唇に早鐘




気の利いた言葉なんざ紡げる訳がなかったんだ。切り揃えた細い前髪を不安げな額に張り付けたその娘が、絞り出すような声で俺の名前を呼んでいたから。
可愛い、かわいいぜ、絶対大事にするからよ、なーんて──念願のその小ぶりな白い胸を包んで、俺はもう泣きそうだった。寝台の上で、かっこわりぃだのを気にしてる余裕ってモンがハナっからなくて、ただ、痛くねぇように、痛くねぇように、そう考えてる俺の胸がもうズタズタ。

引っ込み思案なその娘の細くて白い指先が、俺の肩に届かないで困ってる。
「はずかしい……」
消え入るような声なんだもんよ。抱き締めるしかねぇじゃねぇか!
覚えたてのガキの頃よりぎこちない手で、その子の頬を挟んで言ったんだ。優しくするからなって。

そう、俺は酔っていた。そりゃあもう史上最高のべろんべろんに。酒にも、2年も焦がれたその子にも。
遊び人の名を、今日で棄てられると思ったんだ。確信だったワケ。
恥ずかしさに顔を覆うその娘に、胸の奥がきゅっと摘ままれる。
手の繋ぎ方だって、紅の引き方だって知らねぇような、きっと誰にもわからねぇだろう。確かにそんな恋を育ててたんだ。俺らは。2年も3年も。
ダンスフロアの隅っこで、困り顔で。躍り狂う酔っぱらいの借金まみれダメ男の身体の心配をしたヤツなんざー、その娘が最初で最後。
だからその娘の体が徐々に汗ばんで、指の力が抜けていく様子に叫びたかった。

嬉しくてさ。
俺に預けてくれたんだってわかったら、絶対ひとつになりてぇとか思っちまって。
優しく優しく口付けを落としながら、その子がか細くも厚ぼったい吐息を昇らせてる部屋が愛しくなって、抱き締めながら──……抱き締めながらだ。

たった一人の男の顔が浮かんだ。
俺と、同じ女に惚れたヤツで、誰かに似て引っ込み思案で優しいヤツだった。

まさかもう、……いや、当たり前だけど。そいつと話すこともなくなるのか。って。
「……発ちゃん……?」
本当は知ってんだ。
今、腕の中で問いかける彼女が、花一輪手折れねぇぐらいの優しい男に惚れてたことも、その花一輪──たった一輪を、俺が送った琥珀に閉じ込められた薔薇より大事に押し花にしてることも。
忘れようと、棄てかけたそれを麻のアクセサリー入れの奥に忍ばせてることも。


寒気がした。

俺が奢る豚の丸焼きを目にしたときより、南瓜の種を干す指が優しいんだ、こいつってば。
俺といて、飲めない酒にひっくり返らせちまうようなことも、
「発ちゃん……どう、したの……?」
ほら。スケベ心と賭博の度に、泣きそうな顔でダメ男の心配をする必要もなけりゃ、
「……私の体、へんじゃない?」
こうやって遊び人の無茶に泣かされることもないだろう。あいつといれば、あいつに戻れば、
「変じゃねぇよ。」
あからさまにほっとした体は、抱き締めたら離せなくなりそうで、
「女なら誰だって同じようなモンだろ。やれりゃーいいんだからよ」
あからさまに、優しい塊のその娘の胸を突き放した。

もう訳がわからねぇんだ。
今、お前ならなんでも可愛いんだ、綺麗なんだ、抱きたいんだ、なんて言っちまったら、きっと俺は一生失うダチの影に詫び続けるんだろうとか。
この娘がやっぱりあいつの傍にいた方が幸せなんじゃねぇかとか、親父が朝歌から帰らない今、役立たずな次男の俺が、引き換えの生け贄に朝歌に赴く日がくるかも知れねぇこととか、そうなったら伯邑孝兄ちゃんにこいつとダチを頼んで行こうだとか、ただこの女ひとりが幸せに、なってくれたらとか。

想いすぎて。

酷いと思う。我ながら。最低だ。
もうよくわかんねぇ、お手上げだ。どうせ馬鹿だしよ俺。

ギリギリ奥歯が音をたててる間に、腕の中の可愛い顔が言った。
「ありがとう、発ちゃん」
なんて。泣きそうな笑顔で。

「別に礼を言われるよーなこと言ってねぇだろ。俺にゃやっぱ初物は重いわー」

片手をヒラヒラ、最初で最後の口付けをして、泣きそうな顔だったその娘が、落としたばかりの麻の着物を手繰り寄せて笑った。
綺麗な顔だった。
だから幸せになれよだとか、遊び人らしい捨て台詞はなんとか吐いたつもり。

朝日が昇る前に、ダメな俺は煙草プカプカ、仕方ねぇから連れ込み宿に一人で泊まってよ。かっこわりぃし最低だろ?

