もう大丈夫です、と微笑んだ慎司に腕の力を緩める。
完全に離れようと身を引いた筈の私は、曲げたままの肘を掴まれて動きを詰まらせた。
中途半端にできた隙間。




「一つだけ、聞いてもいいですか」




すぐ傍にある目は、強い意志を持って。
静かな空間に溶け込むようなそれが私を一面に映す。




「一緒に逃げるっていうのは、僕と先輩。二人だけって意味ですか?」
「うん?まぁ、そのつもりだった、けど…」




言葉を切った。
慎司が、あまりにも真剣な顔をしていたから。
そしてその奥に、小さく見えた、悲しみ。
再び強い目に隠れてしまったそれが妙に気になった。





「……じゃあ、真弘先輩は?」
「っ、」




痛いところを突かれたな、なんて他人事のように思う。
ひゅっと吸いきれなかった空気が喉を鳴らして、私は目を見開いた。




「先輩の言う逃げようは、僕のためじゃないですよね」
「そんなこと…」
「全部がそうってわけじゃないですけど、少なくとも僕には、」




真弘先輩から逃げたいって、そう聞こえました。


今度こそ、私は息をするのを忘れた。
大きく波打つ心臓を感じながら、頭は割りと冷静で。
分かってくれたのなら、と。
私は素直に眉を下げる。




「正直、分からないの」




思い出すのは、あの夜のこと。
ずっと守られてきた私の唇。
手を繋いでくれる、抱き締めてくれる。
それでも一度も与えてくれなかった温もり。
なのにあの夜、真弘先輩の唇は確かに私のそれへと触れていた。


分からない。真弘先輩が、分からない。
どうしてあんなことをしたのか。ごめんなと、謝ったあの言葉の真意は何なのか。
ぐるぐると回る思考の中で考えてみても、答えなんて出るはずもない。


代わりに出てきたのは、弱虫な自分と。
それが引き連れてきた目尻を焦がす熱。





「っ、…ごめ、」





手の甲を熱い目に押し付けた。
零れそうな涙を無理矢理引っ込める。
泣くな、泣くことじゃないはずでしょ。
自分に言い聞かせるように目を瞑っても、ついに涙は嗚咽を零し始める。





「…っなんか…もう、やだ…」
「祈莉先輩…」
「いっつも、私ばっかり……」





私ばっかり気にして、意識して。
でも真弘先輩は平然としてるから。


膝立ちの足から力が抜けて座り込む。
両手で顔を覆いながら俯いても、嗚咽だけは消えない。
何も言わない慎司の反応も怖くて、どうすればいいのか分からなかった。





「…祈莉先輩、逃げましょうか」
「、え……?」




ギッ。床が鳴った。
絡められた手に誘われるまま顔を上げると、優しく微笑む慎司の姿。
大きな手の温もり。
じんじんと熱いくらいに伝わるそれに、目尻からまた一筋涙が零れた。










「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -