けるその人は、風を纏って、ふわりと宙に浮き上がる。けたたましい雄叫びにも負けないくらい、渦巻く風が彼を取り巻いていた。すぐ傍に落ちている血のついた刀。目の前に広がる光景。混乱の中で打ち出した答えは、ありえないという何処か投げやりなものだった。じんじんと痛む腕だけが現実を忘れさせないでいてくれる。傷付いていくそれと、尚も攻撃をやめないその人を見て、不思議と怖いなんて感情は湧いてこなかった。





「…あ、」




やがて、地を裂くくらい大きな声が聞こえて。断末魔のようなその絶叫にびくりと肩を震わせると、響いていた風の音も呻き声も何かを裂く音も、聞こえなくなっていた。甘い匂いもしない。腕の痛みは変わらないが、重かった体も随分楽。俯いたまま薄っすらと目を開ければ、すぐ傍で小さな足音が聞こえた。





「おい、腕、大丈夫か?」
「…ぁ…、」




顔を上げて、その人を確認して、気付いた。さっきの人だ。私が突き飛ばしてしまった人。かけてくれた言葉と先ほどの記憶が混ざって、胸に罪悪感が降り積もる。思わず眉を下げた私を見て勘違いしたのか、その人は申し訳無さそうな表情を見せた。





「…あ、の」
「ん?」
「…あ、りがとう…ござい、ます」
「……はぁ?」




あれ。ガン付けられた。お礼を言ったのに。駄目だったのだろうか。目を丸く見開いくと、ぎゅっと眉を寄せて、次には困ったような顔になるものだから、少しだけ面白い。笑わなかったけど、もしかしたら中途半端に緩んでいたかもしれない。怪奇そうな表情。また見せてくれた新しいそれに、そう思った。





「…風、かっこよかった、です」
「……お前、」
「はい、?」




酷く心外だというように。そして何処か泣きそうに。目の前の人は破顔して小さく私を呼んだ。現実味を離れすぎて実感がないだけなのか分からないけど、この人に対して怯えるような感情は湧かない。だって、凄く、脆そうに見える。今にも壊れてしまいそうだと、思った。ゆるゆると握られた手は白くなっていて、小刻みに揺れる目が不意に見えなくなる。ぎゅっと寄った眉の皴は一瞬で、次に見えたときは先程の脆さなんて、全く感じさせないようだった。





「ははっ!変な奴!」
「……は、え、」
「格好良かったなんて言う奴、初めてだぜ」
「……、」




腰に手を当てて笑ったその人は、未だに座り込む私に向けて手を差し出す。無骨で角ばった手だ。「ほら、」なんて声をかけられて、私は迷うように見下ろす二つの瞳を見返した。取っていいのだろうか。私はさっきこの人を、なんて考えて。怒るようでも迷惑そうでもないこの人の反応が、これまで接してきたどの人の反応にも当てはまらなくて、困る。





「手当てしねぇと痛いだろ。立てよ」
「……は、い」





恐る恐る伸ばした手は、躊躇して中途半端な位置でその勢いを失う。う、と詰まって彷徨う手に、その人は少し重い息を吐いた。思わず肩を揺らす。いつもいつも人と接するのに臆病で遠ざけていた私。大抵の人はそんな私を見てしつこく話しかけてもこなかったけど、仲良くなろうとしてくれる人ならたくさんいた。引っ込み思案なだけだよね、と最初は笑いかけて傍にいてくれた人も、気付けば私から離れて笑っている。「唄ちゃんって、付き合い辛いっていうか……なんか、疲れるんだよね」と影でそういわれているのも知っていた。重なったいつかの残像。目の前のこの人もそうなのかと、意識せず手を戻しかけたとき、





「お前、怖がりすぎだ。別にもう警戒したりしねぇって」





前へ屈んだその人が、私の手を勝手に取った。ぐ、と力が入って持ち上げられる。折れた足を突っ張れば血を流したためかくらりと視界が揺れてしまった。やばい、と思って目を瞑って。でも繋がったままの手が受け止めるように肩に移動して、私はぽすりとその人の肩に顔を埋めた。う、わぁぁ……、





「…う、え、ああああのっ」
「お前ハンカチ持ってるか?」
「えぇ…?…も、持ってます、けど」
「ちょっと貸せ」
「は、はい…」




パッと体を離したその人は慌てて取り出したハンカチを私から抜き取った。なんだか呆然としてしまう。わ、私そんなに汚かった…!?一歩下がって頭を下げようとすれば、押さえつけられるように腕を取られて、また肩が跳ねた。ああもう何がしたいのか全く分からない。





「、え…?」
「このハンカチ、汚れてもいいやつか?」
「…大丈夫、です」
「よし」
「………あ、あの…?」
「取り敢えず止血しとかねぇと血ぃ減っちまうしな」





傷口をぎゅっと縛って、急な圧迫感に一瞬息を詰まらせる。その人は満足そうによし、と呟いて、私を見下げる。「行くぞ」と手を引かれて慌てて足を動かした。細い道を抜け出せば、明るかった空も暗くなっていた。








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