「だから、まーぁ今も無事にダチやってら。アイツらようやくくっついたしな」
「ふーん」

そしてやっぱり、今日も俺は酔っていた。ズタズタな失恋話をするくらいには。
「……ま、あーたがニンキモノやってんのにモテねぇ理由はわかったさ」
そう言う、煙が笑っていないだとか。元々大口開けて笑うヤツじゃねぇのも、気の利いた言葉使わねぇヤツだとも知ってるけどよ、
「まったくひでぇ男がいたもんさ」
「まぁな……」
離れて行く、崩れていく、その覚えのある夜の気配も。
「んじゃー、もう行くさ。俺っちが聞いてどうにかなるもんでもねぇべ。明日は俺っちが兵の訓練顔出す日だしよ、親父も飲んでるみてーだから、天祥に布団かけてやってくるさ」
こいつはやりきれねぇ空気の中で、いつもより流暢には喋り出すんだとか。
「……なぁ、たぶん、」
「……んー?」
「繰り返そうと思ってる。」

また、言っちまっちゃあいけないって声は聞こえた。どうしたら均衡を保てるのか。離れても近付いてもいけない距離は、痛いのに心地いいとは知っちまっているから。ヤツは無言でイライラ煙草の火をもみ消した。
「なにをさ」
「……こーゆ話の、お前が行っちまう……予防線をな」
「ケッ、くだんねぇ…」
そう言う耳が赤いだとか、少し反らせた目が泳ぐんだとか、心臓が早鐘みてぇだとか、
「あーた、嘘つくの下手過ぎ。俺っちじゃなくったって」
「……天化」
「……なにさ、予防線」

早鐘を、唇の先に感じるとか。
世界が廻り出す。
今にも泣きそうなくしゃくしゃ顔のソイツを恐る恐る腕の中に閉じ込めて、早鐘が鳴りやまねぇの。崩れ去った均衡の証拠に、あったけー唇に煙草の苦い味がした。
「…はっ…な!すさ!離せ!」
「……いやだ」
「王サマ」
「お前だけは、これじゃ、……このままじゃダメっつうか……そう思ったんだ」
振り返る髪を撫でて肩にすがって、ヤツの臭いが鼻の奥にわだかまる。耳の中を満たす声は、煙草の煙に混じって、いつだって皮肉混じりにしか喋れねぇ俺に向かって、笑い混じりのストレートを打ち込んでくる、最初で最後のヤツなんだろうとか、
「わりぃ。すげぇ、惚れてるんだ。だから……」
考えたら、
「離してやれねぇっ……」

一斉一代の遊び人の卒業式に、コイツは笑う。
「ったく……面倒くさいひとさ」
って。恥ずかしそうに火傷の指先をもじもじさせてから、また唇と唇が近付いた。目がでけぇ。瞼が薄い。目の横の皮膚がぴくぴく動いて、ああ、コイツも緊張なんてするんだ…って。胸の中が熱くなる。
鼻がぶつかるのは、女相手よりコイツとの口付けの方が早い。
「面倒くせぇ…」
憎々しそうに言いながら、天化の指先が俺の耳にすがる。震えながら口付けを繰り返して、明日の朝にいつも通りの顔が出来るかどうか考えてみた。……無理かも、無理だろ、絶対。
「……っに、なにニヤニヤしてるさっ……」
「……だってよ……」

オレンジの灯籠の火の臭いが、煙草と俺を煽って巻き上げる。浮かび上がる天化の鼻の傷にも優しく優しく口付けをして、どーしようもなく嘘が下手でダメ男な俺は、生涯初めての両想いとやらに酔っていた。

「──……すきさ」

少し背伸びした天化のあったけぇ声に、もう一度ゆっくり口付けをして。


end.

発は惚れた子にだけ奥手。

2012/04/14

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