美颯が戻ってきて二日。
生まれて来て何度も経験した夜が、こんなにも不安だったのは久しぶりだ。
ちゃんと存在しているのか確かめたくて運んだ足先。
向かった目当ての襖に、オレは手を掛けて、
「美颯ちゃんのばか。心配したんだからね」
「ば、ばか……」
聞こえてきた声に手を止める。
このまま入ることに躊躇いはないし、勿論後ろめたいこともない。
だけどまだ日も昇らない時間に美颯の部屋へ訪れていた千鶴を考えると、
入っていくのは少し申し訳ない気がして。
念のために気配を消して、襖の隣に座り込んだ。
壁に背中を預けて目を閉じれば、敏感になった耳が音を拾う。
「でも、ありがとう。此処へ戻ってきてくれて」
「忘れられてたらどうしようかと思ってたけどね」
「そんなことあるわけないよ!」
笑い合う声。楽しそうに、嬉しそうに。
静かな朝に溶け込むような心地良い音を聞きながら目を閉じる。
口元は無意識に緩んでいた。
「ねぇ美颯ちゃん、私、美颯ちゃんがいた時代のこと聞きたいな」
「全然違うからきっと想像つかないよ?」
「いいの、それでも」
「…そっか、分かった」
美颯のいた時代。
オレ達はそこが未来だってことしか知らない。
未来は、それだけでも漠然としていて、信じがたいことだ。
美颯は懐かしむように、けれど何処か黒い色をその声に滲ませて話し始める。
日本では、もう戦いや命の奪い合いはなくなったこと。
文明が発達して、とても生活がしやすくなったこと。
外国とも交流がたくさんあること。
聞くだけではなんて便利で整った世界なんだろうと思ったけど、
そのせいで今のような緑はほとんどなくなってしまったらしい。
悪い所も隠さずに話す美颯の気配が、ふと柔らかな気を帯びる。
「生まれ育ったあっちも好きだけど、私はこっちの方が好きだよ」
「どうして?」
「だって大好きな人たちがいるんだもん。千鶴だって好きな人の傍にいたいでしょ?」
「ふふっ、うん。美颯ちゃん大好き」
「私も千鶴大好き」
ほっとして、肩の力が抜ける。
話している途中、もし美颯が向こうを恋しくなってしまったらどうしようかと思った。
もしそうなれば止めるのが酷だとしても、オレは間違いなく止めるだろう。
美颯には此処にいてほしい。
浅い浅い溜息を吐くと、目の前に影が落ちた。
見上げれば、登り始めた朝日を背負う左之さんの姿。
「よ、」
「はよー左之さん」
「何してんだ?」
「ん、」
人差し指を指差せば聡い左之さんは瞬時に頷く。
そして漏れる二人分の声にオレと同じく頬を緩めた。
「謹慎解けたらどっか連れてってやれよ」
「おう、そのつもり」
「それと、朝飯できたって呼んでるぜ」
お前どうする?なんて響きが込められた左之さんの言葉に、オレは緩く首を振った。
それと同時に立ち上がって、小さく伸びをしたあと踵を返す。
きっと千鶴は、謹慎中の美颯と一緒に部屋で食べるだろうから。
美颯と話すのは、その後でいい。
「平助、」
「んー?」
「今度はちゃんと繋ぎとめておけよ」
分かってるよ、左之さん。
あすなろの明日
叶うならば、ずっと隣に