白い白い、砂糖のような雪の降る日。
「プリンちゃんも大変だよなぁ、近くにこんなイイ男いたらよ」
蓮の模様の盆の上で、狭苦しく並んだ茶器が擦れて軋む。並々の緑の水面が息を潜めて揺れていた。
「誰の話さ」
「俺」
「あちゃー…」
「んな嫌そうな顔すんな」
露骨に歪めた眉毛の奥で、思い出すのは戦場の如き豊邑の街並み。赤い包みが広がって、何処もかしこも殺気だった女性の揉み合いだった。年末年始バーゲンが去れば今度はコレなのか。男には理解しがたい新手の戦。
そこに嬉しそうに特攻する王サマも王サマとしてどうなんさ。言いかけてやめたのは、天化でなくても咎める人は多いだろうと踏んだから。
決戦は明日の月曜日。
「楊ゼンさんが言うならわかんなくもないけどさー」
「ひでぇ!」
言うほど酷くもない体で身を乗り出して笑うこの人は、今までどれだけの勲章を讃えたのだろう?チョコという名のハートの勲章。
「そこで他の野郎の名前ってどうなのよ」
「んじゃ女と比べられたいさ?」
「いや…そんな問題じゃなくねぇ?」
「ならなんも問題ないさ」
持ち上げた茶器に漂う煙りは右手から。これだから天化はなー。尖らせた唇で呟く人が頭を掻いた。
「なんで王サマがモテんのかねぇ」
「だからイイ男なんだって言ってるじゃんよ」
「全部義理っしょ?」
「全部って言うな!失礼しちゃうぜまったく」
抱えきれない包みの山は、一体何日で空にしたのだろう。そのペースで書類の山を片付けてくれれば誰も文句は言わないだろうに。天化の唇が煙草に戻る。
「自分で欲しがって貰うチョコってありがたみもなんもないさ」
「いいじゃん、別に。」
「へーぇ。俺っちはそーゆーの圏外だかんねー」
「えっ…てか貰ったことあるんだお前…」
「それこそ失礼さこの王サマ!」
「いやだって意外っつーか…」
お子様用じゃなくて?お母さんとかお姉ちゃんとか伯母さんとかじゃなくて?ああ、お姉さんはいないのかー。不意に沸き上がるその類の野次は、胸の内にリボンをかけてしまっておいた。下手すりゃ魂魄が飛びかねない。
「まぁいいさ、昔の話だし」
「過去ってコト?」
「んー、昔っちゃ昔。上行く前だかんね。十年とかそんなとこさ」
「……なんかマジで意外…」
なるほどそれは本当らしい。吐き出された煙のわっかがいつもより多いから。そう頷く目の前の人。その洞察力を仕事に活かしたらどうなんさ。天化の言葉もリボンをかけて胸の内。
「チョコくれるときのプリンちゃんてよ、」
「ん?」
「なんであんなに可愛いんだろうなぁ」
ついでに鍵と針金と金槌に釘でも持ち出してやろうかこの軽口に。
「ああ、それはわかっかも」
赤や桜の包みを抱えて、頬には赤い薔薇が咲く。白いケーキに栄えるように、愛らしい桃色の言葉を添えて。
「な!普段それなりにフランクなヤツがさぁ、そーゆーときだけ縮こまってんのとかよ、それだけでくるってゆーか」
「それはわかんねぇ」
「それキッカケで惚れちゃったりしねぇ?」
「俺っちはナシさね」
「なーんだ、結局バレンタインの醍醐味味わってねぇんじゃねーか」
そんな声が聞こえる執務室。思わず叩くように置いた茶器と盆が飛び上がった。同時に数ミリ飛び上がったのは、声の主張本人。
「余計なお世話さ!!」
「ねぇねぇ、味見してって!」
調理場の脇で、袖引きよろしく手招きする顔中チョコだらけの三つ編みの元気印。ああ、王サマってこーゆーのが好きなんさねー。リボンつきでしまい込んだ胸の内、持ち出した金槌で王サマの残像を叩いてみた。オマケにもう一発。
「コレじゃ毒味さ」
「どーせ暇でしょー?食べなさいって」
「………いや」
確かに至極愛らしい顔で、女の子特有の声とその手で、抱き抱えるように大事に差し出された銀のボウル。いつもはそこに土行孫を抱いているのに。
甘い香りとほのかな苦味。あの気持ちもわからなくはない、「それキッカケで始まる恋」とやら。……そこにミミズが入っていなければ。
「俺っちミミズはちょっと」
「なんでよ!頑張ったんだからね!試作品12号!!」
「一言余計さ」
「だってアタシ本命にしかあげない主義だしー」
「ってかモグラ殺す気さ?」
「えっ…ほっ…惚れ直して召されちゃうかしらやっぱ…!」
恋は盲目。この言葉を最初に作った人物に、今ならハイタッチつきでお礼だって出来る。なんてぴったりこの情景にハマるんだろうか。
後世に語り継がれる言葉ってみんなそうなんさ?だんだん自分の頭のありかすら遠退いてわからなくなってきた。
「ミミズも生臭さ。どっちにしたって食べらんないっしょ」
「…あぁ!?そっか!それで食べてくれないんだハニー!」
「いやー違うと思うけど」
「崑崙って不便だわー」
「妖怪扱いかい」
「でもさぁ、乗り越えられない障害アリの恋って…ラブパワーに火ぃつくのよねぇ…」
「あー、俺っちにはサッパリさ」
んじゃ!
