スクラッチ(*)




薄暗い部屋の片隅に拡散する鬱血した呼吸の発端は、
「……こんなの見てるさ?」
「…ったり前だろ」
馬鹿馬鹿しい悪友の部屋のベッド下から雪崩れ落ちた、子供の好奇心だった。中学二年、ゴールデンウィークも過ぎた梅雨の部屋。テスト明けにしてはじめじめしてた。そんな部屋。
「え?ってことはナニ?見ねぇの?」
少しだけはやし立てる調子のソイツは、照れ隠しだとも知っていた。
「…そりゃ見るけど」
自分が見ている――読んでいるなんて到底言えっこない低俗で高尚な男のバイブル。ビーチに水着に日焼け跡にこぼれ落ちた★マーク。高々そんな、所謂エロ本。
「俺っち別にこんなじゃ興奮しねぇさ、レベル低いんじゃねぇ?王サマ」
負けず嫌いなドコまで昇れば負けず嫌いなんだろう。照れ隠しはドコまでだろう。そこを謀れない辺りは、結局まだまだ子犬の遠吠えで、
「んじゃー天化の好きなのどーゆー系だよ?」
大勢でしか踏み込まなかった、ちょっとえっちな旅に出た。
「いきなり言われても」
「おか」
「だから王サマいきなりすぎるさ!」
ふかふかの主のベッドの上に寝転ぶ客に、嬉々として床に本を積み上げる悪友の腕。それがバサバサ派手な音と共に雪崩れ落ちるのも、まるで安いエロ系マンガのお約束だ。二人して唐突に顔から火を吹くのだって、かき集めれば集める程悪化する現状だって、
「さっさとしまうさバカ…」
「……えーと、あー…いる?」
「いらねぇ!」
もぞもぞ落ち着きなく寝返りを打つ制服の背もグレーのズボンもお約束。
男の子じゃない、少年なんだから仕方ない。お約束。一気に沸点を迎えた梅雨の部屋が低気圧に押し潰された。
「辛くね?」
「誰の所為さ誰の」
不本意な沈黙も、望んでいる訳ではないけど。
「…いつもどんな感じでしてんの」
「はぁ!?」
湧きに湧いた頭で考えることは、みな一様に使えない。確かそんな曖昧なことを先生が口を酸っぱくして言っていたっけ。湧いておさまらないならどうしたらいいのか、先にそっちを教えてくれるのが筋ってものじゃないのか。
じめじめの好奇心を打破する筈の発の声は、
「…んじゃあ王サマはどうなんさ」
余計な好奇心を煽ったらしい。

ちょっとえっちなお約束。
「先イッた方がなんでも言うこと聞くってどうさ?」
「よっしゃその賭け乗った!」
少しだけ意外なのは、言い出しっぺが男子トークに混じる機会が遥かに少ない天化だったことくらい。その違和感も、突き付けられた条件に吹き飛んだ好奇心の彼方。

「…完勃じゃん」
「人のこと言えねぇさ」
ふかふかのベッドの上で向かい合った身体が揺れた。互い違いに伸ばした右手と右手、触れる指に、
「…っ、ぅー」
「ぁ…」
互い違いに息が漏れた。発の息が若干の高低で泳ぐのは、そのタイプの変声期なんだろうか。正真正銘生まれて初めて他人の手。女の子じゃないのは随分予想に反れた低気圧に、漕ぎ出す幼い船出の日。
「王サマって結構小さいんじゃん」
「テメ調子乗んな!」
「……ッぁ」
キモチイイ、その好奇心に乗っ取られた手が、湿気った空気を押し流す。追い掛けて溢れる鬱血した吐息に強く寄る眉間のシワに、たまにくいしばる奥歯が4本、最近少し遅れて生えてきた天化の親知らず。動くのは右手と右手。漏れた鬱血走る吐息に、ばか正直な幼い本能。

「往生際悪いさっ…」
「っん、だよ…感じてる癖に」
どっちもどっち、推し量れるものじゃない。饒舌な口を一文字にして右手が加速し始める辺り、きっと同じ状況で、
「ふ、ぅ…っ…!!」
敗者決定の瞬間。発より少し幼さが残る天化の顎先が跳ね上がるとき。思わずキツク目を閉じて背中が震えた。
「わっ、え!?お前待てよティッシュ」
ティッシューティッシュー!どこいったー!?呼んで出てくる訳がないのに、
「ぁ…ばっ、バカヤロ…――!!」
騒ぎだした隙に強く握り返したら、うずくまった天化より少し高い背が震えて動かなくなった。
「……お前まじサイッテー」
「奇襲も勝負の内さ」
「もう決まってたじゃねーかよ」
「ストップかけなかったの王サマ」
「だからお前先に」
「自分だってイッたんだからカウント同じっしょ?」
あーあ。気だるい制服の背が二つ並んでふかふかのベッドに沈んでいた。
「…あ゙ーもう狭い!つかお前暑苦しいわ!!」
天化の脛にじゃれつく程度のローキック。
「王サマの方が幅取ってるじゃん」
発の顎に甘える程度の軽いエルボー。
「でもさぁ!」
「なんさ?」
「……きもちよかったよな」
くすぐったい耳元で声を潜めたイタズラな問いかけに、
「……うん」
口は尖らせたまま頷いた。
かっこつけのニヤリ笑いに無邪気な子供のハニカミ笑い。爆発する笑い声は鼻先と鼻先が触れる距離、ふざけて叩いた頬と肩。
「てかまずいべ、これ」
「なー、なんで制服って灰色?目立たせてぇの?」
「洗濯機突っ込んでいいんかな」
「それもヤバくねぇか?」
またふりかかるじめじめに、二人で笑う好奇心。この日の賭けは見事ペプシに姿を変えた。結局回し飲みならどっちもどっち、次の勝負も遠くない。
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