片手を振って煙草を一服。綺麗サッパリなかったことに。
「え?天化もそうなんじゃないの?」
なかったことに。しかけた後ろから、当然のように声が降った。
「なにがさ?」
「なにって…王サマ?」
「なんでさ!なんで」
「それで余計燃え上がってんじゃない?って言ってるんだけど」
「なんっ…」
なんで?誰が誰に?何を燃え上がるって?
「だって今も王サマほっぽり出しちゃってるじゃん?」
「別に」
「ケンカでもしたんでしょー」
「そんなのあの人勝手に逃げたがるんだからちょうどいいっしょ俺っちがわざわざ見張ってなくたって!チョコ食べたきゃ好きなだけ出てきゃいいさ俺っち知らないかんね!」
「うわ…」
「俺っちは護衛さ!教育係でもなんでもない!そんだけ!」
「……思いっきりジェラッてんじゃない…どーせバレンタインのモテるモテないでも話したんでしょー?」
それは男と男の話だ。ジェラシーじゃない、プライドだ。天化の口から煙が漏れた。
「女のカンは強いわよ」
「恋愛音痴がなに言うさ」
「ほら、」
「ん゙!?」
「素直になりなさいって」
有無を言わさず口に詰め込まれた小さいハートのチョコレイト。イチゴの甘味が煙草を追いやる。
「あ、それは11号だからミミズなしよ!だいじょーぶだいじょーぶ!」
「…余計なお世話さ」
決戦は明日の月曜日。
誰が?誰に?
誰となんの決戦だって?
せめぎあう甘い香りとほろ苦さ。
「……食べちゃってんじゃねぇかよ、蝉玉の」
通り過ぎようと試みた執務室の手前で、膨れっ面の声がした。白い雪の降る夜が、月と共にもうすぐ日付を跨ぐ頃。
「毒味しろって言われただけさ」
「それで食うか普通…」
関係ないとかうるさいだとか、余計なお世話だとか。飛び出す筈のいつもの語彙が何処をひっくり返しても出てきやしない雪の夜。
「…あ゙ー…!もういいや仕方ねぇ!」
「…へ…」
雪のホイップクリームに、苺や桜の花飾り。甘い桃色の言葉を添えて…
「ん、やる」
純白の外套の下の深紅の服に、白いしなやかな指先で、
「…なんで俺っちさ?」
「聞くかよそーゆーの…」
ほろ苦い茶色の包みに可愛いリボンは薔薇の色。合わない視線のまま片手で突き出されたその箱は、小さい小さいハート型。
「……うん、まぁアレだアレ!逆チョコブームとかあったじゃん?んでまぁ今度は出来る上司的な?」
止まらない声は上擦って、低いやら高いやら。吐息に混じって咳払い。
「えーと…王サマって」
「別に上司に限定してくれなくていいけどよ、」
「だち」
「ダチってゆーな!デリカシーなし!」
失礼しちゃうぜまったくもう、ヤダヤダこーゆーときムードの一個でも連れてこいっつの!小声でまくし立てる大柄なその人が、確かに
「好、…きさ…?」
「だから言ったじゃん、俺イイ男なんだってよ」
やっとこさっとこ上がる右の口角と、覗く八重歯とかき上げる漆黒の前髪と。
「俺っちなんも持ってねぇさチョコとか」
「…べっつに…天化がいればそれでいい」
「って、ど、どーゆー意味さ!!」
「だから聞くなっての!」
日付が変わる金の音。赤い絨毯に伸びる影。
音をたてた白い外套にくるまれて、甘い香りにほろ苦い、溶けゆくような唇の味。バニラビーンズにカカオの甘味。
鼻にツンと突き抜けた。オレンジピールと数滴のリキュールにウィスキー。
「言っとくけど!…初めてだからなチョコ渡すのなんて!」
抜け出してあの群集に特攻して?
ハートの包みを両手に乗せて?
"王サマ"が?
「うん…わかるかもしんねぇさ」
「なにがよ」
「……さっき王サマが言ってた」
「はぁ?」
チョコをくれるときの王サマは、どうしてこんなに可愛いんだろう。普段ある程度以上にフランクなその人が、困ったように外す視線。それで好きだと自覚した…なんて、リボンをかけて胸の内。
いつの間にかイライラの金槌も針金も消え去った。甘い甘い、粉雪の日。繋いだ指が薔薇色に染まった。
素直になれないチョコレイト戦記共同戦線。
end.
可愛い発ちゃんと、ちゃんと男目線な天化…
いつもの感じの逆転を試みるの巻。
はっぴーばれんたいん!
2011/02/14